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2010/02/04

さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生 <4>

<3>からつづく
さよなら、サイレント・ネイビー
「さよなら、サイレント・ネイビー」 地下鉄に乗った同級生 <4>
伊東乾 2006/11集英社 単行本 349p
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 村上春樹の最新小説「1Q84」をきっかけに「読み解く」「どう読むか」などの他、さまざまな解説や研究書の出版が続いている。まだ完結していない小説であれば、今後どのような展開になるのは定かではないが、多くの研究者や解説者が、さまざまなテーマの解読を試みている。

 いくつかの重要なテーマが隠されているが、多くの識者たちが指摘するのは、小説家としての村上春樹による、新たなる麻原集団事件についての展開である。一新参読者としての私は、かならずしもそうとは読まなかったが、せっかく多くの識者がそう指摘するのであれば、その言を借りて、なにごとか考えてみようか、と思わないわけでもない。

 そんな時、ふと、この3年ほど前に出版されたノンフィクションを思い出した。当時、始まったばかりの当ブログは、新たなるテーマを探していた。そして読書ブログと自分を規定したところで、とりかかったのは麻原集団についてのひととおりの読み込みだった。

 ひととおり読み込んだところでの、当ブログとしてのソーカツは、佐木隆三の小説・林郁夫裁判「慟哭」を持って、一旦終了としておいた。しかし、その後の時間の経過の中で、あのままで終了していいのだろうかという思いが残っていたのは確かである。まだ割り切れないもの、直視されていない大事ななにかがまだ残されている、という感覚はずっと続いていた。

 しかし、この出版不況と言われるなか、かの集団性についての出版物は次第次第に細い流れとなっていて、ものごとの本質をすくい取るような本はこの「さよなら、サイレント・ネイビー」以降は、ほとんどなかった、と言っても過言ではない。そして、この度の「1Q84」がベストセラーになることによって、いみじくも、かの集団性の本質の部分に関わる議論が、ひょっとすると再燃するかもしれない、という「期待」が湧いてきた。

 期待、と言ってしまっていいだろうか。むしろ、このまま避け続けていたほうがいいかもしれない。考えれば考えるほど億劫な話題ではある。

 無言のうちに事態を繰り返す「サイレント・ネイビー」の、一見「潔い」姿勢にも、私たちはもうひとつの別れを告げる必要があると思うのだ。黙って責任を取り、あとに過ちを繰り返させるという、「義挙」と誤解される潔い沈黙への別れを。
 だから私は伝えたいと思うのだ。

 さよなら、サイレント・ネイビー。
  p346

 この本の巻末の「主要参考文献」のなかには、村上春樹の「アンダーグラウンド」「約束された場所でunderground2」もリストアップされている。

 「俺は、村上春樹は嫌いじゃない。むしろ好きだと言ってもいい。村上春樹は<加害者=オウム関係者>のプロフィールが、ひとりひとりマスコミが取材して、ある種の魅惑的な物語として世間に語られているのに、もう一方の<被害者=一般市民>のプロフィールの扱いが、まるでとってつけたみたいだったから、この『アンダーグラウンド』の仕事をしたって言うんだ。とても価値があると思う。ただ、この豊田の部分みたいなのは、基本的な事実も間違っているし、あまりに類型化されてて、正直ひどいと思った」p144

 「最低のレッテル貼りだと思った。豊田が選考したのは素粒子理論、理学系基礎研究の最高頂点みたなものだったけど、村上春樹はなんて書いてる?<応用物理学を専攻し、優秀な成績>は、およそ判で押したような類型で、普段の村上のいいとこと正反対と思った」p145

 「ぜんぜん納得できない。ど真ん中が完全に死角になっていると思う。彼のスタンスではそうするしかなかったんだろうけど<加害者=オウム>と<被害者=一般市民>という、なんていうのかな、川の両岸みたいなものが、完璧に分かれすぎて嘘を作っていると思う。分かりやすい<二項対立>」p145

 「・・・・例えば・・・・・ほら、ここに書いてあるだろ。地下鉄サリン事件の法廷を見に行った村上春樹は<自分たちが人生のある時点で、現世を捨ててオウム真理教に精神的な理想郷を求めたという行為そのものについては、実質的に反省も後悔もしていないように見受けられる>って言うんだ。そこでしらふだったって仮定に立ってものを言っているけど、実際には薬盛られたり、いろんなマインドコントロールや洗脳のテクニックで、蟻地獄に落とされていくんだ。特に高学歴の連中は、狙い撃ちにされて落とされていった、この段階からすでに被害者なんだけど、そういうことがいっさい表に出てこない」p146

 「村上春樹は、社会の<どうしてこのような高い教育を受けたエリートたちが、わけのわからない危険な新興宗教なんかに?>という質問に<あの人たちは『エリートにもかかわらず』という文脈においてではなく、逆にエリートだからこそ、すっとあっちに行っちゃったんじゃないか>って書いてある。これは半分当たっているだけに、最悪の間違いだと思う」p147

 1975年にOshoの書籍に出会い、77年にその門弟となった私の経緯については、別途ネット上に残してある。80年代前半のオレゴンでの体験を経て、87年に再びインドでOshoカウンセラー・トレーニングを受けた私は、88年から本格的に個人カウンセリングを受けるようになった。前後して、大学の心理学講座を受けなおし、ロジャース派のカウンセリング研究所にも通い、自殺防止電話相談の相談員も務めた。産業カウンセリングの資格を取得し、公共組織のカンセリング室の担当も務めた。

 そんな当時の私がかの麻原集団のことを知ったのは、毎週訪問していたあるクライエント宅からの帰路にある書店でのことだった。88年の初めのことであったと思う。とにかくあまりにもインチキくさかったので、これは許せない、という気持ちが強かったのを記憶している。そのあと、その集団が、当時私たちが事務所にしていた場所のすぐそばに、支部を作ったのだった。住所をみると、まるで、ほとんど同じ住所、たんに住所の数字の一個が違っているだけだった。

 この紛らわしい集団に、私がもし最初から免疫性を持っていたとすれば、80年代前半におけるオレゴンにおけるOshoコミューンでの出来事があったからだったと思う。

 島田裕己は、書いている。

 一度宗教の世界、とくにカルトの世界に入ってしまった人が本当にそこから出られるのかという問題があります。そもそも、そういうところに入った人のこころの世界は一体どういうものなのか。今までの村上さんの小説では、「損なわれる」ということが決定的なキーワードになっていたと思うんです。人は何かにからめとられることによって損なわれてしまう。 

 戦争によってもそうだし、権力を握ろうとすることでも損なわれる。さらには、もっとはっきりとしないことが原因になっても、根本的に損なわれることがある。それが、これまでの作品では抽象的にファンタジックに扱われてきましたが、「1Q84」では、より具体的にそれが描かれている気がします。
 
 人間には、そう簡単にとらえきれない複雑なものがあって、その部分に一歩踏み込んでいくと、非常に混沌とした世界が待ち受けている。宗教の世界というのは、まさにその典型のような複雑さをもっていて、人間のこころがもつ混沌や錯綜を如実に表現しているところがある。
島田裕己「村上春樹『1Q84』をどう読むか」p21「これは『卵』側の小説なのか」

 伊藤乾にしてみれば「同級生」がいるかぎり、かの集団の具体性は消すことができないだろうし、私にしてみれば、その潮流に永年接し、そのコミューンを複数回訪問し、滞在している限り、「陽画」としての具体性から離れることはできない。そこで起きたことを直視することが大切だ。

 しかし、その具体性が現出する裏に、何事かの共通項をもつ「陰画」が存在するとすれば、具体性を離れつつ、ものごとの本質を直視し、あらたなる「陽画」の現出を避けることは可能なはずである。

 村上春樹は、たびたびドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を目標としているかのことを繰り返し発言している。かの小説は、村上の目標であり、そこを超えていくことこそ、彼の最大のテーマであるだろう。亀山郁夫は「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」を書いている。父親殺しから、王殺しへの物語へ。一人の青年と12人の子供たちの、次なる行動は。

 ドストエフスキーの小説としては「続編」は書かれることはなかった。しかし、もし村上春樹が、これらのテーマをいくつもリンクさせながら、次なるbook3以降を展開し続けるとしたら、単に虚構を扱ったエンターテイメント、という見方を変えていかなければならない。重く、直視しがたいテーマが横たわっている。

 もし、そのテーマを丁寧に繰り返し、掘り起こし、より広範な議論を呼び起こしていくことになるとすれば、これは一小説というより、グローバルな意識への問題提起となる可能性もでてくることになる。

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コメント

suganokeiさん
このへんは深いのでのんびり行きます。

>村上版「カラマーゾフ」の登場を期待したいところです。

まさに同感です。私などはさっそく「1Q84」book3にそれを期待しているような塩梅です。

投稿: Bhavesh | 2010/02/08 09:13

http://qog.blog.drecom.jp/archive/118
こちらに、伊藤乾「さよなら、サイレント・ネイビー」についての詳しい記述があったので読んでみました。よい本だと思います。
ぼくは村上春樹の「アンダーグラウンド」もとてもよい本だと思っています。
村上の豊田についての書き方が「あまりに類型化されてて、正直ひどい」と伊藤が思う気持ちも分かります。
被害者側に寄り添ってしまうあまり、加害者側の人間が見えなくなっているのは現時点での村上の弱点でしょうけれど、そうした点を今後村上がどう乗り越えていくのか、そこに村上版「カラマーゾフ」の登場を期待したいところです。

投稿: suganokei | 2010/02/07 20:21

suganokeiさん
コメントありがとう。私もこの周辺をもうすこし掘り起こしてみます。

投稿: Bhavesh | 2010/02/05 08:52

村上春樹に関して、新しい視点を得た気がします。もう少し考えてまたコメント書きたいです。ども!

投稿: suganokei | 2010/02/04 23:02

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