その男ゾルバ<4>
「その男ゾルバ」 <4>
ニコス・カザンザキス (著), 秋山 健 (翻訳) 1967/08 恒文社 単行本: 387p
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★
「ゾルバ」を読みたくなった。このところ、村上春樹追っかけをして、すこし長文の小説もなんとかやり過ごせるようになった。先日「カラマーゾフの兄弟」を読んだことも影響しているかもしれない。
横尾和博「村上春樹とドストエーフスキイ」で、村上春樹の小説の中で登場人物が読んでいたのがカザンザキスの「再び十字架にかけられたキリスト」だったというくだりを読んでしまったからかも知れない。「映画をめぐる冒険」のなかでも、村上は「その男ゾルバ」を絶賛している。
最初は私もゾルバについて現場に出かけた。私は鉱夫たちが働くをみまわった。私は努力いて生活の方向を変えようとしていた。実際的な仕事に関心を持とうとした。私が使用するようになった連中をよく知り、愛そうとした。
今や言葉のかわりに、長い間求めていた生きた人間とかかわりあう喜びを実感しようとしていた。そして、もし亜炭の出荷に成功すれば、それをもとにロマンティックな計画を実行したかった。それは一種の共同社会を作る計画であった。
そこではすべてが共有され、兄弟のように同じ食事を食べ、同じものを着るのである。私は自分の空想の中で、新しい宗教集団、新しい生活のパン種・・・・・といったものを作りだしていた。
しかし、私はこの計画をゾルバに話したものかどうか決めかねていた。ゾルバは私が鉱夫たちの間を行ったりきたりして、質問したり、さまたげたりし、そしていつも鉱夫たちの肩をもつので、すっかりいらいらしていた。p85
理想的な空想癖のある主人公に対して、ゾルバは現実的で実際的だった。ゾルバの宿屋の老婦人ブブリナへのまなざしが、またすごい。そこにいるのはひとりの女性というより、世界中の女性のエッセンスが煮詰まったような存在だった。そしてサンドゥリをつま弾くときのゾルバ。その魅力に、主人公は圧倒される。
性のあり方を描く方法もいろいろあるようだが、村上春樹の小説の中の描写はとても乾いていて、ついていけないことが多い。それに比して、カザンザキスのほうは、逆に相当に湿度が高く、車寅次郎の視線にも似ているが、さらにもっと一歩先に行ってしまっている。これはこれで、また、決して現代的とは言い難いのだが。
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