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2010/02/12

秘教の心理学<5>

<4>よりつづく

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「秘教の心理学」<5>
OSHO /スワミ・プレム・ヴィシュダ 1994/09 瞑想社 /めるくまーる 単行本 317p

 「心を生みだす脳のシステム 『私』というミステリー」茂木健一郎 2001/12からスタートしたわがブログの「私は誰か」カテゴリだが、この書き込みを持って62番目となる。108を持って各カテゴリの定量とする当ブログの慣習からすると、あと残り46ほどの書き込みができることになる。

 そして、読書ブログとして読みこんできた本の数は、現在V0l2-969まで来ているので、こちらも慣習として1024冊を定量とするなら、残り54冊、ということになる。このナンバリングは、途中で抜けていたりダブっていたりするので、多少の誤差があるが、それは単なる目安なので、ここではその誤差はまったく気にしないことにする。

 さて、46~54という残数は、当ブログにおいては、それほど大きな数ではない。一日1~2の書き込みで行けば、約一カ月で終了するだろう。当ブログには今のところ、行くべき目的地や、到達すべき目標はない。だから、どこに向かおうと、どこの辿り着こうと、とくに問題はないのだが、ひとつひとつに区切りをつけておくことは、自分の足取りを確認しておく意味では、いささかなりとも意義がありそうに思う。

 最近は村上春樹追っかけをしていたが、その前は民主党やオバマを追っかけた。そしてその前は、Osho「私が愛した本」を追いかけ、あるいは「チベット密教」なども追いかけてみた。一見なんの脈絡もなさそうな読書遍歴であるが、まったく脈絡がない、とまでも言えない。どういう繋がりがあるのか、と問われると、それもちょっと困るが、あることはあるのである。

 そんなわけで、残り4~50の書き込みを使って、いままで読み残してきたもの、再読したいけどなかなかチャンスが巡ってこなかったものなどを、メモしていくことにする。せっかく「私は誰か」に戻ってきたのだから、ラマナ・マハリシの再読もいいかな、とも思ったが、それは、むしろ、このカテゴリのカバーとして最後まで残しておくのも悪くない。

 そこで、とりあえず、ずっと気になっていた、この三冊からはじめようかな、と思う。「秘教の心理学」「インテグラル・スピリチュアリティ」「人間に可能な進化の心理学」。これらの本、一冊、一冊、というより、こうして三冊並べて眺めているほうが、なんだか現在の私には好ましいように思える。まったく関連のない本でもないが、お互い適度な距離を保っている。非和解的な部分もあり、同根の部分もある。

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 三冊ともすでに何度か読んでいる本である。しかるに、三冊が三冊とも、なんだかよく読んだ気がしない。ちょこちょこっとめくっては断片的に理解したような気分になったところもあるが、いまだよく全体像としては靄がかかっていて、なんだかなぁ、というイメージがあることでは共通している。

 Oshoのこの本「秘教の心理学」は、なかなか一気には読めない。とくに前半がなんやらいくつかのエピソードで占められているために、なんだかそちらにひっかかってしまって、後半まで手が伸びないで終わってしまうのだ。そこで、今回は、中ほどから終りにかけて読んでみた。

 大空のもとへ至り、この直感とともにもどってきたキリスト教徒はごくわずかしかいないようですが。

 何人かいる。聖フランシス、エックハルト、ベーメ・・・・。
  p241

 聖フランシスエックハルトベーメ、この人々についても、当ブログでも多少は触れてきた。しかし、まだまだ量的にも質的にも、追っかけ切れていない。この辺もなかなか楽しそうなのだが、その前にZENシリーズを一度くぐらなければ、という思いがどこかある。この「大空」という表現に、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」の一文に通じるなにかある。

 いやいや村上春樹のほうが、あとで真似ただけだよ、という声が聞こえそうだが、どの窓から見ても空は空だ。そこにこだわったのでは、空を語る意味がない。空は時間も空間も超えている。

 今世紀の終りまでには、多くのありかたが決定されている人類の進路全体がわかるだろう。可能性のある最大の災いは核戦争ではない。それはただ破壊できるだけだ。真の災いは心理学的な科学から起こる。どうすれば人間を完全にコントロールできるかが、わかるようになるだろう。私たちは意識的ではないため、前もって決められたやりかたで行動させられる可能性がある。p268

 この本は1970年7月から翌2月までにOshoがヒンディー語で語ったものとされているが、その後、英語に二回翻訳されている。しかも日本語版はそこからの重訳で1994年に出版されている。1995年以降であれば、マインドコントロールとやらの言葉も一般的になってきたが、1970年頃にOshoがすでにこのことに触れていたことを着目しておく必要がある。

 悲しむべき可能性は、新しい人間を生み出そうとしても、私たちはまったく新しい状況に直面して退行するかもしれないということだ。退行を説く教祖たちさえいる。彼らは過去がよみがえるのを望んでいる。「過去には黄金の時代が存在した。もどるのだ!」----。だが、私にとっては、それは自殺的なことだ。私たちは未来へと向かわなければならない。それがどんなに危険で困難なことであるとしても----。p300

 当ブログ<2.0>における各カテゴリの最後のカバーを見ていた。6つのうち、3つのカテゴリが村上春樹関連で閉じられた。「中国行きのスロウ・ボート」でカーネルづくりをしていた村上が、「村上春樹『1Q84』をどう読むか」のようなクラウドソーシングを得て、「What I Talk About When I Talk About Running」のような象徴層を獲得した、と言えなくもない。

 1970年頃のOshoは、まるでカーネルづくりを完了して、新たなるクラウドソーシング・プロジェクトを立ち上げようとしているかに見える。どうだろう、当時の彼の周囲の人々にとって、Oshoはプロジェクト・マネージャーとして、魅力的に見えていただろうか。クラウドソーシングとしてのオレゴンのコミューンはどうであっただろうか。「象徴層」としての最後のZENシリーズは、どうであっただろうか。

 あるいは、クラウドソーシングとしてのOshoは2010年の現在、さらに鋭意進行中であると考えた場合、新たなる「物語層」はどの辺にあるだろうか。まぁ、その辺のことをぐちゃぐちゃと、積み木細工を一旦壊してまた積み上げるみたいな作業を、ひとり楽しんでいる。

<6>につづく

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