楽園瞑想 神話的時間を生き直す<1>
「楽園瞑想」 神話的時間を生き直す <1>
宮迫千鶴 /吉福伸逸 2001/09 雲母書房 単行本 317p
Vol.2 973★★★☆☆ ★★★★★ ★☆☆☆☆
1999年9月、エッセイストの宮迫千鶴が、当時ハワイ在住だった翻訳家・吉副伸逸を訪問して3日間にわたって行われた対談が収録されている。そして、そこからさらに出版されるまで2年が経過している。前半は、一般の出版物にこれほど自己開示する必要があるのかと思うほど、「個人情報」がばらまき続けられ、個人ネタに興味のない人なら、早々とうんざりするだろう。
逆に、これだけ自ら個人ネタをばらまく人は要注意である。そこには自らこしらえたドラマツルギーがあり、ひとつの「演劇」仕立てのストーリーの中から排除された出来事や筋書きがたくさんある場合があるからだ。ごまかされてはいけない。とくに吉福のような人には。
ケン・ウィルバーの「インテグラル・スピリチュアリティ」を読み進めるにあたって、トランスパーソナルを日本に紹介しようとしたり、ウィルバーをシステム的に登場させようとした、翻訳者・吉福という人物の最近の活動を知りたいと思っても、一時の活動量に比べれば、ほとんど影が薄くなってしまっていると言える。インターネット時代の到来前に消えていった、ということか。
この本の評価は難しい。当ブログはある時から、三つのポイントでその本を評価している。科学点、芸術点、意識点、の三つである。最近は面倒くさいの、ほとんど適当に評価しているのだが、この本の評価にあたって、X、△、◎、の三つのどれをつけてよいのやら、あちこち迷った。結局は、科学点△、芸術点◎、意識点X、という評価になった。
宮迫さんは、今、検索してみて初めて知ったのだが、2008年6月に病死されているようだ。冥福をお祈りいたします。合掌
吉福という人の活動も、ちょっとググっただけでは最近の動向はよくわからない。2005年にでた「トランスパーソナルとは何か」は1987年にでた初版本の増補版であり、内容的には変わりはない。私はこの本の中から削除してもらいたい部分がある。吉副という人と読者としての私の決定的な考えの違いが現れている部分がある。そのことについては、また、別な機会にあらためて書こう。
この本からさらに派生する新たなる読書ターゲットとしては、ウィルバー「グレース&グリッド」と、河合隼雄と吉福の共編「宇宙意識への接近」がある。前者については既に読了している。後者については、出版当時から蔵書として持っているが、後日、再読しようと思う。いずれにせよ、この二つの書物が、この二人の対談を成立させている。
「グレース・・・」は、宮迫のいうように、一連のウィルバー物では、むしろこっちから先に表現してほしかったという内容で、この対談当時、日本語訳はまだ出版されていないが、内容については二人とも知って話している。吉福は、その翻訳出版にたずさわっていない。後半になるとこの本をめぐる「個人ネタ」がいろいろ出てくるが、関心のある向きには大いに受ける。当ブログが、この本を芸術点をレインボーカラーで染め上げた理由でもある。
この本に前後すること、吉福には「流体感覚」1999/04がある。こちらでは松岡正剛、三田宗介、中沢新一、との対談が収録されている。こちらも後日読む予定。いずれも10年も前の本で、時事性には乏しいが、当ブログとしては、確認しておかなければならないことが、いくつかあるので、読書としてはいずれも外せないだろう。
そのほか、この「楽園瞑想」という本は、突っ込みどころ満載なので、続いて補記していくことになるのだろうが、吉福といい、ウィルバーといい、どうしても批判的に読んでいくしかない。ちょっと心が重いが、むしろ彼らはその批判を「待ちうけている」ところがあり、その挑発に乗ること自体が、心地よくない、という面もある。だから、この本にこだわることはほどほどにする。
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