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2010/02/22

宇宙意識への接近 伝統と科学の融和

Itc
「宇宙意識への接近」伝統と科学の融和
河合 隼雄・ 吉福 伸逸・共編 1986/04 春秋社 単行本 257p
Vol.2 974★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 楽園瞑想」の中で、宮迫千鶴の吉福伸逸のイメージは「宇宙意識への接近」のオルガナイザーというものであったということが書いてあった(p1)。ああそう言えば、納戸にそんな本があったなぁ、と20数年ぶりにこの本を取り出してきた。

 この本は1985年4月に京都において一週間にわたって開かれた「第9回トランスパーソナル国際会議」における発表の中から、「心理学的なものを中心」に11名の発表を選出し、訳出したものである。

 当時この会議に参加した人物からその噂を聞いて、この本がでるのを楽しみにしていたが、聞いていた会議のイメージとはだいぶ違う内容になっていたので、ほとんど空振りな気分でそのままになってしまった一冊である。

 当ブログは、現在「ブッタ達の心理学」というターゲットに向けて絞り込み中であり、「意識をめぐる読書ブログ」という標題にすり寄るべく、読むべき本、読むべきテーマを厳選し始めている。であるがゆえに、本来、ひとつひとつの講演は超一流の面白いものばかりが選ばれているこの会議講演録だが、あえて、その中にあっても、より当ブログの今後の狙いを浮き立たせるために、以下、それぞれの講演について、独断的印象をメモしておく。

「序」 河合隼雄 PⅧ

 当時、この人物がなければこの会議は存在しなかったであろう。臨床心理士などの資格制度などで後年忙しくなる河合だが、この当時はまだその仕事は本格的にスタートはしていなかっただろう。それだけに、いわゆるトランスパーソナルな領域にも力を貸すことができた、というべきか。

 河合隼雄の名前を冠している本なのだから、もっと彼のカラーがでてもいいように思うが、そういった意味では、編集者として、その姿を陰に隠したのか。この会議自体について、河合本人が本当はどう評価していたか、他のなにかの文献にあるだろう。

「スペース・オデッセイ」 ラッセル・L・シュワイカート p2

 宇宙飛行士の宇宙体験についてはいろいろな出版物があり、立花隆の「宇宙からの帰還」などは、かなり印象深く記憶の底に残っている。この本の「宇宙意識への接近」というタイトルもこの講話の影響を受けているのかも知れないし、また、であるからこそ、この人がこの本のトップバッターを務めることになったのだろう。

 ただ、その話は、多分この人、いままで講演を依頼されるたびに何百回、何千回と話してきたことであろうし、もともと感動的な話ではあるが、はて、本当の「今ここ」の感動を語っているかというと、問題あり、だろう。

「知覚と人工知能」 フランシスコ・J・ヴァレラ p17

 生物学の相当なインテリだが、チョギャム・トゥルンパ・リンポチェに就いてチベット密教を十年に渡り実践している、というのが売り。いかにもハマり役という感じで、色ものとして扱われているのではないか、と勘繰ったりする。

 人工知能については、当ブログでもとても興味深く追っかけてみたが、現在のところ小休止。結局は全体性としては人工知能が人間を超えることはないだろう、という読みと、人工知能はどのようにして身体を獲得しうるか、というところで議論は停まっている。この講演もインターネット時代の前のお話なので、どこまで新鮮に読めるかは、2010年の現在、不明。

「個人意識・精神の役割と社会的危機」 ジョン・ワイアー・ペリー p45

 黒船のペリー総督の子孫とか。だからと言って「われわれ日本人に新しい開国を迫るもの」(河合PXV)というのも、ちょっとほめすぎでしょう。ユング研究所でユングに師事した医学者。河合一押しのパネラーであったのかもしれない。

 トランスパーソナルな流れの中で、ユング心理学はそのボリュームある部分を補てんしているようだが、それはユングな流れの停滞と、トランスパーソナルな足元の不確かな部分が、互いに補完しあう関係にもたれこんでいるからではないだろうか。

「都市と分析・東の目で」 樋口和彦 p70

 この本がでた当時、日本に3人しかいない(そのうちのひとりは河合)ユング派の分析家。京都で開業。いろいろキリスト教的背景があるようだが、この人をトランスパーソナルとして単独で呼ぶことには躊躇する。

 やはりトランスパーソナルというイメージづけの、ひとつの極として付き合わされている感じが否めない。この人はトランスパーソナルという依って立つべき「学会」を必要としないのではないか。

「伝統と技術の変遷に関する個別体験」 ドーラ・カルフ p88

 箱庭療法と呼ばれるものの開発にタッチした女性。サンドプレイ=砂遊び療法ともいわれる。箱庭療法は、河合が日本向けに名付けただけでなく、多少は各自違った活用の仕方をしているだろう。

 療法はさまざまあるけれど、みんなでさぁ、砂遊びをしましょう、ってトランスパーソナルな人たちが動き出すとも思えない。まぁ、かつてはこういう時代がありましたな、という確認にとどまるのではないか。

「伝統の中に永久不変の価値があるか?」 ドム・ヘルダー・カマラ p111

 どうやら、政治的、宗教的に、一定程度の傾きを持ったひとではないだろうか。1983年の第一回庭野平和賞を受けた、とされる。庭野とは、立正佼成会にかかわる存在であろうし、その賞を受賞するということ自体、それなりの意味=色合いを持っている、ということになるのだろう。

 当ブログにおいては、政治や経済は無縁とは思わないが、現在絞り込み中なので、できれば、大きな散心をすることなく、もうちょっと前に進みたいので、この辺は現在あんまりつっこみたくない。

「癒しに対するアフリカの貢献」 ウズマズール・クレード・ムトゥワ p125

 南アフリカ共和国のズールー族出身の女性。地域的なことや、民俗学的関心、あるいは文化人類学的アプローチは、現在のところ、当ブログではお手上げ、という状態。「意識をめぐる読書ブログ」の範疇からはみ出してしまう。

 とはいうものの、面白そうなネタは一杯ある。いずれなんらかの形で当ブログの体制が整えば、いちど、こちらのエリアも訪問させていただきたいと思う。ただ、そのためにはそうとうな時間と知恵が必要になるのではないか、と危惧している。

「死・成長の最終ステージ」 エリザベス・キューブラ=ロス p139

 この本の中では一番面白く、また、関心のあるところ。彼女の「死ぬ瞬間」シリーズは何度も当ブログでも読み込もうと思って、ほぼ全巻揃えてみるのだが、そのたびに挫折しまくっている。なぜだろう。

 「死」は重要なテーマだ。当ブログはそちらに向かっている。まだ機が熟していないのだろう。しかるべき時が来れば、一連の彼女の本を読み込みたい。ただ、ここで発表されていることは、すでに旧知になっているところで、今となっては、この本にしか書かれていない、ということではない。

「意識の研究と人類の生存」 スタニスラフ・グロフ p167

 初代国際トランスパーソナル学会の会長さん。LSD体験の研究で有名。そのあと過呼吸のホロトロピック・セラピーに代替えした。翻訳を吉福本人がしているところからも、吉福一押しのパネラーということになるだろう。

 彼の本は何冊も読んだ。だが、だからどうした、と居直る私がいる。心理学とはなにか、ましてや、ブッタ達の心理学とはなにか、と言った場合、この人は、その存在のインパクトの強さの割には、どこかでプッつりと切れてしまっている感じがする。いわゆる「ブッダ」へ行きつかない。

「過去の未来」 玉城康四郎 p193

 こちらは逆に仏教の研究家であり、いわゆる「心理学」にどのようにして届くのか不明。学問としての仏教の権威とお見受けした。この人の名前はあちこちで拝見したように思うので、きっと有名な学者さんなのだろう。 

 当ブログではまだ一冊も著書を拝読しておりません。読書としては興味深々ひかれるものが多いが、多分難しいだろうな、という印象。この人の著書を、数冊飾っておくだけで、インテリとして認めてもらえるかも。

「太平洋へ向けての転換」ウィリアム・アーウィン・トンプソン p211

 この本のトリをつとめるこの人は、まとめを意識して大きいことを語っているが、よくわからない。用意した原稿とまったく違ったことをお話になったようで、そのことについては、なかなか冒険的だとは思う。

 ただ、時代が時代、あれからすでに四半世紀も経過しているわけだから、時事的な問題はどんどん古くなってしまう。いろいろな言葉を重ねても、結局は、グローバルな地球村ができあがりつつあるのだから、より普遍的な人間のライフスタイルが生れてくる頃だよね、ってことを確認できれば、それでいいだろう。

「あとがき」 吉福伸逸 p252

 この会議のあと15年後の「楽園瞑想」の中では、いろいろ語っているので、ははぁなるほどね、と思うところが一杯あった。そのことについては、そちらの本を再読するときに、また触れてみよう。

 ただ、この本といい、会議といい、吉福一派総動員というイメージはあるが、どこか生彩を欠くというか、そのトーンは抑えられてしまっているのはやむをえないのであろう。「ブッタ達の心理学」へどうこの本を読むか。単独では、この本はあんまり関係ないな、という印象に落ち着いた。だったら、初読の四半世紀前とおなじじゃん。ガクッ。

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