« 臨床とことば 心理学と哲学のあわいに探る臨床の知 | トップページ | 気流の鳴る音<2> »

2010/02/26

生老病死の心理学

Monky_magic
「生老病死の心理学」 (トランスパーソナル・シリーズ)
吉福 伸逸 (著) 1990/07 春秋社 単行本: 243p
Vol.2 976★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 やや仏教的背景のつよい岡野守也をインタビューアーとして得たことと、ウィルバーの妻の死や、吉福本人の奥さんの病気、あるいはご本人の父の死、という相次ぐ出来事のなかで、著者にとっては、この1990年ごろというのは、まさに「生老病死」について考える機会であったのだろう。本のタイトルもぐっと落ち着いて、なるほど、こういうテーマもいいかな、と思った。しかし、このモンキー・マジックの使い手は、そんなヤワな存在ではない。

吉福 われわれが結婚するとき、どういうことをやったかというと、バグワン・シュリ・ラジニーシの日本のアシュラムを借り切って、そこの方々には出ていただいて、ラジニーシの大きな写真が飾ってある部屋で、友人の曹洞宗のお坊さんに結婚式をやってもらったんです。

 そのさい彼が何をやったかというと、たんに般若心経や仏教のお経を読むだけにとどまらず、神道の祝詞もやったわけです。というように、さまざまな宗教やり方は違うかもしれないけれど、本来の意味がまだ息づいている時点では、それぞれのやり方にはすべて意味がある。そうした意味合いを実験しながらやりさえすれば、ご利益は変わらない(笑い)、という姿勢がそこに現れていると思うんです。仏教の結婚式は出家の儀式で、引導を渡されるんです。p9

 こちらもせっかく神妙な気分で、「生老病死」を考えてみようかな、と思っていたのに、いきなりトッパしからこんな「珍妙」なことを提出されたんでは、こちらも、いきなり目が覚めてしまう。

 吉福カップルが再婚したのは、いつのことか知らないが、多分想定するに1980年前後のことであろう。少なくとも、75年から現在まで、日本のOshoの動きにそれとなく参加しつづけている私としては、80年当時、「バグワン・シュリ・ラジニーシの日本のアシュラム」というものは存在したことはないのではないだろうか、という疑念に襲われる。

 80年当時、瞑想センターという名前のスペースはあっただろうが、「アシュラム」はなかった、と記憶する。あったとしても、ごくごく一時的なものであっただろうし、当時の彼がこのように使えるスペースは、形としては、都内の練馬かどっかの一軒家を借りて、数人のサニヤシンが住んでいるようなスペースであったに過ぎないと思う。なんだか「アシュラムを借り切って」と言ってしまうことによって、大きなスペースの中の厳かな宗教施設のようなイメージを作り上げているようだが、この人のいつもの「プロの嘘つき」的習癖に過ぎない。

 ここで出てくる「友人の曹洞宗のお坊さん」というのも、ひょっとすると、それこそアメリカ帰りの九州の寺の息子Rのことであろうか。彼を「曹洞宗のお坊さん」と言ってしまうのは、吉福を「トランスパーソナル・セラピスト」と言ってしまうのと同じような、ミスリードの可能性がある。Rについては、私もフィジカルに会ったことあるが、その後、なんらかのドラックがらみで、お寺を追われたという話もある。いまのところ、そのことについて私には確認をとるだけの熱意がない。

 1000歩譲って、Oshoの瞑想センターで結婚式のようなことがどこかで行われたことはあったとしても、そして、そこに仮にOshoの「大きな写真が飾って」あったとしても、そのことによって、「宗教」的意味合いはなにもない。大体において、その当時のOshoを「宗教」と認識しようとするのは、著者のモンキー・マジックの一環だし、神道や曹洞宗のことについては寡聞にして知らないが、Oshoは「ご利益」を語ったことはない。もちろん、仮にあったとしても、結婚セレモニーに、イニシエーション的意味合いはまったくない。

 わたしゃ、この本に対しては、わずか9ページをめくっただけでギブアップした。岡野守也については、もうすこし追いかけてみようと思っているけれど、せっかく春秋社というまじめな出版社からでる本なのだから、もっとまともな本作りをしなければいけないのではないだろうか。当ブログのような、2010年現在のネット上の与太ブログのなかのほとんど読まれないような書き込みではない。彼が作っているのは、自らの名前を冠した、20年後にも公立図書館に残っている単行本なのである。まぁ、とにかくあきれる。

 一事が万事。著者は自らのモンキー・マジックで自滅したんだな、ということを再確認するにとどまった。

|

« 臨床とことば 心理学と哲学のあわいに探る臨床の知 | トップページ | 気流の鳴る音<2> »

44)私は誰か」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 生老病死の心理学:

« 臨床とことば 心理学と哲学のあわいに探る臨床の知 | トップページ | 気流の鳴る音<2> »