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2010/01/30

村上春樹、夏目漱石と出会う

村上春樹、夏目漱石と出会う
「村上春樹、夏目漱石と出会う」 日本のモダン・ポストモダン Murakami Haruki study books
半田淳子 2007/04 若草書房 全集・双書 278p
Vol.2 946★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 だいぶ前からこの本が手元にあるのだが、なかなか読書が進まない。次から次と、あとからやってくる別な本に抜かれ、ついに手元にいつまでも残っている。これではいけないと、思い立ったところで、「村上春樹『1Q84』を読み解く」の中の「村上春樹をもっと知るための7冊」の中の一冊としてランクインしているのを見て、よし、と決意した。

 本書は、夏目漱石と村上春樹の作品について、日本のモダンとポストモダンの連続性という視点から論じようとするものである。p3

 ただ、私は、夏目漱石と村上春樹が連続してようがどうが、あまり関心はないのである。そもそも夏目漱石をそれほど読んでいない。村上春樹が「80年代の夏目漱石」と呼ばれていたらしいことは知っていたが、だから、どうした、と、ちょっと開き直ってはいた。

 ここまで、村上春樹を読んできて、マイベスト3は、「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」ということになり、まだ完結していない「1Q84」は、評価不能なまま放置している。「ねじまき鳥~」第3巻を再読しないことには、評価できない。短編は、まだ読んでいないものもある。

 しかし、それにしても、「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」、にしても、どれをとっても、自分の心象を代弁してくれている、自分の時代の小説家、とはどうしても思えない。同じ時代に生きていた、「有名な小説家」という意味では、自分の時代の小説家であるが、むしろ、私は、この小説家について否定したいことのほうが多い。そもそも、文学、ってやつがどうも苦手で、本当の意味では信頼していない。

 考える。ドストエフスキーの時代には、小説(文学)というコンテナ自体がその存在価値があったのではないか。読者はそれ以外の選択肢はなかった。とにかく自分の生活から突出したものを求めようとすれば、小説というコンテナに頼る以外になかった。

 夏目漱石の時代になれば、そのコンテナをどのように使うか、という余裕がでてきた。夏目漱石は、多分、そのコンテンツを、このようにも使えるよ、という新しい多様性のほうへと導いた。そこに至って、村上春樹は、次なるステージ、コンシャスネスへと飛翔する可能性を期待されていることは間違いない。

 しかし、本当に、村上春樹は、コンシャスネスに向かって飛翔するだろうか。目下の当ブログの着目点は、ここが中心となる。時間軸としての村上全作品に軽く目を通しながら、その評価や評論という横軸にも目を配りながら、「1Q84」を交差点する空間の中で、次なるbook3が出るまで、迎撃態勢を作っておく。まぁ、それが当面の村上春樹対策ということになろう。

 

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