回転木馬のデッド・ヒート
「回転木馬のデッド・ヒート」
村上春樹 1985/10 講談社 単行本 196p
Vol.2 932★★★☆☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆
情景や体験というものは、いったん、口にされ、言葉にされた時点で、オリジナルな情景や体験そのものからは隔離され、別個な意味合いを持ち始める。言葉として再現されるわけでもなく、その本質をうまく写し取っているわけでもない。しかし、言葉がなにかの符号のようなものとして機能し、オリジナルなものを復元し、あるいは、それを超えていく、ということも想定できないわけではない。
ひとつの錠前(ロック)をあける鍵(キー)が作られたとすれば、そのキーが再び別なロックを開ける可能性はゼロではない。そしてまた、そのキーであけることができるロックをあらたに創り出すことさえ可能ではある。
ここに収められた文章は原則的には事実に即している。僕は多くの人から様々な話を聞き、それを文章にした。もちろん僕は当人に迷惑が及ばないように細部をいろいろといじったから、まったくの事実とはいかないけれど、それでも話の大筋は事実である。話を面白くするために誇張したところもないし、つけ加えたものもない。僕は聞いたままの話を、なるべくその雰囲気を壊さないように文章にうつしかえたつもりである。p8
この本に収められた短編(といっていいのか)は、書き下ろし2編と、1983年10月から84年12月までに書かれた7編。出版されたのが1985年の10月だったことを思えば、「世界の終り~」を書き終えて、次なるステップを模索中といえるだろうか。1987年9月の「ノルウェイの森」へとつらなる「リアリズム」への接近であろう。
しかし、どのように能書きされたとしても、「プロの嘘つき」の手による文章を、ひとつひとつ「話の大筋は事実である」という言葉も、最初から信用はできない。リアリズムの担保力を借りて、ストーリーに引きつけようというのは、小説家としては邪道であろう、と私は思う。そもそも、「聞いたままの話」を書きとることなどできないし、「聞いたまま」の話は、オリジナルな情景や体験では、まったくないからだ。
これらの一連の短編が書かれた年代が1984年ということを考えれば、後年書かれた「1Q84」の対比の中で読まれる可能性はあるが、決して、小説家の「嘘」にひかかってはならない。そのように鵜の目鷹の目でみられることがプロの文章家の宿命であり、またそれをエネルギーとするところに、この「嘘つき」集団の力の泉がある。
自己表現が精神の解放に寄与するという考えは迷信であり、好意的に言うとしても神話である。少なくとも文章による自己表現は誰の精神も解放しない。もしそのような目的のために自己表現を志している方がおられるとしたら、それは止めたほうがいい。自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。もし何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。p11
これはこの本のため書き下ろしの部分であるが、何か、言いたい放題言ってるな、という感じしかしない。村上本人は、これと類似し、あるいは相反し、あるいは別な角度からアプローチした文章を、あちこちでとめどなく書きとめている。いずれが「事実」で、いずれが「虚構」か、などと詮索するのも、私は無駄だと思う。
問題は、このような文章に出会ったときに、自分はどうなのか、自分はどう思っているのか、そのことを忘れず、これら「プロの嘘つき」たちに悪影響を受けないように、することが大事だと思う。一番いいのは、これらの文章を読まないのが一番いいのだが、読んでしまっても、なお自分はこれらから悪影響を受けない、という自己確認をするために使うことの活用法があることは否めない。
すくなくとも1984~5年、30歳半ばを生きる村上春樹がこのような文章を書いていた、という記録にはなる。
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