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2010/02/27

インテグラル・スピリチュアリティ <5>

<4>よりつづく
インテグラル・スピリチュアリティ
「インテグラル・スピリチュアリティ」<5>
ケン・ウィルバー /松永太郎 春秋社 2008年02月サイズ: 単行本 ページ数: 469p

 せっかくチダ氏より、「付録」から読むというアイディアをもらったので、さっそくその手を試してみた。これがなかなかいけるのである。実際、ウィルバーの著作も読めないものでもない。しかし、読みながら、だからどうした、という開き直りがどうしてもでてくる。

 ウィルバーのやり方は、レヴィ=ストロースのようにその地に立って具体例を集めるというものではなく、基本的には図書から収集され得る情報がもとになっている。だから、どんなに難解そうに見えたとしても、結局は、ひとつひとつを埋めていけば、自然とウィルバーが言わんとしていることが分かってくる、ということになる。

 だから、これだけインターネットが普及して、図書館ネットワークも活用できる状態にあるのだから、ひとつひとつをしらみつぶしに読書していくとするならば、できないことはない。彼のやっていることは誰にでもできる、ということになる。

 しかし、それが一体なんだ、というのか。採集し、収集した情報の中に、重要で、スピリチュアルなものがたくさんあったとして、そしてその分類法に何事かの工夫があったとして、それが一体なんだ、というのだろうか。たしかに、ニューエイジやアメリカン・ポップのような軽いノリに対するアンチテーゼであったとして、すべての構造のなかのあらゆるポイントにひとつひとつの情報をあてはめ得たとしても、それは一体なになのか。

 ウィルバーのインテグラル・オペレーション・システム(IOS)とやらに対抗して、当ブログでは、なにやら湧いてきた図式を提示して防戦の構えを準備している。その図式は極めてシンプルだ。その図わずかに4つ。

1_4 この図式をまずは「O」と名づける。
問われるべきは「私は誰か」だ。
「私」という意識がある。
「私」という問いかけがある。すべてはここから始まると言ってもいい。
誕生であり、基本である。
始まりであり、全体である。「O」。
ゼロでもあり、オーでもいいだろう。丸でもいいだろう。
だが限りなく○くあってほしい。

2_4そして二番目。
これを「S」と名づける。
真ん中を見ているとなにやらSの字が見えるようにも思う。
問われているのは「どこに魂はあるか」。
魂のSoul。精神のspirit。
なにはともあれ、その頭文字の「S」。
場合によっては、sexのSでもいいだろう。
Sではなく8と見てもいいだろうし、∞と見ても差し支えはない。

3_2
三番目は「H」。これをHと名づけるには訳がある。
とにかくHでなくてはいけない。
問われているのは「How to Die」。
いかに死ぬか、である。
How から取って、Hでもいいだろうし、
よく見ると、中央に梯子が見えているから、
その形状からHを連想してもいいし、ハシゴの頭文字Hでもいい。
とにかく、これはHなのだ(もっといいコジツケを募集中)。
Photo
そして、最後はまた「○」になる。
これはもちろん「O」としか呼べない。
一つ目のOが誕生であったら、二つ目のOは死だ。
しかし、死は生へとつながっている。
再誕生だ。
円環の完結である。
これで最初のOからまたスタートする。ひとつのらせんのはじまりである。

 これらを横に並べると、

1_5 2_5 3_4Photo_2   

 となる。

 そして、さらに、これらの頭文字を並べると
 「O」--「S」--「H」--「O」となるであろう。
 つまり、ここで当ブログが何を言いたかったのかは、賢明なる読者諸君はすでにお気づきであるはずだ(爆)。なぜに3番目がHでなくてはならないか、ここで理由が完全に暴露されたのであーる(汗)。

 スワミ・パリトーショは意欲的な主著「21世紀への指導原理OSHO」の中で述べている。

 OSHOとはどういう名前なのだろう、と考えたことがある。 OSHOのイメージを胸の内に保ちながら、頭の中に浮かぶOSHOが好きな言葉を色々繋ぎ合わせているうちに、こんな組み合わせにたどりついた。 ”Orgasmic Silence of Hilarious Ocean" (陽気な海の歓喜に満ちた沈黙) これだ! 宇宙の中心を言いあててしまったようだ。多分、OSHOは文句を言わないと思う。 陽気な<意識>の海の、絶頂から絶頂へと続く永遠の沈黙<神秘>・・・。スワミ・パリトーショ「21世紀への指導原理OSHO」p460

 「陽気な海の歓喜に満ちた沈黙」。ふむふむ、なるほどね。それも悪くない。しかし、指導原理、オペレーション・システム、というほどの力動性がないのではないか。そこから何が生れてくるのか。ちょっと詩的過ぎて、いかにも芸術的なパリトーショらしい表現ではある。それにしても、すこしダジャレっぽくはないですかネ。

 それに比べれば、こうしてみると、当ブログのOS=「OSHO」、やっぱりお互い、ダジャレはかなりきついが、しかし、なかなか使えそうではあると思うのだが・・・・。ケン・ウィルバーのISOとやらに、この円環システムが入っていれば、彼がやっていることは正しい。円環システムをまだ見つけ得ていないとすれば、当ブログ自作OS「OSHO」のほうが一分のリードしている可能性がある、ということになる(笑)。

<6>つづく  

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