スプートニクの恋人
「スプートニクの恋人」
村上春樹 1999/04 講談社 単行本 309p
Vol.2 928★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆
この「スプートニクの恋人」をめくってしまえば、ひととおり村上春樹の「長編」には目を通したことになる。感慨深い。一連の関連リストのミッシングリンクはとりあえず埋められたのだ。あとは短編やらエッセイやら解説本、研究本などを付け加えていけば万全であろうが、小さな支線を加え続けていったら切りがないので、当ブログにおけるクラウドソーシングとしての「ハルキワールド」探求の旅は、このあたりが折り返し地点となる。
「スプートニク・・・・?」
「そういう、ブンガクの流れの名前。よくなんとか派ってあるでしょう。ほら、ちょうど<白樺派>みたいに」
すみれはそこでやっと思い当った。「ビートニク」 p11
ここで初めて、そのスプートニクの「意味」がわかるわけだが、もちろんこの小説のタイトルになっているように「スプートニク」がたんなる言い間違いではないことは確かなことだ。ビートニクを、私たちの世代が自らのものとして語ることはないだろう。団塊の世代である村上春樹にしたところで、同時代的にはビートニクを語ることはできない。
W村上と言われた片割れの村上龍の「限りなく透明に近いブルー」が登場した時、22歳の私は、日本にもアレン・ギンズバーグの「吠える」がついに登場した、と感動した。ギンズバーグは「僕は見た。僕の世代の最良なる精神たちを」と「宣言」した。あれ以来、村上龍の小説は読んだことはないけれど、アメリカの1950年代のビートニクが語られることはあっても、日本にビートニクは、本当には登場もしなかったし、根付きようもなかった。
僕は見た。僕の「世代」の「最良」なる「精神」「たち」を。僕の「世代」とはなんだろう。その当時、同時代的に生きている人々を指していることは間違いない。どこまで拡大し、どこまで限定するか。「戦争を知らない子供たち」などという生易しい概念ではない。かといって、すべてを包含した言葉ではなかったはずだ。目の前にいる「仲間」たちに向かって、ギンズバーグは「僕の世代」と呼びかけ、何かに「対抗」する勢力として語りかけ、詩を贈った。
「最良」なる「精神」とはいかなるものか。もうそれは、「良い」「悪い」という判断を離れたところにあるもの。ちょっととか、最高とか、そういうところから離れたものこそが「最良」と呼ばれるべきだ。低いも高いも価値判断される必要がなくなったもの。それが「最良」だ。
「精神」とは何だろう。目の前にいる「仲間」たちだ。そして詩をうたっている自分自身だ。肉体をもち、愛し合い、放浪し、苦悩し、語り合い、思い、瞑目する、人間としての存在。その存在を支える根源的な原理。あるいは根拠。あるいは痕跡。あるいは名づけようもない、なにか。
「たち」とはなんだろう。ほんとうは「たち」などない。それは詩人が「仲間」たちによびかけた、「愛」の印だ。だが、それは限りなく淡い。詩としては表現される。言葉としては呼びかけることはできる。受け止める「仲間」たちがいる。しかし、本当は、僕は「僕」でしかない、という厳然とした事実に立ち戻ることしかできない。
この小説にはミュウという名前の登場人物がいる。設定も性別も違うが、私もある人物にこのニックネームを付けたことがある。当時16歳の少年。隣県から家出してきた三浦という少年。三浦から「ミュウ」というニックネームをつけた。だが、どこかミュータント、という言葉を連想させた。ミュータント。突然変異体。
髪を肩まで伸ばし、ちょっと色黒い、細身の少年。当時、私もまだ19歳ではあったが、彼を見て「異星人」を連想した。シャイだが、鋭い、少年独特の感性。私たちの小さなコミューンでは、それぞれがニックネームをもっていた。それは、ある意味では、この小さな生活共同体へ参入するためのイニシエーションであるかのような意味合いを持っていた。私はこのようにして、新参入者たちの何人にもニックネームをつける役割を果たした。
ビートニクとスプートニクのパラレルワールド展開は、村上春樹のお手の物だが、さて、この小説が書かれた1999年、という年代に、この作風はどうであったのだろうか。
我家にはこの小説の文庫本が残されていた。家族の誰かがすでに読んだのだろう。それは2001年発行になっていたから、それ以降に誰かが読んだのだ。「謎とき村上春樹」の石原千秋のような人ならば、大学の講義の中で、学生たちと一緒に読み込んでいく、というスタイルで、「それぞれの文庫の新しい版」を読むということもあるだろうが、小説がでた時代背景を考慮しながら、その意味を感じたいと思った当ブログでは、なるべく初版の出版された当時の版を読み込んできた。
図書館から借りだしてきた初出本は、まだ10年前の本ではあったが、すでに「閉架書庫」にしまわれていた。あんまり読む人がいないのだろうか。それとも、新しいバージョンが出回っていて、そちらを読むことが主流になっているのだろうか。
当ブログは、読書ブログとは銘打ってはいるが、解説ブログでもなければ、もちろん研究ブログでもない。「読書」をひとつのきっかけにして、自らのなかからなにごとかの文字を引っ張り出し、キーボードを叩くことによって、かろうじて、何事かの痕跡を集積しておいているにすぎない。
それらを踏まえた上で、この小説「スプートニクの恋人」をめくると、どうも落ち着きが悪い自分を感じる。1999年、という年代が重い。いわゆるY2K問題で揺れていた時代である。「世紀末」である。1999年、7の月、などと言われていた、「人類が破滅」するかもしれない時代。「7の月」はそれぞれの読み解きによって、必ずしも「7月」を意味してはいなかった。場合によっては、この本がでた「1999年4月」だって、可能性はあったのである。
誰だったか、どこかの詩人が「明日、地球が終わろうとも、私はリンゴの種を蒔くだろう」と言ったという。中学生だった自分は今でもその言葉が好きだし、今でもそう思っている。私もまた、明日、地球が終わろうとも、リンゴの種を蒔くだろう。その意味あいにおいて、「スプートニクの恋人」は村上春樹の「リンゴの種」だろう。
ここで蒔かれるべき「リンゴの種」とはなにか。毎年毎年、同じようにして蒔かれてきた同じような種のことなのだろうか。あるいは、この年だからこそ、選びに選ばれて、残ったわずかばかりの可能性にかける種のことだろうか。この小説にはそのような意味合いが込めれていたことはまちがいない。あるいは、一読者として、そういう意気込みで読まざるを得ない。
ひととおり村上作品の長編と呼ばれるものに目を通して、印象に残った三つの作品を選べと言われたら、私なら、「羊をめぐる冒険」、「ノルウェイの森」、「海辺のカフカ」、の三つを選ぶ。「羊~」は初期的な作品でもあるし、村上作品のパラレルワールドの原型のようなものを感じる。「ノルウェイ~」は、いわゆるリアリズム作品であり、村上作品のもうひとつの極を示している。世界的に一番読まれている作品でもあろう。「海辺~」は、前期のふたつの融合的な意味合いをもちつつ、実は2002年に出版されている、というところに意義がある。
つまり、私にとっては、1995年~1999年という年代が、どうも未消化で、この時代を思い出すことが非常に気が重い、ということになる。なにも、かわいそうな一作家を酷評する必要などない。彼はまったく別な世界を生き、まったく別な人々に向けてメッセージを向けて小説を書いていたとするなら、いまさら十数年経過したあとに、遅れてきた読者がどうのこうの言ったって、すでにどうもならないことである。
いや、そうではなく、もし村上作品を読むことによって、私自身の中のなにかが撹拌され、沈澱していた記憶や未解決な問題意識が浮遊してくる。その時、感情移入していた自分のなにかの部分が深く揺さぶられる。図地逆転する。結論として、私は、これらの時代をもうすこし自分なりにトレースしなおす必要を感じる。何がどうだったのか。
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