少年カフカ 村上春樹編集長
「少年カフカ」 村上春樹編集長
村上春樹 2003/06 新潮社 単行本 495p
Vol.2 No904★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
この本もまた「ファン感謝デー」的な一冊で、「これだけは、村上さんに言っておこう」2006/03と同じジャンルの一冊。先立つこと2000/08に「そうだ、村上さんに聞いてみよう」という一冊がでているようだから、少なくともこの3冊を読めば、結構いっぱしのハルキニストぶることができるだろう。
「海辺のカフカ」は、セールスプロモーションとして、積極的に予告の広告などを出して、読者にあらかじめアピールし、見本バージョンを店員など前もって配るなどの配慮がされた。そして、2002/09の販売開始とともに専用のホームページを立ち上げ、読者からのメールでの書き込みに著者が積極的に返信するというスタイルをとった。その問答を一冊にしたのがこの本である。
時代的には糸井重里の「インターネット的」とその背景が重なる部分も多く、村上春樹なりに「直接民主主義」的な可能性を追求してみた、というところだろう。しかし、その手法も、必ずしも理想的なものではなかったようで、たとえば、今回の「1Q84」などは、これらの手法はいっさいとられていない。むしろ、内容はいっさい匿秘されていた。どれがいい、ということではなく、まだまだいろいろ試してみている、という段階だろう。
この少年漫画雑誌風な一冊を全部読むというのは、私のような小説をあまり読まない読者にはなかなか大変だ。いや、小説を読むより難しい。時間をかければ読めるというものではない。いわゆる先差万別の「読者」像というものを一元的にくくりたくなってくるが、とてもとてもそれは無理だ。それこそ、文化人類学的手法を持ってしても、なかなかこれらの人々をくくることはできない。
というより、村上春樹的小説にプロボークされて、深い意識のなかに沈殿していたさまざまな、無秩序にして散漫な、シンボルや記憶や、風景の断片が、わんわんと湧きあがってきて、自分の中で一人分の「くくり」をつけるだけでも、文化人類学的な手法を用いたくなってくる。まぁ、それはそれでいい。
この一冊のなかには、断片的ではあるが、繰り返し述べられる村上春樹的なものがあり、断定的、強調的、結論的な言い方でないにせよ、ひとつの傾向性が見てとれるのはいいことだ。あちこちに、彼の小説を読んでいく上での、貴重な手がかりが残されている。
自分で書いておいて、どこに書いてあるか、うまく見つけられなくなってしまっているが、当ブログの<2.0>のサブ・タイトルは「アガタ・ザ・テランの冒険的日常」ということになっている。村上春樹関連の書物には「冒険」がつくものが多い。そもそも、このサブタイトルがその影響下にありながら、ふいに意識の上に浮かび上がってきたものかもしれない。
「アガタ・ザ・テラン」とは「地球人アガタ」という意味だ。アガタ、とは、現在のところ意味不明。「アガルタ探検隊」とのなんらかの関係があるかもしれないし、ないかも知れない。しかし、この地球人アガタが、静かに当ブログのなかで、ひとつのアバターとして蘇生してくるのを待っている私がいる。そのキャラクターづくりは遅々として進んでいないが、手がかりはなくもない。
そんなことを考えていたら、「宇宙少年ソラン」を思い出した。
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