和尚、禅を語る <3>
<2>よりつづく
「和尚、禅を語る」 <3>
玉川信明 2002/02 社会評論社 単行本 263p
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玉川信明のOshoシリーズ全4冊のうちの「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」に続く、第2弾。当ブログはこれから徐々にOSHO-ZENへと戻る。その前にかたづけておかなければならない一冊。しかしながら、それほどかたづけは面倒くさくない。
この本はおかしい。最初からそう感じている。ましてや、Osho翻訳者の一人であるmonju氏からは次のような言葉が寄せられている。
この一連の玉川本は、OSHOのことばだけじゃなくて、ぼくがあとがきなどに書いた文章などもそのままそっくり何のことわりも、但し書きもなく、無断で使われているから、まったくとんでもない本だと思う。ひとの思考と自分の思考とがまぜこぜになって何がなんだかわからなくなってしまっているような不快感を感じるだけです。monju(2010.02.26 12:15:26)
もともとコピーレフトという考え方に賛成で、著作権などには、わりとユルい感覚しかもっていない当ブログではあるが、自らの反省も含め、この本については、厳しい態度にのぞむべきだと思う。すくなくともこの本を出した社会評論社の関係者に強く抗議しておきたい。著者(引用者)はすでにこの世にないので、責めようがないが、それでも、彼自身の精神性のために、あえて、ここにそのことを明記しておく。残り2冊についても、納得ができるまでは、当ブログでは触れないことにする。
もし、OSHO-ZENに関心ある向きは、このインターネット時代である。ただしい情報がたくさんあり、適切な翻訳がたくさんでているので、そちらを利用されたい。ものごとは、かなり微妙な領域に入っている。
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