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2010/01/19

村上春樹をめぐる冒険〈対話篇〉

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「村上春樹をめぐる冒険」〈対話篇〉
笠井 潔 (著), 竹田 青嗣 (著), 加藤 典洋 (著) 1991/06 河出書房新社 単行本: 253p
Vol.2 920★★★★☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 村上春樹を語る面白さのひとつは、その小説が多くの人々の目に触れて、そこに提示されている情景を使って、多くの人々と話題を共有できるところにあるだろう。当ブログはむしろ、そちらの方に関心があり、そちらから入って、村上作品にようやく目をとおす気になった、とも言える。

 この鼎談は1991年にでており、村上作品としては「風の歌を聴け」から「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」などを中心とした80年代のハルキワールドを語っているわけだが、それなりに時代を感じさせる、ひとつの良い「クラウドソーシング」の一例となっている。

 この時代、私はまったくこのような世界には関心がなく、批判をするわけでもなく、無視するわけでもなく、ただただまったく違った空間を生きていた、とも言える。あえていうなら、裏表のパラレルワールドに入っていた、と言えるかも知れない。

 しかし、この2010年において、大体の1990年ごろまでの村上作品に目を通したところで、この鼎談を読んでみると、当時の自分は、これらの人々と違った問題意識で生きていたわけではなく、むしろ、同じ問題意識をもちながら、まったく別な角度から世界にアプローチしていたと言える。アプローチとまでいうと大げさになるが、とにかく日々生きていたことになる。

 そして率直に言ってしまえば、これらの人々と問題意識はそれほど違わないのだが、そこからどちらの方向に向かって時代を生きようとしていたか、というと、自分の言葉でいうなら「上に抜けよう」としていたのだと思う。逆にいうと、これらの人々の対話や鼎談は、抜け道がない。70年代とか、文学とか、作家論に終始していて、ひとつひとつは文献やら言論やらがあって、とっかかりはあるのだが、ただただ堂々めぐりをしているのではないか、という批判的な視点が湧いてくる。

 この「上に抜けよう」という感覚は、決して私だけのものであったわけではなく、当時の多くの同時代人が抱えていた志向性であったはずである。そして、この感覚は95年のあの忌まわしい事件において、マイナス要素、陰画的落とし穴として現出してくる。

 まぁ、しかし、この1991年においては、そこまで気づいていた人はほとんどいない。ただただ何かが足りないと気づいていた人は多かったはずであるが。村上春樹本人は、この時代からアメリカの東海岸で暮らしていたようだし、時代はバブルな風潮から、湾岸戦争などを契機として、バブル「崩壊」へと暗転していく。

 この鼎談がでたあと1995年までの間には「ねじまき鳥クロニクル」という大きな作品がでるわけだが、1995年の事件後、村上は日本に帰国して、「アンダーグラウンド」「約束された場所でunderground2」などをものすことになる。だが、それは、まだ誰にも予測できないことであった。

 この2010年に至って、ようやく村上春樹を読みはじめたような私などは、同時代的に村上小説やらその「解説・評論」を読んできたわけではないので、いまさらどうのこうのと言っても、それこそあとの祭りで、もぬけの殻のところにたたされているようなものだが、それでもなにかしら思うところは多い。

 それはやはり「上に抜けていない」という感覚だ。一村上作品をうんぬんという他人のふんどしを利用して自らを語ろうとするだけではなく、一連の作品群をひとつの共同性として、何事を語ろうとすること、どこかへ行こうとすること、そこにこそ当ブログの関心はある。

 すくなくとも数百万部売れたとされる「ノルウェイの森」に刺激された日本文学論壇がひとつのクラウドソーシングとしてうごめいている、という風景がこの鼎談からありありと見てとれる。もうすこし、村上作品そのものを読み込んだあと、これらの一連の「解説」やら「評論」も読み込んでみたい。

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