流体感覚 <2>
「流体感覚」 <2>
吉福伸逸、松岡正剛、見田宗介、中沢新一 1999/04 雲母書房 単行本 309p
吉福VS中沢の対談、第2弾は前回の87年から11年後の98年7月の新宿。例の麻原集団事件後のことだから、当然のごとくそこから話題の花が咲く。村上春樹が「約束された場所で」などで、事件関係者と直接対話しているころ、二人はそれぞれの立場の違いから、例の事件を振り返る。
しかし、それはそれ、ある意味、想定の域を超えていない単調な対話となっている。前半は、その対話を確認し、ああ、当然だろうな、という内容に、ある意味ほっとする。後半で特筆すべきは、当時の吉福はよりサーフィンコンサルタント・ディレクターとやらのビジネスに打ち込んでおり、その開発を中沢にも依頼したりする。それはそれ、これまた想定の域を出ない。
この対話と直接関係ないが、最近の私は、カウンセラー、セラピスト、療法家、などと称される存在の、今後の在り方について考えていた。つまり、例の図式で言えば、「無意識」領域に関わる立場なら、これらの一連の役割で十分足りるが、さて、「超意識」部分で言うなら、もはやこれらの名前では、その役割を担えないだろう、ということであった。
ずばり言って、そろそろ、マスターという存在の必要性が問われてくるべきである。吉福は自ら「造語」した「グルイズム」という悪臭漂う言語に縛られているが、本来、彼はみずからのセラピストとしての姿から、次のステップを探しきれないでいる。
ウスペンスキーは、超意識の領域の探求にあたって、「スクール」の必要性を強く説くわけだし、チベット密教にしたところで、どんなにシステムを公開しようと、「グル」について学ぶことを絶対視する。
中沢は河合隼雄をいみじくも「マイスター」と呼んだけれども、職人親方=マイスターとしての治療家=河合、というニュアンスとともに、精神的師匠=マスターとしての覚者=河合、という色合いを込めていたに違いない、と察する。
ズバリ言って、すべてのカウンセラー、セラピスト、療法家は、「マスター」へと昇格すべく努力すべきではないのか。グルと言っていいだろうし、師と言ってもいい。当ブログではマスターと言う用語で統一しておこう。
Oshoは自らがマスターと呼ばれることを拒否はしなかった。弟子たちをサニヤシンと呼ばれることを拒否しなかった。彼は弟子をネオ・サニヤシンと呼んだのだが、このセンスで言うなら、あえて、これから存在すべき新しいグル稼業をネオ・マスターと名付けてもいいのではないか、とさえ思う。ただ、このマスター稼業については、さまざまなチェックポイントがある。
村上春樹もそうだったし、北山修も加藤和彦もそうだったし、吉福も中沢もそうだったけれど、有名になればなるほど、取り囲む人間たちとの人間関係に疲れ果てる。そして隠遁する。あるいは時には自殺する。これはなぜか。「人間」「関係」に疲れてしまうからである。
マスターと弟子の関係は、本来、弟子の側から見れば、1対1の人間関係のように思っているけれど、マスター側から見れば、決して1対1の人間関係ではない。もしそのようなものだったら、1対100とか、1対何千という、非対称でいびつな人間関係ができあがってしまう。マスターはヘトヘトに疲れしまうだろう。
しかし、マスターとなるべき存在は、本来トランスパーソナルな存在として行きついているわけだから、マスターの側から見れば、人格はなく0対1の関係でしかない。つまり人間関係などないのだ。そもそも「いない人」なのだから、基本的にマスターは「人間」「関係」に疲れない。そこから隠遁しようなんて試みる必要はない。
マスターという存在は、ひとつのマヌーバーだ。仕掛けであって、決して職業でもないし、役割ですらない。ノンディレクティブとか、ファシリテーターとか、さまざまいわれるカウンセラーの要素であるが、そこのところをもう一歩進めて、無意識の領域から、さらに超意識の部分へ向けてのマスターという仕掛けを、自らの存在を持って創り出せる人間を作ってみてみる試みがあってもいいのではないか。吉福VS中沢の、ちょっと時期のずれた対談を読みながら、そんなことを考えていた。
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