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2010/02/24

人間に可能な進化の心理学 <11>

<10>よりつづく
Photo_3

「人間に可能な進化の心理学」<11>
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p

 講座2 人間の4つのセンターと7つの範疇 p43

 講座1のタイトルは「人間は自分自身を知らない」であった。まぁこの認識がなければ、何事も始まらないだろう。未知なるものがある、知られるべき何かがある、という認識がなければ、この本も存在しないし、当ブログも存在しない。ブログを書こうとする私もいなければ、このブログを訪れる人もいないだろう。

 しかるに、講座2において、いきなり「人間の4つのセンターと7つの範疇」と飛躍するのはいかがなものであろうか。これだけ薄い本であり、また入門のさら入門の初心者に対する説明である。なにはともあれ、ダイレクトにこれから旅立とうとする世界のマップの素描をみせてみる、ということになるのだろうか。

 4と7という数字が踊る。一体、どういう関係でござろうか、と疑念に包まれる。しかしながら、これまで当ブログが独自の理解で7を理解してきた図をもう一度使ってみる。1 人間は自意識を持つ。「私」という感覚の基礎は、生後数カ月から、ほぼ7歳あたりまでに作られると思われる。0ないし1の発生である。母と子、他者と私という2の概念は、ここではまだ十分に発達していない。他者は1としての「私」を強調するために存在する。あるいは全体から分離した自分というものを想定せず、1として全体を認知している。2 その後、14歳までに自分は男か女かの認識をするようになる。どちらかを「選ばなくてはならない」。自分が男であれば、女は2として存在する。あるいは、子として1を認識すれば、2としての母・父を認識する。2の登場である。しかるに、男と女を包括するものとして、合一として子、あるいはあたらなる統合性が発生していることに気付く。これが3の発生である。父と子と聖霊、などの三位一体感覚は、この図式から理解していくこととする。3 さて、人間はさらに21歳を迎える頃までは更に分化する。男としての存在の中に、男性性と女性性があることを発見する。あるいは女の中にも男性性と女性性があることを発見する。暗闇の中にも、どこまでも暗い暗闇と、明けていく暗闇があることを発見する。あるいは、やがては消えてしまう明りと、どこまでも明るい光があることを発見する。なぜそうなるのか、と言えば、そうなるようになっているとしかいいようがない。

 この図式の中で、4の数字が登場し、同時的に7が登場する。だからここでウスペンスキーが「人間の4つのセンターと7つの範疇」と言っているのは、当然のことというか、こう言うしかない、ということなのである。

 しかるに、確認しておくべきことは、ウスペンスキーは7歳の子供に話しかけているわけでもなく、14歳の思春期の少年少女に話しかけているわけでもないことである。一定程度の人間として成長した青年以上の人間に話しかけているである。そう理解するなら、私にもわかる、という風にしておこう。

 そして、ここからが問題だが、この段階になってこそ、ようやく漠然とした「超意識」についての認識が始まることになる。漠とした超意識の中にもさらに分化がある。4_2

 人間に可能な4つの意識状態があることはすでに述べた。眠っている状態、目覚めている状態、それに自己意識と客観意識である。とはいうものの、われわれ人間はたった2つの状態の中で暮らしている。つまり、眠っている状態と、いわゆる目覚めている状態である。4階建ての家に住んでいながら、1階と2階だけに暮らしているようなものだ。ウスペンスキーp43

 彼には彼のアルファベットがあるので、敢えてここでは「統合」はしない。しかし、彼のアルファベットを理解するうえで、当ブログなりの図式をすりよせて理解しようとすると、それは決して理解不能ではない。つまり、当ブログでいうところの超意識について、これから活用する方法を考えようというのである。

 言語的障害を避け、新しい概念を整理しやすいように、このシステムでは人間を7つの範疇に分類する。p67

 当ブログとしては、前回登場した以下の図式を使えば分かりやすいだろう。7  人間を7つの範疇に分けるこの分類法が非常に重要である理由は、人間の活動をあらゆる可能な方法で研究する場合、この分類を多岐に適用できるためだ。この分類を理解した人の掌中にあっては、非常に強力で非常に精密な計器や道具となるのがこの分類法であり、これがなければ説明できないような、さまざまな発現の定義を可能にする。p69

 さて、ウスペンスキーが言っていることと、当ブログが思いついたこととは必ずしも一致しているわけではないだろうが、まずはこのマナ板の上で、彼にも踊っていただきたい。詳しくは、彼の「ターシャム・オルガヌム」「新しい宇宙像」を援用すべきであろうが、本が厚ければそれだけ詳しい、ということでもない。むしろコンパクトなほうがズバリものごとを表現しきっていることがある。

 そして、もっというなら、彼の7は4や3や1、2、0、などになかなか戻ることはできないだろう。片道切符の冒険旅行だ。たしかにそれはグルジェフ・ワークだ。しかるに、当ブログの図式は、効果があるかどうかは別にして、容易に7から4や3、2、1、0、に戻ることができるだけ、優れていると感じる。さらに言えば、7からさらに21や108やそれ以上に、分化していく可能性も秘めているのである。 5 とにかく、この周辺のことどもを当ブログなりに「ブッタ達の心理学」と呼び慣わすこととする。そして、この図式にを活用することによって、「ルーツ&ウィング」という全体性を確保することもできる。ガジュマルのような大木として大地に根差すとともに、鳳のように両翼を伸ばして無窮の大空へと旅立つことさえできる。それはまたOshoの語る「ゾルバ・ザ・ブッダ」へと連なっていくはずである。

 ウスペンスキーが、結局は晩年をアルコールをたしなみながら、暗い顔ですごすことになったのは、この全体性を取り戻すことに、どこかでしくじったから、と私は見ている。

<12>につづく

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