オウム帝国の正体
「オウム帝国の正体」
一橋 文哉 2002/11 新潮社 文庫: 435p
Vol.2 956★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆
大昔から「事実は小説より奇」に決まっている。
その上昨今は、世界的にも奇怪な事件が多く、想像力で物語をでっち上げるフィクション作家は、次第に書きにくい状況になりつつある。p428
自称フィクション作家に比べると、優秀なノンフィクション作家の数は極めて少ない。理由はいろいろあるが、間尺に合わぬからだ。取材と資料調べに膨大な時間と経費がかかる割には本が売れず、「大赤字」なんてこともあるからだ。それに日本では、自称フィクション作家に比べ、ノンフィクション作家は軽んじられる風潮もある。p428 安原顯「解説」(平成14(2002)年9月、スーパーライター)
この本は、当ブログが始まる前に読んでいて、しかもやや「陰謀論」に偏りすぎ、ともすればトンデモ本に加えられたりする可能性もある本である。ブログという性格上、私はあまりトンデモ方向に走らないようにしているが、実際はこの手の本は嫌いじゃない。以前にも他の本にからませた形で、この本の印象を残しておいた。
そろそろこの本も再読しなければならないかな、と思ってこの本をめくってみてびっくりした。この本の「解説」に安原顯の名前が見える。この文章が書かれたのは2002年9月だから、wikipediaによると03年に亡くなった安原、最晩年の文章ということになろう。
いままであまり気にしてこなかったが、この安原顯(顕とも)の名前は、「映画をめぐる冒険」(1985)の奥付にも見える。村上春樹と安原の蜜月時代というものはどのくらい続いていたのだろうか。晩年に安原は村上春樹の生原稿を売却したとされる。一般には背信行為とされる行動で、その意味を当然知っていた安原が、村上春樹に対する報復のような形で行った可能性が大きい。
もし、その安原が、とくに名前を明記していなくても、上記のようなフィクション作家批判を書いていたとしたら、その矢面には、村上春樹の名前もぶら下がっていたのではないだろうか、と察する。95年の麻原集団事件後の、「アンダーグラウンド」や「約束された場所でunderground2」、あるいは「神の子どもたちはみな踊る」などを発表している村上だが、それを安原はどう評価していたのだろう。
この文庫本は、2000年にでた単行本の文庫本化なので、単行本のほうにはこの安原の文章は掲載されていないだろう。一橋文哉は、安原が育てたノンフィクション作家だったのだろうか。どういう経緯でここに「解説」などを寄せることになったのだろうか。そういえば、どこかに村上本人が安原について書いていたものがあったはずだ。
自分のブログをググってみたら、ちょうど2年ほど前に、Sopan氏が書きこみしてくれて、そのコメントのなかに安原顕の名前があったことを発見した。図書館を検索してみると、これまた、たくさんの安原顕の本があることを発見。現在のところ、この人の本を追っかけるつもりはないが、なるほど、これほどの人であったか、と納得。ところで、この本の巻末に「オウム真理教主要幹部の裁判現状早見表」(2002年10月現在)がついているが、その中に豊田亨の名前は入っていない。
当ブログの当面の着目点のひとつは、クラウドソーシングとしての「ハルキワールド」に関わる「1QQ5」が「200Q」に抜けてくる過程で、小説「1Q84」book3はどのような展開を見せるだろう、というところにある。ちょっと謎かけの多すぎるテーマではあるが、いまのところは、このような表現にとどまっている。
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