徹底解明 村上春樹「1Q84」
「徹底解明 村上春樹「1Q84」 「群像」 2009年 08月号
雑誌 出版社: 講談社; 月刊版 (2009/7/7)
Vol.2 944★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
ムラカミハルキを10倍楽しむ 世界中のひとびとを魅了する村上文学。その謎に満ちた最新作を、細部にいたるまで徹底的に深読みする。
座談会 村上春樹「1Q84」をとことん読む 安藤礼二 + 苅部直 + 松永美穂 + 諏訪哲史
温かい日本茶を飲むまでに---「「1Q84」を読む 小山鉄郎 目次より
30年前に村上春樹「風の歌を聴け」に新人賞を与えた「群像」であってみれば、いまや日本を代表する世界的「文豪」村上春樹の最新作に対する評価は、最大限と言っていい。とくに、出版直後の2週間で開催された対談などでは、たしかに「とことん」読まれていると言っていいだろう。
出版直後には、他の出版物でも盛んに「1Q84」が話題となったように思うが、今になって、図書館で検索してみると、意外とそのタイトルを冠した書物は少ない。単行本が数冊、雑誌が数冊という程度だ。あれだけの長編だけに、読みこむのに時間がかかることと、すぐに評論をだすほどに体制ができているチームはそう多くはない、ということか。
ちなみに、私が通う公立図書館のリクエスト数で数えると、「1Q84」は上下とも、いまだに1000人待ちである。ネットワークの図書館に30冊の「1Q84」が入っているものの、私の経験上、今現在、最後尾にリクエストした人が、この小説を読めるようになるまで、あと1年近くかかるだろう。
一体、それだけ待って読む価値があるのだろうか。あるいは待つこと自体の価値があるのだろうか。それだけ待つなら、なにか他の方法があるのではないか、と思うが、まぁ、自分の順番が来たら読むだけであって、順番がこなけりゃこないで構わない、という層がいまリクエストを重ねているのかも知れない。
かくいう私も、昨年話題になった映画「おくりびと」の原作と言われる、青木新門「納棺夫日記」をリクエストしておいたのだが、まもなく一年になろうとしているのに、まだ私の順番が来ない。あの話題の渦中であったなら、急いで読んでみたい、と思うところだが、いまや話題にも遠のいて、まぁ、読めるならいつでもいいや、とちょっと冷静になっている。
安藤(中略)ここに描かれているリーダーとは麻原彰晃のような新興宗教の教祖であると同時に、日本の近代システムそのものだと思うんです。私には、折口信夫が解釈し直した天皇---それは間違いなく象徴天皇制の先取りなのです---を俎上に載せているように読める。しかもその人物を殺してしまうのです。 p145
いろいろ故事付けていけば、屁理屈と軟膏はどこにでもつく、というもので、なるほどそんなもんかい、ということになる。書き方も自由であってみれば、読み方も自由だ。どのような評価を加えようと、その行為自体にはそれなりの妥当性がある。
しかしまた、そのような自由な「読み方」をさせ、ひとつの「鏡」として機能しながら、読み手の世界を映し出してしまうような力があるところに、この作品のみならず、村上春樹という作家の真骨頂があるのだろう。
松永(中略)私は留学してジェンダー論を学んできてから春樹さんを読み始めたこともあって、とくに女性の描き方に批判的な目線で見てしまうところがあるのかもしれません。p146
性描写についてもそうだが、このような観点からよくよく考えてみれば、いたるところにチェックのマーカーペンの印がつくことになる。フィクションだから許される、という「甘え」はどこまで許されるのか。10歳の少女にたいする行為が、子どもポルノに厳しい海外諸国で翻訳されるときにはどうなるのだろう。あるいは、その時に物議をかもしだすこともまた、作者は計算済みなのか。
諏訪(中略)まずここで前置きしておきたいのは、僕が典型的な、盲目的ハルキストだということです(笑)。ですから、どんな作品でも春樹さんが書かれたものなら、まず好きになれる自身がある。長所だけが見つかるように自分を律して読んでいく。つまり僕は「ハルキ教」信者であって、「1Q84」の言葉でいえば、春樹さんは僕らの「リーダー」なんです。p143
もちろん冗談で言っているのはわかるが、冗談の質はそうとうに低いと言わざるを得ない。このようなレベルでこれからのグローバルなスピリチュアリティを模索していくとするなら、この人は絶対に到達しないだろうと思う。「教祖」村上春樹、「教義」村上小説、盲目的「信者」諏訪哲史、もしこのような図式を成り立たせるのだとしたら、村上作品はすべて失敗していると言って過言ではない。
苅部(中略)BOOK1で、作中人物から語られる深田保の人生から想像される人物像、新左翼運動に挫折し、コミューンを作ってそこに閉じこもってゆくといった、いかにも時代を反映した像からすると、BOOK2で実際に登場する「リーダー」は、何だかそういう現実感がまったくないんですね。 p153
そんなもの現実感があるわけがないのだ。村上自身が「新左翼運動に挫折」したわけでもなく、「コミューンを作って閉じこもった」わけでもない。ヤマギシをつねに持ち出している島田裕巳なんかでも、まったく同じく「挫折」したわけでもなく、「閉じこもった」わけではない。山岸巳代蔵自身も「新左翼」であったわけでもなく、「コミューン」であったわけでもない。エホバの証人のひとびとの実態だって、村上が小説に書くようなものとは、まったく別な評価がされなくてはならない。現実感がなくて当たり前なのだ。すべてが虚構なのだから。
「何で海外でのことを書かないのだと外国の人によく質問される。確かに僕はアメリカ文学、外国文学に非常に強い影響を受けているけれど、でもその方法みたいなものを使って、日本のことを書くからこそ意味があるんです」と日本へのこだわりを語っていた。p164小山
なにもかにもすべて村上個人に期待する、というほうが無理だろう。相撲ファンが、今日の取り組みについて熱く語り合っているような風景はそれなりに心温まるが、武道館の外は、小雪さえまいちる真冬だったりする。
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