ハルキ・ムラカミと言葉の音楽
「ハルキ・ムラカミと言葉の音楽」
ジェイ・ルービン /畔柳和代 2006/09 新潮社 単行本 463p
Vol.2 939★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
この本に対する当ブログの評価は、相反する二つの側面が交互に表面化してくるようで、あまり落ち着いたものではない。英語圏への村上作品の多くを翻訳して紹介したジェイ・ルービンの、村上春樹夫妻の伝記物とさえ捉えることのできる本書は、ある意味、ゲテモノ、ある意味、貴重な資料集である。
英語で英語圏の読者に村上紹介本としてだされた一冊であるが、それをさらに別な翻訳者が日本語訳するという複雑な経路をたどっている。言ってみれば「ファン感謝デー」な一冊でもあり、本来であれば、こんな立派なハードカバーではなく、むしろ「少年カフカ」のようなペーパーバックででるべきではなかっただろうか。あるいは原書はきっとそうであるに違いない(確認はしていないが)。
こうして一代物として見た場合、やはり村上春樹の「人生」に、60年代の精神を象徴させようというには、あまりにも無理すぎる。ノンセクト、あるいはもっとほとんどノンポリにちかかったはずの村上の「生き方」には、はっきり言って「60年代の精神」などない。同時代的に見ていた情景を描写する力を村上は持っているだろうが、ここになにかを過大評価することは間違いだ。
村上にとって、音楽は無意識の深奥に降りていく上で最良の手段なのだ。無意識の奥底は私たちの心的時間を超越した、別世界である。そこは自己の核となるものであり、自分は誰かという、一人ひとりの物語のありかだ。p12
本書のタイトルのように、どこかで「音楽論」でも始まるかな、と思ったがそうでもない。淡々と村上夫妻の伝記が語られていることは確かだが、決して「自分は誰か」という煮詰めはない。
それまでいかなる考えを持っていたにせよ、春樹と陽子にとって40になることは、子育てをする可能性がほとんどなくなったということだった。p224
極めてデリケートな話題なので、ここまで触れてこなかったが、私が持つ村上小説に対する違和感の大きな部分に、子供のいない世界でのセックス感がある。性描写をするのは構わないが、なんか紋切り型であり、パターン化している。そして、本当のエクスタシーを感じているとは思えない。
子供を持つ持たないは個人の自由だが、私は子供はぜひほしかったし、幸い子供に恵まれた。その子供たちが巣だって行くまで、町内会や、父親の会、PTAなどにも積極的にかかわり(正・副会長を6年やった)、自分なりに積極的に子育てに参加した。この話題は、村上作品には決定的に欠けている。ないしは、この側面が村上作品に物足りなさを感じる理由のひとつであろう
というより、子供を持たないことをポリシーとする作家と、子供がぜひともほしい読者では、ひとつの小説世界を語るうえでも、かなりの距離があるのではないか、というのが私の直感である。この本は村上ワールドを俯瞰できるハードカバーであるが、もっとフランクに、お気軽に読まれるべき本だ。ちょっと気取りすぎ。
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