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2010年2月の71件の記事

2010/02/28

無意識の探険―トランスパーソナル心理学最前線 <2>

<1>よりつづく
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「無意識の探険」トランスパーソナル心理学最前線 <2>
吉福 伸逸 (著) 1988/01TBSブリタニカ 単行本: 273p

 この本の内容は読まなくても分かっている。読む前に決めておくべきテーマは、「トランスパーソナル・セラピスト」は「ZENマスター」足りえるか、というものだ。

 と構えてググってみると、なんだぁ、私はすでにこの本を読んでいたじゃぁないですか。デジャブ感があったわけだ。せっかくだから、ここで、吉福伸逸関連リストを作成しておく。

「意識のスペクトル」ケン・ウィルバー /吉福他・訳 1985/04 春秋社

「宇宙意識への接近」 伝統と科学の融和 河合隼雄との共編1986/04 春秋社

「アートマン・プロジェクト」ケン・ウィルバー 吉福他・訳 1986/06  春秋社

「無境界」自己成長のセラピー論 ケン・ウィルバー /吉福・訳 1986/06  平河出版社

「意識のターニング・ポイント」 メタ・パラダイムの転換とニューエイジ・ムーヴメントの今後   吉福 伸逸,松沢 正博 1987/03 泰流社 単行本 p306

「個を超えるパラダイム」古代の叡智と現代科学 スタニスラフ・グロフ 吉福・訳 1987/07 平河出版社

「無意識の探険」 トランスパーソナル心理学最前線 1988/01 TBSブリタニカ

「自己発見の冒険」ホロトロピック・セラピー スタニスラフ・グロフ /吉福他・訳 1988/01 春秋社

「脳を超えて」スタニスラフ・グロフ /吉福他・訳 1988/07 春秋社

「トランスパーソナル・セラピー入門」1989/10 平河出版社

「生老病死の心理学」 1990/07 春秋社

「テーマは『意識の変容』」-吉福伸逸+岡野守也 徹底討論 1991/10 春秋社

「処女航海」-変性意識の海原を行く 1993/03 青土社

「流体感覚」1999/04 雲母書房

「楽園瞑想」 神話的時間を生き直す 2001/09 雲母書房

「トランスパーソナルとは何か」増補改訂版 2005/01 新泉社 

 さて、私は、ここで提言したいことがある。それは、「吉福伸逸をZENマスターにする会」というものを主宰するのはどうだろう、ということだ(笑)。この人、なんだかんだ言ってもやっぱり日本が恋しいらしいし、セラピーごっこもしたいらしい。ググってみると、すぐに商売の情報がでてきてしまう。

 吉福ワーク参加者から「もっと長い合宿を企画して欲しい」と頼まれて、吉福さんにお願いしたところ、「9日間あれば本当に僕がやりたいことができる」とコメント頂きました。2泊3日でも相当にハードなのに9日間もの合宿に参加する人が果たして何人いるか…?そう問いかけながらも「私が受けたい…今やらないと後悔する」と決心しました。吉福さんが「本気でやるよ」と引き受けてくださった最初で最後の9日間合宿ですもしも、本当に自分自身と出逢いたいと思うなら素晴らしい体験となるでしょう。「最初で最後、吉福伸逸の9日間合宿ワークショップの詳細」 http://koyo-sha.net/yoshifuku-sinichi.html (2010/02/28掲載文)  

 2010年5月1日~5月9日という日本のゴールデンウィークに日程を会わせているところが、すこし物悲しい。243,000円(税込)※宿泊費、食事代含みます。このセラピー料金を払えるならば、「本当に自分自身と出逢いたいと思う」人にとっては、安いものだ。ちゃんと「本当に自分自身と出逢」えたらね。

 「吉福伸逸をZENマスターにする会」としては、次の点を提案したい。

1)ドラッグ話はもうしないでね。

2)日程なんかどうでもいいのだから、9日間なんてケチなこと言わないで、もっと長期にやってほしい。365日が与えられているのだから。全部あげます。

3)料金は安くはないが、その値段になる理由をちゃんと説明してね。

4)あんまり、お話ばかりしないでね。いまの100分の1程度で、お話は十分です。

5)無意識がテーマなのではなく、超意識がテーマなのです。

6)独覚は独覚でいいから、他のなにか別なものに権威づけを求めないでね。

7)ちゃんと悟ってね。

 こういう話題をやっていると、面白いなぁ、とつくづく思うのは、一時行方不明だったオールドSなんかも、当ブログを覗きにくるところだナ。わが「意識をめぐる読書ブログ」も捨てたものではない。

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テーマは「意識の変容」

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「テーマは『意識の変容』」―吉福伸逸+岡野守也 徹底討論
1991/10 春秋社 単行本 270p
Vol.2 981★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 岡野については、いずれひととおり追っかけをしたいとは思っているのだが、仏教に造指の深い編集者、というイメージ以上のものがなく、いまだ、後回しになっている。

岡野 「アーガマ」(阿含宗が出しているが、宗教色のきわめて薄い、ユニークな宗教・思想の雑誌)で吉福さんがウィルバーの紹介を書いていたんですね。ぼくは、それ以前は新宗教の布教雑誌だという偏見を持ってたので、ぜんぜん見てなかったんですが、その少し前に当時の編集長だった松澤さん(松澤正博氏、現在は評論家として活躍中)とたまたま知り合って、彼が毎月ぼくのところに送るようにしてくれたんです。p15

 ほんとうは、最初の岡野の直感のほうが正しかったんではないかな。これは新手のイメージ戦略で、実際に岡野のように引き寄せられていった人々に、麻原とか、林郁夫早川紀代秀、などがいたことを考えれば、このイメージ戦略の効果は効果大であったことは間違いない。もっとも、吉福とこの桐山集団とは更に縁が深く、1977年当時創刊された「ザ・メディテーション」(平河出版社)という雑誌に、吉福はすでに盛んに寄稿している。この集団との「関わり」について吉福がキチンと整理した文章を書いたかどうか、寡聞にして知らない。

岡野 たとえば、唯識の八識構造論(煩悩でいっぱいのふつうの人間・凡夫の心=識を、五感と意識、マナ識、アーラヤ識の八識三構造でとらえる理論)は心の構造の基本をほぼ誤りなくとらえているし、それほそ大幅な修正の必要はないと思うんです。もちろん、ユングやフロイド的ないろんな知見を補充していく必要がありますが、骨子は基本的に修正する必要はない。p132

 ものごとを理論や構造としてとらえたくなるのは理解できるのだが、そこから脱出することのほうが、さらに難しい。

岡野 吉福さんは、サイ・ババとかラジニーシとかクリシュナムルティとか、それこそいろいろな人物に会っていますね。で、やはり、究極に近いものを肉体化しているという感じの人物には一人も会わなかったわけですか。p146

 この手の人々に精神的にもフィジカルにも「会う」という表現の使い方はそうとう難しいとは思う。が、あえて想像すると、Oshoに対しては、70年代後半、吉福という人は、数日間プーナのアシュラムを訪問し、新しく来た人々が座るべきスペースあたりで遠巻きに朝のレクチャーくらいには参加していた可能性があるだろう。それ以上は、ちょっと想像できない。

吉福 そのへんはなんともいえないですね。ただ、クリシュナムルティとラジニーシについては、「ああいう人だったら、これはまったくぼくの手には及ばない」というのはわかります。「ぼくとは心境が違う」というぐらいはわかる。ラジニーシとクリシュナムルティを同じように語ることができるかどうかわかりませんけど・・・・。ぼくがこれまで会った人のなかではあの二人ぐらいですかねぇ。ラジニーシのほうがまだ自己に対する執着があるかなという感じはありますけど。それ以外にまったくの無名の人で、きわめて人間的にひじょうに高い境地にいる人には何人も会いました。p148

 なんか偉そうな口調ではあるが、70年代後半当時のレポートとしては、立川武蔵のものより、まだましかな、と思う。

 ただ、当ブログにおける、ここでのカテゴリテーマは「私は誰か」である。あの人はブッダだ、あの人は「人間的にひじょうに高い境地にいる」などと品評会をしているわけではない。私は誰か、が話題なわけだから、吉福という人にここで問われているのは、必然的に「吉福さん、あなたは誰ですか」という問いなわけだ。当然、その問いは、この記事を書いている私自身にも降りかかってくる。

 さて、当ブログのこの「私は誰か」カテゴリの書き込みスペースも、次第に残りすくなくなってきた。次なるステップに向けて、いろいろ考えている。結局は、次なる「ブッタ達の心理学」カテゴリ3.0に向けて、読書方針を、ほぼ3つのテーマに絞ることができるのではないだろうか。

1)カウンセラー、セラピスト、臨床実践家、などいろいろな表現があるが、一体、この心理職の人々は「マイスター」から「マスター」になりえるのか、どうか、という見極め。あるいは、そもそも「マスター」になる道に至らなければ、この心理職というものはその存在し得ないのではないか、という仮説の検証。

2)最後のOsho-Zenシリーズの徹底した読み込み。

3)最終的には、なんでも、どんなものでも、楽しんで読めるようになること。本だけじゃなく、ビディオや音楽、その他のアートに関する自由な視点。そして、それらを読まなかったり、聞かなかったりもできる「自由」な境地への道筋。

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処女航海―変性意識の海原を行く

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「処女航海―変性意識の海原を行く」
吉福 伸逸 (著) 1993/03 青土社 単行本 277p 青土社
Vol.2 980 ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 チリ地震津波による避難情報がとびかっている中、1990年代初めにハワイから日本に向けて、波乗り男が書いたこの本を読むことになったのも、何かの縁かと思う。

 被害に会われた方にはお見舞いを申し上げるとともに、他の地域においても限りなく被害が小さいものであることを願っています。

 本書は「異常体験の心理学」というタイトルで「イマーゴ」誌(1991年1月号~1992年8月号)に19回にわたって連載した原稿に、事実関係を中心にいくつかの修正をほどこして仕上げたものである。p170「あとがき」

 この本は、宮迫千鶴との「楽園瞑想」2001/09の対談の中で知った。たまたま近くの図書館にはあったが、ネットをググってみたが、幸か不幸か、必ずしも人気のある本とは言えなさそうだ。内容も、ハワイと薬物の描写がメインになっているようで、この1990年を過ぎても、この人は60年代のサイケデリック・ムーブメントが忘れられなかったんだな、という印象を、強く持つ。

 このファクターの極端な表現の一例は、ここ20年ほどのあいだに広まった新たな「体験的セラピー」や60年代から70年代にかけて一般に浸透していたサイケデリックスの体験に見い出すことができる。LSD、ペヨーテ、ヤエフアスカ、マジック・マッシュルームなどに代表されるサイケデリックスによって喚起される体験は、一般に信じられているような文脈を外れた単なる「幻覚」ではなく、深層の無意識の開示であることは、サイケデリックスをしっかり体験したことのある心理学者であればだれもが認めるところである。p64

 早い話が、すべからく心理学者はジャンキーになるべきだ、と極言しているかのようで、いかにも著者らしい。「深層の無意識の開示」。まぁ、言葉はきれいですがね。著者のポエジーの域を超えてはいないのではないだろうか。

 マリファナやサイケデリックスは、たとえば最近出回っているクラック、従来のコケイン、アイス(日本の覚醒剤にあたるメタアンフェタミンの一種で、こいらでは注射ではなく、喫煙可能なものも出回り始めており、クラック以上に危険なストリート・ドラッグとして警戒されている)などのスピード系のものや、ヘロインに代表されるダウナー系のドラッグとは区別すべきで、できれば何種類かのサイケデリックスに限っては臨床的、治療的、宗教的コンテクストにおける使用を許可するのが妥当である。p97

 ハワイから日本に向けて、薬物の密売マーケットの状況を体験的にレポートしているわけで、このような情報を必要とするむきには貴重な本となろうが、当ブログとは完全に一線を画す世界を「航海」している著者ではある。この人がなぜに、みずからの著書に「処女」とつけることができたのか、私には理解しかねる。

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2010/02/27

禅宣言 <9>

<8>からつづく
禅宣言
「禅宣言」<9> 
OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p
★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 「意識をめぐる読書ブログ」としての当ブログもすこしづつターゲットを絞りつつある。あるいは、絞らないと前に進めなくなっているといえる。さて、どう絞り込んでいくのか。一言でいえば、当ブログはOSHO-ZENに向かう、ということにつきる。しかしながら、そこにむかうには、読書ブログと、OSHO-ZENはどう繋がってくるのか、という極めてデリケートなバランス感覚が問われることになる。

 そして本当のことを言えば、そういった意味において、この日本語のOsho「禅宣言」は、英語版「Zen Manifest」と微妙にニュアンスが違っていることを以前より気にしている。正直、違うだろう、と言いたいことが2・3ある。ただ、それは、この本とか、この本をつくった人々へのなにかのわだかまり、というより、むしろ、OSHO-ZENは、本では表現しきれない、というニュアンスのほうが強い。

 ウィトゲンシュタインは、「言いえないことは言うべきではない。それについては口をつぐむべきだ」という。まず、確認すべきことは、言いえないことが存在するということだ。そして言いえることもあるということだ。だから、言いえる範囲でのことは言われる必要がある。どこかに境界はあるはずである。だが、ある領域から言葉がはいれない世界へと移行していく、ということは、あらかじめ確認しておく必要がある。

 OSHO-ZENは、その言いえない領域へとたどる道筋だ。だから、どこかで言葉は途絶える。しかし、途絶えるところまでは、限りなく十分に語られなければならない。そのためのギリギリの領域で語られているのが、この本「禅宣言」であろう。あるいは、英語版「Zen Manifest」のほうが、より生にちかいだろう。そして、オーディオテープやビディオのほうが、さらに生に迫っているだろう。しかし、もちろん、そんなことでは十分ではない。

 まぁ、しかし、ターゲットは一気に絞り切れるものではない。フォーカシングはそれなりのプロセスの中でやっていこうではないか。

 先日フリッチョフ・カプラについてお話がありましたが、超個(トランスパーソナル)心理学についてもお話いただけないでしょうか--とくにスペクトラム心理学の創始者と言われる、ケン・ウィルバーの業績と瞑想について。
 どうしてそういった人々はここに来ないのでしょう。すっかり大家になってしまって、外に出られないのでしょうか。あなたのビジョンとその実際的な成果が、障害となっているのでしょうか。
 

 
まず第一に理解すべきは、私は心理学は扱っていないということだ。心理学はマインドに結び付いたままだ----それはマインドの科学だ。そして私の仕事というのは、あなたをマインドの外に連れ出すことだ。だからこうした人々は、きっと私のことを敵のように思うだろう。彼らが探っているのは、マインドの機能の仕方---それが個人のもの(パーソナル)であろうと、人と人の間のもの(インターパーソナル)であろうと---であり、その条件付けとは何か、そしてそうした条件づけをどうやって新しい条件づけによって置き換えるか、といったことだ。彼らの仕事は、それがインターパーソナル心理学と呼ばれようがスペクトラム心理学と呼ばれようが、マインドに閉じ込められたままだ。そして私の世界、禅の世界は、ノー・マインドの世界だ。

 マインドが何世紀も抱えてきたごみくずを相手にしても、しかたない。それに巻き込まれてしまったら、それをどこまで掘り続けていっても、見つかるのはガラクタばかりだ。一思いにそこから飛び出したほうがいい---それはあなたではない。世代から世代に伝わる条件づけが、そっくりそこにある。様々な観念がみんなあなたのところまでやって来て、日毎に厚くなっていく。時間が経つにつれて、あなたのマインドは厚くなり、瞑想するのは難しくなる。

 こうした人々は、瞑想に全然かかわっていない。だからここに来るはずもない。第2に、自分たちは答えを見つけたと思っている。当然、答えを見つけたと思っている人は、もうほかの場所に真理を探し続けたりせず、自分自身の想像の中にとどまる。

 マインドというものは、心像や、思考や、感情や、気分以上のものではけっしてない。マインドはあなたの本性ではなく、社会によってあなたの無垢の上に押し付けられたものだ。

 こうした人々は、ここに来たら当惑するだろう。なぜなら自分たちのしてきたことすべて、集めてきたものすべてを、私たちは投げ捨てているからだ。

 もしやって来たら、もっと集めるものが山ほどあるだろう---毎晩たいへんなごみくずが捨てられる。それを集めて分析を楽しめばいい。

 完全に精神分析された人間は、この世にひとりもいない。過去に向かうと、その深さはたいへんだ。10年、15年と人々は精神分析を受け、そしてずっとしゃべり続ける---いろいろ新しい夢や、新しい考えが現れ、それがどんどん続いていく。その精神分析家に飽き飽きしたら、別の精神分析医に変え、またもや同じ物語を別の名前で繰り返す。

 しかし精神分析家も気づいていないのだが、あなたの実在は、あなたの小さなマインドをはるかに超えるものだ。

 科学は物質の中に閉じ込められている。

 心理学はマインドの中に閉じ込められている。

 瞑想とは、「物質」を扱う生理学を超え、「マインド」を扱う心理学を超え、生と意識の源泉をみつけようとする。

 ここでの仕事はまったく違っている。違うばかりではなく、いろんな学派のいわゆる心理学者たちの仕事すべてを無意味にする。そういう仕事は不毛な作業だ。OSHO「禅宣言」p458

 心理学やトランスパーソナルという概念は極めて魅力的で、ああ、ここで、いいんではないか、と私たちにひとときの安心感を与えることがある。

 しかしOSHO-ZENは、そこを断つ。

 そこは到達点ではない。

<10>につづく

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和尚、禅を語る <3>

<2>よりつづく
和尚、禅を語る
「和尚、禅を語る」 <3>
玉川信明 2002/02 社会評論社 単行本 263p
★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 玉川信明のOshoシリーズ全4冊のうちの「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」に続く、第2弾。当ブログはこれから徐々にOSHO-ZENへと戻る。その前にかたづけておかなければならない一冊。しかしながら、それほどかたづけは面倒くさくない。

 この本はおかしい。最初からそう感じている。ましてや、Osho翻訳者の一人であるmonju氏からは次のような言葉が寄せられている。 

 この一連の玉川本は、OSHOのことばだけじゃなくて、ぼくがあとがきなどに書いた文章などもそのままそっくり何のことわりも、但し書きもなく、無断で使われているから、まったくとんでもない本だと思う。ひとの思考と自分の思考とがまぜこぜになって何がなんだかわからなくなってしまっているような不快感を感じるだけです。monju(2010.02.26 12:15:26)

 もともとコピーレフトという考え方に賛成で、著作権などには、わりとユルい感覚しかもっていない当ブログではあるが、自らの反省も含め、この本については、厳しい態度にのぞむべきだと思う。すくなくともこの本を出した社会評論社の関係者に強く抗議しておきたい。著者(引用者)はすでにこの世にないので、責めようがないが、それでも、彼自身の精神性のために、あえて、ここにそのことを明記しておく。残り2冊についても、納得ができるまでは、当ブログでは触れないことにする。

 もし、OSHO-ZENに関心ある向きは、このインターネット時代である。ただしい情報がたくさんあり、適切な翻訳がたくさんでているので、そちらを利用されたい。ものごとは、かなり微妙な領域に入っている。

<4>につづく

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インテグラル・スピリチュアリティ <5>

<4>よりつづく
インテグラル・スピリチュアリティ
「インテグラル・スピリチュアリティ」<5>
ケン・ウィルバー /松永太郎 春秋社 2008年02月サイズ: 単行本 ページ数: 469p

 せっかくチダ氏より、「付録」から読むというアイディアをもらったので、さっそくその手を試してみた。これがなかなかいけるのである。実際、ウィルバーの著作も読めないものでもない。しかし、読みながら、だからどうした、という開き直りがどうしてもでてくる。

 ウィルバーのやり方は、レヴィ=ストロースのようにその地に立って具体例を集めるというものではなく、基本的には図書から収集され得る情報がもとになっている。だから、どんなに難解そうに見えたとしても、結局は、ひとつひとつを埋めていけば、自然とウィルバーが言わんとしていることが分かってくる、ということになる。

 だから、これだけインターネットが普及して、図書館ネットワークも活用できる状態にあるのだから、ひとつひとつをしらみつぶしに読書していくとするならば、できないことはない。彼のやっていることは誰にでもできる、ということになる。

 しかし、それが一体なんだ、というのか。採集し、収集した情報の中に、重要で、スピリチュアルなものがたくさんあったとして、そしてその分類法に何事かの工夫があったとして、それが一体なんだ、というのだろうか。たしかに、ニューエイジやアメリカン・ポップのような軽いノリに対するアンチテーゼであったとして、すべての構造のなかのあらゆるポイントにひとつひとつの情報をあてはめ得たとしても、それは一体なになのか。

 ウィルバーのインテグラル・オペレーション・システム(IOS)とやらに対抗して、当ブログでは、なにやら湧いてきた図式を提示して防戦の構えを準備している。その図式は極めてシンプルだ。その図わずかに4つ。

1_4 この図式をまずは「O」と名づける。
問われるべきは「私は誰か」だ。
「私」という意識がある。
「私」という問いかけがある。すべてはここから始まると言ってもいい。
誕生であり、基本である。
始まりであり、全体である。「O」。
ゼロでもあり、オーでもいいだろう。丸でもいいだろう。
だが限りなく○くあってほしい。

2_4そして二番目。
これを「S」と名づける。
真ん中を見ているとなにやらSの字が見えるようにも思う。
問われているのは「どこに魂はあるか」。
魂のSoul。精神のspirit。
なにはともあれ、その頭文字の「S」。
場合によっては、sexのSでもいいだろう。
Sではなく8と見てもいいだろうし、∞と見ても差し支えはない。

3_2
三番目は「H」。これをHと名づけるには訳がある。
とにかくHでなくてはいけない。
問われているのは「How to Die」。
いかに死ぬか、である。
How から取って、Hでもいいだろうし、
よく見ると、中央に梯子が見えているから、
その形状からHを連想してもいいし、ハシゴの頭文字Hでもいい。
とにかく、これはHなのだ(もっといいコジツケを募集中)。
Photo
そして、最後はまた「○」になる。
これはもちろん「O」としか呼べない。
一つ目のOが誕生であったら、二つ目のOは死だ。
しかし、死は生へとつながっている。
再誕生だ。
円環の完結である。
これで最初のOからまたスタートする。ひとつのらせんのはじまりである。

 これらを横に並べると、

1_5 2_5 3_4Photo_2   

 となる。

 そして、さらに、これらの頭文字を並べると
 「O」--「S」--「H」--「O」となるであろう。
 つまり、ここで当ブログが何を言いたかったのかは、賢明なる読者諸君はすでにお気づきであるはずだ(爆)。なぜに3番目がHでなくてはならないか、ここで理由が完全に暴露されたのであーる(汗)。

 スワミ・パリトーショは意欲的な主著「21世紀への指導原理OSHO」の中で述べている。

 OSHOとはどういう名前なのだろう、と考えたことがある。 OSHOのイメージを胸の内に保ちながら、頭の中に浮かぶOSHOが好きな言葉を色々繋ぎ合わせているうちに、こんな組み合わせにたどりついた。 ”Orgasmic Silence of Hilarious Ocean" (陽気な海の歓喜に満ちた沈黙) これだ! 宇宙の中心を言いあててしまったようだ。多分、OSHOは文句を言わないと思う。 陽気な<意識>の海の、絶頂から絶頂へと続く永遠の沈黙<神秘>・・・。スワミ・パリトーショ「21世紀への指導原理OSHO」p460

 「陽気な海の歓喜に満ちた沈黙」。ふむふむ、なるほどね。それも悪くない。しかし、指導原理、オペレーション・システム、というほどの力動性がないのではないか。そこから何が生れてくるのか。ちょっと詩的過ぎて、いかにも芸術的なパリトーショらしい表現ではある。それにしても、すこしダジャレっぽくはないですかネ。

 それに比べれば、こうしてみると、当ブログのOS=「OSHO」、やっぱりお互い、ダジャレはかなりきついが、しかし、なかなか使えそうではあると思うのだが・・・・。ケン・ウィルバーのISOとやらに、この円環システムが入っていれば、彼がやっていることは正しい。円環システムをまだ見つけ得ていないとすれば、当ブログ自作OS「OSHO」のほうが一分のリードしている可能性がある、ということになる(笑)。

<6>つづく  

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心理療法対話 河合隼雄

心理療法対話
「心理療法対話」
河合隼雄 2008/03 岩波書店 単行本 223p
Vol.2 979★★★☆☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆

 こちらも河合隼雄関連の最新の消息を尋ねたつもりだったのだが、記事としては必ずしも新しいものとは言えない。もとは2000~2001年の岩波書店刊「講座心理療法」に掲載された対話が8本、加筆され収録されている。寄せ集め的散漫さはあるが、それでもホストが一貫して河合隼雄であることと、当ブログが最近読んだ見田宗介中沢新一宮迫千鶴の名前が見えるところがやや救いともいえる。

 今回、見田宗介をウィキペディアで見てみて、あらためていわゆる東大駒場騒動」のなかの登場人物の一人であることを確認し、現在の中沢との関係はいかなるものであるか、など、ちょっとは気になった。しかし、その興味は出歯亀範囲でしかない。当ブログにとってはどうでもいいことだ。見田の父はかの甘粕大尉の従兄である、ということを今回初めて知った。

 この本のなかでも、河合はかなりいいことをいっぱい言っており、そこから発展させるべき糸口はたくさんあるのだが、それこそ中沢の言うとおり、「体系化」しないと散漫なばかりで、いずれ散失してしまうだろう、ということを多く感じる。

 しかしまた、それを「体系化」することによって失われることも限りなく大きいわけで、ユング研究所で学んだ河合が、その後、長期にわたってスイスに行かずに自らの世界を熟成したように、河合から「直伝」として受け継いだ「弟子筋」が、自らのものとして、自らの存在の中に生かしていくしかないのではなかろうか、という思いもあった。

 さて、当ブログは、現在、本の冊数でいくと第2サイクルの979冊目まできており、このサイクルは1024冊目で終了する予定。

 また、当ブログ<1.0>としての楽天ブログを終了し、こちらのニフティ・ココログ・ブログに来て、<2.0>も、まもなく一年が経過するが、現在6つ目のカテゴリを進行中。その「私は誰か」カテゴリ現在は現在98個の書き込みを終えた。通例として、当ブログのカテゴリは108の書き込みを持って終了する。

 つまり、残すところ10個の書き込みを終えたところで、当ブログ<2.0>としての7つ目のカテゴリ「ブッタ達の心理学3.0」をスタートさせ、108の書き込みを行う。本の冊数としては残るところ45冊。書き込み数としては残り10+108=118となる。つまり、118-45=73は再読モードで書きこみを行うということになる。

 思えば、冊数としての第1のサイクルはコンテナとしてのブログ機能を確認するための1024冊だったと言うこともできる。だとするならば冊数としての第2サイクルは、コンテンツとしての図書館ネットワーク機能の確認のための1024冊であったのだろうと、総括することも可能であろう。

 してみると、これからやってくるであろう第3のサイクルの1024冊は、はて、どのような展開になるべきであろか。カテゴリ「ブッタ達の心理学」は、まもなくスタートする3.0で終了する予定である。8つ目のカテゴリとしては「One Earth One Humanity」とすることを決めている。

 つまり、この狭間のなかで、当ブログの読書は続いていくことになる。何の制約もなさそうな、無料ブログサービスを使っての、図書館の無料機能を活用することで成り立っている当ブログではあるが、まったくの個人で運用しているからこそ、どこかでいくつかのサイクルを活用していかないと、実に散漫なものとなってしまう。

 さて、この書き込みの本論であるが、河合隼雄というユング派の実践療法家については学ぶべきところも多く、資料も膨大にあると思われるし、そこから派生することどもにかなりの可能性を感じつつ、当ブログにおける主テーマになりうるのかどうか、という見極め段階に近づいてきているのではないか、というところにある。

 当ブログは、いつかは完全に終了するものであってみれば、もし第3サイクルで終了するものと仮定して、その第3のサイクルの1024冊は、徹底したOsho読み込み+再読モードに費やすべきではないか。それがOshoサニヤシンとしての「意識」モードの、もっとも誠実な態度ではなかろうか。コンテナ+コンテンツ+コンシャスネスの当ブログとしての3コン一体説は、これで完結する、とすることに妥当性があるのではないか。

 つまり、当ブログ第3サイクルのコンシャスネス1024冊のうち、「One Earth One Humanity」としてスタートする春に向かって、現在の当ブログは、その準備を完了しつつある段階にある、とソーカツしておくことにする。

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まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学

まなざしの地獄
「まなざしの地獄」 尽きなく生きることの社会学
見田宗介 2008/11 2008・11 河出書房新社 単行本 122p
Vol.2 978★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 著者の最新の消息を尋ねて、最も近刊そうな本を借りてみた。小さな読みやすそうな本ではあったが、すでに何十年も以前に発表された小さな論文2本の再掲載だった。永山則夫のことを書いている。

 われわれはこの社会の中に涯もなくはりめぐらされた関係の鎖の中で、それぞれの時、それぞれの事態のもとで、「こうするよりほかに仕方がなかった」「面倒をみきれない」事情のゆえに、どれほど多くの人びとにとって、「許されざる者」であることか。われわれの存在の原罪性とは、なにかある超越的な神を前提とするものではなく、われわれがこの歴史的社会の中で、それぞれの生活の必要の中で、見すててきたものすべてのまなざしの現在性として、われわれの生きる社会の構造そのものに内在する地獄である。p73

 三か月、ボイラー修理工として真っ黒になって働いた。ようやくつかんだ小銭をもって、三か月の旅にでた。ヒッチハイクで北から南。青森で天井桟敷が公演を打っていた。昼の間に青森県民会館の客席にもぐりこみ、バックパックと一緒にうずくまって夕方の開幕を待った。チケットを持っていなかったし、買う余裕もなかった。演目は「邪宗門」。姫ビールの垂れ幕と、こん棒を振り回して客席におりてくる役者たち。

 芝居が引けたあとは、そのまま劇団員のふりして、打ち上げパーティに入り込み、寺山修司と呑んだ。シーザー、九條映子、佐々木英明、友川かずき等がいた。そのまま着の身着のままで酩酊し、彼らと一晩雑魚寝した。あの時、私は18歳。

 それから次の年あたりに東京に行って、とある都市コミューンを名乗る仲間内のスペースの、煙モクモクのなかで「ドン・ファン」のことを聞いた。教えてくれたのは、当時東大教授のT。見田の師匠筋にあたる。彼から見田=真木の名前も聞いた。

 永山則夫。彼の名前は忘れてはいない。忘れるものか。

 いや、いまだに私は、もうひとりの永山則夫だ。

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2010/02/26

気流の鳴る音<2>

<1>よりつづく

気流の鳴る音
「気流の鳴る音」 <2>
真木悠介 2003/03 筑摩書房 文庫 233p  初版1977
Vol.2 977★★★★☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆

 名著の誉れ高い本書だが、このところ、眉つば本を何冊かめくっている当ブログとしては、本当にそうであろうか、と勘繰ってみる。見田宗介(=真木悠介)はカルロス・カスタネダの「ドン・ファン」シリーズを、自らの思想的根幹に据えているようだ。彼のその社会学的研究の中に、現在でもドン・ファンは生き続けているのだろうか。

 現在の当ブログがこの本にまず着目すべきは、見田(真木)本人が「マスター」足りえるか、というテーマとともに、ドンファンはマスターなのだろうか、ということに尽きる。文化人類学的ネイティブ・ピーポーとしてのドン・ファンは、ここではまず置いておくとする。

 アメリカ人カルロス・カスタネダが創作した仮空の人物である「ドン・ファン」のようなフィクションではない。この男は人類に対する大いなる害をなした。人は霊的虚構(スピリチュアル・フィクション)を書くべきではない。その理由は単純で、人々が霊性(スピリチュアリティ)とは虚構にほかならないと考え始めるからだ。 Osho「私が愛した本」p173

 私はこれを妥当だと考える。カスタネダ本人はともかく、ドン・ファンはほとんどその存在を確認されていない。

 ”カルロス・カスタネーダ”のグル、ドン・ファンは悟ったマスターでしょうか?”

 もし誰かドン・ファンのような人がいたとしたら、彼は悟っているだろう。彼は仏陀か老子のような人であっただろう。だが、ドン・ファンというような人は誰もいない。カルロス・カスタネーダの本は99パーセント、フィクションだ。ビューティフルだ。芸術的だ。ちょうどサイエンス・フィクションというのがあるのと同じように、スピリチュアル・フィクションというものもある。三流のスピリチュアル・フィクションもあれば、一流品もある。もし三流が読みたければ、ロブサン・ランパを読むがいい(笑)。もし一流品を読みたければカルロス・カスタネーダを読んでごらん。彼はひとりの大名人だ。フィクションのね。OshoTAO 永遠の大河 <1>」p357

 Oshoはだいぶ厳しい採点だ。

 エサレンでのカルロス・カスタネダとの出会い---カスタネダに直接会った人の数はごく少ないんですけれど、(スタニスラフ・)グロフはカルロスと非常に仲がいいんですね。吉福伸逸「トランスパーソナル・セラピー入門」p130

 仲がいいからって、それがどうした、と、なんだかやたらと皮肉屋になってしまう私ではあるが(爆)、この二人のつながりと言えば、ペヨーテとLSDのドラッグつながりとなってしまうだろうか。

 ただし、私が99パーセントフィクションだと言うのは、そこに1パーセントの真実があるからだ。あちらこちらに隠れている。それは見つけ出さなくてはなるまい。そして、それはフィクションとして読むにさえ悪くない。OshoTAO 永遠の大河 <1>」p357

 だが、薬物の問題が残されている。

 カルロスは誰かしら何かを知っている存在と邂逅し、そして、LSDその他のドラッグの力を借りて、その小さな真実を架空の世界へと投影したのだ。そうやって、彼のフィクション全体が生み出された。OshoTAO 永遠の大河 <1>」p359

 さて、今回、別な本の中に、Oshoがドラッグとコミューンについて語っていた部分があったので、引用したいと思って、2,3探していたのだが、どうもうまくでてこない。後日うまく見つけることができたら修正するとして、だいたい自分が記憶している概略を書いておく。

 (ブッダは自分のコミューン(修行体系)のなかに女性を入れることによって、本来数千年の力があるはずだった法輪の持続力が半分に短くなってしまったと嘆いたという。ところでOshoはドラッグは自分のコミューンには入れないと決定した。それを入れると、自分のコミューンの持続力が極端に短くなってしまう。ブッダが女性に厳しかったがゆえにブッダは時代遅れと非難されることがあったとすれば、Oshoはドラッグに反対することによって、未来においては時代遅れと批判されることもあるかもしれない。だけどやっぱりドラッグは拒否する)

 正確な描写でもなければ、正確な引用でもないが、とにかくこのような内容のことを言っていた、と思う。私はその言に妥当性があるものと感じる。ゆえに、ドン・ファンをその思想的な根底に据えて永年愛している見田(真木)という人の、真摯な人生態度には学ぶところが多いし、アカデミズムの中で積極的にOshoを紹介してきたことには感謝するが、ドン・ファンなどと同列に語っている姿には、いつも違和感を感じていた。そのことをメモしておく。

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生老病死の心理学

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「生老病死の心理学」 (トランスパーソナル・シリーズ)
吉福 伸逸 (著) 1990/07 春秋社 単行本: 243p
Vol.2 976★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 やや仏教的背景のつよい岡野守也をインタビューアーとして得たことと、ウィルバーの妻の死や、吉福本人の奥さんの病気、あるいはご本人の父の死、という相次ぐ出来事のなかで、著者にとっては、この1990年ごろというのは、まさに「生老病死」について考える機会であったのだろう。本のタイトルもぐっと落ち着いて、なるほど、こういうテーマもいいかな、と思った。しかし、このモンキー・マジックの使い手は、そんなヤワな存在ではない。

吉福 われわれが結婚するとき、どういうことをやったかというと、バグワン・シュリ・ラジニーシの日本のアシュラムを借り切って、そこの方々には出ていただいて、ラジニーシの大きな写真が飾ってある部屋で、友人の曹洞宗のお坊さんに結婚式をやってもらったんです。

 そのさい彼が何をやったかというと、たんに般若心経や仏教のお経を読むだけにとどまらず、神道の祝詞もやったわけです。というように、さまざまな宗教やり方は違うかもしれないけれど、本来の意味がまだ息づいている時点では、それぞれのやり方にはすべて意味がある。そうした意味合いを実験しながらやりさえすれば、ご利益は変わらない(笑い)、という姿勢がそこに現れていると思うんです。仏教の結婚式は出家の儀式で、引導を渡されるんです。p9

 こちらもせっかく神妙な気分で、「生老病死」を考えてみようかな、と思っていたのに、いきなりトッパしからこんな「珍妙」なことを提出されたんでは、こちらも、いきなり目が覚めてしまう。

 吉福カップルが再婚したのは、いつのことか知らないが、多分想定するに1980年前後のことであろう。少なくとも、75年から現在まで、日本のOshoの動きにそれとなく参加しつづけている私としては、80年当時、「バグワン・シュリ・ラジニーシの日本のアシュラム」というものは存在したことはないのではないだろうか、という疑念に襲われる。

 80年当時、瞑想センターという名前のスペースはあっただろうが、「アシュラム」はなかった、と記憶する。あったとしても、ごくごく一時的なものであっただろうし、当時の彼がこのように使えるスペースは、形としては、都内の練馬かどっかの一軒家を借りて、数人のサニヤシンが住んでいるようなスペースであったに過ぎないと思う。なんだか「アシュラムを借り切って」と言ってしまうことによって、大きなスペースの中の厳かな宗教施設のようなイメージを作り上げているようだが、この人のいつもの「プロの嘘つき」的習癖に過ぎない。

 ここで出てくる「友人の曹洞宗のお坊さん」というのも、ひょっとすると、それこそアメリカ帰りの九州の寺の息子Rのことであろうか。彼を「曹洞宗のお坊さん」と言ってしまうのは、吉福を「トランスパーソナル・セラピスト」と言ってしまうのと同じような、ミスリードの可能性がある。Rについては、私もフィジカルに会ったことあるが、その後、なんらかのドラックがらみで、お寺を追われたという話もある。いまのところ、そのことについて私には確認をとるだけの熱意がない。

 1000歩譲って、Oshoの瞑想センターで結婚式のようなことがどこかで行われたことはあったとしても、そして、そこに仮にOshoの「大きな写真が飾って」あったとしても、そのことによって、「宗教」的意味合いはなにもない。大体において、その当時のOshoを「宗教」と認識しようとするのは、著者のモンキー・マジックの一環だし、神道や曹洞宗のことについては寡聞にして知らないが、Oshoは「ご利益」を語ったことはない。もちろん、仮にあったとしても、結婚セレモニーに、イニシエーション的意味合いはまったくない。

 わたしゃ、この本に対しては、わずか9ページをめくっただけでギブアップした。岡野守也については、もうすこし追いかけてみようと思っているけれど、せっかく春秋社というまじめな出版社からでる本なのだから、もっとまともな本作りをしなければいけないのではないだろうか。当ブログのような、2010年現在のネット上の与太ブログのなかのほとんど読まれないような書き込みではない。彼が作っているのは、自らの名前を冠した、20年後にも公立図書館に残っている単行本なのである。まぁ、とにかくあきれる。

 一事が万事。著者は自らのモンキー・マジックで自滅したんだな、ということを再確認するにとどまった。

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臨床とことば 心理学と哲学のあわいに探る臨床の知

臨床とことば
「臨床とことば」 心理学と哲学のあわいに探る臨床の知
河合隼雄 /鷲田清一 2003/02 TBSブリタニカ 単行本 237p
Vol.2 975★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 限られた期間とはいえ、トランスパーソナルの「理論家」と目された一人がケン・ウィルバーだったとするならば、日本におけるトランスパーソナルの中心的な「実践家」の一人が河合だ。すでに亡くなっており、残された業績を体系化しなければならないとする中沢新一などの想いとはうらはらに、一体、河合隼雄は体系化されることによってどのような益があるのであろうか、という疑問も湧く。

 カウンセラー、セラピスト、ヒーラー、臨床実践家、心理臨床家、などなど、さまざまな呼称があれど、もし河合が、教育学や病理学の範囲内にとどまる存在であるとするなら、当面、当ブログの「ブッタ達の心理学」をめぐる冒険からは距離が発生することとなる。

 現在の当ブログの眼目は、カウンセラーは「マスター」として存在し得るかどうか、というところに来ている。もちろん、それぞれの職業倫理で縦横に縛られているのであり、一概に可能性のみを問うことはできないし、可能性があったとしても具体例がなければ、その益にあずかることはできない。

 だから、率直に言って、河合隼雄は、中沢新一いうところの熟練技術者マイスターという概念を通り過ぎて、精神的支柱たるマスターとして存在していたのかどうか、ということをすこしおっかけてみたい。もちろん、あわせてマスターとは何かを再考していかなくてはならない。

河合 トランスパーソナル学会を1983、4年だったか、日本でやったことがあるんですよ。日本の人は皆トランスパーソナルだと思ってきたら、出てくる学者が皆コチコチでしょ。日本人はどうなっとるんやと言うから、日本の学者はこうやねんと言ってあげました(笑)。日本の伝統的なカルチャーはトランス・パーソナルやとすごく思ってるんだけど、それを否定することによって学問ができると思っているから、こういうことが起こるんや、と説明したんやけど、彼ら、すごくビックリしたみたいで。p51

 当ブログにとっては、この発言はそれなりに重い。

1)2003年の段階で、20年前の京都における学会について語るほど記憶しているということ。

2)たぶん他でも語っているのだろうが、すくなくてもここに当時の会議について、このようなフランクな発言が残されているということ。

3)トランスパーソナルという言葉を2003年の段階で、まだ使っているということ。

4)日本の文化の中のトランスパーソナル状況を語っていること。

5)日本のアカデミズムについて語っていること。たしかにアカデミズムで語られている心理学というのは、堅苦しくて、どうも面白くない。

6)そして、この口調から醸し出される人好きしそうな雰囲気。

河合 アメリカで「What is I?」という講演をしたんですよ。あなた方「Who am I?」というのは得意で「I'm a psychologist」などと答えるけれど、「What is I?」と聞いて、答えはほとんどわからないでしょう。で、「I」というのはあなた方が考えているほど簡単なものではないという話をしたんです。

鷲田 パスカルに、まったく同じ問いがあります。私とは何か。「誰か」じゃなしに。

河合 わぁ、そうですか。はぁ、それは知らんかったなあ。

鷲田 パスカルは相当な皮肉屋だから、たとえば「あなたは身体か?」、違うだろう、誰かが「あなたは美しい」と言ったって、ペストにかかれば容貌もすっかり変わってしまうだろうけど、それでもあなたはあなたなわけだろう。心か? 心じゃないだろう? あなたは記憶力がいいとか計算ができるという、そういうことで他人に愛でられたりしたって、もの忘れがひどくなたり、ショックのあまり人格が変わることもある。それでもあなたはあなただろう、というふうに言っていくんです。

 そして最後に「あなたを作っているのは、結局のところ借り物ばっかりじゃないか」、つまりそのときの能力であり、この世でたまたま持っている身体とか、借り物ばっかりじゃないか。そこ以外にあなたはないじゃないか。そうしたら、世の中で、地位があるとか美人であるとか、借りものだけ尊敬されている人をバカにしたらあかんよ、と最後に言うんです。ほんとうはそんなの虚しいよと言いたいんですけど。

河合 それが仏教だったらまさに、初めから色即是空、自性はないというんですからね。ないことから組み上げていくんだから、まったく逆ですよね。p52

 当ブログでは、池田晶子の「私とは何か」をわざわざ「私は誰か」と言いなおしたところだった。もっとも、Oshoセラピーにおいても、「Who am I?」が、「Who is in?」と、言いなおされているとも聞くし、結局はここでのパスカルの意図どおりに問いかけが進行していくとすれば、問いの言葉そのものは、どの表現を使ってもいいだろう。とにかく、ここでマイスター河合は、第1の問いかけをしている。

河合 これまでで、僕は最大の誉め言葉いえると思ってるんですけど、ある波乱万丈の女の人がやってきたんですが、とてもみめ麗しいお洒落な人だったんです。その人は5、6年かかってよくなってきた。ありがとうございました、とお礼に来たときに、僕に一番最初に会ったときのことが忘れられないと。本当に不思議でしたが、先生は私の顔にも服装にも全然注意をしておられなかった、と言うんですね。きれいな人がきれいな服着ているわけですからね。先生は、私の言うことにも全然注目していませんでした。そんなん全部捨てて、もし魂があるのなら、それだけをじっと見ておられました、と。

鷲田 ゾクッとする言葉ですね。

河合 ねぇ。最高の誉め言葉。その人はぼくのところに来るまでに、あちこち相談に行っているから、体験しているわけですね。そうするとたとえば、恋人の話してたら「えっ」とか入ってしまういうのあるでしょう。

鷲田 「魂を見ていらっしゃる」って、掴まれているってことですね。

河合 最大の誉め言葉でしょうね。p87

 ゾクっとする。マイスター河合は、ここで第2の質問、「魂はどこにあるか?」という問いを、存在として発している。

河合 子どもが「5月5日に死ぬ」と言っているわけで、親に「それは大変ですね。一緒に考えましょう」と言ったとするでしょう? するとそういう親は「あの先生は頼りにならない。考えようというてはるだけや。それで心配で心配でたまらない」と考えて、その親はもう僕のところへ来なくなるわけですよ。それで、どこかの拝み屋さんみたいなところへ行って「大丈夫です。私が拝んだら絶対に治ります」などと言われら、そっちに行ってしまう。それはまた困るわけですね。

鷲田 なるほど。どっちも困るわけですね。

河合 だから「こっちへつながっていながら、心配する」という程度の関係が大事なんです。それがものすごく難しいわけですよ。人によって全部違いますからね。だから「この人の場合は、ここまで言わないとまずい」とか、それはその時々の判断で変えていくわけですね。その時に単純に安心させたほうがいいとか、それから、心配させるほうがいいとか、そういうセオリーだけでは駄目なんです。そのへんが現実にはものすごく難しい。p128

 「マイスター」河合に学ぶべきことは多い。「いかに死ぬべきか」という第3の問いに、もっとも集中している。ただ惜しむべきは、教育学や病理学からの臨床なので、今後、そこから離れた、「マスター」河合を発見してみたいものだと思う。

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和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界―トランスパーソナル心理学との相対関係<18>

<17>からつづく
Osho_2
「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」 トランスパーソナル心理学との相対関係 <18>
玉川 信明 (著) 2001/04 社会評論社 単行本 283p
★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 そうか、こうして振り返ってみると、それでも十分ではないにせよ、 この本をすでに17回も書いていたのだった。今回18回目。なぜにこれほどこの本を思いだすのであろうか。過去に書いたことまだ読みなおす気分にはならないが、それでもやっぱり、まだ自分の中で割り切れない部分が残っていたのだろう。

 だが、今回「インテグラル・スピリチュアリティ」を読みこむ過程で、ケン・ウィルバー、吉福伸逸、トランスパーソナル、心理学、などのつながりを再読するにつれて、次第に溶けていくものが、いくつもあったことを感じている。そして、いわゆる「ブッタ達の心理学」からの離陸を視野に、次第に、この本ともお別れできるのではないか、と思うようになってきた。その辺、箇条書きにしておく。

1)そもそも、トランスパーソナルという概念自体が瓦解し始めており、すでに脱トランスパーソナル状況が生れていること。日本においては、教育学とか、病理学としては、トランスパーソナルの伝統が息づいており、今後も実践の場で論議されていくだろうが、Oshoそのものとは、大きく乖離ができていること。

2)トランスパーソナルというマナ板の上で、Oshoを躍らせようという玉川の試みは2001年の段階ではまだ新鮮味があったかもしれないが、2010年という時代背景を考えた場合、すでにその必要性も重要性も失われているのではないか。

3)そもそも、玉川のOsho理解というものが、Oshoの講話が出版されて、さらにそれが日本語に翻訳され出版された範囲のものを中心に、「読書」的にインテグラルされているので、もともとOshoの本質そのものを玉川が「十分」理解した上の本ではなかった、ということもある。

4)読書としてならば、割と短期間に集中的に読書を行えば、一冊の本くらいかけてしまう要素がある。例えば、当ブログにおいても、今年のお正月を挟んだ約一カ月の間に村上春樹関連の本を約60冊ほど読んだが、その読み込み度はともかくとして、引用や印象をまとめるだけなら、当ブログだって、一冊くらい「ハルキ本」を書けるかもしれない、と誇大妄想を持つ。

5)その意味で、玉川のOsho理解は、浅漬け、一夜漬けの観が否めず、また、彼の人生においても、必ずしもOshoについての心境が最後の最後のものとはいえない。彼はOshoのあとに「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」の本を一冊をモノしている。冥土への土産というところか。

6)そもそも、Oshoが「心理学」として捉えられることを拒否はしないまでも、迎合はしておらず、むしろそれは無理だろう、という姿勢を見せていること。むしろ、もし心理学が行き詰ったら、こちらの方向性があるよ、という手は差し伸べている、という理解のほうが正しいだろう。つまり、Oshoをトランスパーソナルに引き寄せていくことも、Oshoとトランスパーソナルを「相対」させることも、ほぼ無理であり、むしろ、トランスパーソナルが消えていこうとするなら、むしろ、その屍をやさしく覆い、骨を拾ってくれるのがOshoではないかしらん。

7)そもそも、トランスパーソナルと言われているものの本質は消えてしまったのかどうか。そのところの見極めは大切だ。もちろん、この文字を冠した団体は少なくとも日本には二つ以上あるようだし、まだ読書としてはこのジャンルが跋扈しているようだが、現場の最先端としては、どうなっているのか、そのあたりも、今後、確認しておく必要があろう。

8)今後、何かのおりにこの本を見返すこともあるだろうが、当初の想いはほぼ達成されたといえるだろう。この本が書かれた目的も達成されただろうし、読書としてこの本とつきあってきた当ブログにおいても、この本の役目はそろそろ完全に終了、ということになろう。つまりこの相関関係を明らかにするという目論見は、トランスパーソナルの消滅でほぼ失敗した、と見ておくほうがいいだろう。あるいは、そもそも、これら二つを相対させるにおいて、本質的な矛盾があった、ということもできる。この辺は、以後、なにかのつながりで展開していく必要があろう。

9)今回、リンクしていて気付いたのだが、玉川が不十分であるとは言えOshoの参考文献リストを作っていたのに、このリストに従ってのOsho読書が、当ブログにおいてはまだまだ進んでいなかった。そろそろ、原点に戻って、これらのリストを充填していく必要をあらためて感じた。

10)玉川本はほかにシリーズとして3冊残っている。「禅」「性愛」「聖典」。その中の「禅」はこれから、もう少し広い「ZEN」の形で読みこんでいこうと思うが、いずれにせよ、玉川OshoZEN本にも、そろそろケリをつける時期ではないか、と思う。当ブログにも、そろそろ春の足音が聞こえてきているのである。

 Oshoも玉川も、肉体としてはすでにこの世にない。もちろんグルジェフ、ウスペンスキー、クリシュナムルティ、河合隼雄、などなどの人々もすでにこの世に肉体を持ってはいない。「死」の世界と対峙しながらの、当ブログの読書ウォーキングも、もうすこしつづくことになるのだろうか。 

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トランスパーソナル・セラピー入門 <2>

<1>よりつづく 
トランスパーソナル・セラピー入門
「トランスパーソナル・セラピー入門」 <2> 
吉福 伸逸 (著) 1989/10 単行本: 317p 平河出版社
★★☆☆☆ ★★★★★ ★☆☆☆☆

 この人物が1989年に日本を逃げ出したことを確認したところで、あらためてこの本を引っ張り出してきて、埃を払ってパラパラっとめくってみると、これまでの印象がさらに深まったばかりか、かわいそうにさえなってきた。

 当ブログは現在、目下の眼目である「ブッタ達の心理学」というカテゴリに向けて、ケン・ウィルバーの「インテグラル・スピリチュアリティ」を批判的に読もうとしている。そのプロセスにおいて、日本のウィルバー本、約20冊のうちの4冊の翻訳に関わったこの人物について、再読しているところである。

 心理学とは言え、当ブログは「意識をめぐる読書ブログ」という自己認識以上の立場を持ち得ていないので、あくまで、その路線の中で「読書を楽しんでいる」という以上のものではない。実践的な心理学として存在しうるかどうかは別次元の問題である。ただ、もとより、読み手の私が、読書ブログというコンテナ+コンテンツから離れて、それ以外のなにごとかをなし得るという可能性は否定しないでおく。

 この本の悪質さは、前回<1>でなぞっておいたから繰り返さない。それにつけても、再読してみて、あらためて私は著者に対して憐憫の情さえ覚えた。なんでまた、ここまで自分を追い込む必要があったのかな、と。以下、今回の印象だけを箇条書きにメモしておく。

1)この本を科学として読むことはできない。もちろん心理学としても読むことはできない。もし読むことが可能だとするなら、フィクションとして、小説や物語としてなら読める。あ~、そういうお話を君は考えたのね、なるほどね、と言うことはできる。

2)しかしながら、たとえば村上春樹のような、最初から「プロの嘘つき」を自認するような小説家なら、外に実在するキャラクターや人物に依存しないで、自ら、あらたなる世界を創造する必要がある。独自の世界観を自らの力で打ち立てる必要がある。

3)しかるに、この人物は、虚実をないまぜにして、ごちゃごちゃにしながら文章をすすめてしまったために、実に魂に対する犯罪的な行為を行ってしまっている。このような行為ができたのは、日米欧に渡る彼の行動領域の広さとあいまって、膨大な読書量と読力があってこその賜物ではあるが、その立場、その才能を悪用してしまっている。

4)インターネットが発達した時代なら、このような犯罪的書物が登場する機会は少ないのではないだろうか。たとえば、皿洗いをしながら大英図書館に通って読書を重ね「アウトサイダー」を書いたコリン・ウィルソンや、医学部を中退して、通信販売で書籍をかき集めて「意識のスペクトル」を書いたケン・ウィルバーのような立場を、現在、インターネットと公共図書館ネットワークを利用すれば、ほとんど、誰もが得ることができる。できないまでも、その道は開かれつつある。

5)つまり、本を書く才能があるかどうかはともかくとして、情報量としては、もはや、現代人は、だれもがコリン・ウィルソンにもなれるし、ケン・ウィルバーにもなれる時代であるということを強調しておきたい。かつての読書も造本も一部の特権的な立場にあった人々によって牛耳られてきた時代のなごりの最後において、この本が書かれた、という印象を強くもつ。

6)1989年という時代は、まだインターネットが発達しておらず、著者のような情報は、それこそ著者のような「紹介者」がいなければ、なかなか伝わらない環境下にあった。だから、変だなぁ、と思いつつも、それらの「紹介者」たちの著書をまずは購入し、ゆっくり読み説いていくしかなかった。だから、「紹介者」たちは、そこの点を自任し、自重して、表現しなければならなかったはずなのである。

7)しかるに、現在読みなおしてみたとしても、実に全体が恣意的に書かれており、結局は、トランスパーソナルとは言いながら、理論としてのケン・ウィルバー、実践としてのスタニスラフ・グロフの過呼吸セラピーを紹介しているにとどまっているのだ。しかも、それもあくまでも著者の限界ある理解力の範囲内だけの領域にとどまっている。

8)100歩譲って、それを自ら責任を持って実行していくならまだ許せる。しかるに、この人物はこの本を最後にすたこらサッサと日本から逃亡したのだ。まるで、誰かさんをナンパしておいて、相手もなんだかその気になってしまって、パンツを下げたところで、どうしたことか、この人物は、すたこらサッサと逃げ出してしまったのである。あ~、自信がなかったのかな、自分自身に対して。

9)この本はなぜに書かれたのだろうか。なぜこの時点で「入門書」を書いたのだろうか。それは自ら率いていたグループC+Fの後輩たちに、「まぁ、君たちはこれでも勉強して、せめて早く僕くらいの理解のところまで来てよネ、それまで、僕はハワイでサーフィンでもやってるわ」、というくらいの乗りだったのではないだろうか。

10)ケン・ウィルバーについても、スタニスラフ・グロフについても、トランスパーソナルとやらについても、あるいはニューエイジやセラピーとやらについても別個検討しなおす必要がある。が、それにつけても、この人物の脚色や方向付けは丁重に排除していかなくてはならない。

11)なぜ、そんなことが起こってしまったのか。それもこれも一重にこの人物の無意識、無自覚にある。覚醒していないのである。だからそういう「ゴミ」をばらまいてしまったのだ。人を怨まず、「無自覚」を怨もう。

12)さて、ここまで言ってしまえば、当ブログの「責任」も重くなる。それだけ自覚して進むことができるのか。いやいや、逆である。自覚して、足元を注意しながら、視線をさらに上げながら、自らの旅を進めるとするならば、この人物の、この書についてこそは、徹底的に、批判的に、対峙しておかなければならないのである。

<3>につづく

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2010/02/25

人間に可能な進化の心理学 <12>

<11>よりつづく
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「人間に可能な進化の心理学」<12>
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p

 オンラインで、待っていた図書が届いたことを確認して、さっそく最寄りの図書館までウォーキング。ところがどっこい、今日は図書整理のための特別休刊日だった。せっかく来たのだからと、トイレを利用しようとしたら、こちらも先客があり、結局、地下1Fのトイレを使うことになった。西洋式トイレに座って、他にやることもないので、ふっと目を閉じて、瞑想した。

 で、ふと思った。今、地下にいて、座っている自分は、村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」の主人公が井戸の底で目を閉じている姿に似ているなぁ・・と。あっちの場合はただ井戸の底に座っているだけだが、こちらは、地下にいるのに、さらに下から「吸われて」いるのである(笑)。なんだか可笑しくなった。

 ふと考えた。そう言えば、「ねじまき鳥クロニクル」の場合、ルーツ&ウィングのバランスがいまいち良くなかったなぁ。ルーツは井戸に降りたはいいけれど、ねじまき「鳥」のウィングがなかなか伸びない。鳥ははばたく必要があるのだ。

 そういえば、村上春樹の小説にはエレベータがよく登場する。図書館は休みだし、せっかくのチャンスだから、このビルの最上階まで登ってみようか、と思った。エレベーターで上って見ると、最上階は、なんと、児童公園になっていたのである。ほう、こんなところに公園が。時間帯の関係だろうか、他に誰もいなかった。

 屋上の中心には、児童用の滑り台がある。他にやることもないので、上り段を登り、滑り台の上に立った。なんだか、「1Q84」で、天吾が青豆の姿をもとめて、夜の街を抜けて、団地の児童公園の滑り台に上るところを思い出していた。

 うぬ? ここで、空を見上げて月がふたつ出ていたら、それではすっかり「1Q84」のパラレル・ワールドではないか。探してみると、まだ夕方になる前だったが、東の空に、月はあった。だが、月はひとつだった。それは当たり前だ。もし、ふたつあるほうがおかしい・・・。 西の空を見ると、なんとそこにも丸いものが・・・・。 もちろん、それは太陽だった。それはそれでいいのだ。空にふたつ丸いものがあって、月がひとつ、太陽がひとつ、それでいいのだ。

 「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で表の表、表の裏、裏の表に、裏の裏、という4つの世界を描いた村上春樹は、「ねじまき鳥」を高く飛翔させることができないでいる。なぜ、ねじまき鳥は飛ばないのだろう。

 講座4 自己想起の錬金術

 今日は諸センターを詳しく調査することから始めよう。4つのセンターの図がこれであるPhoto_2  これは左向きに立っている人を横から見た図で、諸センターの位置関係をおおざっぱに図式化したものだ。p93

 ウスペンスキーの図式はいまいちよく分かりにくい。むしろ、当ブログの図式のほうが分かりやすいのではないだろうか。ステージが分化するには、それぞれのショックが必要だ。第1のショックは「私は誰か」という問いだ。1  第2のショックは「魂はどこにあるか」という問い。2_2  そして、第3のショックは「いかに死ぬか」という問いになる。3_2  つまり、4つのステージがあって、上位の2つが開発されていない状態というのは、つまり第3のショックが不足しているということになる。7つの○が十分に動き出していない。あくまで試論だが、そういう当てはめ方もある、というサンプル。

 そして、最終的には、ひとつの○に戻らなければならない。戻るシステムを持っていないと、円環は完結しない。

Photo_3

つづく

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楽園瞑想 神話的時間を生き直す <4>

<3>よりつづく
楽園瞑想
「楽園瞑想」 神話的時間を生き直す <4>
宮迫千鶴 /吉福伸逸 2001/09 雲母書房 単行本 317p
★★★☆☆  ★☆☆☆☆

 「インテグラル・スピリチュアリティ」に向けて「流体感覚」と合わせて読み進めたこの本ではあるが、そろそろ一旦閉じておく。この他、吉福著「無意識の探検・トランスパーソナル最前線」1988、「テーマは『意識の変容』」1991、「処女航海」1993、などが読めることが判明したので、近日中に目を通そうと思う

 この他、この本を閉じるにあたって、2、3気になるところも残っているので、ランダムにメモを残しておく。

吉福 最初はトランスパーソナル心理学を日本に導入しようという気持ちは、全然なかったんです。ぼく自身の個人的な世界だったから。そのつもりはどこにもなくて、ぼくが1960年代から70年代にかけてアメリカで経験してきた、ヒッピーの動きやニューエイジと呼ばれる動き全体の流れすべてを紹介しようとしたんです。基本的な考え方を導入すれば、あらゆる分野に影響は及びますから、ぼくはまず全体を紹介したかった。

宮迫 それは日本社会に対して、意識的に紹介するという気持ちだったんですか。

吉福 それは違う。なぜそういうふうにしようとしたかというと、自分の居場所がないから、居場所を作りたい。その居場所を作るためには、何でぼくがこういう人間になったのかということの背景を、日本に紹介しないといけなかったからですよ(笑)。単に自分の居場所を作るための作業です。大義名分が必要だった。「これはすばらしい運動だったから、導入すれば日本の社会は変わる」なんて思っていたわけではないんです。

 要するに、自分が存在し得る環境を作るためには、そうするしかなかった。なぜかというと、その方法しか知らなかったからですね。だから、全部言いわけですよ。しかも他人を集めて、「一緒にやりましょう」と誘って(笑)。 p38

 フィジカルには私は著者と1978年と1988年頃に会っているし、その間、継続的に彼の活動のDMが飛び込んできていたのだが、こういう姿勢がどこか滲みだしていて、こちらから距離をつめようという気分にはなれなかった。

宮迫そういう仲間とは、自然に出会われたんですか。

吉福 そうですね。プラブッタは、ぼくの弟みたいな感じで、自然に家に寄って来るようになった。彼がまだラジニーシに出会う前ですけどね。p38

 別に前後を論じる必要もないが、前後していても数カ月、あるいは1~2年の違いである。人生としては殆ど同時くらいと考えておいていい。この辺のことは1978年にでた「やさしいかくめい創刊号」草思社1977あたりの記事が残っているので、なかなか興味深い。

吉福 それでぼくが何をしたのかというと、いちばん自分の背景として強く影響を与えていて、しかも興味が大きかったのがやはり心理学と宗教だったので、トランスパーソナル心理学を導入しようという気になった。1978年か79年くらいでしたかね。自分の背景がそうだったし、終始エサレン研究所に行ってワークショップを経験していたというのがあったからであって、最初からトランスパーソナル心理学を取り入れようなんて気は全然なかった。p40

 つまり「ニューサイエンスからトランスパーソナル心理学にターゲットを移した」のは1984年前後だけれども、さかのぼること「トランスパーソナル心理学を導入しようという気になった」のは1978~79年頃、と理解しておいていいのだろうか。プラブッタは盛んにOshoの翻訳に集中していく過程であり、彼は、横目でOshoサニヤシンが増加していく姿を見ていただろう。ここで、彼が「エサレン」を出していることに留意しておきたい。この場所については、別途、当ブログとしては伊東博・訳「エスリンとアメリカの覚醒」を読みこんでいる。

吉福 ぼくはあの会議が嫌だったんですよ(笑)。トランスパーソナル国際会議を京都でやるのは、ぼくは大反対だった。最初から時期尚早なので、ぼくは完全にダメだと思っていました。会議自体はたいへんだったんですよ。総合司会を丸一週間やっていて、ポリティカルなこともいろいろあったから、もうグチャグチャになっていましたね。p41

 この会議のレポートのひとつである「宇宙意識への接近」の、一方の編者である河合隼雄も「時期尚早」と発言しているところは興味深い。

吉福 ふつうのエスタブリッシュされた心理学の場合でも、心理学の手法というのは、ハードサイエンスからすると、ある種さげすまれているような手法しかない。つまり、十分に科学的でないと言われているわけです。その中でスキナーのような方が出て来て、行動主義というかたちでかなり物理科学に近い臨床形態をとって、認めさせるということもしてきたんですが、行動主義と比較すると、トランスパーソナル心理学というのは、本当に対極に位置するものなんです。

 人間の心の中の、本当に微かな、いくら行動主義的なアプローチをしても届かない暗闇のようなもの、「光」と言ってもいいと思うんですけれど、トランスパーソナル心理学はそのようなものを中心に据えているから、臨床できない。そのためにアメリカの場合でも、理論が先行してくる。だから、どうしても日本の場合も、そちらのほうに振られて入ってきたという感じです。p92

 そもそも、科学とはなにか、心理学とはなにか、そしてトランスパーソナルとはなにか、意識とはなにか、という風に順番に検証していかなければならないが、心理学を成立させるのに、理論を先行せざるを得なかった、という発言は留意しておく必要がある。心理学を成立させるために、体験を先行させるという道筋もないわけでもないし、また、そもそも、意識や魂を扱うにあたって、「科学」や「心理学」という器がどこまで有効なのか、が問われなければならない。当ブログの今後の「ブッタ達の心理学」カテゴリで、もうすこしこの辺をおっかけたい。

吉福 ハワイに引っ越して2年くらいたったころに、ニューヨークの宮内勝典君から手紙が来て「ハワイにぜひ行きたいと思うんですけど、そこで暮らしていて創作はできますか?」て、書いてあったの(爆笑)。ぼくは、創作は住んでいる場所と関係ないと思っていたから、一体なんてことを聞くんだと思って、「そんなことを聞くな。ただし君みたいな人には、ハワイに来て欲しくない」と、返事したんですけど(笑)。p130

 宮内勝典・・・ねぇ、当ブログでもすこし追っかけましたが、あれを文学と私は呼べない。いいかげん過ぎる。

宮迫 (トゥリア=ケン・ウィルバーの妻は・引用者注)自分では何が原因かわからないままに、フィンドホーン(スコットランドの共同生活体)に行ってみたり、瞑想にアクセスしてみたりするわけですね。

 「グレース&グリッド」を読んだ段階ではあまり気にならなかったけれど、ここでフィンドホーンがでてきたのは面白い。関連書籍を追っかけたが、読書ブログとしての当ブログが読んだ限りにおいては、まったく面白くなかった。実際にその土地に赴けば、印象はまた違う可能性もあるが。いずれにせよ、この本にでてきた「エサレン」と「フィンドホーン」に対して、カトリックが「ニューエイジについてのキリスト教的考察」において、ニューエイジの二大メッカとして徹底的に研究しているところのほうが面白い。

吉福 60年代から70年代にかけてのアメリカのムーブメントの中にぽーんとひとりで行って、直接すべてを体験して、人格が崩壊するほどのダメージを受けずに日本に帰ってこられたものだから、そこで体験してきたことを日本に伝えるというのを、一種のミッションと考えた。そう考えないと、できなかった。でも当時から「こんなことは自分のミッションではない」と、一方で一生懸命自分に言い聞かせているようなところもあったんだけど・・・・。p237

 このことについては、いろいろあるが、言うのはやめよう。とにかくそういう事実があり、そういう内省があったらしい、ということをメモしておく。

吉福 ぼくの気持ちがトランスパーソナルには、もうあんまりないんですよ。もっと全体を眺めているんです。やっぱりぼくの原点は、その前にあるんですね。p313

 さて、そろそろこの本を一旦閉じることにする。

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流体感覚 <4>

<3>よりつづく 

流体感覚
「流体感覚」 <4>
吉福伸逸、松岡正剛、見田宗介、中沢新一 1999/04 雲母書房 単行本 309p

吉福 いまは、仕事をやっていても徹底的にわがままやってますから。

松岡 でも、うまく脱出したなあ(笑)。

吉福 そう言えると思いますね。10年近くかかって完全脱出です(笑い)。だって、いままでかかわってきたことに対して、もう心が強く反応しないから。

松岡 ぼくは工作舎を辞めたとき、いろんな人に、「言いだしっぺの松岡さんが辞めるのはズルイですよ」とか言われて・・・・・。

吉福 やっぱり言われた?

松岡 もちろん言われたよ。でもね、その後「中断」ということの重要性がわかってきましたね。つまりね、人は継続もあるけど中断もあって、ミューテーションというのは、まさにそれでしょう。ミスプリントとか誤植っていうのが必要なんだけど、やっぱり同時代ではなかなか誤植が認められないんだよね。

 あとは10年も経つと、「ああ、途中で脱出したシンちゃんは、すばらしかったね」と言う人もいると思うけど、でも、同時代の誤植に関しては、たいてい「創造的誤植」だとは思われないんですよ。だけど、中断と誤植といいうのはものすごく大事です。身体の誤植や中断が病気でね、それが最近すごくおもしろいと思うわけね。だから、すぐ「よかったね」と言って、お見舞いに行っちゃう(笑)。

吉福 ぼくなんか、日本を出て最初にやった作業は、それまで使っていた語彙を、どれだけ使わないでいられるかということに集中することでしたね。自分がそれまで一生懸命つくり上げてきた言葉や思想の構造の一番底のところから、いかに解放されるかということを考えてきたんです。もういまは、何の努力をしなくても、そういう言語はあまりでてきませんけどね(笑)。1998年8月 新宿 p105

 この二人、よくよく考えてみれば1944年生れの同輩だった。おなじキャンパスで青春時代を過ごしている。話そのものは、それほど特筆すべきものではない。松岡は「千夜千冊」など、読書ブログの先輩として見習うべきところは膨大にあるが、今のところ距離をつめる予定はない。

 さて、今回「楽園瞑想」「流体感覚」二冊を読んでみて確認した重要なポイントがいくつかある。

1)吉福がトランスパーソナルというものに日本で積極的に関わった時代とは1984年~1989年までのわずか5~6年間だけであったということ。

2)1989年に「トランスパーソナル・セラピー入門」という本を出しておきながら、ご本人はさっさとこの直後に日本を脱出していったこと。「卒業」ではなくて、やはり「逃げ出した」という表現があてはまりそうだ。

3)ケン・ウィルバーの初期の翻訳は吉福ではなかったこと。空像としての世界」1983、「量子の公案」1984は別の翻訳家の手による。そして悪訳とされる「眼には眼を」1987/04(当ブログ未読)以降、吉福はウィルバーの翻訳から手を引いていること。

4)して見ると、ウィルバーの日本語訳ほぼ20冊のうち、吉福が関わったのはわずかに4冊だけということになる。ここで、「ウィルバー=吉福」的に混同していた当ブログは、今後、明確に分離した形でウィルバーと対峙する必要があることに気付いた。

 当ブログは、目下のテーマであった「ブッタ達の心理学」にすり寄っていくために、ケン・ウィルバーの「インテグラル・スピリチュアリティ」を読み進めようとしている。そのためには、その出自であるトランスパーソナルという概念をおさらいし、その翻訳者のひとりである吉福伸逸という人の動向を探る必要があった。その流れをもうすこし確認するための作業はいくつか残っているが、この辺あたりで、吉福追っかけのターニングポイントがきたようだ。

 脱出したはずの日本にもどり、忘れたはずのセラピーをやっているらしい、現在の吉福伸逸という人物の「その後10年」の真の姿を追いかけるのは、しばらく先、ということになろうか。

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流体感覚 <3>

<2>よりつづく 

流体感覚
「流体感覚」 <3>
吉福伸逸、松岡正剛、見田宗介、中沢新一 1999/04 雲母書房 単行本 309p

見田 ボディというか、身体としての自己みたいなことに関して言うと、ぼくにとって身体とは竹のようなものである、と思うんですね。つまり、ぼくたちの存在にとっての身体ということを考えると、軸のところにはずっと空が通っているわけです。これはラジニーシという人の「Only One Sky」という本の題名にもなっているんですが、そのぼくたちの個々の存在の真ん中にある空というものは、われわれの外にある空とつながっているわけですから、ただ一つの空だけがある、と言うこともできる。だから、その身体=ボディというもののいちばんいい状態のチューニングというのは、ぼくたちがどういうふうに存在の遊びのために良い竹笛になることができるか、ということになります。p110

 見田という人は、1983~4年ごろの東大でOshoについて講義していた。そのことは「さよなら、サイレント・ネイビー」にもでてくる。ほう、この人、1999年ごろになってもこのような口調でOshoを語っているのだろうか、と思って文末をみたら、はやり、この対談は1988年7月に行われたものだった。

吉福 ぼくが身近に体験していることで言うと、宗教的指導者に自分自身を明け渡していく場合です。ぼくはラジニーシのサニヤシン(信者)の人たちと接触することが多いんですね。で、その異質感というか、自分と彼らとの境界線を感じるのはどこかというと、個々のサニヤシンの口から語られる「バグワンはこう言った」という言葉なんです。個々のサニヤシンに対しては異質感というのはほとんどないんですが、「バグワン」という言葉が彼らの口から絶対的なかたちで語られるたびに、誰と話しているのかわからなくなる。ですからこういう現象も、自己を明け渡すことによってより巨大な自己観をつくっていくメカニズムなのかもしれない。p118

 この人の大きな勘違いは、サニヤシンにはあらゆるタイプがいるということをわかっていないところ。そして、この当時、彼の周りにどのようなサニヤシンがいたか知っているけれど、それはある種のサニヤシンしか近づいていかなかった、ということがある。だとしても、彼の表現は公平ではない。

 当時の私も、実際にフィジカルに彼と接しているが、決して彼とは親しい関係になるまいと、ある一定程度以上は距離をつめなかった。つまり、彼は、彼から見た場合のある種のパターンを見たいがために、その種の人々をまわりに寄せた、と言うことができる。彼は全体を見ていないし、1を見て100を語っている。群盲象をなでるの典型である。

 それにサニヤシンをカッコ書きで表現している部分が特にいただけない。1987年だから、80年代前半のオレゴンのコミューンでのできごとがあった後だけに、このステレオタイプの表現は、最初っから、この人はな~んも分かっていないことを示しているに過ぎない。パターン化しているのは、サニヤシンではなく、サニヤシンを見る彼の目の方だ。

 この後、ドン・ファン・シリーズなどに話題が変化していくが、当ブログでもいつかドン・ファンをやろうと思ってはいるが、たぶんやらないだろう。「バグワン」が言うには(爆)、ドン・ファン・シリーズは、「スピリチュアル・フィクション」だ、ということになっている。単なるフィクションより、性質が悪いと言っている。なぜなら、フィクションであることがわかると、人は本当のスピリチュアルな旅から遠ざかってしまうからだ。

 ドン・ファン・シリーズは、私もほとんどの本を自宅に蔵書として保管している。しかし、私は好きではない。私はこの本をOshoの本と出合った1975年より、もっと前から知っている。しかし、最初っから好きではない。決して、Oshoが「そう言ったから」嫌いになったわけではないですよ、吉福さん。単に、私の意見と同じことを、Oshoが後から言ったにすぎないのです。このへんを誤解しないように。

見田 いまのぼくにとっては二つのことだけが問題なんです。その二つの問題が解決されればもう何もやることはない、遊んでいればいいということになります。その一つはニヒリズムの問題で、もう一つはエゴイズムの問題なんですね。そのうちニヒリズムの問題、つまり死の恐怖の問題を含めたニヒリズムの問題というのは、「時間の比較社会学」(岩波書店)の仕事をとおして退治できたんです。そうすると、あと一つしか残っていないわけで、それはエゴイズムの問題です。p141

 見田については当ブログとして読み込みたいとは思っているが、わりと近刊の「社会学入門」2006/04に目をとおしたきりだ。「時間の比較社会学」1981も蔵書しているので、そのうち再読してみようと思う。1937年生れの見田、この対談当時51歳。油の乗り切ったあたりか。

 二回目の吉福VS見田の対談は1998年7月。11年が経過している。この対談は前回の対談を引き継ぐ形で始まったが、割とふたりの立場の距離は以前のまま、という感じである。見田は相変わらず、ドンファンのことが好きで、Oshoについても若干触れている。とくに1995年の例の麻原集団事件以降について語っている。

見田 ある種の反動としての保守化というのは日本でも強くありますよ。アメリカ的な回路とは別の回路なんですね。オウム真理教の一連の事件があって、市民社会が、精神世界的なものに対して非常にクールダウンした。そこから強い警戒心が表面化してきたんです。70年代に出てきた、市民社会的な限界を突破しようというような動きは、いまは皆無に近いのではないでしょうか。

 むしろしういうものに対して90年代の日本人はすごく身を固くして身構える、という保守化が目立ちます。欧米でも、カルト的な新興宗教教団の集団自殺や、アメリカでのラジニーシに対する社会的なリアクションなどのように、そういうものに対する社会的集合無意識に警戒心があると、吉福さんが日本にいるときにやっていたような、数日間なり、ある期間ある場所に集まって行うワークショップなんかも、非常にやりにくい雰囲気になってしまったんですよ。p171

 これは1998年の段階の発言だけれども、割と見田という人も言うことがパターン化しているなぁ、と思う。すでに12年前の対談を持ち出して、ごちゃごちゃ言っているこちらのほうがすこしボケているのかもしれないが、まぁ、社会学者なりに、時代を見ているのだなぁ、と再認識した。

<4>につづく

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2010/02/24

流体感覚 <2>

<1>よりつづく

流体感覚
「流体感覚」 <2>
吉福伸逸、松岡正剛、見田宗介、中沢新一 1999/04 雲母書房 単行本 309p

 吉福VS中沢の対談、第2弾は前回の87年から11年後の98年7月の新宿。例の麻原集団事件後のことだから、当然のごとくそこから話題の花が咲く。村上春樹が「約束された場所で」などで、事件関係者と直接対話しているころ、二人はそれぞれの立場の違いから、例の事件を振り返る。

 しかし、それはそれ、ある意味、想定の域を超えていない単調な対話となっている。前半は、その対話を確認し、ああ、当然だろうな、という内容に、ある意味ほっとする。後半で特筆すべきは、当時の吉福はよりサーフィンコンサルタント・ディレクターとやらのビジネスに打ち込んでおり、その開発を中沢にも依頼したりする。それはそれ、これまた想定の域を出ない。

 この対話と直接関係ないが、最近の私は、カウンセラー、セラピスト、療法家、などと称される存在の、今後の在り方について考えていた。つまり、例の図式で言えば、「無意識」領域に関わる立場なら、これらの一連の役割で十分足りるが、さて、「超意識」部分で言うなら、もはやこれらの名前では、その役割を担えないだろう、ということであった。

 ずばり言って、そろそろ、マスターという存在の必要性が問われてくるべきである。吉福は自ら「造語」した「グルイズム」という悪臭漂う言語に縛られているが、本来、彼はみずからのセラピストとしての姿から、次のステップを探しきれないでいる。

 ウスペンスキーは、超意識の領域の探求にあたって、「スクール」の必要性を強く説くわけだし、チベット密教にしたところで、どんなにシステムを公開しようと、「グル」について学ぶことを絶対視する。

 中沢は河合隼雄をいみじくも「マイスター」と呼んだけれども、職人親方=マイスターとしての治療家=河合、というニュアンスとともに、精神的師匠=マスターとしての覚者=河合、という色合いを込めていたに違いない、と察する。

 ズバリ言って、すべてのカウンセラー、セラピスト、療法家は、「マスター」へと昇格すべく努力すべきではないのか。グルと言っていいだろうし、師と言ってもいい。当ブログではマスターと言う用語で統一しておこう。

 Oshoは自らがマスターと呼ばれることを拒否はしなかった。弟子たちをサニヤシンと呼ばれることを拒否しなかった。彼は弟子をネオ・サニヤシンと呼んだのだが、このセンスで言うなら、あえて、これから存在すべき新しいグル稼業をネオ・マスターと名付けてもいいのではないか、とさえ思う。ただ、このマスター稼業については、さまざまなチェックポイントがある。

 村上春樹もそうだったし、北山修も加藤和彦もそうだったし、吉福も中沢もそうだったけれど、有名になればなるほど、取り囲む人間たちとの人間関係に疲れ果てる。そして隠遁する。あるいは時には自殺する。これはなぜか。「人間」「関係」に疲れてしまうからである。

 マスターと弟子の関係は、本来、弟子の側から見れば、1対1の人間関係のように思っているけれど、マスター側から見れば、決して1対1の人間関係ではない。もしそのようなものだったら、1対100とか、1対何千という、非対称でいびつな人間関係ができあがってしまう。マスターはヘトヘトに疲れしまうだろう。

 しかし、マスターとなるべき存在は、本来トランスパーソナルな存在として行きついているわけだから、マスターの側から見れば、人格はなく0対1の関係でしかない。つまり人間関係などないのだ。そもそも「いない人」なのだから、基本的にマスターは「人間」「関係」に疲れない。そこから隠遁しようなんて試みる必要はない。

 マスターという存在は、ひとつのマヌーバーだ。仕掛けであって、決して職業でもないし、役割ですらない。ノンディレクティブとか、ファシリテーターとか、さまざまいわれるカウンセラーの要素であるが、そこのところをもう一歩進めて、無意識の領域から、さらに超意識の部分へ向けてのマスターという仕掛けを、自らの存在を持って創り出せる人間を作ってみてみる試みがあってもいいのではないか。吉福VS中沢の、ちょっと時期のずれた対談を読みながら、そんなことを考えていた。

<3>へつづく

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流体感覚 <1>

流体感覚
「流体感覚」 <1>
吉福伸逸、松岡正剛、見田宗介、中沢新一 1999/04 雲母書房 単行本 309p
Vol.2 975★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「楽園瞑想」の対談にさかのぼること半年前にでた本。対談者が、松岡正剛、見田宗介、中沢新一、と豪華版。村上春樹は身体性を獲得するためにフルマラソンにチャレンジし続けているが、この本の出版当時、吉福はサーフィンにその身体性を求めるかのように、ハワイのサーフィン・スポットに居を構えていた。

 別に対抗するわけではないが、私も身体性を獲得するために、近くの図書館までウォーキング(笑)。往復でちょうど一万歩ほどになる。図書館に行って、この本を受け取り、ちょっと一息いれて、帰り道の「考え事」用にちょっとだけ読んでみた。

 三人との対談で、それぞれ2回づつに分かれている。6つあるうちの一番気になる対tルは「トランスパーソナルをめぐって」p177。対談者は中沢新一。こちらも、別立てで気になる存在ではある。ひととおり読んでみて、ふと気付けば、6対談のうち、この対談だけ87年11月にすでに雑誌「春秋」に掲載済みのものであった。

 一度掲載されたものであったとしても1999年当時に加筆訂正されているのだから、まぁ1999年の二人の心境と矛盾しない内容が書かれているものと判断して読み進めた。87年か。私はこの年に、1歳と3歳の子供の手を引いて、紙おむつをバックパッキングしながら、奥さんと4カ月インドに滞在した。Oshoコミューンでカウンセラー・トレーニングを受けたのだった。

 あれからすでに23年経過した。なんと年月が経過することの早いことだろう。わが家の二人の子供たちはすでに、成長して自立し結婚までしている。あっという間に、ひと世代が変わってしまったのだ。

吉福 日本に帰ってきてから十年以上経ってからだったと思いますが、そういうことをしていると社会は受け入れてくれない、と感じるようになってきたんですね。中沢君の場合は、大学というアカデミズムとの接点がありますけど、ぼくの場合は、接点が完全に断たれてしまっているし、拠って立つところがないと、自分の感じていることを人に伝えていくのは難しい。で、何かに中心を置こうということで、ニューサイエンスからトランスパーソナル心理学にターゲットを移してきたわけです。p183

 74年に帰国したとして、十年が経過した時点とは84年になる。ニューサイエンスとしてのカプラ「タオ自然学」が79年1月、ウィルバーの「意識のスペクトル」が85年の4月。なるほど。別に疑っているわけじゃぁないが、この人のお話の場合、ひとつひとつ確認しておかないと落ちつかない。

吉福 フロイトの精神分析学にしても、アメリカやヨーロッパ人の目から見ると、日本にはいってくると奇怪なものに変わっているように見えるらしいんだね。

中沢 そう言えば近々、ラカン派の精神分析が日本へ上陸するらしいですね。京大が中心になるしいけど、日本では初めてではないかな。ラカン派の精神分析の養成を始めるんだけど、それは日本の精神分析の歴史の中ではちょっと異例のことですね。
p196

 当時、本流視されていないとは言えアカデミズムの中にいる中沢に対して、アカデミズムからは「接点が完全に断たれている」吉福。1985年の京都における「トランスパーソナル国際会議」の立役者の一人ではあるが、アカデミズムの外に自らの居場所をつくらざるを得ない。

中沢 例えば、日本でトランスパーソナルの可能性に賭けてみようという場合には、そこで超越的人格というか、自己からの超越というか、そういう問題がでてきますね。p197

 この辺の問答は細切れにすると誤解を生みやすいが・・・・・

吉福 そのへんは、ぼくたちが出している図式は簡単明瞭だと思うんですね。やはり一回、母子関係を切り離して、子どもが、社会あるいは地球の上に一人ですくっと立つことから全ては始まる。母子関係の癒着のまま、あるいは日本的な文化的伝統の中に首から下をぜんぶ埋没させたままで、「私は一人で立っていますよ」とは言えないというのが、トランスパーソナル心理学、とくにケン・ウィルバーなんかの主張で、それは彼の言う「自我の確立」ということですね。

中沢 ただ、それはまだ超越じゃないよね。

吉福 超越はまずそこから始まるというのが、トランスパーソナル心理学の図式だよね。 p198

 この段階でも、決して上手にトランスパーソナルという概念を語られているわけではない。

吉福 ウィルバーのものなんかを読めばわかると思うんだけど、彼の最大の思想的なお師匠さんというのは、アーナンダ・クーマラスワミという、19世紀から20世紀にかけてのスリランカの出身のインド美術の専門家なんです。そのクーマラスワミは、母なる地球的なものへの回帰ということに超越の源を見ているわけです。

 だから、フロイト的な意味での個人の自立というものを一つの分岐点と考えるとすれば、フロイトが考えたような直線構造でそのまま進んでいくのではなくて、一回母と切り離されて自立し、それからもう一度母なる地球的なものへ一体化していくという、そういう構造をウィルバーは言っているんだと思う。p199

 どこかにこの名前はでてきたのだろうけど、覚えていなかった。他にこの人の名前が登場するものは少ないと思うが、あれば探してみよう。アーナンダ・クーマラスワミ。

中沢 ゾクチェンの考え方というのは、ある意味で、華厳経とか、如来蔵とかいうのから影響を受けていて、それはトランスパーソナルが影響を受けている源泉とよく似ていますからね。日本で言うと、法相宗とか、三輪宗とか、ああいうものですね。

吉福 ぼく自身も、スタニスラフ・グロフのブリージング・セラピーをやったりするんだけど、もう、ほとんど普遍的に、胎内回帰というのはどんな人にでもおきてくるんです。p225

 あの時代、あのテーマに渡って、この二人が話しているという状況は興味深々だけど、画期的ななにかが語られているようには思えないのは、すでにあれから四半世紀が経過してしまったからだろうか。

<2>につづく

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曼荼羅グラフィクス<4>

<3>よりつづく 
曼荼羅グラフィクス
「曼荼羅グラフィクス」 <4>
田中公明 2007/04 山川出版社 単行本 135p

 もし、吉福伸逸がいうように、ケン・ウィルバー「意識の大統一理論」を目指しているとして、その統合を位置と色で表現するとしたら、次のようなものになるのではないだろうか(笑)。

Photo_6  

 これは、仏教の正当な後継と見られているひとつの流れとしてのチベット密教の曼陀羅、母タントラのチャクラサンヴァラ六十二尊曼荼羅(p36)だ。仏教の最後の完成領域にあり、また「反密教学」の津田真一などに言わせれば、ここで密教は反密教として完結したのである。

 ツォンカパは、この「完結」寸前の密教をまとめ上げ、あと一歩で終了というエネルギーをとどめ続けている。その後継をダライラマが勤めている、という構図になる。これがウィルバーが求めているマトリックスではなかったとしても、2500年サイクルの人類史の中でまとめ上げられてきたこの曼荼羅を活用しない手はないだろう。

 チャクラサンヴァラは棒を持ったなかなか凛々しい神様であり、「サンヴァラ系密教の諸相」などの好著が出版されている。力強く、人類の意識マトリックス作りに貢献している。

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人間に可能な進化の心理学 <11>

<10>よりつづく
Photo_3

「人間に可能な進化の心理学」<11>
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p

 講座2 人間の4つのセンターと7つの範疇 p43

 講座1のタイトルは「人間は自分自身を知らない」であった。まぁこの認識がなければ、何事も始まらないだろう。未知なるものがある、知られるべき何かがある、という認識がなければ、この本も存在しないし、当ブログも存在しない。ブログを書こうとする私もいなければ、このブログを訪れる人もいないだろう。

 しかるに、講座2において、いきなり「人間の4つのセンターと7つの範疇」と飛躍するのはいかがなものであろうか。これだけ薄い本であり、また入門のさら入門の初心者に対する説明である。なにはともあれ、ダイレクトにこれから旅立とうとする世界のマップの素描をみせてみる、ということになるのだろうか。

 4と7という数字が踊る。一体、どういう関係でござろうか、と疑念に包まれる。しかしながら、これまで当ブログが独自の理解で7を理解してきた図をもう一度使ってみる。1 人間は自意識を持つ。「私」という感覚の基礎は、生後数カ月から、ほぼ7歳あたりまでに作られると思われる。0ないし1の発生である。母と子、他者と私という2の概念は、ここではまだ十分に発達していない。他者は1としての「私」を強調するために存在する。あるいは全体から分離した自分というものを想定せず、1として全体を認知している。2 その後、14歳までに自分は男か女かの認識をするようになる。どちらかを「選ばなくてはならない」。自分が男であれば、女は2として存在する。あるいは、子として1を認識すれば、2としての母・父を認識する。2の登場である。しかるに、男と女を包括するものとして、合一として子、あるいはあたらなる統合性が発生していることに気付く。これが3の発生である。父と子と聖霊、などの三位一体感覚は、この図式から理解していくこととする。3 さて、人間はさらに21歳を迎える頃までは更に分化する。男としての存在の中に、男性性と女性性があることを発見する。あるいは女の中にも男性性と女性性があることを発見する。暗闇の中にも、どこまでも暗い暗闇と、明けていく暗闇があることを発見する。あるいは、やがては消えてしまう明りと、どこまでも明るい光があることを発見する。なぜそうなるのか、と言えば、そうなるようになっているとしかいいようがない。

 この図式の中で、4の数字が登場し、同時的に7が登場する。だからここでウスペンスキーが「人間の4つのセンターと7つの範疇」と言っているのは、当然のことというか、こう言うしかない、ということなのである。

 しかるに、確認しておくべきことは、ウスペンスキーは7歳の子供に話しかけているわけでもなく、14歳の思春期の少年少女に話しかけているわけでもないことである。一定程度の人間として成長した青年以上の人間に話しかけているである。そう理解するなら、私にもわかる、という風にしておこう。

 そして、ここからが問題だが、この段階になってこそ、ようやく漠然とした「超意識」についての認識が始まることになる。漠とした超意識の中にもさらに分化がある。4_2

 人間に可能な4つの意識状態があることはすでに述べた。眠っている状態、目覚めている状態、それに自己意識と客観意識である。とはいうものの、われわれ人間はたった2つの状態の中で暮らしている。つまり、眠っている状態と、いわゆる目覚めている状態である。4階建ての家に住んでいながら、1階と2階だけに暮らしているようなものだ。ウスペンスキーp43

 彼には彼のアルファベットがあるので、敢えてここでは「統合」はしない。しかし、彼のアルファベットを理解するうえで、当ブログなりの図式をすりよせて理解しようとすると、それは決して理解不能ではない。つまり、当ブログでいうところの超意識について、これから活用する方法を考えようというのである。

 言語的障害を避け、新しい概念を整理しやすいように、このシステムでは人間を7つの範疇に分類する。p67

 当ブログとしては、前回登場した以下の図式を使えば分かりやすいだろう。7  人間を7つの範疇に分けるこの分類法が非常に重要である理由は、人間の活動をあらゆる可能な方法で研究する場合、この分類を多岐に適用できるためだ。この分類を理解した人の掌中にあっては、非常に強力で非常に精密な計器や道具となるのがこの分類法であり、これがなければ説明できないような、さまざまな発現の定義を可能にする。p69

 さて、ウスペンスキーが言っていることと、当ブログが思いついたこととは必ずしも一致しているわけではないだろうが、まずはこのマナ板の上で、彼にも踊っていただきたい。詳しくは、彼の「ターシャム・オルガヌム」「新しい宇宙像」を援用すべきであろうが、本が厚ければそれだけ詳しい、ということでもない。むしろコンパクトなほうがズバリものごとを表現しきっていることがある。

 そして、もっというなら、彼の7は4や3や1、2、0、などになかなか戻ることはできないだろう。片道切符の冒険旅行だ。たしかにそれはグルジェフ・ワークだ。しかるに、当ブログの図式は、効果があるかどうかは別にして、容易に7から4や3、2、1、0、に戻ることができるだけ、優れていると感じる。さらに言えば、7からさらに21や108やそれ以上に、分化していく可能性も秘めているのである。 5 とにかく、この周辺のことどもを当ブログなりに「ブッタ達の心理学」と呼び慣わすこととする。そして、この図式にを活用することによって、「ルーツ&ウィング」という全体性を確保することもできる。ガジュマルのような大木として大地に根差すとともに、鳳のように両翼を伸ばして無窮の大空へと旅立つことさえできる。それはまたOshoの語る「ゾルバ・ザ・ブッダ」へと連なっていくはずである。

 ウスペンスキーが、結局は晩年をアルコールをたしなみながら、暗い顔ですごすことになったのは、この全体性を取り戻すことに、どこかでしくじったから、と私は見ている。

<12>につづく

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楽園瞑想 神話的時間を生き直す <3>

<2>よりつづく
楽園瞑想
「楽園瞑想」 神話的時間を生き直す <3>
宮迫千鶴 /吉福伸逸 2001/09 雲母書房 単行本 317p
★★★☆☆  ★☆☆☆☆

 本当にこの本の評価はむずかしいなぁ。お笑い系の人々を評するにキモカワイイという形容があるが、この本、ムズヤサシイとでも言うべき、面倒くささと興味引かれる部分とが一体になったような、妖怪的魅力がある。

 どちらかというと数でいえば宮迫千鶴の発言のほうが多いようにも思うし、彼女は決して一方的な聞き役になっていない。吉福も、例によって言葉にキレがありすぎて、インドビールみたいで、もうすこし泡ちょうだいよ、という感じもするが、味はまずいわけではない。

 この本から、あとは何を読み込むかというと、吉福のセラピストとしての姿勢と、ケン・ウィルバーとのからみの部分、ということになろう。もともとウィルバーを読み込むためにこの本を下準備として読んでいるのであった。以下、アトランダムに、いくつかメモしておく、これでこの本は卒業できるだろう。

吉福 例えば講演にいくと、同じテーマばかり頼まれる。その上、周りからの期待感がある。その期待感は、ぼくの5、6年前の姿に反応している。その間にも、ぼくはどんどん変化してしまっているわけです。p34

 そう嘆くのもわからないでもないが、そんなこと言われたら10年前にでたこの本に反応している当ブログはどうなる。10年前にばらまいた本はすべて回収したらどうなのだろうか。一旦、出してしまったものは、責任をとって対応する必要はあると思うけどな。それは表現者としての、けじめ、てもんでしょ。

吉福 精神科医、心理学者、セラピストというのは、人間の心を扱う分野ですよね。心を扱う分野の人というのは、自分が人間の心のメカニズムに触れて、ある程度理解していると思いこんでいる人の集団なんです。それがかえって手に負えない(笑)。p35

 それは、当然、自分のことも含めて発言しているのでしょうねぇ。手に負えないのは、周りから見れば、同じ感覚だよ。自分のことを周囲に投影している。

吉福 トランスパーソナルが扱っているのは、基本的には宗教的領域ですよね。多くの場合はシャーマニズムを含めて、精神的でスピリチュアルな領域を扱いますよね。スピリチュアルな領域を扱う学問であれば、「信仰心」の問題を取り上げない限り、トランスパーソナル心理学というのは、ひとつ学問領域として、不完全だと思っているんです。p115

 いくらハワイの保養地における個人的なおしゃべりであったとしても、本として出版されるかぎり、この言葉など、限りなく杜撰な言葉の使い方ではないかなぁ。ひとつひとつをまったく決めつけで話している。すくなくともこの論理には問題あり。

吉福 (山尾)三省は、気骨のある男ですから、彼の語っている根っこのところには嘘は全然ないんです。ただ、詩人ですから、言葉が紡がれていくときに、彼の操作が入るんです。ぼくなんかは、「またぁ」っていう感じがすることもあるけれど(笑)。p126

 まぁ、この辺はなんとなくわかるな。当ブログでも三省の本は何度かチャレンジしたが、なかなか読みこむまでいかない。せいぜい「ラマナ・マハリシの教え」の翻訳者としてだけだ。

吉福 もう18年くらい前のことです。その三省から、「シンちゃんとは、何年かたったら会えるかも知れないね」という手紙をもらって以来、会ってませんね(笑)。p127

 この二人には私もあったことあるけれど、たしかにこの二人は違い過ぎる。まぁ、どっちが好きと問われても困るが(笑)。

吉福 それで、自分で構築したトランスパーソナル心理学、ユング心理学などの宗教心理学がらみの言語体系から、どうやって自分が脱却しようかというのが、ハワイに来てからの最初の数年間の、自分のテーマだった。p164

 自業自得というヤツでしょう。すべては中庸を超えたやりすぎが原因でしょう。

吉福 この前作った「流体感覚」という対話の本も、みんな互いに探っているだけで、そこから先にはなかなか踏み込めないで終わっているんです。p179

 「流体感覚」の対談の相手は、中沢新一、見田宗介、松岡正剛などだが、中心は吉福自身なのだから、もし「踏み込めて」いないとしたら、それはすべて中心人物のせいだと、私なら思う。どうしちゃったんだろうね、このセラピスト先生。

吉福 要するに物理化学の分野で、大統一理論というのが希求されているでしょう。その大統一理論を作ることによって、トランスパーソナルという学問分野を展開させて、単に心理学に留まらず、これまでのあらゆる人文科学やハードサイエンスも含めたところまでを統合していきたいというのが、ケン(・ウィルバー)の考えですね。そのケンの根っこにあって、彼のやった仕事の中で最も洞察が働いているのは、物質であれ、人間の心であれ、存在するものはすべて、いくつかの一貫性のある原理によって動かされているという考え方なんです。p218

 ここでの吉福の解析が正しいかどうかも問われるところだが、もしその解析に妥当性があるとするならば、「いくつかの一貫性のある原理によって動かされている」という仮説は、幽霊の正体見たり枯れ尾花、という結末になりかねないと、私なら思う。

吉福 彼女(妻)の病気というのは、ぼくがニューエイジだとかトランスパーソナルのようなものを、日本に紹介していったプロセスの中で、ぼくを含んだユニットとしてファミリーの中に起こってきた問題なんですよ。そのプロセスは、ぼくたちにはたいへんすぎるミッションだったんですね。あまりにもたくさんの犠牲が強いられなければいけないものだった。p238

 同情もするし、皮肉を言うところでもないのだが、そんなに別に無理して紹介などしてもらう必要などなかったんだけどなぁ。あんまり邪魔しないでほしかった。

吉福 ぼくも理念としては、最からわかってましたよ。セラピーをやっていますと、人が変わらないということがよくわかりますから。いらっしゃるクライアントの方を変えようなんて思っても、絶対にできません。p268

 このへんはそうとうに危ないな。すくなくとも変えようとした、ということであり、絶対に変わらないという先入観をもってしまっていることになる。この人、自称にしてもセラピストでいることはちょっと危ない、と私なら感じる。

吉福 ニューエイジの流れのものは、よくおわかりでしょうけど、すごく軽薄なんですよ。たとえば、セラピストであるとか、シャーマニズムを研究しているいろいろな人がいますが、一年間だけの集中コースを受けて勉強して、ちょっとかじってすぐ専門家になりますよね。魂の深いところからの要請があってでき上がったものではないんですね。すぐ商売をしてしまう。p298

 はっきり言ってこの人は病気なんではないだろうか。それほどさげすむべきものを、一生懸命に日本に紹介して家族が体を壊したりしている。ここでの表現は、すべてご自身のことを暴露しているだけだ、と私なら読む。

吉福 ニューエイジ関係の本などを含めて、そういうのがいっぱい出てきているでしょ。もうあれの大半は、ゴミですからね(笑)。「これは!」というものの数は本当に少ないです。p300

 この人、このゴミづくりに加担していたことなど、さらりと忘れてハワイで静養中。

吉福 仏教のさまざまな経典の本格性をもったものは、みんなヴィジョンなんですね。瞑想とか極限状態を通したヴィジョンの世界観です。法華経もそうですし、スートラもそうです。そういうような認識方法です。合理的な考え方の先に出てくるのは、おそらくそういうものでしょうね。日本語として使われている「ヴィジョン」のニュアンスとはちょっと違って、実際に見えるものなんです。「未来のヴィジョンがある」という場合のヴィジョンではない。実際に認識して、見えているものなんですね。p303

 誰も用語の説明とか、英語と日本語の使い方を説明してほしいと思っているわけじゃぁないんだよなぁ。吉福さん、あなたにはヴィジョンが見えてますか、ってことを聞きたいだけなんじゃぁないかな。まだまだいろいろあるが、この辺でほどほどにしておこう。なんともキモカワイイ一冊ではある。ムズヤサシイ・・・・だった。

この方には一曲プレゼントしたい。 

<4>につづく

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2010/02/23

人間に可能な進化の心理学<10>

<9>よりつづく
Photo_3

「人間に可能な進化の心理学」<10>
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p

 ここで、すべての心理学的体系と教義は、二つの範疇に分類できるという点に注目しなければならない。すなわち、一方は過去においても現在においても広く一般に知られているものであり、もう一方は、秘密にされたり、あるいは変装されてきたものである。p14

 現在、当ブログは、いささか重要なポイントにさしかかってきていると言える。宇宙旅行のロケットなら、一段目ロケットの切り離しをおこない、二段目ロケットへの点火をしなければならない、ということである。

 第一の範疇に属するものは、一般に考えられている人間、あるいは、人とはこういうものだという仮定や想像にもとづく人間を研究する体系である。現代の「科学的心理学」、もしくはそのたぐいの名で呼ばれている体系は、この範疇に属する。p14

 当ブログは、科学、芸術、意識の統合を目指す読書ブログである。その中で科学に関することは、たとえば情報技術とか人工頭脳とか巻通う問題なども科学として読み込んできた。しかし、より目的を明確にするために、ある時期から(ごく最近のことだが)当ブログにおける科学とは、心理学を意味するようになってきた。しかし、ここからはさらに、その心理学をさらに細かくチェックしていく必要がでてきている。

 第二の範疇に属するものは、現在の人間、あるいは現在そのように見える人間ではなく、そうなりうる人間という観点、すなわち、人間に可能な進化という観点から人間を研究する体系である。p14

 つまり当ブログでいうところの「ブッタへの道」としての心理学、ということになる。心理学に拘泥せず、ダイレクトに「ブッタ」とはどのような状態のことであるかを積極的に感知していく必要がでてきている。

 この後者の体系こそ、実は本来の心理学であり、いずれにせよ最古のもので、心理学の忘れ去られた起源や意味を解き明かしてくれる唯一のものである。p14

 つまり、まだ中途半端ではあるが、「フロイト 精神分析」などとはしばらくお別れということになる。膨大なフロイト関連の読み込みを行うことは、時間がかかりすぎるだろう。ユングについても、チベット密教への橋渡しなど重要な仕事をしたが、そのチベット密教の全体像が明かされ始めている今、文献的な拘泥を長く続けることは避けたい。もちろん、トランスパーソナルと呼ばれた流れについても、こまかく事業仕分けならぬ、「読書」仕分けをしていかなくてはならない。

 人間に可能な進化という観点から人間を研究することが、いかに重要であるかを理解すれば、心理学とは何か、といった問いに対してまず得られる回答が、心理学とは人間に可能な進化について、その原理と法則と事実を研究する学問である、という事実はおのずと明らかになる。p15

 この範疇でいくと、トランスパーソナルと呼ばれていた心理学の潮流も、大きな分水嶺に差し掛かっていることに気付くだろう。往相と還相で考えれば、第一の範疇の心理学もかならずしも間違っているものでもなく、まったく不要なものではない。しかしながら、当面、当ブログは、往相中心で読書を進めるものとする。

<11>につづく

 

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曼荼羅グラフィクス<3>

<2>よりつづく
曼荼羅グラフィクス
「曼荼羅グラフィクス」 <3>
田中公明 2007/04 山川出版社 単行本 135p

 ケン・ウィルバーの「インテグラル・スピリチュアリティ」を読み進めていて、色の話題になり、ふとこちらの本を思い出した。色彩心理から考えても、それぞれの色は、そう簡単に意味づけされては困るはずだと思う。伝統的にも、心理学的にも、もうすこし統一感があってもいいだろうと思う。それには、赤、青、黄色(緑)などの三原色とか、赤(ハレ)、黒(ケ)、白(畏れ)などの、それぞれに持っている根源的意味合いがあるのではないか。

 そんな気分であらためてこの本を覗いてみて、もはや、この本においてはそんな簡単なことを言っていられる場合じゃない、と感じた。かなり高度に組み上げられてしまっている。もう手が届かないところまで行ってしまっている。いまさら手のつけようがない、とさえ言える。

 そんなことを考えていたら、この本は、当ブログのVol1の<第1期>ラストの7冊目であったことに気付いた。そして、なんと「ラストの8冊目」は、「インテグラル・スピリチュアリティ」だったのである。こちらのVol2に移ってきて、もうすでに1年近く経過する段階だが、この二冊間において、なにごとかある、という直感が我ながら、当時からあったのだろうか。

 そんなことを考えながら、あのラストの10冊をあらためて振り返ってみることにした。

<第1期>最後のこの「村上春樹にご用心」内田樹

 村上春樹については、ひととおり追っかけを完了した。もともと苦手な分野ではあるが、いざ思い切って読み始めればなかなか面白い。現在では4月発売予定の「1Q84」book3をいまや遅しと待っているところ。ただ、著者の内田についてはこれからである。

<第1期>最後の冊・目「セカンドライフを読む。」ティム・ゲスト

 彼の処女作である「My Life in Orange: Growing Up with the Guru」を、「1Q84」がらみで再読してみようと思い立ったところで、昨年死亡していたことを知った。これからの作品を期待していたのだが、残念である。セカンドライフについては、いちど別項でまとめておく必要がある。

<第1期>最後の冊・目「戦うコンピュータ」井上 孝司

 おや、こんな時期にこんな本にも目と通していたのか、と思うが、内容から考えて反語的に関心を持ったのだろう。当然深追いすべき分野ではなく、むしろ、「2009年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10」に登場する本を読み進める機会となったと思える。

<第1期>最後の冊・目図書館・アーカイブズとは何か」粕谷一希・他

 当ブログは「意識をめぐる読書ブログ」であるからして、図書館にお世話にならなければ存在し得ないので、今後も関心を持ち続けるテーマである。しかし、すでに利用技術としては、一巡しているので、あえてここからさらに突っ込む必要は今のところ不要である。

<第1期>最後の冊目「クラウド化する世界」ニコラス・G.カー

 情報技術の最新と目されるクラウド・コンピューティングについては、ひとりの一般ユーザーでしかない当ブログにおいてはすでにブラックボックス化している。途中で、似たような名前のクラウドソーシングのほうに関心を切り替えた。

<第1期>ラストの冊目「Om Mani Padme Hum, The Diamond in the Lotus」OSHO

 そうだこの本も読んでいたのだった。だがどうも中途半端であることは否めない。マントラ「OM MANI PADME HUM 」に関わるリンクを張り続けたり、「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」「マイトレーヤ」を追ったりしたが、まだまだ深みがありそう。

<第1期>ラストの冊目「曼荼羅グラフィクス」田中公明

 「マンダラをさらに深く知るために」「マンダラとは何か」「マンダラ事典」を読み進めるほかに、当ブログでは独自に「地球人スピリット・ジャーナル曼荼羅2007」「agarta-david mandala 2008」「Journal of Earth Spirit 両部マンダラ2008」 などという遊びをしてきた。ただどこか整合性がなく、完成度は低い。

<第1期>ラスト冊目「インテグラル・スピリチュアリティ」ケン・ウィルバー

 ウィルバーについてはひととおり追っかけは終了しているが、納得感がない。どこかでなにかのきっかけをつかもうと再読中。しかし、どこかで縁がないもの、と結論がでる可能性も強く、それならそれで、はっきりと踏ん切りをつけるべき時が来ている。腐れ縁。

<第1期>ラスト冊目「こころの情報学」西垣通

 この人の本は面白いのだが、どうも肩ぐるしい。学級委員長タイプというより、生徒指導部の先生という感じか。劣等性タイプの私なぞは、いつも目をつけられている感じがして、できれば避けたい。だから、面白いのだけど、ずっと時間が経過してから読むことになる(笑)。

<第1期>ラスト10冊目「オバマ大統領 ブラック・ケネディになれるのか」村田晃嗣・他

 オバマ関連は、それなりに途中まで追いかけたが、キリがないので、あきらめた。最初は日本の民主党との絡みで、こりゃ楽しいことが一杯おこるかなと期待したところがあるが、どうも政治状況にうつつを抜かしているだけでは、私の人生は勿体ない、という結論に達している。

  こうして振り返ってみると、この10冊にそれなりに関連した読書をここ一年間Vol2でも続けてきたのだな、と納得。10冊のうち7冊はほぼ完了している。残るは3冊。「インテグラル・スピリチュアリティ」「曼荼羅グラフィクス」、そして「Om Mani Padme Hum」。この三冊を一挙にゴチャゴチャにしながら、読み進めたら面白いかも。すこしはケン・ウィルバーの毒消しにもなるし・・・・w

<4>につづく

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インテグラル・スピリチュアリティ<4>

<3>よりつづく
インテグラル・スピリチュアリティ
「インテグラル・スピリチュアリティ」<4>
ケン・ウィルバー /松永太郎 春秋社 2008年02月サイズ: 単行本 ページ数: 469p

 なにはともあれ、この本を読み進めると決めた以上、なんらかの手がかりをつかみつつ、少しづつ前に進んでいかなくてはならない。そこで、パラパラと全体をめくってみる。この本、近場の図書館には入っていない。ちょっと遠目の大学には入っているが、貸出中のことも多く、自由にならない。仕方ない(笑)ので、自分で購入(当たり前なのだが)。

 だから、ゆっくり読めるという安心感から、次々と後回しになってきた経緯がある。ここはすこし気を入れて読もうと思うのだが、そのつど挫折。私向きではないことは十分して知っているのだが、たとえば玉川信明の「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界 トランスパーソナル心理学との相対関係」などという、遺作となる涙ぐましい研究などを見るにつけても、この辺、なんとかしなくちゃな、と何度も思う。

 まずパラパラとめくったところの違和感から。

1)意識のレベルを虹色に当てはめているが、それを8色に分解している。日本では「七色の虹」と言うくらいだから、せめて7にとどめてくれればよかったのだが、8色に分解したところが、どうも気に食わない。そもそも、虹は赤と青の2色かもしれないし、黄色をいれてせいぜい3色かもしれない。あるいは12色、21色にだって分解できる。そもそも虹は虹色なのだ、虹は虹色だから虹なのだ。それを何で8つにわけてしまうのかなぁ、という疑問がある

2)色に意味を与えてしまうのはどうか、と思う。色彩心理でいうところの色の意味、田中公明「曼荼羅グラフィックス」、あるいは一連のオーラソーマなどとの関連が気になるところ。敢えてこの辺は「インテグラル」する必要はなかろうが、あまりにさまざまなシンボリズムやシステムが乱立すると、混乱する。この辺の多用乱用は控えめに願いたい。

3)私、あなた、私たち、それ、などの人称の問題をテーマとする部分があるが、それもちょっと込み入りすぎている。当ブログではとりあえず「私」という人称に固定することによって、話題の拡散を防ぐことにする。

 余談だが、池田晶子の遺作が「私とは何か」「魂とは何か」「死とは何か」 、という三部作として出版された。内容はともかくとして、このタイトルにいささか疑問を持った当ブログでは、あえて「私は誰か」、「魂はどこにあるか」、「いかに死ぬか」、という新たなる問いとして問いなおしてみることを提唱している。

 「何か」what is という問いかけには限界を感じるし、深みがどこかでとどめを刺されてしまう。この三つに物事を集約するのは賛成だが、問いそのものが正しくないと、解そのものがまったく違ったものになる。

 さて、この「インテグラル・スピリチュアリティ」のパラパラ印象のなかのポジティブな部分はというと、ないわけでもない。

4)IOSとやらの次元で、「実践」の中でなにごとかを活用させようとしていること。

5)とにかく「スピリチュアリティ」という言葉自体にこだわりを持って擁護しようとしていること。

6)新しい翻訳者を得て、どのような展開をするか、という期待。

7)巻末の「付録」や「訳者解説」は、ケン・ウィルバーを読み進めるのに役立つし、新たなる読書への足がかりにもなる。

 あらたなるマトリックスを展開しようとするウィルバーのもくろみを料理するために、当ブログなりにおっとり刀でマナ板を用意しなくてはならない。よりシンプルで、より実用的である必要がある。そのためにも、釣り上げようとする魚がどれほどの大きさなのか、暴れるのか、マナ板の上の鯉、みたいに静かにしてくれるのか。

 包丁はどうするのか。刺身でいくのか、煮るのか、焼くのか、どこが食えなくて、どこがおいしいのか。全部食えるのか、食べるところはほとんどないのか。味付けは? 盛り付けは? 朝飯用? 昼飯用? それともディナーのメインデッュ? 宴会用、まかない用、おつまみ風?

 まぁ、そんなところからでも、なんとか、この食えそうで食えない、「外来種」を研究してみようと思う。食えなさそうで、意外と食えるかも・・・・。

<5>につづく

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2010/02/22

宇宙意識への接近 伝統と科学の融和

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「宇宙意識への接近」伝統と科学の融和
河合 隼雄・ 吉福 伸逸・共編 1986/04 春秋社 単行本 257p
Vol.2 974★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 楽園瞑想」の中で、宮迫千鶴の吉福伸逸のイメージは「宇宙意識への接近」のオルガナイザーというものであったということが書いてあった(p1)。ああそう言えば、納戸にそんな本があったなぁ、と20数年ぶりにこの本を取り出してきた。

 この本は1985年4月に京都において一週間にわたって開かれた「第9回トランスパーソナル国際会議」における発表の中から、「心理学的なものを中心」に11名の発表を選出し、訳出したものである。

 当時この会議に参加した人物からその噂を聞いて、この本がでるのを楽しみにしていたが、聞いていた会議のイメージとはだいぶ違う内容になっていたので、ほとんど空振りな気分でそのままになってしまった一冊である。

 当ブログは、現在「ブッタ達の心理学」というターゲットに向けて絞り込み中であり、「意識をめぐる読書ブログ」という標題にすり寄るべく、読むべき本、読むべきテーマを厳選し始めている。であるがゆえに、本来、ひとつひとつの講演は超一流の面白いものばかりが選ばれているこの会議講演録だが、あえて、その中にあっても、より当ブログの今後の狙いを浮き立たせるために、以下、それぞれの講演について、独断的印象をメモしておく。

「序」 河合隼雄 PⅧ

 当時、この人物がなければこの会議は存在しなかったであろう。臨床心理士などの資格制度などで後年忙しくなる河合だが、この当時はまだその仕事は本格的にスタートはしていなかっただろう。それだけに、いわゆるトランスパーソナルな領域にも力を貸すことができた、というべきか。

 河合隼雄の名前を冠している本なのだから、もっと彼のカラーがでてもいいように思うが、そういった意味では、編集者として、その姿を陰に隠したのか。この会議自体について、河合本人が本当はどう評価していたか、他のなにかの文献にあるだろう。

「スペース・オデッセイ」 ラッセル・L・シュワイカート p2

 宇宙飛行士の宇宙体験についてはいろいろな出版物があり、立花隆の「宇宙からの帰還」などは、かなり印象深く記憶の底に残っている。この本の「宇宙意識への接近」というタイトルもこの講話の影響を受けているのかも知れないし、また、であるからこそ、この人がこの本のトップバッターを務めることになったのだろう。

 ただ、その話は、多分この人、いままで講演を依頼されるたびに何百回、何千回と話してきたことであろうし、もともと感動的な話ではあるが、はて、本当の「今ここ」の感動を語っているかというと、問題あり、だろう。

「知覚と人工知能」 フランシスコ・J・ヴァレラ p17

 生物学の相当なインテリだが、チョギャム・トゥルンパ・リンポチェに就いてチベット密教を十年に渡り実践している、というのが売り。いかにもハマり役という感じで、色ものとして扱われているのではないか、と勘繰ったりする。

 人工知能については、当ブログでもとても興味深く追っかけてみたが、現在のところ小休止。結局は全体性としては人工知能が人間を超えることはないだろう、という読みと、人工知能はどのようにして身体を獲得しうるか、というところで議論は停まっている。この講演もインターネット時代の前のお話なので、どこまで新鮮に読めるかは、2010年の現在、不明。

「個人意識・精神の役割と社会的危機」 ジョン・ワイアー・ペリー p45

 黒船のペリー総督の子孫とか。だからと言って「われわれ日本人に新しい開国を迫るもの」(河合PXV)というのも、ちょっとほめすぎでしょう。ユング研究所でユングに師事した医学者。河合一押しのパネラーであったのかもしれない。

 トランスパーソナルな流れの中で、ユング心理学はそのボリュームある部分を補てんしているようだが、それはユングな流れの停滞と、トランスパーソナルな足元の不確かな部分が、互いに補完しあう関係にもたれこんでいるからではないだろうか。

「都市と分析・東の目で」 樋口和彦 p70

 この本がでた当時、日本に3人しかいない(そのうちのひとりは河合)ユング派の分析家。京都で開業。いろいろキリスト教的背景があるようだが、この人をトランスパーソナルとして単独で呼ぶことには躊躇する。

 やはりトランスパーソナルというイメージづけの、ひとつの極として付き合わされている感じが否めない。この人はトランスパーソナルという依って立つべき「学会」を必要としないのではないか。

「伝統と技術の変遷に関する個別体験」 ドーラ・カルフ p88

 箱庭療法と呼ばれるものの開発にタッチした女性。サンドプレイ=砂遊び療法ともいわれる。箱庭療法は、河合が日本向けに名付けただけでなく、多少は各自違った活用の仕方をしているだろう。

 療法はさまざまあるけれど、みんなでさぁ、砂遊びをしましょう、ってトランスパーソナルな人たちが動き出すとも思えない。まぁ、かつてはこういう時代がありましたな、という確認にとどまるのではないか。

「伝統の中に永久不変の価値があるか?」 ドム・ヘルダー・カマラ p111

 どうやら、政治的、宗教的に、一定程度の傾きを持ったひとではないだろうか。1983年の第一回庭野平和賞を受けた、とされる。庭野とは、立正佼成会にかかわる存在であろうし、その賞を受賞するということ自体、それなりの意味=色合いを持っている、ということになるのだろう。

 当ブログにおいては、政治や経済は無縁とは思わないが、現在絞り込み中なので、できれば、大きな散心をすることなく、もうちょっと前に進みたいので、この辺は現在あんまりつっこみたくない。

「癒しに対するアフリカの貢献」 ウズマズール・クレード・ムトゥワ p125

 南アフリカ共和国のズールー族出身の女性。地域的なことや、民俗学的関心、あるいは文化人類学的アプローチは、現在のところ、当ブログではお手上げ、という状態。「意識をめぐる読書ブログ」の範疇からはみ出してしまう。

 とはいうものの、面白そうなネタは一杯ある。いずれなんらかの形で当ブログの体制が整えば、いちど、こちらのエリアも訪問させていただきたいと思う。ただ、そのためにはそうとうな時間と知恵が必要になるのではないか、と危惧している。

「死・成長の最終ステージ」 エリザベス・キューブラ=ロス p139

 この本の中では一番面白く、また、関心のあるところ。彼女の「死ぬ瞬間」シリーズは何度も当ブログでも読み込もうと思って、ほぼ全巻揃えてみるのだが、そのたびに挫折しまくっている。なぜだろう。

 「死」は重要なテーマだ。当ブログはそちらに向かっている。まだ機が熟していないのだろう。しかるべき時が来れば、一連の彼女の本を読み込みたい。ただ、ここで発表されていることは、すでに旧知になっているところで、今となっては、この本にしか書かれていない、ということではない。

「意識の研究と人類の生存」 スタニスラフ・グロフ p167

 初代国際トランスパーソナル学会の会長さん。LSD体験の研究で有名。そのあと過呼吸のホロトロピック・セラピーに代替えした。翻訳を吉福本人がしているところからも、吉福一押しのパネラーということになるだろう。

 彼の本は何冊も読んだ。だが、だからどうした、と居直る私がいる。心理学とはなにか、ましてや、ブッタ達の心理学とはなにか、と言った場合、この人は、その存在のインパクトの強さの割には、どこかでプッつりと切れてしまっている感じがする。いわゆる「ブッダ」へ行きつかない。

「過去の未来」 玉城康四郎 p193

 こちらは逆に仏教の研究家であり、いわゆる「心理学」にどのようにして届くのか不明。学問としての仏教の権威とお見受けした。この人の名前はあちこちで拝見したように思うので、きっと有名な学者さんなのだろう。 

 当ブログではまだ一冊も著書を拝読しておりません。読書としては興味深々ひかれるものが多いが、多分難しいだろうな、という印象。この人の著書を、数冊飾っておくだけで、インテリとして認めてもらえるかも。

「太平洋へ向けての転換」ウィリアム・アーウィン・トンプソン p211

 この本のトリをつとめるこの人は、まとめを意識して大きいことを語っているが、よくわからない。用意した原稿とまったく違ったことをお話になったようで、そのことについては、なかなか冒険的だとは思う。

 ただ、時代が時代、あれからすでに四半世紀も経過しているわけだから、時事的な問題はどんどん古くなってしまう。いろいろな言葉を重ねても、結局は、グローバルな地球村ができあがりつつあるのだから、より普遍的な人間のライフスタイルが生れてくる頃だよね、ってことを確認できれば、それでいいだろう。

「あとがき」 吉福伸逸 p252

 この会議のあと15年後の「楽園瞑想」の中では、いろいろ語っているので、ははぁなるほどね、と思うところが一杯あった。そのことについては、そちらの本を再読するときに、また触れてみよう。

 ただ、この本といい、会議といい、吉福一派総動員というイメージはあるが、どこか生彩を欠くというか、そのトーンは抑えられてしまっているのはやむをえないのであろう。「ブッタ達の心理学」へどうこの本を読むか。単独では、この本はあんまり関係ないな、という印象に落ち着いた。だったら、初読の四半世紀前とおなじじゃん。ガクッ。

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楽園瞑想 神話的時間を生き直す <2>

<1>よりつづく 
楽園瞑想
「楽園瞑想」 神話的時間を生き直す <2>
宮迫千鶴 /吉福伸逸 2001/09 雲母書房 単行本 317p

 吉福伸逸、セラピスト、文筆業、翻訳家、サーフィンコンサルタント・ディレクター・・・・、いくつも重ねられたプロフィールの肩書きが、一抹の寂しさを感じさせる。せめてジャズ・ミュージッシャンの肩書も加えてほしかったものだ(笑)。1943年生れの彼も、数えてみれば、すでに67歳か。そろそろ、忌憚のない他者からの批判を全うに受け止めて、さらに受け入れる透明性を高めていてもいい頃だろう。

 村上春樹が、「走ることについて語るときに僕の語ること」の末尾で、自分の墓に「ランナー」と明記してほしいと願うことや、北山修が、北山修、のほかに、きたやまおさむ、キタヤマオサム、などの変名を使うことに嬉々としていることと同じように、これらの自意識過剰な表現者たちは、「意識」を語りながら、意識を超えていくことはない。意識を超えていってしまったものは、名前や肩書には拘泥しないはずだ。

吉福 ぼくが日本を出てハワイに引きこもって思ったのは、それまでやっていた仕事に関しては、もっとやるべきことはあったんですが、あれ以上日本にメッセージを発し続けても、時期尚早だっただろうということです。おそらく先走ってしまうだろうから、あのくらいでおさめておくのが、正解だろうと判断したんです。p94

 この自己認識は間違っているだろう。すくなくともこの対談のなかにでてくるウィルバー「グレース&グリット」の中でさえ、吉福が出版プロデュースしているケン・ウィルバーが、間違った形で紹介されていることにウィルバー自身が憤慨していると明記してある。「先走って」いたのではなく、そもそも最初から「ミスリード」していた可能性が高い、と私は見る。だからここは居直り、自己弁護に過ぎない。

 この人物には、積極的な意味では関心を寄せていなかったので、何年にハワイに移住したのか現在のところまだ特定できていないが、たしか90年前後だったのではないか、と推測する(著者プロフィールには「1989年にハワイのノースショアに移住」とある)。ある意味、この時期、すでに彼は個人的な子育て問題だけではなく、仕事の面でも大きな壁にぶつかっていたと思われる。そして、「逃亡」した、と私は見る。

吉福 ぼくが日本を離れてハワイに来たのは、自分の限られた人生の中で、自分自身と最も身近な人たちの成長のために、残りの人生を使うという目的を明確にもっていたからなんです。それがぼくの優先度のいちばん高いものなので、それを中心に暮らしています。p121

 1999年、吉福56歳の感慨である。んなこたぁ、あたりまえじゃないか、そんなことこの年まで分からなかったのだろうか。更にもう25年くらい前にこのことに気付いてくれていたら、せめて日本における実害は少なかったと思える。しかも、散らかしっぱなしで、あとは知らんよ、と、さっさと逃げる。あまり周囲を振り回すべきではないですな、自称セラピスト殿。

吉福 ハワイに移り住む前は、ひとつの学問体系を、翻訳という作業を通して日本に紹介しようとしていましたから、けっこう言葉を作っていったんです。造語したものもいっぱいありますし、特にトランスパーソナル心理学がさまざまな宗教の領域を扱いますので、仏教用語のようなものが英語でたくさん出てくるんですね。それをものによってはもともとの仏教用語に戻したり、その用語の中にカルマをいっぱいためたような言葉の場合は、わざと仏教用語からはずして使ったりして、いろいろな言語体系を作り上げて行きました。p160

 その「作り上げ」られた「言語体系」のなかのひとつに「グルイズム」なる悪臭漂う言葉も存在する。私は翻訳家でもないし、言語にそれほどこだわれる能力もないので、寡聞にして判断できないが、すくなくともGoogleUSAで検索するところの「guruism」と、吉福言うところのカタカナ書きの「グルイズム」では、ニュアンスが大きく違っているのではないだろうか。これらの一連の腐れた「造語」によって、長澤靖浩などは、大きく悪影響を受けたのではないか、と、私は推測する。

吉福 日本に十何年いていろいろやってきたことの中で、自分は自分なりに納得して、後悔せずにきちっとやり終えたと思っていたことが、いっぱいあったわけです。ところが、やり終えていないなかったんです。やったことの中で、自分で気がついていなかったことも、いっぱいあった。p165

 そりゃそうだろうなぁ。当たり前だ。1974年に帰国し、1989年にハワイに移住した、として、15年間。そして、それから考えても21年が経過している。そんな細切れな時間の中でできることなどそれほど多くない。「気づいていなかった」なんて、「気付き」が足りないですね、セラピスト様。だから、その後も日本に帰ってきて、セラピーとやらをこっそりやってらっしゃるのですかね。

吉福 批判はしょうがないんですよ。要するにケンは臨床家ではなくて、あくまでも理論家なわけです。思索者で、哲学者の側面をもっているから、その思索者が作り上げた理論を臨床にあてはめると、もちろん現場ではズレがいっぱい出てくるわけですね。根本的な粗っぽい地図になっているだけですから。p216

 この辺でも、粗っぽくズレているのは吉福の方だろう。すくなくとも現在のウィルバーは「Integral Institute」の名のもとに「実践」を行っている。「インテグラル・ジャパン」のHPにも「実践」の文字が躍っている。多少のタイムラグがあるにせよ、紹介者としての吉福は、きちんと紹介すべきものを紹介していない。恣意的に自分の好みに合わせて、皿に盛り付けてしまっている。

吉福 ぼくがカリフォルニアから日本に帰ったのは、ちょうど30歳のときだったんですけど、その当時は自分の中に強い万能感があったんです。自分にできないことは何もない、と思っていた。p260

 やっぱり、そもそも、そこが間違っていたんだろうねぇ。 少なくとも、私にはいい迷惑だった。つまり元祖・困ったちゃん、みたいなもんだな。今は自称・セラピスト・・・ですか・・・。まぁ、この人の話はすこし割り引いて聞かないと、あとで迷惑を受けることになる。距離をおいて聞いておくのが一番じゃ。

吉福 ぼくは、そういったヴィジョンが現実社会に適用できないまま消えていくことが、耐えられなかった。それで、せっかくこうすればユートピアに近づけるかもしれないというヴィジョンが頭の中に生れたのに、実現しなければ意味がないじゃないか、という気持ちがすごく強くなった。p264

 この人のビジョンが大きくズレていたのは、ドラック・カルチャーをかぶりすぎていたから。トランスパーソナルの後半の流れをスタニスラフ・グロフに依存したのも、結局は過呼吸により超常体験をドラッグ体験に置き換えてみる以外に方法はなかったから。ドラッグ・カルチャーによるユートピア・ビジョンでは、現実社会は動かないでしょう、当然のことながら。

吉福 そうね、その不安はありませんね。ぼくはこういう人間なんだから、他者が受け入れてくれるかどうかは、問題にしないんですよ。p274

 やっぱりこの人は、言葉が走りすぎる。前後の関連から読みなおしてみると、この発言なんぞ、とんでもない失言だ。まぁ、すくなくとも、セラピストを自称する56歳(当時、ということは現在の私と同じ年齢)の発言とは思えない。やっぱ、近くにいたとしても、この人とは、お友達にはなりたくないね、私なら。

吉福 禅は一回、地に落ちていますから。いろんなスキャンダルも起こっているし、老師(グル)の問題も起きている。アジアローカル色が強くてね。特に日本のローカル色の強い封建的なシステムが存在しているので、老師(グル)と弟子の関係もグルイズムがはっきりしすぎていて、現代人には抵抗感があるんですよ。禅は女性を排除しているところがあります。ヴィパッサナにもそういう歴史はあるんですね。p279

 どこまでもこの人の視野は狭いな。すくなくとも、この数十年のアメリカに渡った禅だけを、しかも外側からだけ見て発言している。もっと数千年サイクルでのZEN(ディアナ)の流れを見ないことには、本当のことは分からないでしょう。すくなくともこの本のタイトル「楽園瞑想」が泣きますよ。

吉福 ヴィジョンの中で、「『あなたは神だ』と言われたから、私は神の使いだ」と言い始めたり、もっと狂ってしまうと教祖になる。でも、そういうのも一種のヴィジョンで見ているんですね。ヴィジョンと本人の関係の解釈によって、全然変わってしまうんです。p302

 断定、決めつけ、当てはめ、なんでもありのこの人に、どこまでもこの人らしいなぁ、と感心する。これは10年前の本だから、現在はもっと違っているのかも知れないが、少なくとも10年前も相変わらずこの人はこの人らしかったんだ、と確認。この人のセラピーを受けているクライエントがかわいそうだ。

<3>につづく

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楽園瞑想  神話的時間を生き直す<1>

楽園瞑想
「楽園瞑想」 神話的時間を生き直す <1>
宮迫千鶴 /吉福伸逸 2001/09 雲母書房 単行本 317p
Vol.2 973★★★☆☆  ★☆☆☆☆

 1999年9月、エッセイストの宮迫千鶴が、当時ハワイ在住だった翻訳家・吉副伸逸を訪問して3日間にわたって行われた対談が収録されている。そして、そこからさらに出版されるまで2年が経過している。前半は、一般の出版物にこれほど自己開示する必要があるのかと思うほど、「個人情報」がばらまき続けられ、個人ネタに興味のない人なら、早々とうんざりするだろう。

 逆に、これだけ自ら個人ネタをばらまく人は要注意である。そこには自らこしらえたドラマツルギーがあり、ひとつの「演劇」仕立てのストーリーの中から排除された出来事や筋書きがたくさんある場合があるからだ。ごまかされてはいけない。とくに吉福のような人には。

 ケン・ウィルバーの「インテグラル・スピリチュアリティ」を読み進めるにあたって、トランスパーソナルを日本に紹介しようとしたり、ウィルバーをシステム的に登場させようとした、翻訳者・吉福という人物の最近の活動を知りたいと思っても、一時の活動量に比べれば、ほとんど影が薄くなってしまっていると言える。インターネット時代の到来前に消えていった、ということか。

 この本の評価は難しい。当ブログはある時から、三つのポイントでその本を評価している。科学点、芸術点、意識点、の三つである。最近は面倒くさいの、ほとんど適当に評価しているのだが、この本の評価にあたって、X、△、◎、の三つのどれをつけてよいのやら、あちこち迷った。結局は、科学点△、芸術点◎、意識点X、という評価になった。

 宮迫さんは、今、検索してみて初めて知ったのだが、2008年6月に病死されているようだ。冥福をお祈りいたします。合掌

 吉福という人の活動も、ちょっとググっただけでは最近の動向はよくわからない。2005年にでた「トランスパーソナルとは何か」は1987年にでた初版本の増補版であり、内容的には変わりはない。私はこの本の中から削除してもらいたい部分がある。吉副という人と読者としての私の決定的な考えの違いが現れている部分がある。そのことについては、また、別な機会にあらためて書こう。

 この本からさらに派生する新たなる読書ターゲットとしては、ウィルバー「グレース&グリッド」と、河合隼雄と吉福の共編「宇宙意識への接近」がある。前者については既に読了している。後者については、出版当時から蔵書として持っているが、後日、再読しようと思う。いずれにせよ、この二つの書物が、この二人の対談を成立させている。

 「グレース・・・」は、宮迫のいうように、一連のウィルバー物では、むしろこっちから先に表現してほしかったという内容で、この対談当時、日本語訳はまだ出版されていないが、内容については二人とも知って話している。吉福は、その翻訳出版にたずさわっていない。後半になるとこの本をめぐる「個人ネタ」がいろいろ出てくるが、関心のある向きには大いに受ける。当ブログが、この本を芸術点をレインボーカラーで染め上げた理由でもある。

 この本に前後すること、吉福には「流体感覚」1999/04がある。こちらでは松岡正剛、三田宗介、中沢新一、との対談が収録されている。こちらも後日読む予定。いずれも10年も前の本で、時事性には乏しいが、当ブログとしては、確認しておかなければならないことが、いくつかあるので、読書としてはいずれも外せないだろう。

 そのほか、この「楽園瞑想」という本は、突っ込みどころ満載なので、続いて補記していくことになるのだろうが、吉福といい、ウィルバーといい、どうしても批判的に読んでいくしかない。ちょっと心が重いが、むしろ彼らはその批判を「待ちうけている」ところがあり、その挑発に乗ること自体が、心地よくない、という面もある。だから、この本にこだわることはほどほどにする。

<2>につづく

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2010/02/21

秘教の心理学<7>

<6>よりつづく 
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「秘教の心理学」<7>
OSHO /スワミ・プレム・ヴィシュダ 1994/09 瞑想社 /めるくまーる 単行本 317p

 「意識をめぐる読書ブログ」を標榜する当ブログではあるが、なかなか「意識」領域にダイレクトに入り込んでいくのは至難の技である。適切な文献が少ない、表現者によって用語がまちまち、公開ブログとしての表現の限界、など理由はいくつかあるが、一番は、自らの体験や理解の薄さによるところが大きい。そこで、あえて冒険的に次のような図式から始めていこうと思う。Photo 用語の使い方は各者さまざまなので、あえてここは統一しないで、わかりやすく上記のような形でまずは整理しておくことにする。つまり「意識」はひとつの「入れ物」だとして、その「入れ物」の中の、より暗部な部分を「無意識」と呼び、より明るい部分を「超意識」と呼んでおくことにする。これをさらに7分割とかすることも可能なのだが、今は、この程度で十分だろう。

 そして、さらには、当ブログにおいては、どうしても越えて行きたいテーマがあった。それは「ブッタ達の心理学」という。どこかに誰かの定義があったようにも思うが、こちらもまた、便宜上、分かりやすく、下記の図式を使うことにする。
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 「心理学」はいまだ十分に開発されていないという幾多の先達たちの意見に当ブログは同意している。しかしながらウスペンスキーが使うような文脈では「心理学」という用語はどうしても必要なのではないか、と考えている。彼がいうところの「人間に可能な進化」とは「ブッタ達」のありようである、というのが、現在のところの当ブログの理解である。

 「心理学」については、フロイトユングなどをひとつの発端として、当ブログなりの嗜好性を加味しながら、読書を続けて行こうと思う。あるいは「ブッタ達」については異論さまざまあれど、当面の当ブログの読書ターゲットはOsho「私が愛した本」東洋哲学(インド)編を読み進めていきたい。

 なんだか、この図式を見ているだけだと、陰陽マークすら連想するが、物事はそう単純でもなさそうだ。Photo_3

 7つの身体、7つの意識レベルについての解説はこの「秘教の心理学」のほかにOsho「奇跡の探求」1、2に詳しいが、これらの文献は、Oshoが1970年前後に語った初期的講話録から翻訳編集されていることに留意しなければならない。

 だから第1身体から始め、他の6つの身体のことは考えてはならない。フィジカル体において完全に生きなさい。すると突然、新しい扉が開かれていることを知る。それからさらに先へとつづけなさい。だがけっして他の身体のことを考えてはならない。さもないと、それは妨げになり、緊張を生み出すことになる。

 だから私が語ってきたことはすべて----忘れなさい! 
Osho「秘教の心理学」p206

 Oshoの最後の講話は「禅宣言」として収録されている。そこにはZENにまつわるさまざまなことが残されているが、必ずしも、初期的な講話で展開されたような7つの身体、7つの意識ステージについていろいろ語られているわけではない。

 残る一冊、「インテグラル・スピリチュアリティ」も読み進めなければならないのだが、そのケン・ウィルバーは、そのプロジェクトのスタート地点である「アートマン・プロジェクト」において、一番最初から次のように語っている。

 さて、これよりアートマン・プロジェクトの物語がはじまる。これはわたしが見たものの分かち合いであり、わたしが想い起こしたもののささやかな捧げ物である。これはまた読者が草履から払い落すべき禅の埃であり、最後に、ただ唯一在るところのあの<神秘>の前では一つの嘘であることを忘れてはならない。ケンウィルバー1978冬「アートマン・プロジェクト」pxiはしがき

 ZENシリーズにも早く到達したいのだが、なかなかまだそこには行けない。お楽しみはあとまでとっておくのも悪くはないかな?  てなわけで、テクテクと、当ブログの読書生活はまだまだつづくのであった。

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2010/02/20

人間に可能な進化の心理学<9>

<8>よりつづく 
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「人間に可能な進化の心理学」<9>
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p

 いわゆる神秘主義の中には、7という数字がよく登場する。しかし、その7という数字が何故にでてくるのかは、いまいち判然としないところがある。少なくとも自然界に7という数字がでてくることは少ないのではないか。そんな時、いつでも自分のなかではひとつの図式が現れて、その整理をしてくれることになる。 11_5  よく見る一円相だが、この中に実は7という数字が隠れている、というのが私の見解だ。さて、どのように隠れているのだろう。一円相の中には、陰陽のマークのように、二つの円が入っている。これで、1と2と3という数字が登場することになる。12_3 そしてその陰陽の中に、さらに、陰の陰、陰の陽、陽の陰、陽の陽、という4つ重ねの円ができると、そこには全部で7つの円があることになる。つまり0、1、2、3、4、7、という数字が登場しているのである。13_2  この七つの円を、それぞれの中心に固定して、同じ大きさの円として並べれば、そこにはまるで7つの梯子のような図形ができることになる(見ようによっては、5、6、8、9、も見ることができるが、今はそこまでこだわる必要はない)。14_2  ここまでくると、7つのチャクラの姿にさえ見えてくるだろう。
15_2  自然界になさそうな7という数字だが、ここまでくれば、実に原理的な部分で存在していることに気付くことになる。そして、7つあるステージだから7に上りたいと思うのが当然だが、全体であろうとすれば、7よりもむしろ、4のステージの中心に座っていることが大事なのだ。
11_4  表の表、表の裏、裏の表、裏の裏、という原理も、アース&ウィング、という原理も、実はそれほど難しいことではないことが分かる。大地に根付きながら、大空にはばたくためには、4番目のチャクラ、つまりハートにいることによって可能なのだ、という理解になる。

Photo_2

<10>につづく

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思想家 河合隼雄

思想家河合隼雄
「思想家 河合隼雄」
中沢新一 /河合俊雄・編 2009/10 岩波書店 単行本 228p
Vol.2 972★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 この本、中沢新一のあの調子の本なのかな、と勘違いしていた。「思想家 河合隼雄」というタイトルだって、ちょっと、うがった中沢調に思えていた。しかし、これは姉妹編「療法家 河合隼雄」と対となる複数の著者たちによる編集本だった。河合俊雄は、河合隼雄の息子。

中沢 僕やとくに河合俊雄先生は、これから一生を賭して体系化の作業をしなければいけないはめに陥ったわけですけれど、それはマイスターを目に前にするという幸運を得た人間の宿命ではないかと感じます。p15

 ここでのマイスターは、マスター、と読み替えてもいいだろう。それほどまでに河合隼雄を高く評価することができるということは素晴らしいことだが、例によって、中沢の「はったり」でなければいいが。

 2004年に河合隼雄がバルセロナにおける学会で行った講演「アッシジの聖フランチェスコと日本の明恵上人」が面白い。そこまで類似した存在が、洋の東西に同時代に生きてていたというのは、大発見、という気がする。

養老 河合さんは脳については、面と向かってはほとんど何も言われませんでした。もう一つは日本人論です。日本人論はある程度されているけれども、私が一番聞きたかったのは、戦争のことです。それもほとんど出ていません。恐らく両方ともしまっておられた。関心がないはずがないし、考えないはずはないけれども、あまり表に出ていない気がします。p147「河合隼雄と言葉」養老猛司

 なるほど、そうしてみると、「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」の中で、戦後の戦争を知らない世代であるはずの村上が、一生懸命ノモンハンについて調べ書いていることについて語っているのに、河合は割と淡々と「受けて」いたことも、意味あることに思えてくる。1931年生れの河合、終戦当時14歳。その「戦争体験」はどんなものだっただろう。

 最近でた本ではあるが、河合隼雄やユングを知ろうとするなら、この書ではなく、他書に依ったほうが、早いであろう。これは副読本だ。

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こころの生態系<3>

<2>よりつづく
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「こころの生態系」日本と日本人、再生の条件 <3>
河合 隼雄 (著), 中沢 新一 (著), 小林 康夫 (著), 田坂 広志 (著) 2000/10 講談社 単行本: 220p

 この本は極めてまじめな本で、幸か不幸か、当ブログは出版されてから10年が経過した時点で読んだわけだが、それでも内容的には、ためになることが多い。難があるとすれば、この本が出版されたあとに、たとえば9.11という大事件とか、あるいはグーグルゾンとか言われるようなネット状況の激変が起きている、というところだろう。

 あるいは日米の政権交代なども現在の日常生活においては、かなり影響してきているわけだが、それらの変化を織り込んでいない、というところが、残念ではある。まぁ、だからこそ、それらを踏まえた上で、中沢は近刊「思想家 河合隼雄」で、どのような展開をするだろうか、という楽しみが増えるということにもなる。

 この本をめくって感じるところはいろいろあったが、あえて引用しないでおこう。もともと当ブログは書評ブログでもなければ、あらすじを書いておくために書いておくわけでもない。むしろ、本よりも、読んだ自分のなかからでてきたものをメモするために始めたブログだった。

 で、今回この本をめくっていて自らのなかから湧いてきたキーワードは「29歳」、「カウンセラー」、「往相」の三つ。「意識をめぐる読書ブログ」というテーマの中の「意識」に関わる印象である。

 まず、この本は、シンポジウムでの対談などが底本となっているが、どんな人たちが聴衆として座っていたのだろうか、と気になる。本の中には、最初から15歳の子供たちをターゲットに書いてある本もあるし、とくに若い女性の視線だけを意識している場合もある。あるは、大学の教授なんかの本などに多いのは、さも20歳前後の自分の学生に向かって語りかけている口調のものもある。

 それはそれで構わないのだが、当ブログは敢えて今「事業仕分け」ならぬ、カテゴリ仕分けを進行中である。ちょっとターゲットを絞り込んでいきたいと思う。そこで、年齢的にいえば、29歳あたりをターゲットとしているものを選んで行きたいと思う。

 理由はいくつかある。さまざまなネット上の利用状況をみると、年齢別の折れ線グラフを見ると、だいたい28~31歳程度のところが一番ピークとして頂点を形成している。もちろん5歳以下とか10歳以下なんていうのは限りなく少ないが、たとえば50歳代なんて、40歳以上~なんてカテゴリに放り込まれることも多い。

 もちろん70歳でも80歳でも、ネットの利用者はいるのだが、絶対数では圧倒的に少数派だ。そうしてみると、29歳というのは、一番オーソドックスなネット上の人格年齢ということになる。

 さらには、たとえば「1Q84」の主人公、天吾と青豆も29歳だった。グローバルなポピュラリティを得ようとすると、この年齢の設定はかなり適していると言える。そのほか、たとえばシッダルタが出家したり、道元が中国に行ったり、キリストが世に出たり、日蓮が佐渡に向かって決意したりと、ひとつの人生の中では29歳というのは、大きな分水嶺となる可能性がある。それなりにこだわりがある年齢層である。

 別に29歳以下を相手にしているものは読まないとか、老人向けだとか、若い女性向けにターゲットを絞り込んだものは読まないというわけではないのだが、ひとつのメルクマールとして、この年齢を基準としてチェックしておきたい。

 それと関連するのだが、いわゆる「往相」と「還相」の一対の言葉のなかから、あえて、「往相」に重きを置いて行きたい。ひとつの円相が完成してこその精神的旅ではあるが、あまりこじんまりとまとまることにこだわるは止めようと思う。つまり、この本もそうであったが、なにか学問的な成果を利用しようとか、なになにのためになるとか、そういうことは、とくに「意識」の成長過程においては、あんまり考えるのは止めようと思う。むしろ「往く」ことに注目しよう。

 そして、気になったのがカウンセラーという「職業」。精神分析家、心理職、セラピスト、臨床心理士、コンサルタント、などなど何でもいいが、とにかくこれらの意味する「職業」についてだ。当ブログは、初期において、プログラマー、ジャーナリスト、と並んでカウンセラーを、現代的な三大職業として上げておいた。

 だが、プログラマーやIT職人に勝手にあこがれてみたりしても、当ブログとしては、それを職業にすることはできない。せいぜいアフェリエイトで数百円から数千円分のポイントを稼ぐのが精いっぱい。オークションやらその他のネット商売を考えても、どうも夢中にはなれない。だから、いつのまにかプログラマーについて考えることは少なくなってしまった。

 ジャーナリストは、ブログ・ジャーナリズムや市民ジャーナリストの概念もあることだし、それなりに引き寄せて考えることもできたのだが、外側に世界についての取材には個人ブログとしてはおのずと限界がある。能力的にも経済的にも、プロのジャーナリストたちにお世話になったほうが早いことが多い。

 さて、同じような意味で、いわゆるカウンセラーについても、「もぐらつぶし」をしなくてはならないのだが、まだつぶし切れていない。なぜか。それは私自身がカウンセラーの一人でもあるからだ。一体、カウンセラーという役割とはどういうことなのか。ここのところは、十分、自分でも納得できない点がある。

 さて、ここまでくると「意識をめぐる読書ブログ」における「意識」をもうすこし細かに考えていくために、「往相に向かう29歳に対するカウンセリング」という概念ができあがる。つまり、これはまるで「グル」ではないか。更にいうならマスター稼業だ。このことについてに「もぐらつぶし」をしようと思う。つまり、そのような方向に向けて読書ターゲットをすこしづつ絞り込んでいこうと思う。

 逆に考えれば、いわゆる青少年問題とか、病気治しとか、オタク的嗜好性とか、政治や経済問題については、当ブログのテーマからは次第に離れていくことになるだろう、ということだ。まぁ、この本を読んでいて、そのようなことを、頭の中ではごちゃごちゃ考えていた、ということになる。

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こころの生態系<2>

<1>よりつづく
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「こころの生態系」日本と日本人、再生の条件 <2>
河合 隼雄 (著), 中沢 新一 (著), 小林 康夫 (著), 田坂 広志 (著) 2000/10 講談社 単行本: 220p

 本の成り立ちとはそれぞれに異なっており、書き下ろされるものもあれば、雑誌に連載されたものが再編集されて収録される場合もある。この本は、あるシンクタンクが主催したシンポジウムをもとに出席者たちの発言を中心に再構成したものである。だから、こういうメンバー構成になった。

 主催したのは、日本総合研究所、というところ。略して日本総研。今回ググってみて初めて気がついたのだが、この名称を持つシンクタンクは二つある。1969年に住友銀行から独立した株式会社と、1970年に経済企画庁(当時)及び通商産業省(当時)認可として設立された財団法人(会長寺島実郎)。この本の企画は、前者の株式会社によるものである。

 個の自由から生まれる巨視的レベルの進化発展的過程こそが秩序形成の源泉でありその現場であるという事実、および個の自由が真に生かされるのは非平衡状態から生成さえる創発的秩序の中においてのみであるという事実、この二つの事実にともに立脚することによってのみ可能となります。
 では、そのような個の自由から全体の秩序が創発してくる過程的場所こそがもっとも生産的な豊穣の場所であるとして、われわれはそこで具体的にどう振る舞い、行動すればよいのでしょうか。
「あとがき」 日本総合研究所 相談役 花村邦昭

 なんだかやたらと面倒くさそうな単語の羅列だが、要は、個人の自由は大切だが、君たちはその自由をどう使うの、と問うているのだろう。まぁ、はっきり言って、余計なお世話だ、と言いたい。

村上 (略)日本にいるあいだは、ものすごく個人になりたい、要するに、いろいろな社会とかグループとか団体とか規制とか、そういうものから本当に逃げて逃げて逃げまくりたいと考えて(略)いました。(略)
 アメリカに行って思ったのは、そこにいると、もう個人として逃げ出す必要はないということですね。もともと個人として生きていかなくちゃいけないところだから、そうすると、ぼくの求めたものはそこでは意味を持たないことになるわけです。
「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」p9

 「こころの生態系」という本のサブタイトルに、どうして、「日本と日本人、再生の条件」という文言がついてくるのか不思議だったのだが、なるほど、これらのシンポジウムや本の企画にたずさわったのが「日本」総合研究所、というところだったからなのだ。

 リクエストとあらば、ましてや、そのような注文には実に器用に対応できる中沢や河合といった人たちであれば、お題の「日本」や「日本人」をうまくテーマに織り込んで展開してみせることは可能であろう。しかも、こここそが、問題の核心であるかのごとく、強調さえして見せるだろう。しかし、もともとこの人たちが「こころ」を語る場合、日本や日本人なんて概念は本当は必要ないのだ。

 当ブログの追っかけテーマとしての「意識」だが、まずは個人における「意識」と規定しておこうと思う。日本とか、日本人とかの括りは外したい。「私たち」の意識ではなく、「私」の意識、がテーマである。

 それならば、君は日本や日本人はどうなってもいいのか、と問う声もあるやもしれない。しかし、それは本末転倒だ。地域の産業や伝統はどうなってもいいのか。地域のシャッター商店街はどうする。いや、すでに傾き始めた生家はどうする、てめぇの飢えた家族たちはどうする、ということになってしまう。あるいは、この死にかけた「地球」はどうする、と逆に視野を大きくしてみることさえ可能だ。

 当ブログにおける、地球人という概念は、県人とか、日本人とか、なになに人という概念が拡大していった地球人ではない。決して、地域や住まい方に規定される存在のあり方ではない。自らの「私」を見つめていった場合に、最後に立ち上ってくる存在としての「私」を、「地球人」と規定しているに過ぎない。

<3>つづく

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こころの生態系-日本と日本人、再生の条件<1>

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「こころの生態系」日本と日本人、再生の条件 <1>
河合 隼雄 (著), 中沢 新一 (著), 小林 康夫 (著), 田坂 広志 (著) 2000/10 講談社 単行本: 220p
Vol.2 971★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 なにもこんな古い本を取り出してくることもないとは思うのだが、それなりに意図はある。中沢新一の最新刊は「思想家 河合隼雄」という。この本を読もうと思うのだが、どうも中沢にしても、河合にしても、当ブログとしては、ミッシングリンクが長すぎる。

 中沢に関しては、ひととおり追っかけを終了しているのだが、どうも納得感がない。みごとにこちらの関心をそらし続けられて、すり抜けられてしまっている、という感じがつきまとう。河合については、日本における「臨床心理」というものを根付かせることに尽力された立役者というイメージはあるが、かと言って、まだ追っかけをするところまで気分は盛り上がっていない。

 そんなわけで、昨日読んだ「ブッダの夢―河合隼雄と中沢新一の対話」とともに、この「こころの生態系」でなんとか、アウトラインを形成しようとしているわけである。とくに、この河合と中沢のコラボレーションが目下のお目当てである。

 当ブログは「クラウドソーシング」が気になっていた。アクセスログ解析から、当ブログへのアクセスをより分けていくと、「フロイト 精神分析」、「シッダルタ」、「グルジェフ」というキーワードが多いことが気になった。そこで、フロイト、ヘッセ、グルジェフ+ウスペンスキーを「再読」してみようと思った。

 フロイトは最初から読み進めていはいなかったが、最近になって精神分析学の手引きブックガイド50冊」を手がかりに、いざフロイト島へ、と意気込んだが、なかなかエンジンがかからなかった。そこで、どうやらフロイトの流れを継承しているであろうと推測した北山修追っかけに変更した。追っかけはそれほど難しくはなかったが、どうも時代とマッチしていないことが再確認できたにとどまった。

 ヘッセについては追っかけ中であるが、さらに新しく全集がでたために新たなるヘッセをお楽しみ中である。文学(小説)というジャンルで言うと、現代日本においたら誰だろう、と思って、村上春樹追っかけもしてみた。こちらもまた「1Q84」を中心として、進行中ではあるが、つまり、「謎解き」は完結しない可能性が高い。

 さて、グルジェフ+ウスペンスキーだが、こちらも本の存在を確認するという意味では追っかけは終了しているが、内容的な読み込みは、むしろこれからの再読、再々読、にかかっていると言える。さらには、それらは、当ブログなりの「ブッタ達の心理学」探しの旅へ連なっていくはずなのだが、こちらもなかなか手がつかない。

 そこで、フロイト---北山修、ヘッセ---村上春樹、という安直なリンクを張るとしたら、グルジェフ+ウスペンスキーに対応させるのは、河合+中沢あたりになるだろうか、などと、網を張っているところであった。ちょっと毛色は違うが、ケン・ウィルバーも気になるところである。

 当ブログは、自らを「意識をめぐる読書ブログ」と規定している。「読書」は近場の公立図書館から借りてきてお気軽に読める本を中心に読む、ということにしている。「ブログ」は、あまたあるサービスの中でも、誰でもお手軽に使える無料サービスではあるが、できればアクセスログ解析がもっとも優れたものであってほしい、という期待がある。

 さて、「意識」についてであるが、なかなかこちらについては、細かな規定が進んでいない。曖昧模糊としている。「意識とはなにか」というブックリストを追っかけてみようかとも一時思ったが、どうもいまいちニュアンスが違う。「意識」という単語でさえ適切であるかどうか、定かではない。今後は、ここに切り込みを積極的に入れていく必要がある。

 そういったプロセスの中での河合と中沢のコラボレーションにちょっとだけ関心が戻ってきたところでの、この「こころの生態系」という本との出会いである。

<2>につづく

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ブッダの夢―河合隼雄と中沢新一の対話 <2>

<1>よりつづく
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「ブッダの夢」 河合隼雄と中沢新一の対話 <2>
河合 隼雄 (著), 中沢 新一 (著) 1998/01 朝日新聞社 単行本: 237p
★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆ 

 当ブログにおける目下のテーマは「ブッタ達の心理学」であり、すでにいくつかの仕込みは終えていて、さらに積み上げるべき資材の在り処もだいたい目安がついている。最後の仕上げの状態もほぼイメージできるところまで来ている。

 直線的にそちらに進んでいけばいいのだが、なかなかそうはならない。なぜかというと、すでにこの段階で「ブッタ達の心理学」というテーマそのものが破たんしていることに気がついてしまっているからだ。あるいは、最初からわかっていながら、ボロ船に乗って、ありえない幻の島を求めて航海をし始めてしまっている、ともいえる。

 なぜにそのような愚かな行為をしているのか、と言えば、まぁ、それが人生というものだからだ、というしかない。幻の島に辿り着こうとしながら、本当の宝島を偶然発見する可能性はゼロではない。それにいかに幻の島とは言え、「ブッタ達の心理学」というテーマは、なんと魅力的な芳香を漂わせているではないか。

 この本も再読である。しかも「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」と同じくほぼ3年ぶりに戻ってきたのであった。再読とはいうものの、当ブログのような粗い読書では、まったく新たな読書と同じようなもので、はぁ、こんなことが書いてあったんだ、という新発見の連続だ。なるほど、なるほど、と読み落としていたところがやたらと目につく。だけど、本の印象というものはそれほど変わらない。いかに速読とは言え、その価値そのものはズバリ直視してしまっている可能性がある。

 この本、雑誌に掲載された対談が再構成されて一冊にされているもので、加工という意味では、限りなく手が入れられたあとの「作品」である。なので、雑味は取り除かれているのであろうが、それでも、なお、対談者たちが醸し出す乱反射な方向性が読者に落ち着かないイメージを与えるのではないだろうか。

 河合の心理学はすでにユングの領域をはみ出していて、いわゆる河合心理学になっているのであり、中沢ペディアはあいも変わらず、話題を360度方向にふりまきながら、自ら悦に入っている。この本自体も「ブッタ達の心理学」をテーマにしているはずなのだが、やはり、テーマそのものが破たんしているので、どこにも辿り着かない。たんに雑誌の対談スペースを埋めたという、夜店における裸電球の下だけの輝きにとどまっている。

 前半の「心理学」の部分については、正直言って、河合の箱庭療法なんてものは、末永蒼生らの「自由想画法」に置き換えることが可能だと思うし、ユングも、日本に限らず、世界的潮流から考えても、ちょっと時代遅れになっているのではないか、と思うところが多い。もちろんフロイトはさらに前現代的だが。

 中沢の「ブッタ達」についても、結局は足元がしっかりしていないので、どんな話をしても、すぐ「ブッ倒れて」しまう。自ら、嘘つき、道草、フェイクと語っているのだから、それ以上の深追いをする必要はないのだが、この本の出た1998年という時代や、対談が行われた90年代前半という時代性を考慮しても、やはり、雑誌の対談を再録しました、という事実以上の感動はない。

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2010/02/19

村上春樹、河合隼雄に会いにいく <2>

<1>よりつづく 
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「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」 <2>
河合 隼雄 (著), 村上春樹 (著) 1996/12 岩波書店 単行本 198p

 この本を最初に読んだのは、当ブログがスタートした直後であり、すでに3年が経過している。あの時点では村上春樹なんて小説家のことなんかまるで関心はなかったが、ひととおりの村上春樹追っかけを終了した現在では、もうカマトトぶってばかりはいられない。とにかくこの3年で、当ブログも一巡してきたことになる。

 対談が行われたのは1995年11月。何度もこだわってきたが、いわゆる「19Q5」年であることに留意すべきであろう。作家・村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」第三部まで書き終えた時点であり、心理療法家・河合隼雄はその小説をも飲み込む形で話を「受ける」。

河合 (略)「ねじまき鳥クロニクル」の場合は、二巻で終わりとしてストラクチャーを考えるか、三巻で終わりと考えるかという問題が出てきますが、ぼくが考えるに、とくに三巻まで考えに入れたらすごい構造を持っていますし、そのうえ、まだ不可解なところが残されています。ですからこういう調子でいかれたら、またつぎができると、そう思いましたね。

村上 ただ、ぼくが「ねじまき鳥クロニクル」に関して感ずるのは、何がどういう意味を持っているのかということが、自分でもまったくわからないということなのです。これまで書いてきたどの小説にもまして、わからない。
 たとえば、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は、かなり同じような手法で書いたものではあるのですが、ある程度、自分ではどういうことかということは、つかめていたような気がするのです。
 今回ばかりは、自分でも何がなんだかよくわからないのです。たとえば、どうしてこういう行動が出てくるのか、それがどいう意味を持っているのかということが、書いている本人にもわからない。それはぼくにとって大きいことだったし、それだけに、エネルギーを使わざるをえなかったということだと思うのです。
p113

 「ねじまき鳥~」については別途書いたので、ここには細かくは書かない。ただ、心理療法家・河合隼雄の前ではこのように述懐しているけれど、作家・村上春樹がこのように自分の作品を述べることはそう多くないことと思われる。

村上 なぜ小説を書き始めたのかというと、なぜだかぼくもよくわからないのですが、ある日突然書きたくなったのです。(略)
 その最初の作品が「羊をめぐる冒険」という長編です。ぼくの場合は、作品がだんだん長くなってきた。長くしないと、物語というのはぼくにとって成立しえないのです。(略)
 そういうふうに物語をつくっていると、どんどんどんどん長くなっていくんですよ。そういうふうにして「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」まできた。
 それから自分がもう一段大きくなるためには、リアリズムの文体をこのあたりでしっかりと身につけなくてはならないと思って、「ノルウェイの森」を書いたんです。これが日本を出て書いた最初の長編小説です。
 そして「ねじまき鳥クロニクル」はぼくにとってはほんとうに転換点だったのです。物語をやりだしてからは、物語が物語であるだけでうれしかったんですね。ぼくはたぶんそれで第二ステップまで行ったと思うのです。
 「ねじまき鳥クロニクル」はぼくにとっては第三ステップなのです。
p64

 ことしのお正月休みにようやく重い腰を上げて村上ワールドを読み始めた当ブログのような読書においては、すでに解決済みの問題を今頃追いかけている、というような可笑しな状況が生れているかもしれない。しかし、ここで、河合が「ですからこういう調子でいかれたら、またつぎができると、そう思いましたね」と発言しているのが、何やら興味深い。この調子ででてきたものひとつが、昨年200Q年にでた「1Q84」ということになるだろう。

 この対談において、村上は「暴力」をなぜ書くかについて語り、それを受ける形で河合は容認的に受ける。あるいはやんわりと挑発さえする。

村上 今回のオウムの事件でも、評論家の中には、「フィクションが現実に負けた」と言う人がよくいますね。でも、ぼくはそうは思わないのです。結局、オウムの事件をそのままフィクションにしても、これはだれも読まないでしょうね、装置そのものがあまりにも粗雑にすぎて、小説としてなんの説得力もない。だから、この場合フィクションが現実に負けたという言い方は成り立たないと思うんです。ほんとうは事実とフィクションは永遠の補完関係にあるはずです。勝ち負けじゃなくて。でも、そういう単純化した言い方で、多くの人が納得しちゃうんですよね。p128

 かの麻原集団事件を、たんに1995年に発覚したものとして捉えずに、1984年の教団設立以来、あるいは、さらにはその背景を考慮すれば、「フィクションVS現実」などという単純比較はできないだろうが、ただ、ここでは村上は、「フィクションが現実に負けた」発言を否定している、ということだけはメモしておく。

村上 夢を見ないものなのですか、別の形で出していると。

河合 やっぱり見にくいでしょうね。とくに「ねじまき鳥クロニクル」のような物語を書かれているときは、もう現実生活と物語を書くことが完全にパラレルにあるのでしょうからね。だから、見る必要がないのだと思います。書いておられるうえにもう無理に夢なんか見たりしていたら大変ですよ。
p159

 夢を見る。あるいは、なにか他の表現方法、活動方法をとっていれば、かの麻原集団のような事件を起こさないで済んだはずだ、という発言は、「現実」が起こったあとなら、誰でも言える。小説家や心理療法家が、ましてや「プロ」を自称する人々が、もっと前から指摘することが可能だったら、あの悲惨な事件は起きなかったのか。

 そのことでとやかく言う必要はもう感じないが、すくなくとも、ここでの矛盾点がいずれ村上が「1Q84」を「書かされる」ことになる一因になっているはずである。河合については、このあと、2,3の関連本を読む予定。

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2010/02/18

その男ゾルバ<5>

<4>よりつづく 
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「その男ゾルバ」 <5>
ニコス・カザンザキス (著), 秋山 健 (翻訳) 1967/08 恒文社  単行本: 387p

 今回、ゾルバを読みなおしてみて、なんだか、物悲しさだけが際立った感じがする。いや、読みなおしたというより、今まで読んでいなかったのだろう。陽気でにぎやかなゾルバだけをイメージしていて、その裏の部分を敢えて読み飛ばしていたのではなかっただろうか。

 彼は私の方を振り向くと、いった。
「わしはおまえさんに、わしらがどこから来て、どこへ行くもんか教えてもらいてえんでさあ。この何年もの間、おまえさんは夢中になって不思議な魔法の本を読んでなさるが、もう紙を50トンぐれえもかじりなさったに違えねぇ! それで、そんなかから何をみつけたんですかい?」
 そのゾルバの聲には烈しい苦悩すら感じられたので、私はひどく心苦しかった。何とか彼の満足のいくような答えがしてやれたらいいのだが!
 p327

 久しぶりにビデオでもゾルバを見たくなった。幸い、近くの図書館にはゾルバがある。さっそく借りてきた。ふとYoutubeでもあるかな、と思ったら、なんと、あった。「Zorba el griego 1/14」。もともと英語版ではあるが、スペイン語の字幕がなんとも愉快。14分割されているが、ほとんどフルサイズと思われる。いつまであるか分からないので、さっそく貼り付けておく。

 私は自分の友人たちに、しばしばこの偉大な人物について話してやった。私たちは、この粗野な男のもつ、理性よりも深い、誇り高い、自信にみちた態度に敬服した。私たちが長い間の努力の結果、やっと到達する精神的な高みへ、ゾルバはひととびで到達してしまうのだ。すると、私たちは、「ゾルバは偉大な人物だ!」という。時として彼がその高みのはるか彼方へとび超えてしまうことがある。そんな時、私たちは、「ゾルバは気が狂った」というに違いない。p370

 久しぶりにゾルバを読みなおして、初めて読んだような気がした。

<6>につづく

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2010/02/17

シッディ・スヴァバーヴァ タラン・タラン <1>

Tarantran
「シッディ・スヴァバーヴァ」 <1>
タラン・タラン 現在のところ日本語訳未刊行
Vol.2 970★★★★★ ★★★★★ ★★★★★ 

 いつかは大きくターンしてOsho「私が愛した本」東洋哲学(インド編)に戻らなけりゃならん、とは思うが、あのリストをざっと見ているだけで、眩暈がする。そもそも読書ブログとして読み込みをしようと思っても、あの「インド編」とやらは、そのひとつひとつの文献を探すことがとても難しく思えるからだ。

 さらには、その文献をひととおりめくれば一応当ブログでは「読んだ」ことにしているのだが、あのインドの方々の文献は、めくっただけでは読んだことにはならないし、「精読」したって、読んだことにはならないのだ。

 そこには「体験」が必要だ。読み、知り、体験し、自らのものにしてこそ、それは「読んだ」ということになるに違いない。だから、やたらと面倒な気分になる。そんなことをするなら、苦手だとはいうものの「小説(文学)編」でも再読していたほうがまだましだし、アホらしいとは思っても、「西洋哲学編」で時間つぶしでもやっていたほうが、まだ救われるというものである。

 しかし、それではOsho「私が愛した本」全168冊の完読にはならないし、当ブログのコンテナ、コンテンツ、コンシャスネスの、三コンのうちの、コンシャスネス部門が大きく損なわれてしまう可能性がある。ましてや「ブッタ達の心理学3.0」に向けて、その「ブッタ達」の意味さえ不明なまま彷徨することになってしまうかもしれない。

 と、ちらちら考えているときに、この168冊研究の先達、小森健太朗氏より、きわめて貴重な資料をいただくことができた。

 私はジャイナ教の、ある非常に小さな宗派に属する家に生まれた・・・その宗派は、私より少しは狂気の度合いが少なかったに違いないある狂人を信奉している。私以上の狂人だとは言えない。
 彼の二冊の本について話すつもりだが、それは英語には翻訳されていないし、ヒンディ語にさえ翻訳されていない。翻訳不可能だからだ。私は、彼が海外まで知れ渡るようになるとは思えない。そんなことはありえない。彼はどんな言語も、どんな文法も、まったく何ひとつ信じていない。彼の話し方はまさに狂人だ。四番目は「彼の本「シュンニャ・スヴァバーヴァ」だ。----「空の本質」だ。
Osho「私が愛した本」p201

 その人の名はタラン・タラン、単に「救済者」という意味だという。

 タラン・タランの二冊目の本、「シッディ・スヴァバーヴァ」---「究極なる覚醒の本質」という美しいタイトルだ。彼はくり返しくり返し同じことを言う。「空っぽになれ!」と。だが哀れな人間に何ができよう? 「目を覚ませ、目を覚ませ・・・」という以外に何か言える者など誰もいない。「警戒せよ(ビーアウェアー)」という言葉は、「気付いている(ビー・アウェアー)」という二つの単語でできている---だから警戒せよという言葉を恐れることはない。ただ気づいていればいい。そして気づいた瞬間、人はわが家に帰っている。Osho「私が愛した本」p204

 なるほど「siddhi svabhava」という単語をGoogleUSAで検索してもでてくるのは結局はOsho関連だけだ。taran taranにしたところで、いわゆるOshoが言っているこの小さなジャイナの宗派の行者にはなかなか行きつきそうにない。日暮れて道遠し、という奴だ。

 Oshoはジャイナの家庭に生れたとされるが、その中でもタラン・タランにより密接して暮らしていた一族であった、と言える。だから、タラン・タランはなるほど海外にまで知られるような存在ではなかったが、Oshoそのものの出自を理解するうえでは、かなり重要な存在である。この辺、氏からの解説を要約すると・・。 

1)ジャイナ教は裸行派と着衣派に大きく分かれ、裸行派がさらに三つに分かれ、その中で一番小さい派がタラン・タラン派。

2)タラン・タランは、クンダクンダ派の流れを汲むジャイナ教の聖者で、Oshoは生家の伝統に則しているクンダクンダも「私が愛した本」に加えている。

3)クンダクンダの師匠がウマ・スヴァーティで、Oshoは「私が愛した本」に自分の生家の伝統を築いたマスターをマハヴィーラまで含めて四人ともいれている。

 つまり、マハヴィーラ・・・・ウマ・スヴァーティ・・・・クンダクンダ・・・・タラン・タラン・・・・(Osho)・・・・という流れが見えてくる、ということになる。厳密な法灯とまでは言えないまでも、時間的経過の中で見え隠れするこれらのブッタ達が存在していたようだ。

 小森氏は永年をかけてこの168冊に関わる文献(それは400冊以上になるという)を収集しているが、どうやらこのタラン・タランに関するものは、もっとも収集することが難しかったものに属するようだ。それをどのように入手したのかは聞いていないが、すくなくとも、それは永年の研究者たちの手によって、すでに原語からいくつかのプロセスを経て、現在では、日本語の文字にされるところまで来ていると聞く。

 近々、何らかの形で正式に公表されることになるのだろう。出来得るなら、当ブログが最も利用している、近場の公立図書館の開架棚に収容されるような文献となって、多くの利用が可能な資料として収蔵されることを望んでいる。

<2>につづく

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2010/02/16

インテグラル・スピリチュアリティ<3>

<2>よりつづく
インテグラル・スピリチュアリティ
「インテグラル・スピリチュアリティ」<3>
ケン・ウィルバー /松永太郎 春秋社 2008年02月サイズ: 単行本 ページ数: 469p
★★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 IOSとは何か

 IOSとは、「統合作動システム(Integral Operating System)のことである。情報ネットワークの世界では、オペレーティング・システムとは、さまざまなソフトウェアを作動させる基礎的なシステムのことである。

 私たちは、「統合作動システム(IOS)」を別名として使うことにする。そのポイントは、簡単に言えば、あなたが、ビジネス、仕事、遊び、家族関係などで「ソフトウェア」を作動させようとすれば、最良のオペレーション・システムがほしいと思われるに違いない、IOSは、その価値のあるものであるということである。

 すべての重要なポイントを見逃さないため、IOSは、最も効果的・効率的なプログラムとなる。これは別な言い方で言えば、統合(インテグラル)モデルの包括的内包性を表しているのである。ケン・ウィルバー p6 

 この作家がまだ若い時から(ということは読者である自分も若かった)、ずっと気にはなっているのだが、一連の仕事にどうも納得感がない。ひととおり追っかけはしてみたが、だからどうした、と、開き直ってしまう自分がいて、可笑しい。

 (略)超個(トランスパーソナル)心理学についてもお話しいただけないでしょうか---とくにスペクトラム心理学の創始者と言われる、ケン・ウィルバーの業績と瞑想について。(略)

 まず第一に理解すべきは、私は心理学は扱っていないということだ。心理学はマインドに結び付いたままだ---それはマインドの科学だ。そして私の仕事というのは、あなたをマインドの外に連れ出すことだ。だからこうした人々は、きっと私のことを敵のように思うだろう。

 彼らが扱っているのは、マインドの機能の仕方---それが個人(パーソナル)のものであろうと、人と人との間(インターパーソナル)なものであろうと---であり、その条件付けとは何か、そしてそうした条件づけをどうやって新しい条件づけによって置き換えるか、といったことだ。

 彼らの仕事は、それがインターパーソナル心理学と呼ばれようがスペクトラム心理学と呼ばれようが、マインドに閉じ込められたままだ。そして私の世界、禅の世界は、ノーマインドの世界だ。OSHO「禅宣言」p458

 とOshoは言うものの、「心理学」という言葉にはさまざまな魅力がある。当ブログのカテゴリにも「ブッタ達の心理学」というものがあり、すでに108*2のサイクルで続けてきている。現在一個しか走っていない当ブログのカテゴリだが、のこり40ほどの書き込みが終われば、次なるカテゴリ名は「ブッタ達の心理学3.0」となる確率が高い。

 大洋にすでに航海している存在にとっては、海岸なんぞなんの必要もなかろうが、これから大洋に辿り着こうとする者たちにとっては、目指すべきはまず海岸だ。海は、海岸の向こうにある。山の中にいて海を思っていても航海は始まらない。まずは海岸だ。心理学というカテゴリは、海岸線を表しているように私は思う。

 海岸線の手前にとどまり、海を眺望するにとどまる可能性もある。あるいは一歩でもその波の中に足を踏み入れていくかもしれない。すくなくとも心理学は、人々を(私を)海に連れていくだろうし、海の存在を気付かせてくれる。当ブログが「ブッタ達の心理学」というカテゴリ名を使うときは、すでに航海をしている存在から見た場合の海岸線を意味している。彼らからのアドバイスや招待を、暗に期待しているわけである。

 さて「人間に可能な進化の心理学」「秘教の心理学」「インテグラル・スピリチュアリティ」、の三冊を並べてみながら、そこにはひとつの可能性があるように思う。ウスペンスキーは1937年当時にこの本を書いている。Oshoは1970年前後にこの講話をしている。そして、ケン・ウィルバーはさらに21世紀になってこの本を著している。その間にそれぞれ34~5年程度づつの開きがあるのが面白い。それぞれ、親子ほどの世代間がある。

 グルジェフ+ウスペンスキーはどこでとどまったのか。Oshoは何を示唆したのか。ウィルバーはどこに辿り着こうとしているのか。そのあたりを「ブッタ達の心理学」という視点から捉えなおしておく必要を感じる。

<4>につづく

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2010/02/15

秘教の心理学<6>

<5>よりつづく

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「秘教の心理学」<6>
OSHO /スワミ・プレム・ヴィシュダ 1994/09 瞑想社 /めるくまーる 単行本 317p

 こうした言葉は翻訳できるが、それが可能なのは、あなたが探していないような情報源からだ。表層意識を超えた探求に関する限り、ユングのほうがフロイトよりもましだった。だがユングも出発点にすぎない。

 シュタイナーの人智学や、あるいは神智学の著作---ブラヴァッキー夫人の「シークレット・ドクトリン」「ベールを脱いだイシス」やその他の著作、アニー・ベサントやリードピーターやオルコット大佐の著作---こうしたものから、それらが意味するものの一瞥をさらに得ることができる。

 薔薇十次会の教義からも一瞥を得ることができる。キリストが秘儀を授かった錬金術の同胞集団であるエッセネ派の秘密文書をはじめ、偉大なる錬金術の伝統も西洋には存在する。

 さらに最近では、グルジェフとウスペンスキーが助けになる。だから断片的になにかを見いだすことはできるし、こうした断片を集めることはできる。OSHO p148

 さて、この手の周辺を個人の読書ブログが、いい加減な酩酊気分でうろちょろ徘徊するのは、本当は危険なことだ。できれば、敬して遠ざかっていたほうがいいに決まっている。それでも確かに魅力ある領域ではある。

 この辺の文書はあるところに行けばごっそりとあるのだが、ごっそりあればあるほど、逆に押しつぶされることになることもある。だから、今のところは、公立図書館の開架棚にある程度の文書に目を通す程度で、お茶を濁しておくにこしたことはない。

<7>につづく

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2010/02/14

John Lennon Museum

「John Lennon Museum」
ジョン・レノン・ミュージアム 2000/10 大成建設 単行本 p95
Vol.2 969  

John_lennon_museum

 床屋で順番待ちしながら、スポーツ新聞を読んでいたら、「ジョン・レノン・ミュージアム」が今年の9月で閉館するニュースが載っていた。いつかは行こうと思っていたので、忙しくなる前に、さっそく家族みんなで見てきた。

 よかった。それ以上、なんて言えばいいのかな。とにかく、家族みんなで、「ジョン・レノン・ミュージアム」に行けたことは、新年早々、「2010年わが家の10大ニュース」の一つがランクインしたことになる。ひょっとすると、自分の人生の中の10大ニュースの中にさえ、ランクインするかもしれないほど、私は感動した。いろいろ変わり目なんだな。

 なにがよかったのだろう、と帰ってきて、あらためて考えた。ジョンが40歳まで、ちゃんと生きたこと。小野ヨーコについては評価はいろいろあれど、彼女がいたから、ジョンは更に輝いたんだな、って思う。

 あのライフストーリーの中には、削除されて隠されていることも多いが、このミュージアムで初めて知ったことも多い。ボリュームあるミュージアムがなくなってしまうのは、やっぱりもったいない。行くか行かないか迷っている人なら、ぜひ、時間をとって行ってもらいたい。行く価値はある。

 往年からのファンはもちろんのこと、若い人にもぜひ見てもらいたい。ジョンからのメッセージはストレートで分かりやすい。ジョンは正しい。正しいことを言っている。もう常識になっていること、でも、それがジョンが最初に言い始めた、ってことが知られていないことも多い。

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2010/02/13

その男ゾルバ<4>

Photo_4<3>よりつづく

「その男ゾルバ」 <4>
ニコス・カザンザキス (著), 秋山 健 (翻訳) 1967/08 恒文社  単行本: 387p
  

 「ゾルバ」を読みたくなった。このところ、村上春樹追っかけをして、すこし長文の小説もなんとかやり過ごせるようになった。先日「カラマーゾフの兄弟」を読んだことも影響しているかもしれない。

 横尾和博「村上春樹とドストエーフスキイ」で、村上春樹の小説の中で登場人物が読んでいたのがカザンザキスの「再び十字架にかけられたキリスト」だったというくだりを読んでしまったからかも知れない。「映画をめぐる冒険」のなかでも、村上は「その男ゾルバ」を絶賛している。

 最初は私もゾルバについて現場に出かけた。私は鉱夫たちが働くをみまわった。私は努力いて生活の方向を変えようとしていた。実際的な仕事に関心を持とうとした。私が使用するようになった連中をよく知り、愛そうとした。

 今や言葉のかわりに、長い間求めていた生きた人間とかかわりあう喜びを実感しようとしていた。そして、もし亜炭の出荷に成功すれば、それをもとにロマンティックな計画を実行したかった。それは一種の共同社会を作る計画であった。

 そこではすべてが共有され、兄弟のように同じ食事を食べ、同じものを着るのである。私は自分の空想の中で、新しい宗教集団、新しい生活のパン種・・・・・といったものを作りだしていた。

 しかし、私はこの計画をゾルバに話したものかどうか決めかねていた。ゾルバは私が鉱夫たちの間を行ったりきたりして、質問したり、さまたげたりし、そしていつも鉱夫たちの肩をもつので、すっかりいらいらしていた。
p85

 理想的な空想癖のある主人公に対して、ゾルバは現実的で実際的だった。ゾルバの宿屋の老婦人ブブリナへのまなざしが、またすごい。そこにいるのはひとりの女性というより、世界中の女性のエッセンスが煮詰まったような存在だった。そしてサンドゥリをつま弾くときのゾルバ。その魅力に、主人公は圧倒される。

 性のあり方を描く方法もいろいろあるようだが、村上春樹の小説の中の描写はとても乾いていて、ついていけないことが多い。それに比して、カザンザキスのほうは、逆に相当に湿度が高く、車寅次郎の視線にも似ているが、さらにもっと一歩先に行ってしまっている。これはこれで、また、決して現代的とは言い難いのだが。

<5>につづく

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2010/02/12

秘教の心理学<5>

<4>よりつづく

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「秘教の心理学」<5>
OSHO /スワミ・プレム・ヴィシュダ 1994/09 瞑想社 /めるくまーる 単行本 317p

 「心を生みだす脳のシステム 『私』というミステリー」茂木健一郎 2001/12からスタートしたわがブログの「私は誰か」カテゴリだが、この書き込みを持って62番目となる。108を持って各カテゴリの定量とする当ブログの慣習からすると、あと残り46ほどの書き込みができることになる。

 そして、読書ブログとして読みこんできた本の数は、現在V0l2-969まで来ているので、こちらも慣習として1024冊を定量とするなら、残り54冊、ということになる。このナンバリングは、途中で抜けていたりダブっていたりするので、多少の誤差があるが、それは単なる目安なので、ここではその誤差はまったく気にしないことにする。

 さて、46~54という残数は、当ブログにおいては、それほど大きな数ではない。一日1~2の書き込みで行けば、約一カ月で終了するだろう。当ブログには今のところ、行くべき目的地や、到達すべき目標はない。だから、どこに向かおうと、どこの辿り着こうと、とくに問題はないのだが、ひとつひとつに区切りをつけておくことは、自分の足取りを確認しておく意味では、いささかなりとも意義がありそうに思う。

 最近は村上春樹追っかけをしていたが、その前は民主党やオバマを追っかけた。そしてその前は、Osho「私が愛した本」を追いかけ、あるいは「チベット密教」なども追いかけてみた。一見なんの脈絡もなさそうな読書遍歴であるが、まったく脈絡がない、とまでも言えない。どういう繋がりがあるのか、と問われると、それもちょっと困るが、あることはあるのである。

 そんなわけで、残り4~50の書き込みを使って、いままで読み残してきたもの、再読したいけどなかなかチャンスが巡ってこなかったものなどを、メモしていくことにする。せっかく「私は誰か」に戻ってきたのだから、ラマナ・マハリシの再読もいいかな、とも思ったが、それは、むしろ、このカテゴリのカバーとして最後まで残しておくのも悪くない。

 そこで、とりあえず、ずっと気になっていた、この三冊からはじめようかな、と思う。「秘教の心理学」「インテグラル・スピリチュアリティ」「人間に可能な進化の心理学」。これらの本、一冊、一冊、というより、こうして三冊並べて眺めているほうが、なんだか現在の私には好ましいように思える。まったく関連のない本でもないが、お互い適度な距離を保っている。非和解的な部分もあり、同根の部分もある。

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 三冊ともすでに何度か読んでいる本である。しかるに、三冊が三冊とも、なんだかよく読んだ気がしない。ちょこちょこっとめくっては断片的に理解したような気分になったところもあるが、いまだよく全体像としては靄がかかっていて、なんだかなぁ、というイメージがあることでは共通している。

 Oshoのこの本「秘教の心理学」は、なかなか一気には読めない。とくに前半がなんやらいくつかのエピソードで占められているために、なんだかそちらにひっかかってしまって、後半まで手が伸びないで終わってしまうのだ。そこで、今回は、中ほどから終りにかけて読んでみた。

 大空のもとへ至り、この直感とともにもどってきたキリスト教徒はごくわずかしかいないようですが。

 何人かいる。聖フランシス、エックハルト、ベーメ・・・・。
  p241

 聖フランシスエックハルトベーメ、この人々についても、当ブログでも多少は触れてきた。しかし、まだまだ量的にも質的にも、追っかけ切れていない。この辺もなかなか楽しそうなのだが、その前にZENシリーズを一度くぐらなければ、という思いがどこかある。この「大空」という表現に、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」の一文に通じるなにかある。

 いやいや村上春樹のほうが、あとで真似ただけだよ、という声が聞こえそうだが、どの窓から見ても空は空だ。そこにこだわったのでは、空を語る意味がない。空は時間も空間も超えている。

 今世紀の終りまでには、多くのありかたが決定されている人類の進路全体がわかるだろう。可能性のある最大の災いは核戦争ではない。それはただ破壊できるだけだ。真の災いは心理学的な科学から起こる。どうすれば人間を完全にコントロールできるかが、わかるようになるだろう。私たちは意識的ではないため、前もって決められたやりかたで行動させられる可能性がある。p268

 この本は1970年7月から翌2月までにOshoがヒンディー語で語ったものとされているが、その後、英語に二回翻訳されている。しかも日本語版はそこからの重訳で1994年に出版されている。1995年以降であれば、マインドコントロールとやらの言葉も一般的になってきたが、1970年頃にOshoがすでにこのことに触れていたことを着目しておく必要がある。

 悲しむべき可能性は、新しい人間を生み出そうとしても、私たちはまったく新しい状況に直面して退行するかもしれないということだ。退行を説く教祖たちさえいる。彼らは過去がよみがえるのを望んでいる。「過去には黄金の時代が存在した。もどるのだ!」----。だが、私にとっては、それは自殺的なことだ。私たちは未来へと向かわなければならない。それがどんなに危険で困難なことであるとしても----。p300

 当ブログ<2.0>における各カテゴリの最後のカバーを見ていた。6つのうち、3つのカテゴリが村上春樹関連で閉じられた。「中国行きのスロウ・ボート」でカーネルづくりをしていた村上が、「村上春樹『1Q84』をどう読むか」のようなクラウドソーシングを得て、「What I Talk About When I Talk About Running」のような象徴層を獲得した、と言えなくもない。

 1970年頃のOshoは、まるでカーネルづくりを完了して、新たなるクラウドソーシング・プロジェクトを立ち上げようとしているかに見える。どうだろう、当時の彼の周囲の人々にとって、Oshoはプロジェクト・マネージャーとして、魅力的に見えていただろうか。クラウドソーシングとしてのオレゴンのコミューンはどうであっただろうか。「象徴層」としての最後のZENシリーズは、どうであっただろうか。

 あるいは、クラウドソーシングとしてのOshoは2010年の現在、さらに鋭意進行中であると考えた場合、新たなる「物語層」はどの辺にあるだろうか。まぁ、その辺のことをぐちゃぐちゃと、積み木細工を一旦壊してまた積み上げるみたいな作業を、ひとり楽しんでいる。

<6>につづく

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2010/02/11

Haruki Murakami  What I Talk About When I Talk About Running

Harukimurakamirunning

 走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空は空のままだ。雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体でないものだ。僕らはそのような茫然とした容物(いれもの)の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、呑み込んでいくしかない。「走ることについて語るときに僕の語ること」p32

What I Talk About When I Talk About Running 
Haruki Murakami (Author), Philip Gabriel (Translator) Hardcover: 175 pages Publisher: Knopf; Fourth printing edition (July 29, 2008) Language: English
Vol.2 969  

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2010/02/10

村上春樹スタディーズ(2005ー2007)

村上春樹スタディーズ(2005ー2007)
「村上春樹スタディーズ」(2005ー2007)
今井清人/編集 2008/03 若草書房 全集・双書 297p
Vol.2 968★★★★☆★★★★☆ ★★★★☆

 年末年始から始まった村上春樹追っかけも「走ることについて語るときに僕の語ること」に至って、一旦終了したように思う。それはまるで、ケン・ウィルバーを追いかけていて「存在することのシンプルな感覚」に出会ったときのような、ちょっとした眩暈と脱力感がある。手元にいくつか残っているし、もうちょっと読みたいものもあるが、まぁ、この辺が潮時だろう。

 村上春樹がノーベル文学賞をもらうことにどれほどの意義があるのか量りかねるが、もしそういうことが起こるとすれば、彼の一連の文学作品とともに、このランニングに関するエッセイ集「What I Talk About When I Talk About Running」も必ず話題になるだろう。村上は作家として、そして一市民ランナーとして評価されるに違いない。この路線からヘルマン・ヘッセの「ガラス玉遊戯」のような、新しい作品が生まれることを期待する。

 こちらのスタディーズ(2005ー2007)は「読み解く」の中の「村上春樹をもっと知るための7冊」のリストの中の一冊に数えられており、本来であれば、「クラウドソーシング」カテゴリのなかで読みたかった一冊である。当ブログの読書は着々と進み、現在は「地球人として生きる」カテゴリに来ており、しかもそれもこの本で107冊を数えるところまできてしまった。

 あと、一冊を読めば、このカテゴリは終了で、あとの残りは「私は誰か」カテゴリの中で読んでいくことになる。つまり、通常は3つ以上カテゴリを用意してきた当ブログではあるが、ここで一気に、たったひとつのカテゴリに収束させる。のこり40ほどあるので、そこまで一杯詰めたら、あとは「ブッタ達の心理学3.0」か「One Earth One Humanity」という名前で、新しいカテゴリをスタートさせようと思う。

 この「村上春樹スタディーズ」シリーズは、かなり硬派なクラウドソーシングで、このあとすでに2冊ほど出ている。ただ、まだ当ブログでは簡単に手が出ない。図書館に入っていない、ということと、ちょっと硬派過ぎて、読みこむのに時間がかかるからである。いずれ、「1Q84」もbook3がでるだろうし、またハルキワールドの話題が再燃することは必至である。その時、このシリーズが役だってくれるに違いない。

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村上春樹を読むヒント

村上春樹を読むヒント
「村上春樹を読むヒント」 
土居豊 2009/12 ロングセラーズ 単行本 191p
Vol.2 967★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 こちらはもう、ぶら下がり商法というか、コバンザメ商法というか、ほとんどなんでもありの出版業界の裏事情も関係しているかも知れない。

第1章 「ハルキワールドの音楽」─村上春樹を音楽で読み解く(音楽小説としての村上作品/タイトルに使われた音楽の場合 ほか)

第2章 「ハルキワールドの食事」─村上春樹を食で読み解く(主人公が好んで飲み食いするもの/ジャンクフード礼賛から、「まっとうな食事」へ ほか)

第3章 「ハルキワールドのファッション」─村上春樹をファッションで読み解く(ハルキワールドのファッションセンス/「服装=人格」 ほか)

第4章 「ハルキワールドの住居」─村上春樹を家と土地で読み解く(ハルキワールドの書き割り的リアリティ/「バーチャルの家」と「生活感のある家」 ほか)/おわりに 『1Q84』がよくわからないという人へ(ハルキ作品のリアリティは、音楽や衣食住の描写にある/1Q84ワールドの意味~現実が小説の真似をする世界) 目次より

 最近よく郊外に、アウトレットモールができた、とかいうニュースを聞くので、それなりに足を向けてみる。だが、もうその商店街のターゲットには、私のような高年齢層は含まれていなくて、ただただ、むなしく各店舗のショーウィンドウを眺めただけで帰ってくる。

 この本は、そんな疎外感を感じてしまうような一冊だ。小説の読まれ方は自由だ。なるほど、村上春樹という小説家はこういう読まれ方もされているんだな、と納得するための一冊。これもありなんだな。

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1Q84スタディーズ(book2)

1Q84スタディーズ(book 2)
「1Q84スタディーズ」(book 2)
Murakami Haruki study books 2010/01 若草書房 全書・双書 ページ数: 275p
Vol.2 966★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 こちらも立ち読み。それどころかbook1は店頭にもなかった。入荷間もないのか、売れすぎて再版中なのか不明。いずれにしてもこのシリーズは、一連のハルキワールドでは一番の硬派軍団である。ファン感謝デー・シリーズもなんだかなぁ、と思うが、正直言って、こちらの硬派軍団の一連の研究も、ちょっと硬すぎて、肩が凝る。

第1章 王権と物語(「王権」は繰り返される─『1Q84』における「性」と「血」をめぐって/B・Bはもういらない─『一九八四年』と『1Q84』/メディアをめぐる物語─切り替えのシステム1984/1Q84)

第2章 ジェンダーと暴力(言葉を排除したあとに─リトル・ピープルの呼びかけが意味するもの/見せてはいけない女たちの語らい─「表象そのものを通じた消去」をめぐって)

第3章 カルトと宗教(「カルト」と新宗教の間─『1Q84』における新宗教の表象/村上春樹とカルトの不気味な関係─『1Q84』の免疫学/小説は宗教に何を語りかけるのか─村上春樹と大江健三郎の差異) 目次より

 面白そうではあるが、いっぺんには頭に入らない。ここまでくると、そんなに肩意地張らなくてもいいんじゃない、所詮、小説なんだし、と言いたくもなるが、「自伝層」から「象徴層」への立ち上がり、ということを考えるなら、この辺は抑えておきたいところ。

 第3章では、「カルト」という概念の使用のされ方を歴史的に考察しながら、現実的な歴史過程におけるオウム真理教事件に回収されてしまわない方法で、世界に二項対立的境界線引きをしようとする欲望を乗り越えてくための道筋と方法を探究している。p16

 それはそのとおりだと思う。いずれゆっくり読める時がきますように。

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村上春樹「1Q84」の世界を深読みする本

村上春樹「1Q84」の世界を深読みする本
「村上春樹『1Q84』の世界を深読みする本」 
空気さなぎ調査委員会 2009/09 ぶんか社 単行本 174p
Vol.2 965★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 図書館に入りそうでなかなか入らない本。しかたがないので、店頭で立ち読み。パラパラとめくる。第5章「『乗り物』についての考察」p112がなかなか面白い。電車なども含めて、1984年当時の国内外の車が10台ほど紹介されている。私のようなクルマ好きなら、かならずあのシーンではこの車がでてきた、と記憶に残る。一台一台が意味あるのだ。しかし、これって、本当に「深読み」なのかな。

 第8章「カルト教団の秘密」p158は、なんだかなぁ、という気分。いまさらその世界をおさらいかよ、という気分にもなるが、現在の大学生が1995年の時には、まだ幼稚園にもついていなかったことを考えれば、これもいかしかたないのか、としぶしぶ納得。

 逆に、第3章「物語を形成する『音楽』の謎」p78などは、まったく予備知識がないので、これは要チェック。と言っても、そのうち、そのうち、とあと延ばしになって、結局はこの辺は、私の場合はどうでもいい、ということになりかねない。

 そう言った意味では、第4章「なぜこの『武器』が使用されたのか」p98あたりも、私にとってはどうでもいいところ。意味はあるだろうが、あんまりその「物語層」でウロウロしていたくない、というところが本音。第7章の「物語に『引用』される書籍・映画の世界」p136に紹介されている十数冊のことも気にはなるが、いますぐ、という気分にはなれない。

 私にとって「深読み」とは、物語層から自伝層、そして象徴層への遡及であるべきだと思うのだが、この本においては、物語層の強化、という意味での「深読み」になっているようだ。じゃぁ、それって深読みではなくて、幅読みでは、などと、いちゃもんをつけてはみるが、まぁ、それはそれ、物語の小道具たちを理解することも大切なことなのだろう。

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村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」<1>

走ることについて語るときに僕の語ること
「走ることについて語るときに僕の語ること」 <1>
村上春樹 2007/10 文藝春秋 単行本 241p
Vol.2 964   

 走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空は空のままだ。雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体でないものだ。僕らはそのような茫然とした容物(いれもの)の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、呑み込んでいくしかない。p32

 ゆうべ小森 陽一の「村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する」をめくってから、私はなんだか、とてもへんな空間へと飛ばされてしまったみたいだ。いや決してあの本を読んだわけじゃない(いつものことだ)。めくっただけだ。だが、あの本をめくった時刻頃に、なにかがなにかのボタンを押した。

 自伝層としての村上春樹を知る上で、現在の村上春樹はこの本に「すべて」語られているのではないか、とさえ思う。物語層としては、現在継続中の「1Q84」でもいいだろうし、あるいは「アフターダーク」はともかくとして、「海辺のカフカ」なり、あるいは他の小説とのつながりを読んでいくことも可能だろう。でも、2007年に出された本とは言え、そして書きおろされたのは、もうすこし数年前だったとしても、彼が今「地球人として生きる」ポイントは、この本に示されていると言っても過言ではない。

 そして、物語層、自伝層、の上にある、あるいは、トリニティの一つのポイントとして位置する象徴層を、的確に表しているすれば、上に引用した一文で、すべて足りていると言えるだろう。

 亀山郁夫が「カラマーゾフの兄弟」の続編として期待する第二の小説の象徴層のテーマ「絶対権力と自由、テロルとその否定、科学と宗教などの対立の中で、その奥底に意識される<性>」という命題は、上の村上春樹の的確な一文で解を得ている、と理解することができる。

 今年後半に、私は56歳と7カ月になる。とりたてて何かが計画されているわけではないのだが、このポイントは私にとっては大事な通過点となる。それはそう決まっているわけではなく、自分でそう決めているだけなのだが。

 21歳のときにOshoの本に出会った。でも実際にその門弟になったのは23歳の時だった。7歳の時に父親が亡くなった。と書きたいが、実は8歳になって4日目のことだった。14歳の時もいろいろあった。臨死体験、と書いておきたいが、あれはあれとして、この年頃で特筆すべきは初恋のことであろう。

 29歳、というのも特別な年廻りだった。小さい時から、自分でそう決めていた。歴史的な人物たち、たとえば、ブッタとかキリストとか道元とか、あるいは日蓮やあるいはほかのいろいろな人たちが29歳で、特別な体験をしている。昔は数え年で年齢を数えたので、本当は28歳だったのかも知れない。しかし、この30を一歩手前にして、というところが、なにかを象徴している。

 私の29歳の時には、そういった意味では、大した体験はなかった。しかし、外的な体験はなかったとしても、そしてほとんどなにもないごくごく平凡な家庭生活の中だったけれども、自分で決意したことがある。「Oshoと一生一緒に生きていこう」と。たしか村上春樹は29歳の時に、初めて小説を書いたのだった。

 小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。1978年4月1日の午後1時半前後だ。その日、神宮球場の外野席で一人でビールを飲みながら野球を観戦していた。(略)僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。晴れ渡った空と、緑色をとり戻したばかりの新しい芝生の感触と、バットの快音をまだ覚えている。そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれをたしかに受け取ったのだ。p46

 私も何か書こうと思った。毎日こうしてブログを書いているのだが、もうすこし角度を変えて、まとまったものにしなければならないのではないか。もちろん、作家たちのような作品にしようという魂胆ではない。しかし、自分史的にも、ある程度のところでまとめておかなくてはならないだろう。

 いままで1975年、21歳の時に、自分たちが作っていたミニコミ「時空間」で、「雀の森の物語」というものを書いた。ガリ版で、ごくごく少数の出版物だったので、私の手元にはあるが、ほとんど現在所有している人はいないだろう。でも、それでいいのだ。読まれることが目的ではなく、書かれることが目的だったから。

 そして、それから17年経過した1992年に「湧き出ずるロータススートラ」という文章を書いた。それは上の部分を包括したものではあるが、もっと長いものになった。当時京都からでていたミニコミ「ツクヨミ」に、前半、後半として二回にわけて掲載してもらった。これもまた、どこかに眠ってはいるだろうが、読まれるような文章ではない。一応はネット上には貼り付けておいたけど。

 そして、あれからさらに17年が経過して、昨年あたりから、なにかがもう一杯になってしまった感じがしてきている。この辺で一回、器を空にする必要があるだろう。

 どんな形にするのがいいのだろう。小説がいいのだろうか。ノンフィクション風がいいのだろうか。どこに発表するのがいいのだろうか。それとも単に個人的な手帳を保存しておくように、パソコンのハードディスクに文書ファイルとして残せばそれで足りるのだろうか。

 いろいろ考えてみたが、結局、現在、自分が書いているブログを、すこしづつ自分の「自伝層」として活用していくしかあるまいと思った。読まれなくてもいいし、読まれて「しまう」かも知れない。しかし、書かれようとしている物事があるとするならば、表出されることに力を貸してあげることも必要だろう。

 56歳と7カ月とは、とくに意味はない。出口王仁三郎は、その年齢以降からの自分が本当の自分だ、と言った。Oshoは56歳と7カ月の時、88年の8月に日本に来た(霊的に伊勢に来たという意味)。私には、そんなに大層なことはなにもないだろうが、ここ10数年、ボランティア活動や子育て(自分育てでもあるが)で結構暇がなかった。そのことをゆっくり考えることがなかった。

 今年後半に来るそのポイントのために、私は昨年からすこしタイムスケジュールのスピードを落としている。そして、もっと自分らしく、ニュートラルになるよう心がけてきた。そうなっているところもあり、まったく、そうなっていないところもある。いやいや、私がそういう試みを持っていることを知ってしまったかのように、リアリティのほうが次から次と問題を起こしてくる、という傾向もある。

 しかし、ものごとは諄々とすすんでいる。過去のことを考えれば、どうやらそのポイントは、とくに私の場合は、すこしずれてやってくるようにも思う。だから、もうすでに起きてしまったかもしれないし、実は、もう少しあとからやってくる、という可能性もないではない。しかし、予感は予感としてある。

 僕としては、できることならこの本を書くことを通して、僕自身にとってのその基準のようなものを見いだすことができればという希望があった。そのあたりがうまくいったかどうか、僕にもあまり自信はない。でも書き終えた時点で、長く肩に背負っていたものをすっと下ろすことができた、というささやかな感触のようなものがあった。たぶんこういうものを書くには、ちょうどよい人生の頃合いだったのだろう。p237

 この本は2005年8月5日 ハワイ州カウワイ島の走りから始まる。1949年1月生れの村上春樹、ちょうど56歳と7カ月の時だった。 

<2>につづく

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2010/02/09

村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する

村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する (平凡社新書)
「村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する」
小森 陽一 2006/5 平凡社 新書 280p
Vol.2 963 ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 2001年「9・11」の1周年にあたる2002年9月11日のちょうど1日前を刊行日として、村上春樹の7年ぶりの長編小説「海辺のカフカ」は出版されました。p7

 なるほど、そうであったか。そういう視点でこの小説を読んだことはなかった。最近まで、村上春樹と村瀬春樹の違いさえ知らなかった私である。その小説など、読んだこともなかった。ましてや2002年当時、ひとつの小説がそれほど話題になっていたことなんて、とんと我関せずだったのである。

 もっとも「海辺のカフカ」というタイトルや、なにやらカフカ賞をとったということは知っていた。もちろん、カフカの小説は10代の時にいくつか読んだ。グレゴール・ザムザが主人公の「変身」などは、いまだに背筋がぞくぞくっとするほど、記憶している。もちろん、9・11も知っている。知っているというより、21世紀の最初の年にあの忌まわしい事件があったことを忘れている地球人などひとりもいないだろう。私だって忘れてはいない。

 私が「ねじまき鳥クロニクル」にどうしても違和感を感じるのは、1994~5年に出た小説である、ということだった。あの時代、あの小説を自分は読んでいただろうか、と思うと、なかなかイメージができなかった。だから、どうしても違和感がある。ヤスケンの精読批判にいくばくかの共感を持つとしたら、そういう時代背景もあったからだ。

 さて、私は「海辺のカフカ」をとても面白く読んだ。読んだと言ってもごくごく最近のこと、わずか一カ月前のことである。その時代背景など考えたりしなかった。ただただストーリーを追いかけることができただけで満足していた。

 2002年9月。私は子どもが通っていた高校のPTA会長をしていた。そしてそれだけではない。私の周囲ではある事件が勃発していた。その高校の野球部が、地方大会で優勝して甲子園に行ったからである。地域の公立高校としては、40年ぶりの珍事だった。

 いまではプロ野球のトップ投手を務めている選手たちを擁する有力な強豪高校が他にもあった。にもかかわらず、わが高は、あれよあれよというまに地域優勝してしまったのだ。それからの怒涛のような日々を今ここで書くだけの余力はない。ただ、そういう日々があった。

 あの頃、私は小説を読もうなんて思っただろうか。しかも15歳の少年が家出して、四国に旅する小説を。(そういえば、甲子園で対戦したチームは、四国の高校だった)。目の前には、いつも15歳の少年たちがいた。「海辺のカフカ」の少年と、目の前にいる少年は同じ15~6歳の少年ではあった。その内面はどこかでリンクしていたことはあっただろう。

 私のなかでは、物語層としての「海辺のカフカ」と、自伝層としての「甲子園」、そして象徴層としての「1QQ5」は、まったくリンクしていなかった。そんな作業の必要性を考えることもなかった。9・11のことは大変な社会問題になっていた。あの事件に挑発されて、どこかの国の高校生がセスナ機を飛ばして撃沈した。そのことをPTAの会誌に書いたことは覚えている。

 学校の前には、谷を挟んで、国立病院があった。あの病院で、40年前、父は死んだ。5年間の療養生活の果ての病死だった。私は8歳だった。たぶん、私が小説を書ける人間なら、あの日々のことを書くだろう。子どもの時のことと、自分の16歳の時と、自分が父になって、16歳の少年たちと生きていた日々。

 物語層としての「海辺のカフカ」を、ゆっくり、あの2002年という時代の中で考えてみると、自伝層としての「甲子園」が連動して動きだす。たくさんのストーリーがあったのだ。私には、小説なんていらなかった。自前のストーリーが幾重にも絡みこんで、存在していた。

 あの葛藤の中で、私の象徴層「1QQ5」はどうなっていたのだろう。そう考えてみると、なるほど、ああ、ブチ切れているかもしれない。

 たくさんのシンボルが浮かび上がる。死。龍神。戦争。旗。旅。鏡。空。おもちゃの電車。父。小さな編み箱。40年。歓声。8月15日。豚舎。天皇。ラジオ。結核。校歌。街頭。ニュース。夜行バス。ヒット。そして、ふたたび死。太陽。

 なるほど、なにかの流動が始まった。「海辺のカフカ」。いつか再読する機会があるだろう。ひとつひとつに分かれ、そして再び繋がりなおす。

 豊かな言葉は、死者と対話しつづけてきた記憶の総体から産まれ出てくるのです。漢字文化圏における「文学」という二字熟語は、漢字で書かれた死者たちの言葉すべてについての学問のことです。21世紀こそ、「文学」の時代として開いていくべきなのだと思います。p177

 なんだか、不思議な一冊だ。

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村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス<2>

<1>よりつづく

村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス
「村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス」 <2>
鈴村 和成 2009/8 彩流社 単行本 229p

 この本、いつもと違う図書館ネットワークから借りているので、一旦返せば、ふたたび借りるまで時間がかかる。もちろん、また引用したいと思えば、書店の店頭に並んでいる旬な本なので、いくらでも読みなおすことはできる。だが、この本を読みなおすことがあるだろうか。

 まず最初の「1Q84」の関連のところだけ読みなおし始めたのだが、すぐ目についたのが、誤植(たぶん)。「1Q84」となるべきところが「1Q89」となっていた。まぁ、洒落でこのように表記することがはやっているし、あとがきでも「200Q年7月某日」という日付が採用されているので、「1Q89」も有りかな、と思ったが、どうも繋がりがわるい。やはり誤植であろう。

 もともと誤字脱字の密林である当ブログ(笑)が、よそ様の文章の誤植をどうのこうのと言える立場ではないが、それでもやはり、「1Q84」の出版に合わせて急いで作られた一冊というイメージは否めない。解読も、説明も、あるいは脚色のしかたも、ちょっと要注意本なのではないだろうか。

 透明なものによってしか透明なものを解体することができない。「1Q84」とはカルト教団の共同体を恋人たちの共同体によって脱構築する物語なのだ。p37

 これはまた断定だ。個人的にそう思うのは構わないが、一冊の本として出すには、すこし勝手すぎるように思うがなぁ。どうして「1Q84」の中にでてくる集団を「カルト教団」とはやばやと決めつけてしまうのだろう。また、天吾と青豆だって、「恋人たち」と、結論づいているわけではない。早とちりのそしりを免れない。それに「透明なもの」ってことば、どこかあやしくないですかね。

 もう開くこともないかもしれないので、さらさらとめくってみて、メモだけ残しておく。

 ハルキ・ムラカミの生成はもはやとどまることがない。僕らの脱構築的なハルキ・ムラカミの読書も同様、もはやとどまることを知らない。p82

 この人の文章はかなりハイテンションですなぁ。酒(クスリでもいいが)でも飲みながら、書いているのかしらん。

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「本など読むな、バカになる」 安原 顯

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「本など読むな、バカになる」 
安原 顯 1994/07 図書新聞 単行本 286p
Vol.2 962 ★★★☆☆ ★★★☆ ★★★☆☆

「究極の愚作『ねじまき鳥クロニクル』精読批判」 

 あるとは聞いていたが、探してみたら、あまりに簡単にでてきたヤスケンの村上春樹批判。この本全体は、このために書かれたものだろうが、分量が足らなかったらしく、後半は、他のブックガイドになっている。今回、後半は割愛した。

 たしかに、「羊をめぐる冒険」とか「ノルウェイの森」、あるいは後の「海辺のカフカ」に比較すれば、「うずまき鳥クロニクル」三部作は、どうも首をひねらざるを得ない。ヤスケンは二冊組で出版された第二部までを持って批判しているわけだが、この本を書いている段階では、全五部作になるのではないか、という噂まであったらしい。

 それにしても、全二部で完結では、謎が投げっぱなしになってしまう。アメリカに滞在していた村上が、ポストモダンなさまざまな実験をしている、とか、新しい試みにさらに挑戦している、と言われても、はて、と一読者としては首をかしげることになる。

 裸の王様ではないが、言いたいことは言っておかなくてはならない。ヤスケンみたいに「究極の愚作」とまで決めつけることはできないし、もともとパラパラめくりの、スイスイ読みでしかない当ブログの読書は、「精読批判」などはできない。しかし、第二部までは、まだ、投げ出された謎解きを自分なりに受け止めて、さぁ、その第三部、となった時、はっきり言って、私の集中力は途切れた。これは面白くない。はっきりそう思った。

 後日、いや、やはり私の読み方が悪いのだろう、と思って、この第三部だけ再読した。しかし、評価は変わらなかった。私のパラパラめくりも、必ずしも舐めたものでもない。ほぼ大体のストーリーが頭の中に残っていた。ここも読んだし、あそこも見たよ、だけどなぁ、これじゃぁなぁ・・・。これが偽ざる本音だった。

 私にはヤスケンのような立場からは批判はできないが、ヤスケンは第三部を読んだあと、どのような評価をしたのだろう。私は、もともとこれが五部作である、と言われても、あと後半二部は読めないだろう。実際には、この「ねじまき鳥クロニクル」に掲げられたテーマは、別な小説に持ち越されているのではないだろうか。「1Q84」も「ねじまき鳥クロニクル」も、時代設定は1984年である。村上春樹は、ひょっとすると、あの小説を「書きなおして」いるのではないだろうか。そう見たほうが正しそうだ。

 「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ時、私が用いたのは「表の表、表の裏、裏の表、裏の裏」という、二重のパラレルワールド読みだった。これは割と成功した。そのように読めばわかる、というポイントをつかんだ。「ねじまき鳥クロニクル」では、私は「ルーツ&ウィング」という概念でこの小説をつかもうとした。しかし、それは、成功したとは言えない。

 なぜ成功しなかったか、というと、それは私の読みが甘かったというより、テーマとしては(つまり亀山郁夫のいうところの「象徴層」としては)「ねじまき鳥クロニクル」は完結していなかったからである、と考えてみる。

 つまり、私は今後、「1Q84」を読み進めるにあたって、「ねじまき鳥~」を読んだ時に思いついた「ルーツ&ウィング」という「解法」を、こちらの「1Q84」にも積極的にあてはめてみようと思いはじめた。「ルーツ」=「物語層」、「ウィング」=「象徴層」とした場合、「&」こそ「自伝層」になる。仮に、かのドストエフスキーが「続編」で書こうとしたものが絶対権力と自由、テロルとその否定、科学と宗教などの対立の中で、その奥底に意識される『性』」というものであったとすれば、「ルーツ&ウィング」という図式は、極めてわかりやすく、真理を得ていると思える。

 安原顕=ヤスケン、その「精読批判」はなかなか痛快だが、ちょっと言葉の波動が荒いので、今回はその本文を引用しないことにした。

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『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する<4>

<3>よりつづく
『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する
『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する <4>
亀山郁夫 2007/09 光文社 新書 277p

 「第一の小説」を思い出してみよう。ここでの象徴層の最大のドラマが、第2部にあったことはいうまでもないことである。主題の軸はおそらく三つあった。イワンとアリョーシャの世界観の対立をなぞるかたちで「大審問官」とぞ島の「談話と説教」という巨大な対立軸が存在していた。まず、イワンの世界では、次のような二項対立の問題が提示されていたはずである。
1)キリストか、専制か
2)善か、悪か
3)自由か、パンか
 わたしたちの歴史は、この三つの二者択一からつねに後者を選んできたというのが、イワンの根本的な認識である。これがすなわち「象徴層」のドラマだったのである。
p190

 とするなら、第二の小説「続編」においては、キリストと、善と、自由、を選べばいいのでないか、と短絡するが、問題はそう容易ではない。

 大審問官にたいするイエスのキスはどういう意味をもっていたのか、承認のキスか、否認のキスか、読者も大いに判断に迷うはずである。(略)このドラマが、象徴層における議論の根本にあった。そして闘いは、二者択一的なものではけっしてありえなかった。そう、ドストエフスキーは、その双方を選んだ、つまりそのキスには二重の意味が含まれていたと考えることができる。
 キリストと大審問官の和解を、善と悪の和解を、そして自由とパンの和解を-----。
p191

 であるなら続編「第二の小説」の象徴層のドラマはどう展開するのか。著者は自問自答する。

 そこでわたしがいま示すことができるのは、ただ一つ、「大審問官」伝説にしめされた自由かパンか、個人か全体か、あるいは人間の愛にかかわる、もうひとつの議論のあり方である。p192

 第一の小説が、あれはあれですべて完結したのだ、と見ることも可能であるし、第二の小説「続編」があったはずだと考えることにも妥当性がある。そして、空想的かつ妄想的であると自嘲しながらも、著者は「続編」のひとつのサンプルを提示する。

 「第二の小説」では、コーリャが「第一の小説」ドミートリーのように表舞台に立つ。影の主役として「第一の小説」のイワンのようにアリョーシャがいて、この二人をつなぐ象徴k亭な存在としてリーザが配置される、そういう形が自然である。
 つまり「第二の小説における「物語層」のストーリーは、コーリャの皇帝暗殺計画と、それにかかわるアリョーシャの人間的「成熟」の物語となる。
 いっぽう、「象徴層」は絶対権力と自由、テロルとその否定、科学と宗教などの対立軸を中心に展開される。そしてその奥底には、つねに「性」の問題が意識されていることを忘れてはならない。
p259

 もし、村上春樹「1Q84」が、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしているとして、しかも失われてしまった第二の小説「続編」足りえようと努力する、と仮定したばあい、ここにおける亀山説をこのまま、とりあえずお借りしたいと思う。

 つまり、当ブログにおける「1QQ5」とは何か、という問いに対する、まず手始めのテーゼは、このようになる(だろうか)。

 絶対権力と自由、テロルとその否定、科学と宗教などの対立の中で、その奥底に意識される「性」。

<5>につづく

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村上春樹とドストエーフスキイ

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「村上春樹とドストエーフスキイ」
横尾 和博 1991/11 近代文芸社 単行本 238p
Vol.2 961 ★★★★☆ ★★★★ ★★★★☆

 横尾にはこの本の続編として「村上春樹の二元的世界」1992や、「村上春樹×90年代  再生の根拠」1994がある。向こうを先に読んじゃったあとにこちらを読むことになったのは、その60年代とか70年代とかいう時代の切り方よりも、ドストエーフスキイ(と横尾は意識的に表記する)と村上春樹をつなげているタイトルに新鮮さを覚えたからだった。

 もっとも、村上春樹は随所にドストエフスキーについてのコメントを残しているので、それらを拾って、それを基に論を展開したら、かなり面白いことになるのはまちがいない。この本は1991年にでているので、村上春樹前期、さらには「ねじまき鳥クロニクル」さえも発表になっていない前までの括りなので、その辺、ボリューム不足は否めない。

 しかしそれでも、この時点での村上春樹とかのロシアの文豪との関係をきちんと視野に入れて、一冊ものしているということは素晴らしい業績であると思える。この時点での著者のプロフィールは「1950年(昭和25年)東京生れ。ドストエーフスキイの会 会員」とだけなっているだけだ。著者にとっては、村上春樹よりもさらにロシアの文豪の方が大きいウェイトを占めている。

 私の「村上春樹とドストエーフスキイ」では、タイトルからしてアンバランスな組み合わせだと言われて、その意味では注目していただいたわけなんですけど、私はやはり現代の問題を述べてみたかったことと、ドストエーフスキイのラディカルな展開が村上春樹に受け継がれているんだと、その二点を不十分ながら書きたかったんです。p234

 この本がでてすでに20年近くの時間が経過している。はて、ここで横尾いうところの「ドストエーフスキイのラディカルな展開」は、本当に村上春樹に受け継がれているだろうか。

 さて「鼠」が読んでいた本とは、どんな本だったのだろうか。
 ドストエーフスキイ愛読者の私としてはここで、「鼠」に「地下生活者の手記」あたりを読んでもらいたかったのだがそうはいかない。
 チャプター27で、「僕」が「ジェイズ・バー」に行くと、「鼠」がそこのガードレールに腰かけて読んでいた本のタイトルは、カザンザキスの「再び十字架にかけられたキリスト」である。
p100「カザンザキス、生への肯定」

 カザンザキスの「その男ゾルバ」は映画にもなっていて、川本三郎との対談「映画をめぐる冒険」1985の中で、村上は「これは本当に素晴らしい小説」と絶賛している。

 村上春樹が、このカザンザキスという作家にシンパシーを感じていることは確かだ。
 90年6月に出版されたギリシャ・イタリア旅行記「遠い太鼓」を読めば、彼がギリシャという国自体に好感を抱いているのがよくわかる。映画「その男ゾルバ」のエピソードもたびたび登場する。
p102

 ギリシャ旅行記としては「雨天炎天 アトス--神様のリアル・ワールド」 を読んだきりだった。「遠い太鼓」はまだ読んでいない。

 この横尾の本は、「村上春樹×90年代  再生の根拠」とならんで、とても興味深い。ある種のアルゴリズム(それは60年代的言語体系とでも読んでおこうか)も、わずかながら習得している、「遅れてきた団塊世代」の私(1954生れ)には、なつかしく理解やすいものであるが、2010年の今、このまま持ってきても、一般性をかち得ることは難しいだろう。しかし、だからこそ、ところどころに疑問を挟むことになるが、むき出しのスピリットが、こちらのハートをごしごしと掻きむしる。

 「1Q84」の二人の主人公を、私と同じ1954年生れに設定した村上は、かのいわゆる「全共闘」的背景を借りながら、しかし、そこからは明確に隔絶した世界を書こうとしていると、私は見る。

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2010/02/08

『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する<3>

<2>よりつづく
『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する
『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する <3>
亀山郁夫 2007/09 光文社 新書 277p

 亀山のいうところの「物語層」、「自伝層」、「象徴層」の三層構造のメタファーを借りるとするなら、「1995」が「物語層」で、「1Q95」が「自伝層」、「1QQ5」が「象徴層」と言えなくもない。

 つまり、麻原集団事件という「物語」は「1995」で起きた。もっとも物質世界に近く、もっとも散漫な具体性に富んでいる。ところが、実際の実行者たち、たとえば豊田亨などは、自分が「1995」で動いているという実感より、むしろ「1Q95」の自らのバーチャルな世界に近いところで生きていただろう。そして、その意味や原理を考えた時、自らは「1QQ5」につながっている、と想定していただろう。

 しかしながら、現象界でみれば、どうしても起きてしまったことは「1995」でしかない。自分は「1QQ5」を信じて、そこに繋がっているという想定のもとで「1Q95」を生きた。「1Q95」が「自伝層」であってみれば、それはそのように確定してもなんら矛盾はない。

 もし、伊東乾の呼びかけにこたえて豊田亨がサイレント・ネイビーであることを止め、自らを語るとしても、「自伝層」である「1Q95」を語るしかない。もし語るとするなら、豊田の語る「1Q95」はそれなりに重みのあるものに違いない。しかし、現象界としての「1995」の圧倒的な「物語」の前では、何ごともし得ない。絶望的に豊田の「1Q95」と「1995」は断絶してしまっている。

 であるなら、豊田における「1Q95」と「1QQ5」はどうなっているだろうか。ここはむしろ、限りなく強固にリンクしているに違いない。豊田にとっては、もちろん「1QQ5」があったらからこその「1Q95」であったはずである。しかしながら、直面せざるを得なかったのは、圧倒的な「1995」であった。絶句し、サイレント・ネイビーと化す以外に、手はない。誠実に、クリアに、人間として考えた場合、それしかない。そういう立場に、豊田は追い込まれた。

 小説「1Q85」において、かの「さきがけ」と名乗る集団と、麻原集団の類似を語る向きもあるが、現在のところ、私は完全に否定しておきたい。麻原集団の麻原集団たるゆえんは3つある。ひとつには、最終解脱者として麻原個人を神格化したこと。本来、解脱というメタファーを「最終」するということは、「解脱」というメタファーを廃止する、ということであるはずである。しかるに、ここをかの集団は逆方向に爆走してしまった。

 最終解脱とは、本来、十牛図の十番であるしかない。

十 世間にて (入てん垂手)

足は裸足で、胸ははだけ
私は世間の人々と交わる

服はぼろぼろで埃まみれでも
私はつねに至福に満ちている

自分の寿命を延ばす魔術など用いない

いまや、私の目の前で
樹々は息を吹き返す

私の門の中では、千人の賢者たちも私を知らない。私の庭の美しさは目に見えないのだ。どうして祖師たちの足跡など探し求めることがあるだろう? 酒瓶をさげて市場にでかけ、杖を持って家に戻る。私が酒屋やマーケットを訪れると、目をとめる誰もが悟ってしまう。「究極の旅」 p449

 特定の誰か、という人間個人を指定することはすでにできない。まずこれが一つ目。

 二つ目には、洗脳システムを採用したこと。つまり教義の確定である。

 地下鉄サリン事件を実行したあと、豊田亨は山梨の教団施設に戻り、麻原彰晃に顚末を報告した。そこで麻原は「偉大なるグルとシヴァ大神にポアされてよかったね」というマントラを1万回唱えるよう指示した。豊田は言われた通り、このマントラを1万回唱えた。かなりの早口で唱えても1回2、3秒は掛かる。1万回、回数を間違えないように数えながらこれを唱えるのには3万秒程度の時間を要する。つまり実行犯豊田亨は、犯行の直後8時間「偉大なるグルとシヴァ大神にポアされてよかったね」という言葉を、ろくも寝食もなしに唱え続けたことになる。このような状態で「思考停止した」t切り捨てることは私にはできない。豊田亨「さよなら、サイレント・ネイビー」p97

 言葉の内容とか、回数とか、期間とは、あまり重要ではない。ただひたすら、自由な思考を奪い、人間としての尊厳を奪う。ここにも決定的な間違いがある。

 そして、三つ目は、組織の確定である。麻原集団は、決して大人数ではなかったが、「信徒番号」として、集団に関わる個人を数として縛った。あるいはまるで国家組織を模したかのような幹部組織を作った。

 いわく、科学技術省次官、治療省大臣、大蔵大臣、厚生大臣、法皇内庁長官、総務部長、諜報省大臣、自治省大臣、法務省大臣、建設省大臣、科学技術省大臣、などなど。一橋文哉「オウム帝国の正体」巻末資料参照

 どの集団性においても、おおかれ少なかれ、これらの三つの要素は微妙なバランスで利用されているわけであるが、麻原集団においては、礼拝対象、教義、組織、の三つの特性を、極限まで悪用してしまった。ここに、悲惨な物語としての麻原集団「1995」という「物語」がある。

 しかしながら、小説「1Q84」における「さきがけ」なる集団には、このような極めて特異な極限状態を私はいまだ見ることはできない。したがって、現在のところ、「1Q84」のジェネシスとして麻原集団を見ることはできない。むしろ、村上春樹書くところの「1Q84」は、たとえば豊田亨などが語るところの「自伝層」=「1Q95」などこそそのジェネシスを求めることはできるだろう。

 起源(ジェネシス)について考えることは、今日、有効なことだろうか? 村上春樹の小説、とりわけ今度の新作長編「1Q84」のように、もっぱら<終末>、あるいは<黙示録(アポカリプス)>のテーマをあつあい、起源(ジェネシス)の場所がことさら空白にされている作品について、その源泉なり、ソースなりを問うことに、なんらかの意味が見出せるだろうか?
 「1Q84」では村上はオウム真理教をモデルとして、終末論を教義とするカルト宗教の<脱構築>をこころみた。
鈴村和成「村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス」p6

 ここでの鈴村の断定には納得できない。終末論を「教義」としていることが間違いなのではなく、「教義」というシステムが間違っているのだ。

 「1984」における麻原は、まだ自分を「卵」と見ていただろう。彼が見た「壁」は限りなく大きかった。彼の周りに集まってきた個人個人もまた、自らを「卵」と見ていただろう。たとえば、1989年当時において彼らの前の坂本弁護士は、まるで「壁側のエージェンシー・ウッシッシ」にさえ見えたに違いない。

 しかし、みずからの「1Q89」を生きていた麻原集団にとって、自らはいまだに「卵」であり、システム化された「壁」の、もっとも忌むべき接点は坂本弁護士である、という短絡に陥っていた。坂本弁護士にすれば、麻原集団こそが「壁」化していて、その集団の三つシステムが生み出すマグネチズムに引き寄せられていく個人こそが「卵」である、と考えていた。

 1990年の衆議院選挙でまったく茶番劇を演じてしまった麻原集団は、自ら本体が、既に「壁」化した巨大でなおかつ堅固になりつつあった「卵」という自覚なしに、「壁」へとぶつかっていくことを決意する。いや、もう彼らは「壁」だった。一橋文哉のような陰謀論を借りるなら、どこかで「壁側のエージェンシー・ウッシッシ」と繋がってしまっていたのである。

 もし、村上が小説「1Q84」を展開するにあたって、「1995」をテーマとするだけなら、この小説は自滅するだろう。なぜなら、「アンダーグランド」「約束された場所で」で、その「1995」探求の作業は終了しているからだ。「約束された場所で」の高橋英利などは、「1Q95」から「1995」へ「帰還」したようなことを言っているが、本当は、むしろ彼の立場なら「1Q95」から「1QQ5」へと抜けていくべきではなかったか、を思う。

 村上は「1Q84」を通じて「1Q95」を描くだろう。だが、「1QQ5」へと抜けていけなければ、この壮大な小説という文芸システムに意味はない。そしてつよく「200Q」を撃たねばならない。「1984」の「物語層」から、「1Q95」の「自伝層」へ、そして、21世紀の「象徴層」=「20QQ」へと、突き抜けてほしい。

<4>につづく

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村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ

村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ
「村上春樹―『喪失』の物語から『転換』の物語へ」
黒古 一夫 2007/10  勉誠出版 単行本: 294p
Vol.2 960 ★★★★☆ ★★★★ ★★★★☆

 第一部と第二部に分かれており、第一部は1989年に出版された黒古著「村上春樹 ザ・ロスト・ワールド」に加筆訂正されたものが収録されている。それまでに発表された作品に対する評価を中心に、論調も当時のトーンを継承しているので、違和感を感じるところはむしろ少ない。違和感を感じないというのは、このような評論集の場合、よしあしで、とくに議論を持ちかけられている感じもしないし、こちらから敢えて喧嘩をふっかける気もおきない。絶版になっていた評論を再収録した、という意味では意義深いであろう。

 第二部は、この本もまた1995年を挟む村上春樹の変貌を捉えており、第一部の「喪失」に対比させて、「転換」という言葉で象徴させたのは的を射ていと言える。それは、「デタッチメント」と「コミットメント」という言葉でも表現されているが、こちらは、もともと村上春樹本人の言葉ではあるが、あまり上手に表現されているとは思えない。

 そもそもデタッチメントというのではあれば、小説そのものを書かないだろうし、読者を想定して何事かのメッセージを発するということはないだろう。いわゆる「ひきこもり」と表現される存在があるとすれば、その存在はむしろ発信もしなければ、受信もしない、と見るべきである。多少でも送受信しているのであれば、程度の問題で、あとは「デタッチメント」などと気取る問題ではないと思う。

 それに比して、今度は「コミットメント」と名付けては見ても、それでは、どれほど多くの人と付き合うのか、コミットメントすればいいのか、ということになると、これまた程度の差こそあれ、私は社会と「コミットメント」している、私は世界と「コミットメント」している、などと大げさに言うべきものではない、と私は思う。あとはレベルの針がどちらにどの程度振れているかの問題であり、大げさに、なにか別世界のこととして、大きな対比的に取り上げるほどのことはない。

 卑近な例ではあるが、たとえば、当ブログへのアクセスのほぼ90%は一見さんである。なにかのキーワードがリンクして一度はクリックしてみました、ということで、その90%は二度と戻ってはこない。残り10%のうち、リピータとしてその後たびたびアクセスしてくるのはほんの1%に過ぎない。さらに言えば、その存在がうっすらと感じられ、しかもどこかで「共」的なリンクを感じる得るのは、その中のさらに微々たる数字でしかない。

 だから、ブログとしてのイメージとして、当ブログが心がけているのは、せいぜい200名程度の人々に、声がとどき、読まれる程度の内容にしておこう、ということである。200名という数字の根拠はいろいろあるが、個人的な付き合いで、たとえば自分の年賀状の数を考えてみる。毎年枚数は違うが、大体顔が見えて、去年も付き合って、今年も付き合っていくだろう、という具体性を持った存在はせいぜい200名(家族)程度のものだと、いつも思う。一方的なDMや、切るに切れない腐れ縁の年賀状もあるし、組織的にお義理で送られてくる仕事関係も、考えてみれば見苦しい(というか、こちらも送ってしまっているが)ところがある。

 さて、その200名の中でもさらにコアな人々は数十名であって、さらになお、本当に「同士」とさえ呼べるような存在は、ほんの数人か、本当の一握りということになる。デタッチメントとコミットメント、などと大げさなことを考えたって、本当は、それほど針の振れ具合は、大きくないのだ。

 黒古一夫はそのコミットメントへの「転換」を、アメリカへ移ってからの村上作品、「ねじまき鳥クロニクル」シリーズにみる。その出だしとして書かれた部分は、切り離されて「国境の南、太陽の西」という別建ての作品になった。そして「ねじまき鳥クロニクル」のなかの「戦争」がテーマになっている部分にもコミットメントの兆候を見る。

 しかし、最大の「転換」は、やはり1995年におきたふたつの大きな事件によるとする。この辺の推理はほぼ間違いはないと思うのだが、この年のウィンドウズ95発売に触れる解説者はほとんどいない。「ねじまき鳥クロニクル」第3部に現れるメールによる受信配信として現れる、ネット社会への参加を、ほとんどの研究者たちは見逃している。その後のHP作成や、ファン感謝デーのような本づくりを推進した村上の、「小説」以外の世界における「コミットメント」について多く語っている解説はない。1995年転換説を唱えるのであれば、絶対に必要な視点であると思うのだが。

 この本の巻末には王海藍による「中国における村上春樹の重要---村上春樹は中国においてどのように読まれているか」が付録として収録されている。翻訳によって、あるいは経済拡張によってグローバル化する世界で、村上春樹が多くの読者を獲得していっている。中国という特殊な具体性のなかで、ネット社会の成長など、情報の自由化が進む中、グーグル対中国当局、という図式も見えてきた。その渦中にあって、今後、村上春樹はどのように読まれ続けるのかを考えると、この王海藍の論文もとても興味深い。

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2010/02/07

村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス<1>

村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス
「村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス」 <1>
鈴村 和成 2009/8 彩流社 単行本 229p
Vol.2 959 ★★★☆☆ ★★★☆ ★★★☆☆

 巻頭に80pほどの「1Q84」関連の書き下ろし解説があり、後半は既出の4本ほどの文章が並ぶ。「読み解く」「どう読むか」に比較して、するどく突っ込んでいるとは思わないが、ひとりの作家による、長文の評論なので、それなりに興味は引かれる。しかし、決定的ななにかがあるわけでもない。本体の「1Q84」が出版されたばかりということもあり、一般読者としての受け取り方もまちまちだったがゆえに、表現者としての鈴村も、さてどう表現したらよいのか、という戸惑いもあったはずである。むしろあの時点でよくここまで書いた、と、ほむべきであろう。

 その中にあって「ジェネシス」(起源)というキーワードで、村上春樹ワールドを括ろうとした、その意図はわからないでもないが、なにかすっきりと分かった、ということもない。まぁ、こういう試みもありまっせ、というサンプルのひとつ、という感じがする。「1Q84」に対する評論よりも、私はむしろ、「ねじまき鳥クロニクル」についてのほうが、なんだか気になった。

 いずれにしても戦争の影がさしている、とくに中国との戦争ということですね。そして、「ねじまき鳥クロニクル」の第1部、第2部が刊行されたのは94年ですが、このとき、この作品はこれで完結したと言われました。その結果、「中途半端な終わり方だ」とか、「いろんな謎を放り出してしまった作品だ」という批判が、安原顯あたりから出たりしました。その批判とは直接関係ないのでしょうが、村上はその1年後、第3部「鳥刺し男編」を発表します。p146

 なるほど、やっぱりそうであったか。ここで安原顯の名前がでてくるのが面白い。この批判をもうすこし細かく知りたいのだが、さて、どのあたりを探っていけば、わかるだろう。

●鈴村 分かりやすく言っちゃうと、この前の「エルサレム賞」の授賞挨拶のときも、村上春樹のスピーチの要点は「壁と卵」のメタファーですよね。「壁」というのは、「世界の終り」であって、完全に整えられたシステムの世界です。映像の世界といってもいいし、言葉だけで塗りこめられた世界と言ってもいい。村上春樹はそういう「壁」の世界、「世界の終り」に、呑み込まれるギリギリのところまでいくんですが、最後の一線で「卵」の側に立つというか、そういう立場は失っていないと思うんです。p173

 年季の入った読者にして著名な解説者に、このように説かれれば、そんなものかな、とも思うが、私の受け取ったニュアンスは、もうちょっと違う。どう違うのかは、今後、もうすこし他の小説なり解説なりを読んでいけば、おのずと明確になってくるだろう。あるいは、その辺を中心に読み進めていく、ということも可能だ。

 村上は天吾の起源(ジェネシス)の場所をQに置いた。すると、起源(ジェネシス)の場所から人々は漂流を始める。いや、起源(ジェネシス)の場所、それ自体が漂流を始める。ムラカミエスクな読書の快楽はここに極まる。「カラフルな浮き輪につかまった人々が困った顔つきで、疑問符だらけの広いプールをあてもなく漂っている光景が目に浮かんだ」(2-124)。こういう「疑問符<Q>だらけの広いプールをあてもなく漂っている」読者こそが、真に幸福な村上の読者なのである。p221

 は~~~ん、そんなもんですかね。そんなもんには、わしゃなりたくない。この本、なんだかわかったような顔をした、したり顔の、ひいきのひいき倒しじゃないですかな。

<2>につづく

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村上春樹はくせになる

村上春樹はくせになる
「村上春樹はくせになる」 
清水良典 朝日新書 2006/10 朝日新聞出版 新書 236p
Vol.2 958 ★★★★☆ ★★★★ ★★★★☆

 村上春樹の作品群において1995年がひとつの区切りになるだろう、とは大方予想するところで、ランダムに読み進めてきた当ブログにおいても、割と早い時期にそのことに気がついていた。しかし、この本においては1995年とは、阪神淡路大震災と麻原集団事件の二つであると総括してしまっていることには、すこし不満を持つ。それに加えて、ウィンドウズ95の発売、つまり、ネット社会の到来、という大きなファクターを付け加えてほしいと思う。

 1995年を区切りとして、前期と後期に分けるなら、清水は、前期の末期症状を「国境の南、国境の西」に現れているとする。最初「ねじまき鳥クロニカル」の出だしとして書かれたこの小説は、村上が夫人に見せたところ、短くしてすっきりしたほうがいいと言われ、切り捨てて部分であった。のちにその部分が膨れて、ひとつの作品になったのだ。

 「ノルウェイの森」が「売れすぎて」日本の雑踏を離れた村上であったが、アメリカの地においても、必ずしも、筆が順調に進んでいたわけではなかったようだ。というのも、村上は常に毎回何事かの新しい試みをし続けている作家だからだ。

 「こっち側とあっち側」という表現は、村上春樹の小説を読む上で、ほとんど必須のキーワードである。ほとんどどの作品を読んでも、「こっち側とあっち側」の二つの世界、そしてその中間にある奇妙な世界が登場する。
 それが、ここでは小説論として語られているところが面白い。
 小説は虚構の世界であり「この世のものではない」。だから「生きた小説」は、「こっち側とあっち側」をつなぐ「門」として機能しなければならない。文章を巧みに書けるかどうかという問題はたいしたことではない。書かれた作品が「門」であるかどうか、あるいは「門」をあっち側」まで通じさせることができるかできないか、それが重要な問題である。
p40

 この本においては、パラレルワールドという用語は使われていない。だから、一様にここで同じ概念で括ってしまうことはできないだろうが、自分たちがとどまっているリアルな世界を「こっち側」と呼び、小説などが展開されている世界が「あっち側」なのだ、という理解、あるいは設定には、ちょっと待った、をかけたい。

 たとえば亀山郁夫は「カラマーゾフの兄弟」の解読にあたって、読者に対し、物語層、自伝層、象徴層、の三つの構造として読むことを進めている。この読み方が村上春樹にずばり当てはまるかどうかはともかくとして、私は、村上春樹にパラレルワールドがあるとすれば、鏡をおいて、その鏡面を境とした「こっち側」と「あっち側」というような並行世界をイメージするのではなく、馬車と馬と御者、のような、みっつのレベルの違い、というようなパラレルワールドを想像するのである。

 この本において、清水はユング心理学のなかからペルソナと影という象徴を幾度か引用してくる。たしかに小説の中では、勿体づけられたような形で、表現されている部分もあるが、それは読者の裁量に任されてはいるが、決して、そう解釈しなければならないものでもなく、ましてや、全うな正当性のある解釈でもないように思う。

 結論から言えば、この本の主張する1995年区切り説には賛成するが、その区切りの理由と、突っ込み方には、一新参読者として、ちょっと納得のいかないところがある。もっと恣意的に、意図的に、作者のもともとの意志をさえ乗り越えて、もっとぶった切るくらいの強引な斬りこみがあってもいいのではないか。

 この本は、第一部が1995年の「アンダーグランド」から始まり「海辺のカフカ」にまで行き、第二部では「風の歌を聴け」からはじまって「ねじまき鳥クロニクル」第三部にたどりつく。

 もともと作者は第1・2部で謎を作っても答えを用意していなかった。あとになってからそれに答えてみるということは、隠していた解答を特権的に出したということではなく、読者と同じ立場で自分の作品に対抗し挑戦してみたということであり、自分の作品をいったん離れた場所に立って咀嚼しなおしたということである。
 いいかえると第3部で作者は、それまでの村上春樹的世界に向かって予定外のアクションを起こしたことになる。じっさい読んでみると、第1・2部と第3部のあいだには明らかに大きな変動がある。たんなる「謎」編と「答え」編ではなく、そこには作者の創作の姿勢に生じた重大な転換が含まれているのだ。
p188

 私は、この部分を読んだだけでも、この本を開いた価値があったと思う。たしかにこの三部作の小説は、2010年の今頃になっておっとり刀で読み始めた私のような読者には最初から予定通りのように思えてしまうが、実はそうではなかったのである。そして、その「謎解き」は、なにかの推理小説のような「正しい解」があるわけではなく、苦しみの中から生み出された、ひとつのサンプルに過ぎないのだ。

 だとしたら、なおのこと思う。やはり、第三部において、作者は「その」テーマを解き切れていない。あるいは、その解では、一読者としての私は全然満足していない。そして、村上春樹自身も決して満足しきれていないからこそ、90年代後半、そして21世紀の作品群があるのだろう。

 清水の解説は、可もなく不可もなく、という感じがする。重要なポイントを教えてくれていつつ、さらにもっと重要なポイントを、「わざ」と外しているかのようだ。だからこそ、私はその解説に食ってかかりたくなるし、そのためにも、もうすこし村上春樹を読みこまなければならない、と決意する。

 なるほど、村上春樹はくせになる。

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僕たちの好きな村上春樹

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「僕たちの好きな村上春樹」
別冊宝島743 2003/02 宝島社 単行本 143p
Vol.2 957★★★☆☆ ★★★☆ ★★★☆☆

 「村上春樹の『1Q84』を読み解く」の中の「村上春樹をもっと知るための7冊」のトップとして、「『村上春樹』が好き!」がリストアップされている。「好き!」はこの「好きな」の文庫本化2004/9であり、むしろこちらがオリジナル2003/03というべきであろう。リストの紹介も2003年となっているので、読者のために入手しやすい文庫本のほうのタイトルを紹介しているのだろう。

 別冊宝島シリーズはまさにその第一号で、当時私たちが作っていたミニコミが画像付きで紹介されて以来、それなりに気になって読んできたシリーズである。だから親近感も感じるが、なんせ時代は70年代から2010年と40年の年月が経過している。いつまでも別冊宝島が、うまく私たちの世代をカバーしてくれているようには思えない。

 むしろ、ひと世代、ふた世代下の人々がターゲットとされているような内容の本なので、この本にとやかく言うことはなさそうだ。2003年当時の、つまり「風の歌を聴け」から「海辺のカフカ」までのハルキワールドが、大きなA4版(週刊誌版)の大きな紙面にカラーイラストや大量の画像つきで展開されており、これはこれとしてビジュアルで、よろしいですねぇ、というしかない。

 巻末の画像つきの作品リストを見る限り、村上春樹の長編、短編の類はひととおり目を通したことになり、エッセイや解説本の要所は抑えた形になっている。翻訳ものはまったく手つかずだが、まるで村上作品に触れたことのない人から見れば、だいぶ村上を読みこんでいる、と思われるだろうし、リアルタイムで読書を続けてきた人から見れば、そんなに急いで村上春樹を読んだって、わかるわけがない、とお小言を頂戴するかもしれない。ちょっと微妙な立場に来ていることを感じる。(笑)

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新日本学術芸術振興会 専任理事 「牛河」

<3>よりつづく

村上春樹の「1Q84」を読み解く
「村上春樹の『1Q84』を読み解く」 <3>
村上春樹研究会 2009/07 データハウス 単行本 217p

「新日本学術芸術振興会 専任理事」p198

 この「読み解く」の中に「うずまき鳥クロニクル」という文字がでてくるのは77p、79p、 85p、135p、198pの5回。リストの中にでてくる前2回はその内容に言及がない。85pにおいては夏目漱石の「こころ」に見られる人間観との比較について、135pにおいては「戦前日本人の中国侵略」についての贖罪に触れられている。しかし、量的にはごく微量である。

 しかしながら、この本の後半もずいぶん最後のほうになって、198pにおいては、4ページに渡って、「ねじまき鳥クロニクル」との関連に注目が集まる。

 「ねじまき鳥クロニクル」第3部にも登場した「牛河」という名の人物が再び現れた。見た目や細部はいろいろ変更されて、肩書きも議員秘書から今回は財団専任理事となっているが「主人公が対峙する淫靡で大きな力の手先」といった物語上のポジションは踏襲されている。p198

 私はこの部分を読み返してみて、ふと、村上春樹がちょうど一年前にエルサレム賞を受賞したときの記念講演を思い出した。

 これは私が創作にかかる時にいつも胸に留めている事です。メモ書きして壁に貼るようなことはしたことがありません。どちらかといえば、それは私の心の壁にくっきりと刻み込まれているのです。

 「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」

 ええ、どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょうが、決めるのは時間か歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう? 2009年2月「エルサレム賞での村上春樹スピーチ」

 壁と卵、という比喩があるとき、当然のごとく村上本人も、村上作品の主人公たちも「卵」だとするとき、「壁」はどのように表現されているのか。ここで登場してくる「新日本学術芸術振興会 専任理事」である牛河は、もともとの出自は「卵」であるようだが、主人公=天吾に対峙するときは「壁」側のエージェントとして存在する。

 いや、卵にとっって、壁は全体として把握することなどできない。むしろ壁として感知される部分はごく一部だ。むしろ卵は「牛河」の存在によって初めて壁の存在に気づく、と言ってよい。

 申し遅れました。名刺にもありますとおり、牛河と申します。友だちはみんなウシ、ウシと呼びます。誰も牛河くんなんてきちんと呼んでくれません。ただのウシです」と牛河は言って、笑みを浮かべた。「1Q84」book2 p43

 なんだか実にいやらしい登場の仕方だが、これがなかなかの名脇役で、「壁」のいやらしさを一身に背負いこんだ、まるで「壁」そのもののような存在感を示す。

 「いやいや、自己紹介が遅れましたね。失礼、失礼、牛河っていいます。動物の牛に、さんずいの河って書くんです。覚えやすい名前でしょう。まわりの人はみんな、ウシって呼ぶんです。<おい、ウシ>ってね。そういわれると変なもので、だんだん自分が本物の牛みたいな気がしてきますね。・・・」「ねじまき鳥クロニクル」第3部p155

 まさに「主人公が対峙する淫靡で大きな力の手先」とでもいうような姿で牛河は登場し、その言動でページを稼ぐことによって、その「隠微」さを表現する。今後、当ブログでも重要な登場人物なので、ここで壁側のエージェンシー「ウッシッシ」とでもニックネームをつけておこう。(ウッシッシ)

 瞑想したり、ふすまを睨んだりしながら、今日は寒いので布団の中で考えていた。自分は卵だろうか壁だろうか。当然、自分では卵だと思っている。しかし、いつもいつも卵であっただろうか。たとえば、組織の人間として個人と接する時、つまり会社側の人間として顧客と折衝するとき、あの時、自分は壁の側にいなかっただろうか。

 子どもとして親に叱られた時、自分は卵で親は堅固なる壁に見えた。しかし、自分が親となって、子どもを叱っていた時、自分は果して卵のままだっただろうか。むしろ壁に変身していたのではないだろうか。いつもいつも卵でいることはできないようだが、またいつもいつも壁でいる必要もなさそうだ。

 9.11、あの時、世界貿易センタービルに突っ込んでいったイスラム青年たちは、自分たちは卵だと思っていたのではないだろうか。自分たちは卵で、今、壁にぶつかっていくのだ、と。しかし、ビルの中で働いていた人々もまた、自分たちを壁とは見ていなかっただろう。あの時、世界貿易センタービル全体が、見方を変えれば、やわらかな卵と化していた、と言えないこともない。

 麻原集団に加入していった一人ひとりの過程を考えると、彼らもまた豊田亨のように、卵であっただろう。そして、ずっと自分は卵であり続けた、と思っている者もおるだろう。しかし、ある時から、彼らは、何かに対する壁と化していた。麻原本人にしたところで、自分は卵だと、思い続けていた節がある。

 もともと貧乏な画学生であったヒトラーにしても、自らを卵になぞられていた時期があっただろうし、その圧政下にあって辛酸をなめたユダヤの民もまた、自らを卵に見立てることに、なんの躊躇もないだろう。

 しかし、もしユダヤの民が卵であり続けていたら、村上春樹はエルサレム賞受賞の席で、あのようなスピーチをすることはなかったであろうし、話題にさえなることもなかっただろう。パレスチナの人々から見れば、イスラエルこそ、いまや壁と化している。

 こうしてみると、私たち地球人のひとりひとりは、卵であり、柔らかいものであるが、いつ何時、壁と化してしまうかわかったものではない、と思う。「ねじまき鳥クロニクル」「1Q84」を繋ぐ重要なリンクの一つに、この牛河という存在がある。壁側エージェンシー「ウッシッシ」だ。

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2010/02/06

ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編<2>

<第3部><1>よりつづく

ねじまき鳥クロニクル(第3部)
「ねじまき鳥クロニクル」(第3部)鳥刺し男編 <2>
村上春樹 1995/08 新潮社 単行本 492p

 とにかくなんとか、この「ねじまき鳥クロニクル」を突破しないことには、パラレルワールド「1QQ5」まで辿り着かない。正直言って青息吐息である。われながら、小説を読む、という意味においては、ずいぶんと我慢強くなったものだと、感心する。一度は目を通した第3部ではあったが、発行された1995年8月当時の自分を考えると、とてもとても、穏やかな気分でこの小説を読む気にはなれなかった。

 まぁ、そうは言いながらも、なんとか、読みなおしてみて、でも、やっぱり、これって、ノーベル賞受賞作品までいくような小説ではないよな、と思う。仮に村上春樹が、ノーベル文学賞をとって、さぁ、みんなで「ねじまき鳥クロニクル」を読みましょう、てなことになった時、みんなで、やっぱり凄い小説だったね、とは、私はとてもとても言えない。

 途中からでてくる、いわゆるメールでの妻との交信記録などは、2010年の現在、なんの不思議もない話だが、たしかにこの本の書かれた1995年は、12月にウィンドウズ95が発売されたとは言え、まだまだマニアックな世界だった。私なんぞは、ハードディスクのないパソコン(!)を使っていた。パソコン通信もまだまだテキストモードで、電話回線を使っていて、パソコン通信している間は、電話が使えなかったし、情報量に対する通信料は馬鹿高かった。

 95年の春から夏にかけては、Oshoに対するマスメディアの誤報道が相次ぎ、そのチェックや各報道機関への連絡に翻弄されていた。あの当時、私たちの仲間ではまだパソコンネットワークは一般的ではなく、ファックス同報通信が主流を占めていた。だから情報量は限られていたが、逆にいえば、このようなマスメディア対策の意味でも、今後はネットワーク通信は絶対に必要だな、と思わされていた時代であった。

 あの当時のことを振り返りながら、この村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」第3部を読むと、なるほど、時代は限りなく古い感じはするが、さすがにアメリカに滞在していただけあって、村上がこの小説で書いている通信状況は、決して当時としては時代遅れではない。むしろ、積極的に当時の通信状況を書きとっている、という評価さえ与えてもいい。この小説を読み返し、ようやく、そのような寛容な心を持てた、というべきか。

 のちに村上は、ネット上にHPを設定し、いわゆるファン感謝デー的な活動をすることになるのだが、そう言った意味では、積極的に時代を読みとろうとしてたことは間違いない。ただ、この小説は第2部まではなんとかついてきたが、どうも第3部は私ごのみではない。どうしても消化不良の感が否めない。

 ある評価では、「海外の読者から広く支持される理由は、村上作品のシンプルさにある」といわれているそうだが、本当だろうか。「普遍的なインパクトがある」というような評価もあるが、はぁ、そのような作品もないわけじゃないが、すくなくともこの「ねじまき鳥クロニクル」第3部に関しては、私は同意できない。

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「1Q84」でノーベル文学賞はとれるか

<2>よりつづく 

村上春樹の「1Q84」を読み解く
「村上春樹の『1Q84』を読み解く」 <3>
村上春樹研究会 2009/07 データハウス 単行本 217p

「『1Q84』でノーベル文学賞はとれるか」p118

 日本の作家の中で、ノーベル文学賞にいちばん近いのは・・・・? と言われれば、やはり世界的な評価を受けている村上春樹であろう。p118

 この本は、各項目について、見開き2ページにまとめられているので、必ずしも突っ込んだ内容にはなっていないが、それでも、たしかに興味津津というテーマではある。

 候補と目されるには、客観的な根拠もある。ノーベル賞の選考のため、世界各地から文学作品を集めているノーベル図書館(ストックホルム市)に、村上春樹氏の本が18冊。現役作家では大江氏の45冊に次ぐ多さだという。ちなみに小川洋子氏が10冊、よしもとばなな氏が9冊、村上龍氏7冊と続く。アカデミーの認知度は、日本の作家では春樹氏がトップなのは間違いない。p119

 ここでリストアップされている18冊とは、なになにだろうか。「1Q84」は翻訳前だったから、それまでの長編で考えると、「風の音を聴け」から「アフターダーク」まで、冊数としてはちょうど18冊となる。長編が収められているのは当然としても、短編集もなかなか重要なものもあるので、収集されるのはこれからだろうか。

 海外の読者から広く支持される理由は、村上作品のシンプルさにあるといわれる。ある文芸評論家は、
「一種のファンタジー、隠された秘密を探る冒険物語です。そして喪失感を癒すその構成に、普遍的なインパクトがあるからではないでしょうか」
 と、その魅力を分析している。
p119

 村上作品を評価するのは自由だが、さて、伊東乾の「日本にノーベル賞が来る理由」の基準に照らしてみると、これだけの理由では、「1Q84」でノーベル文学賞は無理なのではないだろうか。少なくとも、川端康成の「日本のこころのエッセンス」、大江健三郎の「人類の進むべき方向性や理想を示すオピニオンリーダー」を超えるような、積極的な理由がほしい。

 ハルキワールドが世界の文学の頂点に立つ日も近そうな予感がする・・・・。p119

 これもはて、どうなのだろう。

 湯川さんへのノーベル賞は、いまだ焼け野原が広がる日本に「明るいニュース」としてもたらされました。
 当時の新聞をみると「日本で最初の栄誉」「世界に輝く中間子論」といった活字が踊っています。
 しかし、これによって敗戦で打ちひしがれていた日本が、戦争では負けたけれど科学では世界に認められたと、「ノーベル賞」=「科学の世界最高峰」と短絡してしまい、業績の内容や受賞の意味などを理解しないまま、お祭りと奉ることに慣れてしまいました。
伊東乾「日本にノーベル賞が来る理由」p40「ノーベル賞を勘違いした日本人」

 村上春樹の文学の内容をよく理解しないまま(現在の私のように)、日本は経済で敗北したけれど、「世界の文学の頂点に立」ったなどと、勘違いしてしまうことになってはまずいのではないかしらん。まずはとにかく村上春樹をじっくりと「読み解く」ことのほうが大事なことになろう。そして、それが本当に称賛される価値があるのかどうか、自分なりに理解していかなくてはならないと思う。

<4>につづく

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オウム帝国の正体

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「オウム帝国の正体」
一橋 文哉 2002/11 新潮社 文庫: 435p
Vol.2 956★★☆☆☆ ★★☆☆ ★★☆☆☆

 大昔から「事実は小説より奇」に決まっている。
 その上昨今は、世界的にも奇怪な事件が多く、想像力で物語をでっち上げるフィクション作家は、次第に書きにくい状況になりつつある。
p428

 自称フィクション作家に比べると、優秀なノンフィクション作家の数は極めて少ない。理由はいろいろあるが、間尺に合わぬからだ。取材と資料調べに膨大な時間と経費がかかる割には本が売れず、「大赤字」なんてこともあるからだ。それに日本では、自称フィクション作家に比べ、ノンフィクション作家は軽んじられる風潮もある。p428 安原顯「解説」(平成14(2002)年9月、スーパーライター)

 この本は、当ブログが始まる前に読んでいて、しかもやや「陰謀論」に偏りすぎ、ともすればトンデモ本に加えられたりする可能性もある本である。ブログという性格上、私はあまりトンデモ方向に走らないようにしているが、実際はこの手の本は嫌いじゃない。以前にも他の本にからませた形で、この本の印象を残しておいた。

 そろそろこの本も再読しなければならないかな、と思ってこの本をめくってみてびっくりした。この本の「解説」に安原顯の名前が見える。この文章が書かれたのは2002年9月だから、wikipediaによると03年に亡くなった安原、最晩年の文章ということになろう。

 いままであまり気にしてこなかったが、この安原顯(顕とも)の名前は、「映画をめぐる冒険」(1985)の奥付にも見える。村上春樹と安原の蜜月時代というものはどのくらい続いていたのだろうか。晩年に安原は村上春樹の生原稿を売却したとされる。一般には背信行為とされる行動で、その意味を当然知っていた安原が、村上春樹に対する報復のような形で行った可能性が大きい。

 もし、その安原が、とくに名前を明記していなくても、上記のようなフィクション作家批判を書いていたとしたら、その矢面には、村上春樹の名前もぶら下がっていたのではないだろうか、と察する。95年の麻原集団事件後の、「アンダーグラウンド」「約束された場所でunderground2」、あるいは「神の子どもたちはみな踊る」などを発表している村上だが、それを安原はどう評価していたのだろう。

 この文庫本は、2000年にでた単行本の文庫本化なので、単行本のほうにはこの安原の文章は掲載されていないだろう。一橋文哉は、安原が育てたノンフィクション作家だったのだろうか。どういう経緯でここに「解説」などを寄せることになったのだろうか。そういえば、どこかに村上本人が安原について書いていたものがあったはずだ。

 自分のブログをググってみたら、ちょうど2年ほど前に、Sopan氏が書きこみしてくれて、そのコメントのなかに安原顕の名前があったことを発見した。図書館を検索してみると、これまた、たくさんの安原顕の本があることを発見。現在のところ、この人の本を追っかけるつもりはないが、なるほど、これほどの人であったか、と納得。ところで、この本の巻末に「オウム真理教主要幹部の裁判現状早見表」(2002年10月現在)がついているが、その中に豊田亨の名前は入っていない。

 当ブログの当面の着目点のひとつは、クラウドソーシングとしての「ハルキワールド」に関わる「1QQ5」が「200Q」に抜けてくる過程で、小説「1Q84」book3はどのような展開を見せるだろう、というところにある。ちょっと謎かけの多すぎるテーマではあるが、いまのところは、このような表現にとどまっている。

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2010/02/05

日本にノーベル賞が来る理由

日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書)
「日本にノーベル賞が来る理由」 
伊東 乾 (著) 2008/12 朝日新聞出版 新書: 191p
Vol.2 955★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 

 村上春樹さんがノーベル文学賞を受賞した。「風の歌を聴け」以来の長い読者としては欣快の至りである。祝辞に代えて、この機会にどうしても言っておきないことがあるので、それを書かせてもらう。それはなぜ日本の文芸評論家たちの多くがこの「世界文学」をこれまで無視ないし否定してきたのかという疑問である。内田樹「村上春樹にご用心」p9「ノーベル文学賞受賞のヴァーチャル祝辞」

 村上春樹にノーベル文学賞が贈られるのではないか、という期待の声がこの2~3年マスメディアをにぎわしている。その選考過程は秘密とされているので、実際には候補者リストにさえ載っていない可能すらあるのだが、順当に考えて、受賞の資格は十分あると、村上は見られている。はやばやと、評論家・内田樹などは、上記のように、すでに祝辞まで準備している。

 「さようなら サイレント・ネイビー」の伊東乾によってこの「日本にノーベル賞が来る理由」が書かれているところが興味深い。プロフィールには「作曲家=指揮者」となっているが、もとは同級生・豊田亨と物理学を学んだ「エリート」で、もし豊田がかの集団性に巻き込まれなければ、いまではこのような活躍をしていたのではないか、という思いがめぐる。

 日本で過去にノーベル文学賞を受賞したのは、川端康成と大江健三郎。他に佐藤栄作のノーベル平和賞というのもあったが、あとは、湯川秀樹以来、物理、化学、医学生理学などの科学技術系であり、あわせて16人(この本の出版時まで)が日本人としてノーベル賞を受賞している。科学技術系中心のこの本から、文学賞や平和賞だけを抜き書きしてしまうのは、本書の趣旨を捻じ曲げることになるが、まぁ、そのような読み方も許されるであろう。

 昭和24(1949)年、湯川にノーベル物理学賞が授与された背景には、ノーベル物理学賞の選考委員でもある「マンハッタン計画」に責任を持った多くの物理学者たちの明確な「後悔」と「謝罪」の年が込められています。p50 

1949年に湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞した頃、米ソ両大国は水爆研究や宇宙開発にしのぎを削っていました。そして湯川以降10年の間、原爆開発の「マンハッタン計画」に関わった物理学者へのノーベル賞授与は見合わせられます。p66

 ノーベル財団は川端氏を評価して「彼の日本のこころのエッセンスを表現する、偉大な感受性をもった巨匠的な話法に対して」文学賞を授与するとしています。
 「日本の文化」「日本の精神」を国際的に高いものとして称揚、承認することが、広島原爆の破壊効果測定責任者アルヴァレズへの物理学賞と同時年にセットされた訳です。
p77 

 川端(康成)氏のノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」は、国内外でさまざまな反響を巻き起こしました。しかしそれが「プラハの春」として知られるチェコの民主化運動を筆頭に世界が大きく揺れ、日本国内も全共闘がピークを迎えていた1968年に、アルヴァレズ博士のノーべる賞物理学賞と一にして授賞された事実は、当時の新聞にも殆ど報じられず、その後もなぜか日本では語られることがありません。p78

 佐藤(栄作)氏の受賞は、煎じ詰めれば1967年12月11日の衆参予算委員会で発言した「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」といういわゆる「非核三原則」に集約することができます。p79

 ノーベル平和賞は個人のみならず法人に対しても授与され、佐藤(栄作)氏への授賞は「日本を平和国家として国際社会が歓迎する」意味に取るべきものでしょう。実際、佐藤氏自身も自分個人への授賞ではなく、日本に対して与えられた賞だと思うと発言しています。p81 

 ソ連が崩壊して東西冷戦が終わった直後に大江(健三郎)氏は文学賞を受けました。その理由をスウェーデン学士院は、
「指摘想像力により、現実と神話が密接に凝縮された創造の世界をつくりだし、現代における人間の様相を衝撃的に描いた」
としています。ここに「日本」という二文字がないことに注目しましょう。
p176

 スウェーデン学士院は大江さんに「日本の作家」として以上に、冷戦崩壊後の新しい国際社会で、人類の進むべき方向性や理想を示すオピニオンリーダーの役割を期待しています。とくに「障害」を持つ人々を筆頭に、「人種差別」を超えたさらに先の人類の「非対称」を克服する旗手として、ノーベル賞受賞以後の仕事を期待しているのです。p177

 気になるところだけ、ざっと抜き書きしておいた。この文脈から考えていけば、村上春樹がノーベル文学賞を授賞されることになるのかどうかがイメージできてくる。そして作者本人がそれを意識しているとしたら、次なる「1Q84」book3以降の展開がどうなるか、多少は空想することができるようになるのではないだろうか。

 上の内田樹は書いている。

 私見によれば、村上文学が世界各地に読者を獲得しているのは、それが国境を越えて、すべての人間の心の琴線に触れる「根源的な物語」を語っているからである。他に理由はあるまい。「村上春樹にご用心」p10「ノーベル文学賞受賞のヴァーチャル祝辞」

 ひいきのひいき倒しにならないことを願うのみだが、最終目的は当然のことながら、ノーベル賞云々ではない。本当に人類が、地球人ひとりひとりが、どう生きていくのか、「地球人として生きる」とはどういうことなのか、そのことを物語として紡ぎだしてもらいたいものだ。

<追記>p175に次のような記述もある。2010/2/9記

 ノーベル賞が西欧人以外に初めて授与されたのは、第一次世界大戦直前の1913年、文学賞がインドの詩聖ラビンドラナス・タゴールに与えられたときです。これと比較するときノーベル平和賞が初めて非西欧人に授与されるのは1960年、アフリカ民族会議のアルバート・ルツーリ議長なので、45年もの時差があります。この間ノーベル物理学賞が30年のインドのチャンドラセカーラ・ラマンに、49年に湯川秀樹博士に与えられています。p175「ノーベル賞が克服を目指す『非対称性』」

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2010/02/04

さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生 <4>

<3>からつづく
さよなら、サイレント・ネイビー
「さよなら、サイレント・ネイビー」 地下鉄に乗った同級生 <4>
伊東乾 2006/11集英社 単行本 349p
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 村上春樹の最新小説「1Q84」をきっかけに「読み解く」「どう読むか」などの他、さまざまな解説や研究書の出版が続いている。まだ完結していない小説であれば、今後どのような展開になるのは定かではないが、多くの研究者や解説者が、さまざまなテーマの解読を試みている。

 いくつかの重要なテーマが隠されているが、多くの識者たちが指摘するのは、小説家としての村上春樹による、新たなる麻原集団事件についての展開である。一新参読者としての私は、かならずしもそうとは読まなかったが、せっかく多くの識者がそう指摘するのであれば、その言を借りて、なにごとか考えてみようか、と思わないわけでもない。

 そんな時、ふと、この3年ほど前に出版されたノンフィクションを思い出した。当時、始まったばかりの当ブログは、新たなるテーマを探していた。そして読書ブログと自分を規定したところで、とりかかったのは麻原集団についてのひととおりの読み込みだった。

 ひととおり読み込んだところでの、当ブログとしてのソーカツは、佐木隆三の小説・林郁夫裁判「慟哭」を持って、一旦終了としておいた。しかし、その後の時間の経過の中で、あのままで終了していいのだろうかという思いが残っていたのは確かである。まだ割り切れないもの、直視されていない大事ななにかがまだ残されている、という感覚はずっと続いていた。

 しかし、この出版不況と言われるなか、かの集団性についての出版物は次第次第に細い流れとなっていて、ものごとの本質をすくい取るような本はこの「さよなら、サイレント・ネイビー」以降は、ほとんどなかった、と言っても過言ではない。そして、この度の「1Q84」がベストセラーになることによって、いみじくも、かの集団性の本質の部分に関わる議論が、ひょっとすると再燃するかもしれない、という「期待」が湧いてきた。

 期待、と言ってしまっていいだろうか。むしろ、このまま避け続けていたほうがいいかもしれない。考えれば考えるほど億劫な話題ではある。

 無言のうちに事態を繰り返す「サイレント・ネイビー」の、一見「潔い」姿勢にも、私たちはもうひとつの別れを告げる必要があると思うのだ。黙って責任を取り、あとに過ちを繰り返させるという、「義挙」と誤解される潔い沈黙への別れを。
 だから私は伝えたいと思うのだ。

 さよなら、サイレント・ネイビー。
  p346

 この本の巻末の「主要参考文献」のなかには、村上春樹の「アンダーグラウンド」「約束された場所でunderground2」もリストアップされている。

 「俺は、村上春樹は嫌いじゃない。むしろ好きだと言ってもいい。村上春樹は<加害者=オウム関係者>のプロフィールが、ひとりひとりマスコミが取材して、ある種の魅惑的な物語として世間に語られているのに、もう一方の<被害者=一般市民>のプロフィールの扱いが、まるでとってつけたみたいだったから、この『アンダーグラウンド』の仕事をしたって言うんだ。とても価値があると思う。ただ、この豊田の部分みたいなのは、基本的な事実も間違っているし、あまりに類型化されてて、正直ひどいと思った」p144

 「最低のレッテル貼りだと思った。豊田が選考したのは素粒子理論、理学系基礎研究の最高頂点みたなものだったけど、村上春樹はなんて書いてる?<応用物理学を専攻し、優秀な成績>は、およそ判で押したような類型で、普段の村上のいいとこと正反対と思った」p145

 「ぜんぜん納得できない。ど真ん中が完全に死角になっていると思う。彼のスタンスではそうするしかなかったんだろうけど<加害者=オウム>と<被害者=一般市民>という、なんていうのかな、川の両岸みたいなものが、完璧に分かれすぎて嘘を作っていると思う。分かりやすい<二項対立>」p145

 「・・・・例えば・・・・・ほら、ここに書いてあるだろ。地下鉄サリン事件の法廷を見に行った村上春樹は<自分たちが人生のある時点で、現世を捨ててオウム真理教に精神的な理想郷を求めたという行為そのものについては、実質的に反省も後悔もしていないように見受けられる>って言うんだ。そこでしらふだったって仮定に立ってものを言っているけど、実際には薬盛られたり、いろんなマインドコントロールや洗脳のテクニックで、蟻地獄に落とされていくんだ。特に高学歴の連中は、狙い撃ちにされて落とされていった、この段階からすでに被害者なんだけど、そういうことがいっさい表に出てこない」p146

 「村上春樹は、社会の<どうしてこのような高い教育を受けたエリートたちが、わけのわからない危険な新興宗教なんかに?>という質問に<あの人たちは『エリートにもかかわらず』という文脈においてではなく、逆にエリートだからこそ、すっとあっちに行っちゃったんじゃないか>って書いてある。これは半分当たっているだけに、最悪の間違いだと思う」p147

 1975年にOshoの書籍に出会い、77年にその門弟となった私の経緯については、別途ネット上に残してある。80年代前半のオレゴンでの体験を経て、87年に再びインドでOshoカウンセラー・トレーニングを受けた私は、88年から本格的に個人カウンセリングを受けるようになった。前後して、大学の心理学講座を受けなおし、ロジャース派のカウンセリング研究所にも通い、自殺防止電話相談の相談員も務めた。産業カウンセリングの資格を取得し、公共組織のカンセリング室の担当も務めた。

 そんな当時の私がかの麻原集団のことを知ったのは、毎週訪問していたあるクライエント宅からの帰路にある書店でのことだった。88年の初めのことであったと思う。とにかくあまりにもインチキくさかったので、これは許せない、という気持ちが強かったのを記憶している。そのあと、その集団が、当時私たちが事務所にしていた場所のすぐそばに、支部を作ったのだった。住所をみると、まるで、ほとんど同じ住所、たんに住所の数字の一個が違っているだけだった。

 この紛らわしい集団に、私がもし最初から免疫性を持っていたとすれば、80年代前半におけるオレゴンにおけるOshoコミューンでの出来事があったからだったと思う。

 島田裕己は、書いている。

 一度宗教の世界、とくにカルトの世界に入ってしまった人が本当にそこから出られるのかという問題があります。そもそも、そういうところに入った人のこころの世界は一体どういうものなのか。今までの村上さんの小説では、「損なわれる」ということが決定的なキーワードになっていたと思うんです。人は何かにからめとられることによって損なわれてしまう。 

 戦争によってもそうだし、権力を握ろうとすることでも損なわれる。さらには、もっとはっきりとしないことが原因になっても、根本的に損なわれることがある。それが、これまでの作品では抽象的にファンタジックに扱われてきましたが、「1Q84」では、より具体的にそれが描かれている気がします。
 
 人間には、そう簡単にとらえきれない複雑なものがあって、その部分に一歩踏み込んでいくと、非常に混沌とした世界が待ち受けている。宗教の世界というのは、まさにその典型のような複雑さをもっていて、人間のこころがもつ混沌や錯綜を如実に表現しているところがある。
島田裕己「村上春樹『1Q84』をどう読むか」p21「これは『卵』側の小説なのか」

 伊藤乾にしてみれば「同級生」がいるかぎり、かの集団の具体性は消すことができないだろうし、私にしてみれば、その潮流に永年接し、そのコミューンを複数回訪問し、滞在している限り、「陽画」としての具体性から離れることはできない。そこで起きたことを直視することが大切だ。

 しかし、その具体性が現出する裏に、何事かの共通項をもつ「陰画」が存在するとすれば、具体性を離れつつ、ものごとの本質を直視し、あらたなる「陽画」の現出を避けることは可能なはずである。

 村上春樹は、たびたびドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を目標としているかのことを繰り返し発言している。かの小説は、村上の目標であり、そこを超えていくことこそ、彼の最大のテーマであるだろう。亀山郁夫は「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」を書いている。父親殺しから、王殺しへの物語へ。一人の青年と12人の子供たちの、次なる行動は。

 ドストエフスキーの小説としては「続編」は書かれることはなかった。しかし、もし村上春樹が、これらのテーマをいくつもリンクさせながら、次なるbook3以降を展開し続けるとしたら、単に虚構を扱ったエンターテイメント、という見方を変えていかなければならない。重く、直視しがたいテーマが横たわっている。

 もし、そのテーマを丁寧に繰り返し、掘り起こし、より広範な議論を呼び起こしていくことになるとすれば、これは一小説というより、グローバルな意識への問題提起となる可能性もでてくることになる。

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My Life in Orange: Growing Up With the Guru<8>

<7>よりつづく

My Life in Orange: Growing Up With the Guru
「My Life in Orange」 Growing Up With the Guru <8>
Tim Guest (著) 2005/02 出版社: Mariner Books; Harvest ペーパーバック: 320ページ . 言語 英語

 「1Q84」を読んでいて、どこかの実在した集団性との関連で読もうとする評論家たちが多くいることに気付いた。空間も時間も、必ずしも限定されていない、虚構の世界であれば、それは読み手の自由にまかされており、虚構と実在をリンクして読み進めることは、あくまで個人的なものにとどまる限り、まったくお好み次第、ということであろう。

 しかし、1984年にひとつの集団性に属していた「ふかえり」という10歳の少女の姿を考える時、私は自然にTim Guest のことを思い出した。彼は男性であったけれども、1975年の7月生れであってみれば、1984年には9歳だった。サニヤシンだった母親に連れられて、オレゴンのOshoコミューンに暮らしていたことがある。

 バーチャル・リアリティの「セカンドライフ」追っかけをしていた時、「セカンドライフを読む。」という本に出会った。あれから2年半が経過した。一時はセカンドライフ・バブルか、などと騒がれたが、いまやブームとしては沈潜化してしまったイメージがある。ネット社会の次なるステージ、バーチャル・リアリティーの時代は来るのか、と、私なりに期待したところがあった。

 その期待も、昨年末にパソコンにコーヒーをたっぷりご馳走してしまったために、セカンドライフ用のソフトの入った専用機がお釈迦さまになってしまった。もともと青息吐息だった私のセカンドライフ追っかけも、ハッキリ言って、命運を絶たれた形となっていた。

 1981年、母親に連れられて、インド人導師バグワン・シュリー・ラジニーシの教えに従った生活を営んでいたサフォーク州のコミュニティに移り住む。ティム・ゲストはヨゲシと改名し、その後の子ども時代を、アメリカのオレゴン、インドのプネ、ドイツのケルンにあったコミュニティで過ごした。

 やがて1985年にバグワンが逮捕されると、ノース・ロンドンで新たなる生活を始める。その数奇とも言える幼年時代と教団の生活を綴ったルポルタージュ文学「My Life in Orange」(本邦未訳)が、本国イギリスで高い評価を得た。仮想世界を中心とするメディア評論家、紹介者としても知られている。現在もノース・ロンドンに住む。「セカンドライフを読む。」p400著者紹介

 Oshoについての、かならずしも好印象ばかりが綴られているわけでもなく、もともとコミューンの外で生れた子どもが、コミューンで住むことになったわけだし、まして本人の意志でそのコミューンに参加したわけではないので、ティム・ゲストが、良くも悪くも、コミューンの経過について理解できないことはたくさんあったはずである。

 私は、「1Q84」を読み進めながら、どうしても、マックス・ブレッカーの「OSHO:アメリカへの道」とともに、このティム・ゲストのことが気になっていた。私は、他の集団性と混同されたり、何かの範疇といたずらにリンクされることを恐れて、あまり多くのことを語ることはよそうと思っていた。どんな展開になることやら、と、すこし首をすくめて、おとなしくしていた、とも言える。

 しかしながら、現在までのところ、私が感知する範囲においては、「1Q84」とOshoを冷ややかな視線でリンクしようという動きはなさそうだ。もっとも私はそんなことを期待もしていないし、万が一そういう流れがあったとするならば、またまた火消し役を買ってでようか、などとさえ決意していた。

 さいわいそのような際立った動きがないことにほっとしながら、それにしても村上春樹追っかけを一通り終了する段になって、むしろこの小説の虚構と、Oshoのリアリティをリンクしてみることに、いささかでも意義があるのではないか、と思い始めたのである。

 1984年、コミューン、10歳の子供。この三つのお題をもらって小話をするとしたら、ティム・ゲストは、ちょうどお手頃な素材であった。テーマも「地球人として生きる」というカテゴリの中で読み進めるなら、時期やよし。多少、乱暴な入り方ではあるが、「オレゴンをめぐる冒険」も悪くない、そう思った。

 そして、昨日、GoogleUSAを開いて、初めてこの若い作家が昨年の7月に、34歳で亡くなっていたことを知った。

 今後、村上春樹の「1Q84」がbook3以下、どのような展開をしていくかわからないが、私はどうしても、このティム・ゲストと一緒に、もうひとつのパラレルワールド(それはバーチャル・リアリティと言ってもいいかもしれない)を旅したい、と思うようになった。

 ティム・ゲスト。そしてスワミ・ヨゲシュ。若い死であった。冥福を祈る。 合掌

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2010/02/03

中国行きのスロウ・ボート

中国行きのスロウ・ボート
「中国行きのスロウ・ボート」 
村上 春樹 1983/05  中央公論新社 単行本: 238p:
Vol.2 954★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 これだけ村上春樹本を追いかけていても、必ずしもこの「中国行きのスロウ・ボート」のタイトルが派手にでてくる場面は多くない。むしろ、他の長編やらファン感謝デーのようなポップな本が目立ちすぎ、実際にここまで話題が及ぶということはあまりないのだ。なにかのリストで出て来る程度で、気にはなっていたが、あとはジグソウ・パズルの、残りの空間を埋めるような段階になって、ようやく気がついた一冊と言える。

 しかし、この本は、そんな穴埋めの一冊ではない。村上春樹としての短編集としては、もっとも最初に出されたものだ。1980~82年の間に書かれた短編が7つ収録されている。文庫本もでているようだが、私は初版本にこだわったため、地域の公立図書館の「閉架書庫」から出してもらって手にとることになった。

 初版は83年5月だが、公立図書館にあったものは89年10月発行の25版だった。村上春樹が一般の読者に認識されたのはどの時期であるのか異論のあるところだろうが、トップグループに飛び出たのは、1987年9月の「ノルウェイの森」が出たあたりだったのではないだろうか、と関連リストを眺めながら思う。

 最初はあまり注目されることのなかった短編集であるが、「ノルウェイの森」のヒットにより、作家の過去の作品を読みたくなった読者のひとりが、89年になって図書館にリクエストしたのではないか。それまで図書館でもノーマークな一冊だったのではないか、などと、勝手に想像してみる。確証はなにもない。ただの想像だ。

 正直なところ、ぼくはリナックスという名前で公開したいなどとは思っていなかった。それじゃぁ、あんまり自己中心的すぎる。ぼくが考えていた名前は、フリークス(freax)だった(わかるかな? フリークに、欠かすことのできないxをつけたわけ)。実際、初期のメーク・ファイル(ソースをコンパイルする方法を説明したファイル)には、半年ほどフリークスという言葉が残っていた。でも、それはどうでもいい。あのころはまだ公開前で、名前なんか必要なかったのだ。リーナス・トーバルズ「それがぼくには楽しかったから」p138

 「中国行きのスロウ・ボート」25版がでた頃、フィンランドのオタク学生だったリーナス・トーバルズは、91年に公開されるOS「リナックス」にむけて、盛んにカーネルをつくっていた。のちにフリーソフトウェアの代表となり、オープンソースな流れを作った源流と言える。さらには現在のクラウドソーシングと言われるものの原型を決定づけた最初の動きが始まっていたのだ。

 もし、クラウドソーシングとしての「ハルキワールド」という見立てに、多少の妥当性があるとすれば、まさに村上春樹は、この「中国行きのスロウボート」あたりで、盛んにコツコツと、一人で、カーネル作りに励んでいたのである。

 小説読みではない私には、この短編集を、内田樹の本のようにレインボーカラーで評価することはできない。せいぜい★3つか4つだ。内田は、ちょっとヒネていて、どこか吉本芸人のインテリ版のような痛快な笑いがある。このユーモアとウィット(といえるかどうか)には、私は、両手を叩いて大笑いする。おひねりをポンと投げたくなる。

 しかし、村上春樹のカーネルづくりには派手さはない。静かに静かに、確実に何かが始まっている音がする。

 詩人は21で死ぬし、革命家とロックンローラーは24で死ぬ。それさえ過ぎちまえば、当分はなんとかうまくやっていけるだろう、というのが我々の大方の予測だった。
 伝説の不吉なカーブも通り過ぎたし、照明の暗いじめじめしたトンネルもくぐり抜けた。あとはまっすぐな6車線道路を(さして気は進まぬにしても)目的地に向けてひた走ればいいわけだ。
 我々は髪を切り、毎朝髭を剃った。我々はもう詩人でもロックンローラーでもないのだ。酔っ払て電話ボックスの中で寝たり、地下鉄の車内でさくらんぼを一袋食べたり、朝の4時にドアーズのLPを大音量で聞いたりすることもやめた。つきあいで生命保険にも入ったし、ホテルのバーで酒を飲むようにものなったし、歯医者の領収証をとっておいて医療控除の受けるようにもなった。
 なにしろ、もう28だものな・・・・。
p81「ニューヨーク炭鉱の悲劇」

 いみじくも、この本がでた1983年、私も28歳だった。結婚し、子供が生まれた。村上春樹本人はもっと年上だったから、このように28歳を描写したけど、28歳の私なら、こんな描写はうっとうしくてたまらない。そんな、見透かしたようなことは言わないでくれ。いいから、ほおっておいてくれないか。当時の私がこの短編を読んだら、きっとそう言ったに違いない。だから、私は村上春樹を読まなかった。

 この本で「クラウドソーシング」カテゴリは108に達した。★は3つしか出さないが、まさにこのカテゴリの108番目においておくにふさわしい一冊と思える。ひとつのカーネルの完成がここにある。そして、新たなるクラウドソーシングをもとめる、新たなる旅へとつづく。

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2010/02/02

村上春樹にご用心 <4>

<3>よりつづく


「村上春樹にご用心」 <4>
内田樹 2007/09 アルテスパブリッシング 単行本 253p
  

 当ブログの<1.0>はこの本で完了した。あのときは、図書館から借りてきた本を山積みにしておいて、最後の最後、タロットカードを引くように、えいやぁ、と目を伏せて抜き取ったのだった。その本がこの本である。村上春樹は、いずれ読んでみようとは思っていたが、あのときは、あんまり気が進まなかった。

 あれから10か月。このわずか1カ月の間であったとはいうものの、まさかこんなに集中して村上春樹を追っかけることになるとは思っていなかった。終わってみれば(実はまだ終わっていない)、なるほど、面白い、と思う。もっと早く気がつけばよかった、と思うかと思ったが、実はそうでもない。まぁ、当ブログにとっては、これがグッドタイミングだったのだろう。

 カテゴリ「クラウドソーシング」はもともと「クラウド・コンピューティング」が最初のネーミングだった。コンピュータやIT、ネット関連の新刊本を無作為に読んで放り込んでおこうと思っていたものだ。だが、途中で、当ブログにおける「科学」とは、インターネット関連のことではなくて、「意識」に対する「科学的」アプローチ、つまり、「心理学」だ、と意趣変えをした。そこで、カテゴリ名を変えることになり、「共」的ニュアンスもあった「クラウドソーシング」に名前を変更した。

 その「クラウドソーシング」もこの書き込みで107に到達した。本当は、この「村上春樹にご用心!」を108目にもってきて、このカテゴリを封印しようと思ったのだが、なかなか107番目のいい本が来なかった。リクエストしている面白そうな本は何冊かあるのだが、昨日は月曜日で図書館が休みだった。そこで、あえてこの本を再読した、ということである。

 「こっち」と「あっち」の「あわい」でどうふるまうのが適切なのか、ということを正しく主題化する人は本当に少ない。
 村上春樹は(エマニュエル・レヴィナスとともに)その数少ない一人である。
p25

 村上春樹ワールドは「『父』のいない世界で、『子ども』たちはどうやって生きるのか?」という問いをめぐる物語・・・・・(後略) p42

 私たちにわかったのは、村上春樹がたとえば「全共闘への決別や「80年代のシティライフへの空虚さ」のようなローカルなモチーフを専門とするローカルな作家ではなかったということである。間違いなく、村上春樹はデビュー当時の批評家たちの想像の射程を超えた「世界文学」をその処女作のときからめざしていた。p181

 どうして村上春樹はこれほど世界的な支持を獲得しえたのか?
 それは彼の小説に「激しく欠けていた」ものが単に80~90年代の日本というローカルな場に固有の欠如だったのではなく、はるか広汎な私たちの生きている世界全体に欠けていたものだったからである。
p183

 この本の前半は、著者自身が翻訳を手掛けているせいもあり、村上の長編や短編、エッセイというよりは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」などの翻訳ものに脚光を浴びせている。ようやくハルキワールドから次第に離陸して行こうと思っていた当ブログではあるが、う~む、まだ「翻訳物」という、もうひとつの「山」があったか、と、溜め息がでた。

 しかし考えてみれば、面白そうな領域が増えたわけだから、今後、また別な展開の中で、それらの村上が翻訳した作品群を味わうのもいいだろうと思った。内田樹独特の語り口による論評は、かなり面白い。そして、読み方も実にユニークだ。なるほど、と思う部分があちこちにある。

 さて、この本が「クラウドソーシング」の108番目になるか、あるいは、もっと108番目にふさわしい本がくるかは今のところ不明だが、今後、村上春樹本は、「地球人として生きる」の中で読んでいくことにする。次に読む本が、この内田本を超えていなければ、この本を108番目にして、そちらを107番目に滑り込ませることにする。 

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村上春樹と物語の条件

村上春樹と物語の条件
「村上春樹と物語の条件」 『ノルウェイの森』から『ねじまき鳥クロニクル』へ
鈴木智之 2009/08 青弓社 単行本 348p
Vol.2 953★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 この本は今回の村上春樹追っかけのリストの中でも、もっとも最新刊に属する一冊である。もちろん「1Q84」が出版されたあとに出されているし、「あとがき」などにもその作品名が登場することから、著者は当然それを読んだうえでこの本を書いているのは間違いない。にもかかわらず、数ある村上作品のなかから「ノルウェイの森」「ねじまき鳥~」に絞り込んで、その論旨を展開しているのは何故だろう。

 「ノルウェイの森」はそれなりに読みこんだし、マイベスト3の中にも入る一冊だと評価している。「ねじまき鳥~」も一応は読んだが、第3巻において、時代背景やその設定に違和感を感じたまま、要再読として放置してままだ。

 こちらの鈴木本を読み始めるにあたって、後半のテーマが「ねじまき鳥~」であってみれば、もう一度、第3巻を再読したあとに読もうかなとも思ったが、かなわなかった。再読するまでのインターバルがうまく取れないまま、この鈴木本を読んだことになる。結果としては、それでよかったのではないか、と思う。というのは、この鈴木本も、要再読であるからである。今後、なんどか交互に読まれ、リンクされ、解題されていく必要がある。

 2009年になってから、1987年、あるいは1995年に出版された小説を読みなおすことなど、どうも時期外れなことではないか、と思った。とくにこの1カ月ほど、ようやく村上春樹を読もうと思い立って、集中して追っかけている当ブログのような存在は、ちょっとアナクロな、ときには滑稽な旅をしているのではないか、と思ってしまうのである。

 ところが、この鈴木本のように、敢然として、毅然として、これらの作品に取り組んでいる姿勢には、こちらもまた背筋が伸びるような、心地よい影響を受けることになる。いいや、必ずしもアナクロでもないし、無益でもない。人間としての営為として、あり得る姿だ。これでいいのだ、と思わされる。

 小さなことだが、この本で盛んに引用されている村上本人の小説の文章は、初版本よりは文庫本からの引用が多い。これは、他の解説本もそうなのかもしれないが、要は、議論を前提として引用する場合、読者もまた同じテキストを使用する可能性があり、その便宜をはかる意味でも、文庫本のページまで書かれているのだろうと推測した。

 さて、一読者としての私は、文庫本で読むことと、初版の単行本で読むことでは、かなり感覚的な違いがある。文庫本は、輝きはあるものの、どこか荒々しいものが抜かれ、なにか苦味のようなものが失われているように感じる。

 小説(文学作品)は、そもそも文章における芸術なのだから、その文字さえ同じであれば、その意は達成されていると思うのだが、どうも違う。決定的に違うものを感じる。たとえば、村上春樹をネット上の文字としてパソコンのディスプレイ上で見ることを考えてみる。それはそれとして、いつかは、その在り方がベストにならないとは言えないが、すくなくとも、初版本や文庫本とも違う、まったく別な読み方となるのではないか。

 逆に言うと、当ブログのように、最初からディスプレイ上の文字である、という規定の中で書かれていく文章とは、いったい何であろうか、と自らに問うてみる。文字として残されるものとは一体なになのか、というところで、たとえば小説を書く、ということとブログを残すということはどう違うのか、を考えた。

 当ブログにおける村上春樹は「クラウドソーシング」カテゴリの中で語られてきたが、まもなく「地球人として生きる」カテゴリへと移行される。その視座の変化の中で、新たに何がどう問われて行けばいいのだろうか。

 ここでまず確認されるべきことは、二つの作品がいずれも、「生存」の物語を語っているということ、より正確にいえば、「生存の様式」の獲得を掛け金として物語を起動させているということである。私たちが一個の存在として「生き延びる」ための条件が脆弱なものとして認識され、これを乗り越えようとする物語が提示されている。p339

 生きる、ということは、生き延びる、ということである、ということをまず再認識しておく必要がある。

 アガンペンは、この「人間であること」のあとを「生き残されている」人間の範列を、アウシュビッツで「回教徒」と呼ばれた人々に見ている。「人間」と「非-人間」とを区分する境界が失効してしまった状態を生きている者。したがってまた、本当の意味ではもはや「生きている者」とは呼べない人間。生きている人間と完全な死体の中間状態を、うろうろと歩き回っているだけのの存在。「回教徒」とは、「そのせいが本当の生ではなくなった者」、あるいは「その死を死とは呼ぶことができなくなった者」を示す隠語である。この不分明な領域のなかで、人間を「生かしながら死ぬがままにしておく」ところに、権力---生政治---の本質が露出しているのだ。p220

 人間という言葉に対する地球人とはなにか。それは何を意味することになるのか。「地球人として生きる」とは、生き延びることであり、この21世紀の世界において、生きる屍ではないことを意味する。「地球人として生きる」場合、読まれることを意識しつつ書かれる小説をは何か、読まれることさえないかもしれないブログを書き続けるとは、一体どういうことか。

 その作品世界に踏み込んでみたとき、村上春樹もまた、「本当の生活」を拠り所としてそこから視線を上げていった作家だといえるのだろうか、これにはいささか留保が必要になるだろう。村上春樹はむしろ、「地べたにある」生活の手触りを失ってしまったところから書き始めた作家ではなかったか、と思われるからだ。p141

 「1Q84」によって触発された村上追っかけではあったが、その直後の解説本よりは、まったく「1Q84」抜きに展開される村上論もまた素晴らしい。決して時期遅れでもなく、むしろ、再考、再々考を重ねていくことができるのだという、よい見本であるように思う。作品自体がそれだけの深みがあるとともに、作品は読み手のセンスによって、いかようにも磨かれていくのだ、というケースを見た気がした。再読を要す。

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2010/02/01

アメリカ  村上春樹と江藤淳の帰還

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「アメリカ 」 村上春樹と江藤淳の帰還
坪内 祐三 2007/12 扶桑社 ハードカバー  225p
Vol.2 952★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 著者は1958年生れ、文芸評論家。07年に出版された本ではあるが、収録されているのは03~06年当時に雑誌等に書かれた8つ程の文章。「アメリカ」というタイトルが重く、江藤淳の名前もあるので、どこか社会学的で理が勝った一冊であろう、という思いが、最後の最後まで、この本に手が伸びなかった理由である。

 しかるに、一旦読み始めてみれば、60年代、あるいは戦前戦後からの歴史背景のなかで、村上春樹がどのような小説を書いてきたかを、自らの視座から書きとめているのであり、後半になって登場する江藤淳の評論活動と、きわどくリンクし損ねた村上春樹をリンクしなおして、戦後日本にのしかかる幻影としての「アメリカ」を問う、という形になっている。

 もちろん、そこでは、日本の論壇が中心に論じられているのであり、問われているのは、国家としての日本であり、文化としての日本人である。数日前、91歳で亡くなったサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を、村上春樹が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」として翻訳しなおしたことを捉えて、日本から見るアメリカと、アメリカで見るアメリカ、そしてアメリカで見る日本から、日本で見る日本へと、視点を変えながら、時代を問う。

 彼(村上)のアメリカ憧憬は、もはや逃避家の幻想ではなく、陳腐な現実となった。アメリカのショッピングモールで買物をし、ペーパーバックやロックンロールでしか知らなかった町にも行ってみた。思い描いていたものは、その魅力を失ってしまったことに気付いた。「ジム・モリソンはアメリカで聞くのと日本で聞くのでは大違いだ」と彼は言う。西洋は隠喩の神秘性を失ってうんざりするものになってしまった。p54

 1995年を契機に村上は日本に「帰還」するのだが、一方の江藤淳は62年にロックフェラー財団の招きでアメリカに留学し、63年に一時「帰還」した。

 江藤淳はアメリカに暮らし、そこで、日本を(幻の日本を)を発見した。
 それは皮肉なパラドックスを含んでいる。
 幻の日本、と書いたように、江藤淳は、アメリカで、一種の脱日本人化したからこそ、日本を発見したのである。
p162

 江藤淳は70年代の日本の文藝の選考委員となり、村上龍を批判し、田中康夫を強く支持p174した。

 話はいきなり変わるが、この一週間ほど、中国当局とGoogleの「検閲」をめぐる激突が表面化した。Googleは急拡大する中国市場にこのまま参入し続けたいが、「検閲」されつづけることに「理念」の破たんを感じている。一方の中国当局は、国家体制の上からも言論統制は絶対必要であるとしつつ、対外的に「自由」がない中国を、あまり明確にしたくない。

 当ブログの村上春樹追っかけは、まもなく終了する。最初「表現からアートへ」カテゴリで始まった一連の読書は、途中から「クラウドソーシング」へと雪崩込んできた。しかし、もともとこのカテゴリも「クラウド・コンピューティング」から途中で名前を変更したものだ。そして、ここでいったん追っかけを減速させるにしても、テーマそのものは少しづつ変質させながら、続けていきたい。

 残っているのは「私は誰か」と「地球人として生きる」の二つのカテゴリだ。どちらもあと2~30の空きしかないが、ここからは「地球人として生きる」カテゴリの中で、村上春樹を読んでいきたいと思う。日本の芥川賞や直木賞をこそ逃したもの、カフカ賞やエルサレム賞を受賞するなど海外での評価も高くなり、つぎなる賞も期待されている村上春樹である。

 しかし、賞取りプロジェクトはとりあえずとして、ここまで追っかけてきているクラウドソーシングとしての「ハルキワールド」は、本当にグローバルなポピュラリティをかち得ているのだろうか、という問題が残っている。日本の戦後文化論や、60年代以降の対抗文化としての文学論で語られるのであれば、どこまでも「地球人として生きる」というカテゴリにははまり切れないだろうと予想される。

 しかし、ここは「地球人として生きる」という視座から、もういちど「ハルキワールド」を問い直してみる必要はあるだろう。とりもなおさず「地球人」という概念の捉えなおしとともに、「生きる」という意味も考えなくてはならない。

 そもそも小説を書く、という行為は「生きる」ことになっているのか。あるいは一作家の「小説」を好き勝手に論じているだけで、それは「生きる」ことを意味しているのか。ちょっとバブリーな雰囲気を残しながら、バーチャルワールドの仮想世界のような世界が展開する一小説にうつつをぬかし、目の前にある戦争や環境問題や経済、あるいは政治に対する姿勢を明確にしないまま、「文学」にふけることは、「地球人として生きる」行為足りえているのか。

 そんな問題意識をさらに培養してくれそうなのが、この「アメリカ 村上春樹と江藤淳の帰還」である。 

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村上春樹の二元的世界

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「村上春樹の二元的世界」
横尾 和博 1992/07 鳥影社 単行本: 182p
Vol.2 951★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 探してみれば村上春樹研究やら解説やら評論は、無数にあって、それらを評論するだけで、また一冊の本ができそうな勢いだ。その中でもこの本は、多作な村上作品の中の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に絞って、その論を展開している、ちょっと珍しい(当ブログが読みこんできた中ではという意味で)一冊と言える。

 論旨はともかく、なんだか、とても懐かしく、どこか親しみが湧いてしまうのは、この人のもともと持っているキャラクターなのだろう。ネット上の某所によると、

>横尾和博さんは1950年生まれ。
>新宿高校全共闘から中央大学除籍。
>全建総連書記を経てドストエフスキー研究、文芸評論へ。
>元「月刊青島」編集長。
>
「村上春樹×90年代」「筒井康隆『断筆』の深層」などの著書アリ。

などという記述がある。精確度のほうは定かではない。当ブログでは「村上春樹×90年代 再生の根拠」なんて本も読んでみたし、それに先立つこと「村上春樹とドストエーフスキー」などという本もあり、こちらは現在図書館にリクエスト中。

 「カラマーゾフの兄弟」は最近ようやく新訳で読んだので、いっぱしのドストエーフスキーの会の会員のような気分になっているが、やはり長編小説はあまり得意ではない。ましてやロシア小説は特に。ただ、この横尾和博という人の本なら読んでもいいかな、と思うから、ちょっと不思議。

 自分なりのいま在る根拠が問えれば、本書の課題は達成されたことになるだろう。p13「序章」

 問題は立てられたが、それが解決しているかどうかは不明。だが、その問題の立て方自体がなんだか、いつかどこかで見たことのあるような、それこそデジャブをさそうような懐かしさを感じる。これはこの本が出版された当時かなり新しかったのだろうか。それとも、この人のもっているキャラなんだろうか。

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