村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス<1>
「村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス」 <1>
鈴村 和成 2009/8 彩流社 単行本 229p
Vol.2 959 ★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆
巻頭に80pほどの「1Q84」関連の書き下ろし解説があり、後半は既出の4本ほどの文章が並ぶ。「読み解く」や「どう読むか」に比較して、するどく突っ込んでいるとは思わないが、ひとりの作家による、長文の評論なので、それなりに興味は引かれる。しかし、決定的ななにかがあるわけでもない。本体の「1Q84」が出版されたばかりということもあり、一般読者としての受け取り方もまちまちだったがゆえに、表現者としての鈴村も、さてどう表現したらよいのか、という戸惑いもあったはずである。むしろあの時点でよくここまで書いた、と、ほむべきであろう。
その中にあって「ジェネシス」(起源)というキーワードで、村上春樹ワールドを括ろうとした、その意図はわからないでもないが、なにかすっきりと分かった、ということもない。まぁ、こういう試みもありまっせ、というサンプルのひとつ、という感じがする。「1Q84」に対する評論よりも、私はむしろ、「ねじまき鳥クロニクル」についてのほうが、なんだか気になった。
いずれにしても戦争の影がさしている、とくに中国との戦争ということですね。そして、「ねじまき鳥クロニクル」の第1部、第2部が刊行されたのは94年ですが、このとき、この作品はこれで完結したと言われました。その結果、「中途半端な終わり方だ」とか、「いろんな謎を放り出してしまった作品だ」という批判が、安原顯あたりから出たりしました。その批判とは直接関係ないのでしょうが、村上はその1年後、第3部「鳥刺し男編」を発表します。p146
なるほど、やっぱりそうであったか。ここで安原顯の名前がでてくるのが面白い。この批判をもうすこし細かく知りたいのだが、さて、どのあたりを探っていけば、わかるだろう。
●鈴村 分かりやすく言っちゃうと、この前の「エルサレム賞」の授賞挨拶のときも、村上春樹のスピーチの要点は「壁と卵」のメタファーですよね。「壁」というのは、「世界の終り」であって、完全に整えられたシステムの世界です。映像の世界といってもいいし、言葉だけで塗りこめられた世界と言ってもいい。村上春樹はそういう「壁」の世界、「世界の終り」に、呑み込まれるギリギリのところまでいくんですが、最後の一線で「卵」の側に立つというか、そういう立場は失っていないと思うんです。p173
年季の入った読者にして著名な解説者に、このように説かれれば、そんなものかな、とも思うが、私の受け取ったニュアンスは、もうちょっと違う。どう違うのかは、今後、もうすこし他の小説なり解説なりを読んでいけば、おのずと明確になってくるだろう。あるいは、その辺を中心に読み進めていく、ということも可能だ。
村上は天吾の起源(ジェネシス)の場所をQに置いた。すると、起源(ジェネシス)の場所から人々は漂流を始める。いや、起源(ジェネシス)の場所、それ自体が漂流を始める。ムラカミエスクな読書の快楽はここに極まる。「カラフルな浮き輪につかまった人々が困った顔つきで、疑問符だらけの広いプールをあてもなく漂っている光景が目に浮かんだ」(2-124)。こういう「疑問符<Q>だらけの広いプールをあてもなく漂っている」読者こそが、真に幸福な村上の読者なのである。p221
は~~~ん、そんなもんですかね。そんなもんには、わしゃなりたくない。この本、なんだかわかったような顔をした、したり顔の、ひいきのひいき倒しじゃないですかな。
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