1Q84 <3>
「1Q84」book 1(4月ー6月) book 2(7月ー9月) <3>
村上春樹 2009/05月 新潮社 単行本 554p
すでに半年前にいつもの図書館に予約しておいた本だが、12月になってようやく私の番が巡ってきた。同時に予約したのに下巻だけが先にきてしまった。下巻から先に読むわけにはいかない。一週間ほどずれて上巻も届いたが、年末の繁忙期にゆっくり長編の、しかも話題になっている小説を読むわけにはいかない。
ところが、年末年始の図書館の閉館期間を加えると、ちょうど私のところにこの本が滞在する期間は3週間ほどになる。通常なら、延長すれば2週間プラス2週間で、4週間ほど独占することができるのだが、今回はそういうわけにはいかない。なぜなら、私は800人待ちでなんとか読めるようになったのだが、すでに私のあとには、すでに800人以上の予約が入っている。
この人たちは、あと半年後にこの小説を読むことになるのだ。地域の図書館ネットワークには上下巻全部で各30冊づつ入っている。800人÷30冊で各冊約30人づつが待っているとして、受取期間を入れると30人*3週間=90週間。全員が最大の「占有期間」を使えばのことだが、90週間÷4週間(1ヶ月)=20ヶ月。半年は6ヶ月だから、みんなはそれほど占有していることにはならない。でもすくなくとも一人一週間は占有している。
私がこの本を占有していたのは3週間ほどだったが、実際読んでいくのにかかったのはほぼ1週間だった。もっと集中して読めばもっと短い時間で読めただろうけど、まさか以前のように書店店頭の立ち読みのように読む意味はない。かと言って、途中で挫折して頬売り投げることもなかった。
もうだいぶ前になるが、夏頃、我が家の奥さんが自分用にこの本を借り出してきて傍らで読んでいた。彼女も数日から一週間ほどかけていたのではないだろうか。読み終わったあと、「この本は買ってもよかったね」と言った。自分が読んで、私が読んで、子供達にも回して、そして自宅にあれば、また読み返せる、と思ったのだろう。
そのあとその本は、彼女の借り出し期間の残りの部分で私が読めるように、一週間ほど我が家にあった。だが、私は読まなかった。正確に言えば、「読めなかった」。他の本、それは特に新しい新書本だったりしたし、政権交代とかで外側の世界のにぎやかな雑踏についてのことが多かった。
「空気さなぎ」とは、正確にはなにを意味しているのかわからない。フィクションだし、小説の中でも、明確に書かれているわけではない。その上、私のようなそそっかしい人間が、あわただしく長編小説を読んでも、頓珍漢な読み方しかしていないことも大いにありえる。しかし、それであっても、やっぱりこの小説は面白いと思う。ノーベル文学賞がどれほどの価値があり、どのような小説や作家に与えられるのか知らないが、もし村上春樹、1Q84、ノーベル賞、というキーワードが次第につながっていくのなら、それもありなのかな、と思った。
僭越な言い方だが、私にとっては、当ブログもまた、ひとつの空気さなぎなのではないか、と思う。山羊の口からでてきた。リトル・ピープルが何を意味するかも、まだ明確ではない。また、ひょっとすると読み落としたのかもしれないが、天吾の母親についても、まだ明確ではない。レシヴァである「さきがけ」の教祖の生死も、実はまだ明確ではない。もちろん、青豆の生死も定かではない。
いく人かの評論家は、この本の続刊が出される可能性はある、と言っている。つまり、「book3」だ。続刊がないことには落ち着かないところがいくつもある。それを書くためのインターフェイスは全部残されたままになっている。もっとも、小説なのだから、これで終わってしまっても構わない。
2009年において、この本がベストセラーになった理由がわかるように思う。たしかに「村上春樹にご用心」だ。
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