村上朝日堂はいほー!
「村上朝日堂はいほー!」
村上 春樹 (著) 1989/05 文化出版局 単行本: 208p
Vol.2 940★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
このエッセイ集には、1983年から約5年間に書かれたエッセイが収録されています。大部分は「ハイファッション」というファッション雑誌に「ランダム・トーキング」というタイトルのもとで連載されたものです。それからその間に他のいろいろな雑誌に書いたきり、そのままどこにも収録せずにほうっておいたエッセイを押し入れからひと山ひっぱりだして、そこから何編かを選んで追加しました。p204「あとがき」
元原稿はあったとは言え、大幅に加筆訂正されてもいるようだし、書き下ろしも含まれているようだから、骨子としては1980年代中盤の雰囲気を保ちつつも、表現としては、この本が出版された1989年5月地点の著者の心境がつづられている、と考えても、まずは大きく間違ってはいない。
僕だってたまには女の子にむかって「俺はさそり座のABだから、下手にかかわると怪我をするよ」というくらいのことはさらっと言ってみたい。それがだめなら水瓶座のBでも。それが駄目なら獅子座のO型でもいい。なんだって山羊座のA型よりはましだ。p18「わり食う山羊座」
なるほど、この人のコツコツと積み上げていく世界は、たしかに山羊座的だし、あのいかにも一人っ子という雰囲気の風貌は、なるほどA型なのか、と思う。
ノン・フィクションというのは原理的に現実をフィクショナイズすることであり、フィクションというのは虚構を現実化することなのだ。それをどちらがパワフルかと比べるのは、無意味である。p50
エッセイという文芸は、さて、どちらの範疇にはいるかと言えば、やはりノン・フィクションの部類に入るだろう。エッセイだからと言って、「嘘」はいただけない。しかし、切り取り方によっては、いくらでも別人格になったり、場所や人物を設定しなおせるので、まぁ「真実」というようなものとして受け取る必要もなかろう。
一冊だけ本を携えて無人島に行くとしたら何を持っていくか、という設問がよくある。(略)何のことはない、本なんか持っていかなくったって自分でどんどん小説を書いちゃえばそれでいいんじゃないか、ということになってしまう。こういう点小説家というのは便利である。p116
村上朝日堂、という屋号、あるいはキャッチフレーズはいつから使っているのだろう。現在の当ブログの追っかけでは、この1989年の段階が一番古いように思うが、その名前の由来がまだよくわからない。
とにかく軽妙なタッチのエッセイもよく書ける人だと思う。なにもハードボイルドな長編を書かなくても、軽妙なお手軽タレントとしても十分やっていけるキャラなんだなぁ。いや、こんなことを言ったら、いまやノーベル賞候補と言われている「文豪」に対しては、失礼かな。
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