気流の鳴る音<2>
「気流の鳴る音」 <2>
真木悠介 2003/03 筑摩書房 文庫 233p 初版1977
Vol.2 977★★★★☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆
名著の誉れ高い本書だが、このところ、眉つば本を何冊かめくっている当ブログとしては、本当にそうであろうか、と勘繰ってみる。見田宗介(=真木悠介)はカルロス・カスタネダの「ドン・ファン」シリーズを、自らの思想的根幹に据えているようだ。彼のその社会学的研究の中に、現在でもドン・ファンは生き続けているのだろうか。
現在の当ブログがこの本にまず着目すべきは、見田(真木)本人が「マスター」足りえるか、というテーマとともに、ドンファンはマスターなのだろうか、ということに尽きる。文化人類学的ネイティブ・ピーポーとしてのドン・ファンは、ここではまず置いておくとする。
アメリカ人カルロス・カスタネダが創作した仮空の人物である「ドン・ファン」のようなフィクションではない。この男は人類に対する大いなる害をなした。人は霊的虚構(スピリチュアル・フィクション)を書くべきではない。その理由は単純で、人々が霊性(スピリチュアリティ)とは虚構にほかならないと考え始めるからだ。 Osho「私が愛した本」p173
私はこれを妥当だと考える。カスタネダ本人はともかく、ドン・ファンはほとんどその存在を確認されていない。
”カルロス・カスタネーダ”のグル、ドン・ファンは悟ったマスターでしょうか?”
もし誰かドン・ファンのような人がいたとしたら、彼は悟っているだろう。彼は仏陀か老子のような人であっただろう。だが、ドン・ファンというような人は誰もいない。カルロス・カスタネーダの本は99パーセント、フィクションだ。ビューティフルだ。芸術的だ。ちょうどサイエンス・フィクションというのがあるのと同じように、スピリチュアル・フィクションというものもある。三流のスピリチュアル・フィクションもあれば、一流品もある。もし三流が読みたければ、ロブサン・ランパを読むがいい(笑)。もし一流品を読みたければカルロス・カスタネーダを読んでごらん。彼はひとりの大名人だ。フィクションのね。Osho「TAO 永遠の大河 <1>」p357
Oshoはだいぶ厳しい採点だ。
エサレンでのカルロス・カスタネダとの出会い---カスタネダに直接会った人の数はごく少ないんですけれど、(スタニスラフ・)グロフはカルロスと非常に仲がいいんですね。吉福伸逸「トランスパーソナル・セラピー入門」p130
仲がいいからって、それがどうした、と、なんだかやたらと皮肉屋になってしまう私ではあるが(爆)、この二人のつながりと言えば、ペヨーテとLSDのドラッグつながりとなってしまうだろうか。
ただし、私が99パーセントフィクションだと言うのは、そこに1パーセントの真実があるからだ。あちらこちらに隠れている。それは見つけ出さなくてはなるまい。そして、それはフィクションとして読むにさえ悪くない。Osho「TAO 永遠の大河 <1>」p357
だが、薬物の問題が残されている。
カルロスは誰かしら何かを知っている存在と邂逅し、そして、LSDその他のドラッグの力を借りて、その小さな真実を架空の世界へと投影したのだ。そうやって、彼のフィクション全体が生み出された。Osho「TAO 永遠の大河 <1>」p359
さて、今回、別な本の中に、Oshoがドラッグとコミューンについて語っていた部分があったので、引用したいと思って、2,3探していたのだが、どうもうまくでてこない。後日うまく見つけることができたら修正するとして、だいたい自分が記憶している概略を書いておく。
(ブッダは自分のコミューン(修行体系)のなかに女性を入れることによって、本来数千年の力があるはずだった法輪の持続力が半分に短くなってしまったと嘆いたという。ところでOshoはドラッグは自分のコミューンには入れないと決定した。それを入れると、自分のコミューンの持続力が極端に短くなってしまう。ブッダが女性に厳しかったがゆえにブッダは時代遅れと非難されることがあったとすれば、Oshoはドラッグに反対することによって、未来においては時代遅れと批判されることもあるかもしれない。だけどやっぱりドラッグは拒否する)
正確な描写でもなければ、正確な引用でもないが、とにかくこのような内容のことを言っていた、と思う。私はその言に妥当性があるものと感じる。ゆえに、ドン・ファンをその思想的な根底に据えて永年愛している見田(真木)という人の、真摯な人生態度には学ぶところが多いし、アカデミズムの中で積極的にOshoを紹介してきたことには感謝するが、ドン・ファンなどと同列に語っている姿には、いつも違和感を感じていた。そのことをメモしておく。
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