村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス<2>
「村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス」 <2>
鈴村 和成 2009/8 彩流社 単行本 229p
この本、いつもと違う図書館ネットワークから借りているので、一旦返せば、ふたたび借りるまで時間がかかる。もちろん、また引用したいと思えば、書店の店頭に並んでいる旬な本なので、いくらでも読みなおすことはできる。だが、この本を読みなおすことがあるだろうか。
まず最初の「1Q84」の関連のところだけ読みなおし始めたのだが、すぐ目についたのが、誤植(たぶん)。「1Q84」となるべきところが「1Q89」となっていた。まぁ、洒落でこのように表記することがはやっているし、あとがきでも「200Q年7月某日」という日付が採用されているので、「1Q89」も有りかな、と思ったが、どうも繋がりがわるい。やはり誤植であろう。
もともと誤字脱字の密林である当ブログ(笑)が、よそ様の文章の誤植をどうのこうのと言える立場ではないが、それでもやはり、「1Q84」の出版に合わせて急いで作られた一冊というイメージは否めない。解読も、説明も、あるいは脚色のしかたも、ちょっと要注意本なのではないだろうか。
透明なものによってしか透明なものを解体することができない。「1Q84」とはカルト教団の共同体を恋人たちの共同体によって脱構築する物語なのだ。p37
これはまた断定だ。個人的にそう思うのは構わないが、一冊の本として出すには、すこし勝手すぎるように思うがなぁ。どうして「1Q84」の中にでてくる集団を「カルト教団」とはやばやと決めつけてしまうのだろう。また、天吾と青豆だって、「恋人たち」と、結論づいているわけではない。早とちりのそしりを免れない。それに「透明なもの」ってことば、どこかあやしくないですかね。
もう開くこともないかもしれないので、さらさらとめくってみて、メモだけ残しておく。
ハルキ・ムラカミの生成はもはやとどまることがない。僕らの脱構築的なハルキ・ムラカミの読書も同様、もはやとどまることを知らない。p82
この人の文章はかなりハイテンションですなぁ。酒(クスリでもいいが)でも飲みながら、書いているのかしらん。
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