心理療法対話 河合隼雄
「心理療法対話」
河合隼雄 2008/03 岩波書店 単行本 223p
Vol.2 979★★★☆☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆
こちらも河合隼雄関連の最新の消息を尋ねたつもりだったのだが、記事としては必ずしも新しいものとは言えない。もとは2000~2001年の岩波書店刊「講座心理療法」に掲載された対話が8本、加筆され収録されている。寄せ集め的散漫さはあるが、それでもホストが一貫して河合隼雄であることと、当ブログが最近読んだ見田宗介や中沢新一、宮迫千鶴の名前が見えるところがやや救いともいえる。
今回、見田宗介をウィキペディアで見てみて、あらためていわゆる「東大駒場騒動」のなかの登場人物の一人であることを確認し、現在の中沢との関係はいかなるものであるか、など、ちょっとは気になった。しかし、その興味は出歯亀範囲でしかない。当ブログにとってはどうでもいいことだ。見田の父はかの甘粕大尉の従兄である、ということを今回初めて知った。
この本のなかでも、河合はかなりいいことをいっぱい言っており、そこから発展させるべき糸口はたくさんあるのだが、それこそ中沢の言うとおり、「体系化」しないと散漫なばかりで、いずれ散失してしまうだろう、ということを多く感じる。
しかしまた、それを「体系化」することによって失われることも限りなく大きいわけで、ユング研究所で学んだ河合が、その後、長期にわたってスイスに行かずに自らの世界を熟成したように、河合から「直伝」として受け継いだ「弟子筋」が、自らのものとして、自らの存在の中に生かしていくしかないのではなかろうか、という思いもあった。
さて、当ブログは、現在、本の冊数でいくと第2サイクルの979冊目まできており、このサイクルは1024冊目で終了する予定。
また、当ブログ<1.0>としての楽天ブログを終了し、こちらのニフティ・ココログ・ブログに来て、<2.0>も、まもなく一年が経過するが、現在6つ目のカテゴリを進行中。その「私は誰か」カテゴリ現在は現在98個の書き込みを終えた。通例として、当ブログのカテゴリは108の書き込みを持って終了する。
つまり、残すところ10個の書き込みを終えたところで、当ブログ<2.0>としての7つ目のカテゴリ「ブッタ達の心理学3.0」をスタートさせ、108の書き込みを行う。本の冊数としては残るところ45冊。書き込み数としては残り10+108=118となる。つまり、118-45=73は再読モードで書きこみを行うということになる。
思えば、冊数としての第1のサイクルはコンテナとしてのブログ機能を確認するための1024冊だったと言うこともできる。だとするならば冊数としての第2サイクルは、コンテンツとしての図書館ネットワーク機能の確認のための1024冊であったのだろうと、総括することも可能であろう。
してみると、これからやってくるであろう第3のサイクルの1024冊は、はて、どのような展開になるべきであろか。カテゴリ「ブッタ達の心理学」は、まもなくスタートする3.0で終了する予定である。8つ目のカテゴリとしては「One Earth One Humanity」とすることを決めている。
つまり、この狭間のなかで、当ブログの読書は続いていくことになる。何の制約もなさそうな、無料ブログサービスを使っての、図書館の無料機能を活用することで成り立っている当ブログではあるが、まったくの個人で運用しているからこそ、どこかでいくつかのサイクルを活用していかないと、実に散漫なものとなってしまう。
さて、この書き込みの本論であるが、河合隼雄というユング派の実践療法家については学ぶべきところも多く、資料も膨大にあると思われるし、そこから派生することどもにかなりの可能性を感じつつ、当ブログにおける主テーマになりうるのかどうか、という見極め段階に近づいてきているのではないか、というところにある。
当ブログは、いつかは完全に終了するものであってみれば、もし第3サイクルで終了するものと仮定して、その第3のサイクルの1024冊は、徹底したOsho読み込み+再読モードに費やすべきではないか。それがOshoサニヤシンとしての「意識」モードの、もっとも誠実な態度ではなかろうか。コンテナ+コンテンツ+コンシャスネスの当ブログとしての3コン一体説は、これで完結する、とすることに妥当性があるのではないか。
つまり、当ブログ第3サイクルのコンシャスネス1024冊のうち、「One Earth One Humanity」としてスタートする春に向かって、現在の当ブログは、その準備を完了しつつある段階にある、とソーカツしておくことにする。
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コメント
☆monju
ここまで来ると、おこるべきことはおこる、おこらないことはおこらない、という、すべてを任せるべきポイントに差し掛かっているのでしょうね。
すべてを受け入れ、最大限に評価して、歓喜に包まれている地平というものもあるでしょう。
「さがしてごらんきみの牛」近いうちに拝読いたします。
投稿: Bhavesh | 2010/02/27 22:28
それからここに記録のひとつとしてとどめておきたいのだけれど、プーナから帰ってきて、再び河合さんと合い、そのときサガプリヤとの対談をもちかけたことがあるのだけれど、河合さんはすぐに承諾してくれました。
日程や場所まで決まっていたのに、その後、サガプリヤの日本でのワーク日程がずれてしまったため、残念ながら、この対談は流れてしまったのですが、、、、
投稿: monju | 2010/02/27 21:06
河合さんが、臨床現場で実際クライアントにどのように立ち会うかを、一対一でじっくりと実地に体験できたことがなによりの宝です、、、、、
そして、通常のセラピスト、クライアント関係を超えて、セッションの途中で、共同して絵本を作り上げ、出版に及んだということ、通常の、セラピー関係では決して起こりえないことも起こったりと、、、。
初対面のとき、河合さんが「モンジュさんの場合は、あきらかにトランスパーソナルな課題ですから、、、」とおしゃったのが耳に今も残っています。
共同創生した絵本「さがしてごらんきみの牛」は、その後、海外での講演も含め、河合さんがなんどか参考資料として取り上げていて、著作集のなかにも収録されています。
一時、河合さんは、ぼくを神戸の甲南大学の大学院に入ってはどうかと、中沢新一などとの出会いの方向をほのめかしてくださったことがあるのですが、この方向は、入試当日、からだが動かずにポシャってしまいました。
で、結局、再びプーナへと向かうことになり、そこでポイント・オブ・ノーリターンの境界を越える体験が起こって、今に至っているわけですが。
投稿: monju | 2010/02/27 21:00
☆monju
河合先生には、臨床心理士の法制化など、もう一歩頑張ってほしかったですね。文化庁長官という役割も大変でしたが、その政治力をさらにもう一歩生かしてほしかった。それはしかし、次の世代に受け継がれたのですね。
実際にその臨床の場をともにしたmonjuなどの今後の活躍を期待します。
投稿: Bhavesh | 2010/02/27 17:31
oshoが光明を得る直前、あらゆる既知のものが崩壊し、地の底が抜け落ちるような狂気のプロセスを通り抜けてゆくとき、心配した父親がoshoをひとりのドクターのもとに連れて行ったのだけれど、ドクターは、これは病気ではなく、聖なるプロセスだからといって、薬を渡すふりをして、砂糖粒をわたし、見守ってくれたということを語っているけれども、ぼくもoshoほども徹底したプロセスではなかったたけれど、ほとんど狂気にも近い崩壊プロセスをたどっているとき、河合さんに出会い、ただそこにあることで寄り添ってもらって、ずいぶん助けてもらいました。
河合さんとの付き合いは足掛け6年ほど続いたのだけれど、この直接体験は、河合さんのどんな本からよりも大きなきっかけとなりました。
「さがしてごらんきみの牛」という絵本は、この出会いのプロセスのなかから誕生してきたもので、思い出深いものです。
投稿: monju | 2010/02/27 11:02