思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界
「思春期をめぐる冒険」 心理療法と村上春樹の世界
岩宮恵子 2004/05 日本評論社 サイズ 220p
Vol.2 No897★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆
女性臨床心理士による村上春樹論。相談室を個人開業したりもしているらしいが、大学で教えてもいるようだ。頭の中で小沢牧子「『心の専門家』はいらない」を思い出しながら、読み始めている自分がいる。
ずっと前から、村上春樹の作品は、新作がでるとすぐに購入していた。そして三カ月くらいの間、ヘビーローテンションで毎日毎日、暇さえあれば読み返すのである。さらには文庫本になると、また本のとじ目がバラバラになるまで読み返し、また買い直す・・・・というようなかかわり方をずっとしてきたし、今もしている。p215
このような人はハルキニストと呼ばれることになるに違いない。少なくとも当ブログとしては認定状を差し上げたい。
物語と心理療法のことを論じるにあたって、村上春樹の作品を取り上げる理由は三つある。まず、冒頭で紹介したように、対談やエッセイなどで村上春樹自身が小説を書くときの自分のスタンスが自己治療的なものであるとはっきり言及していること、第二に、治療場面でかなりの数のクライエントが彼の小説を話題にすること、そして第三に、(これが一番強い動機だが)村上春樹の小説を読んでいると、まるで心理療法の現場で起こっていることそのもののように感じられるからである。piii
ふ~む、ここまで来るとかなり重症ですね。もともと村上春樹と心理療法には直接的なつながりはない。たしかに作品を書くことは自己治療的ではあるが、それはなにも村上小説に限ったことではない。たとえば一連の末永蒼生の書籍を読んだりしてもわかるように、表現自体が自己治療的なことは、別に文章や絵画や音楽に限ったことではない。小説家という存在にしたところで、自己治療的なのは村上作品に限ったことではないだろう。
第二に、著者は心理療法家として、村上春樹を「読んでいる」世代をクライエントの中心に抱えているのだろう。たとえば、北山修みたいに、高齢者を中心とした(単にイメージだが)クライエントを抱えていて、その人々が全員いきなり「村上春樹」を語りだしたら、それこそ驚いてしまうが、著者はそういうことを意味していない。単にその時代のその世代に村上春樹が浸透している、ということである。
第三に、心理療法の現場とは、そのケースの数だけある。村上春樹的な展開だけがあるわけではない。むしろ心理療法家によっては、そういうケースはまったくなかったと自信をもって返答する人もいるに違いない。
つまり、ここで私がいいたいのは、この人はあまりにハルキワールドに突っ込みすぎて、その幻影をクライエントに投影しすぎている、ということ。つまり、極論すれば、心理療法家、失格である。もっと、無心にクライエントに対峙しなくてはならない。
変に倫理観を持った規範のつよい態度でクライエントに接するのも問題だが、反倫理的、反規範的であったとしても、ひとつの世界観に引き寄せすぎるのも、いかがなものであろうか。
この本においては、当時出ていた村上春樹作品が十冊以上「解説」されているが、まだそれらを読んでいない私としては、あまり先入観が入ってくるのもよくないので、そこそこにしておく。一度自分で読んで自分なりにイメージがつかめたら、他の人はどう読んだかな、という関心は湧くかもしれないが、その時に、この本を再読したくなるかは、微妙なところ。
この本は「思春期をめぐる」心理療法について書かれているが、カウンセラーとしての私は、思春期のクライエントを扱うことは専門でもないし、決して中心でも好きでもない。むしろ、自我の形成が終了していない、という意味では、私のクライエントの範疇からみれば埒外の世界である。だからこそ、この本に感じる違和感というものがあるのかもしれない。
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