楽園瞑想 神話的時間を生き直す <2>
<1>よりつづく
「楽園瞑想」 神話的時間を生き直す <2>
宮迫千鶴 /吉福伸逸 2001/09 雲母書房 単行本 317p
吉福伸逸、セラピスト、文筆業、翻訳家、サーフィンコンサルタント・ディレクター・・・・、いくつも重ねられたプロフィールの肩書きが、一抹の寂しさを感じさせる。せめてジャズ・ミュージッシャンの肩書も加えてほしかったものだ(笑)。1943年生れの彼も、数えてみれば、すでに67歳か。そろそろ、忌憚のない他者からの批判を全うに受け止めて、さらに受け入れる透明性を高めていてもいい頃だろう。
村上春樹が、「走ることについて語るときに僕の語ること」の末尾で、自分の墓に「ランナー」と明記してほしいと願うことや、北山修が、北山修、のほかに、きたやまおさむ、キタヤマオサム、などの変名を使うことに嬉々としていることと同じように、これらの自意識過剰な表現者たちは、「意識」を語りながら、意識を超えていくことはない。意識を超えていってしまったものは、名前や肩書には拘泥しないはずだ。
吉福 ぼくが日本を出てハワイに引きこもって思ったのは、それまでやっていた仕事に関しては、もっとやるべきことはあったんですが、あれ以上日本にメッセージを発し続けても、時期尚早だっただろうということです。おそらく先走ってしまうだろうから、あのくらいでおさめておくのが、正解だろうと判断したんです。p94
この自己認識は間違っているだろう。すくなくともこの対談のなかにでてくるウィルバー「グレース&グリット」の中でさえ、吉福が出版プロデュースしているケン・ウィルバーが、間違った形で紹介されていることにウィルバー自身が憤慨していると明記してある。「先走って」いたのではなく、そもそも最初から「ミスリード」していた可能性が高い、と私は見る。だからここは居直り、自己弁護に過ぎない。
この人物には、積極的な意味では関心を寄せていなかったので、何年にハワイに移住したのか現在のところまだ特定できていないが、たしか90年前後だったのではないか、と推測する(著者プロフィールには「1989年にハワイのノースショアに移住」とある)。ある意味、この時期、すでに彼は個人的な子育て問題だけではなく、仕事の面でも大きな壁にぶつかっていたと思われる。そして、「逃亡」した、と私は見る。
吉福 ぼくが日本を離れてハワイに来たのは、自分の限られた人生の中で、自分自身と最も身近な人たちの成長のために、残りの人生を使うという目的を明確にもっていたからなんです。それがぼくの優先度のいちばん高いものなので、それを中心に暮らしています。p121
1999年、吉福56歳の感慨である。んなこたぁ、あたりまえじゃないか、そんなことこの年まで分からなかったのだろうか。更にもう25年くらい前にこのことに気付いてくれていたら、せめて日本における実害は少なかったと思える。しかも、散らかしっぱなしで、あとは知らんよ、と、さっさと逃げる。あまり周囲を振り回すべきではないですな、自称セラピスト殿。
吉福 ハワイに移り住む前は、ひとつの学問体系を、翻訳という作業を通して日本に紹介しようとしていましたから、けっこう言葉を作っていったんです。造語したものもいっぱいありますし、特にトランスパーソナル心理学がさまざまな宗教の領域を扱いますので、仏教用語のようなものが英語でたくさん出てくるんですね。それをものによってはもともとの仏教用語に戻したり、その用語の中にカルマをいっぱいためたような言葉の場合は、わざと仏教用語からはずして使ったりして、いろいろな言語体系を作り上げて行きました。p160
その「作り上げ」られた「言語体系」のなかのひとつに「グルイズム」なる悪臭漂う言葉も存在する。私は翻訳家でもないし、言語にそれほどこだわれる能力もないので、寡聞にして判断できないが、すくなくともGoogleUSAで検索するところの「guruism」と、吉福言うところのカタカナ書きの「グルイズム」では、ニュアンスが大きく違っているのではないだろうか。これらの一連の腐れた「造語」によって、長澤靖浩などは、大きく悪影響を受けたのではないか、と、私は推測する。
吉福 日本に十何年いていろいろやってきたことの中で、自分は自分なりに納得して、後悔せずにきちっとやり終えたと思っていたことが、いっぱいあったわけです。ところが、やり終えていないなかったんです。やったことの中で、自分で気がついていなかったことも、いっぱいあった。p165
そりゃそうだろうなぁ。当たり前だ。1974年に帰国し、1989年にハワイに移住した、として、15年間。そして、それから考えても21年が経過している。そんな細切れな時間の中でできることなどそれほど多くない。「気づいていなかった」なんて、「気付き」が足りないですね、セラピスト様。だから、その後も日本に帰ってきて、セラピーとやらをこっそりやってらっしゃるのですかね。
吉福 批判はしょうがないんですよ。要するにケンは臨床家ではなくて、あくまでも理論家なわけです。思索者で、哲学者の側面をもっているから、その思索者が作り上げた理論を臨床にあてはめると、もちろん現場ではズレがいっぱい出てくるわけですね。根本的な粗っぽい地図になっているだけですから。p216
この辺でも、粗っぽくズレているのは吉福の方だろう。すくなくとも現在のウィルバーは「Integral Institute」の名のもとに「実践」を行っている。「インテグラル・ジャパン」のHPにも「実践」の文字が躍っている。多少のタイムラグがあるにせよ、紹介者としての吉福は、きちんと紹介すべきものを紹介していない。恣意的に自分の好みに合わせて、皿に盛り付けてしまっている。
吉福 ぼくがカリフォルニアから日本に帰ったのは、ちょうど30歳のときだったんですけど、その当時は自分の中に強い万能感があったんです。自分にできないことは何もない、と思っていた。p260
やっぱり、そもそも、そこが間違っていたんだろうねぇ。 少なくとも、私にはいい迷惑だった。つまり元祖・困ったちゃん、みたいなもんだな。今は自称・セラピスト・・・ですか・・・。まぁ、この人の話はすこし割り引いて聞かないと、あとで迷惑を受けることになる。距離をおいて聞いておくのが一番じゃ。
吉福 ぼくは、そういったヴィジョンが現実社会に適用できないまま消えていくことが、耐えられなかった。それで、せっかくこうすればユートピアに近づけるかもしれないというヴィジョンが頭の中に生れたのに、実現しなければ意味がないじゃないか、という気持ちがすごく強くなった。p264
この人のビジョンが大きくズレていたのは、ドラック・カルチャーをかぶりすぎていたから。トランスパーソナルの後半の流れをスタニスラフ・グロフに依存したのも、結局は過呼吸により超常体験をドラッグ体験に置き換えてみる以外に方法はなかったから。ドラッグ・カルチャーによるユートピア・ビジョンでは、現実社会は動かないでしょう、当然のことながら。
吉福 そうね、その不安はありませんね。ぼくはこういう人間なんだから、他者が受け入れてくれるかどうかは、問題にしないんですよ。p274
やっぱりこの人は、言葉が走りすぎる。前後の関連から読みなおしてみると、この発言なんぞ、とんでもない失言だ。まぁ、すくなくとも、セラピストを自称する56歳(当時、ということは現在の私と同じ年齢)の発言とは思えない。やっぱ、近くにいたとしても、この人とは、お友達にはなりたくないね、私なら。
吉福 禅は一回、地に落ちていますから。いろんなスキャンダルも起こっているし、老師(グル)の問題も起きている。アジアローカル色が強くてね。特に日本のローカル色の強い封建的なシステムが存在しているので、老師(グル)と弟子の関係もグルイズムがはっきりしすぎていて、現代人には抵抗感があるんですよ。禅は女性を排除しているところがあります。ヴィパッサナにもそういう歴史はあるんですね。p279
どこまでもこの人の視野は狭いな。すくなくとも、この数十年のアメリカに渡った禅だけを、しかも外側からだけ見て発言している。もっと数千年サイクルでのZEN(ディアナ)の流れを見ないことには、本当のことは分からないでしょう。すくなくともこの本のタイトル「楽園瞑想」が泣きますよ。
吉福 ヴィジョンの中で、「『あなたは神だ』と言われたから、私は神の使いだ」と言い始めたり、もっと狂ってしまうと教祖になる。でも、そういうのも一種のヴィジョンで見ているんですね。ヴィジョンと本人の関係の解釈によって、全然変わってしまうんです。p302
断定、決めつけ、当てはめ、なんでもありのこの人に、どこまでもこの人らしいなぁ、と感心する。これは10年前の本だから、現在はもっと違っているのかも知れないが、少なくとも10年前も相変わらずこの人はこの人らしかったんだ、と確認。この人のセラピーを受けているクライエントがかわいそうだ。
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