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2010/02/28

テーマは「意識の変容」

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「テーマは『意識の変容』」―吉福伸逸+岡野守也 徹底討論
1991/10 春秋社 単行本 270p
Vol.2 981★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 岡野については、いずれひととおり追っかけをしたいとは思っているのだが、仏教に造指の深い編集者、というイメージ以上のものがなく、いまだ、後回しになっている。

岡野 「アーガマ」(阿含宗が出しているが、宗教色のきわめて薄い、ユニークな宗教・思想の雑誌)で吉福さんがウィルバーの紹介を書いていたんですね。ぼくは、それ以前は新宗教の布教雑誌だという偏見を持ってたので、ぜんぜん見てなかったんですが、その少し前に当時の編集長だった松澤さん(松澤正博氏、現在は評論家として活躍中)とたまたま知り合って、彼が毎月ぼくのところに送るようにしてくれたんです。p15

 ほんとうは、最初の岡野の直感のほうが正しかったんではないかな。これは新手のイメージ戦略で、実際に岡野のように引き寄せられていった人々に、麻原とか、林郁夫早川紀代秀、などがいたことを考えれば、このイメージ戦略の効果は効果大であったことは間違いない。もっとも、吉福とこの桐山集団とは更に縁が深く、1977年当時創刊された「ザ・メディテーション」(平河出版社)という雑誌に、吉福はすでに盛んに寄稿している。この集団との「関わり」について吉福がキチンと整理した文章を書いたかどうか、寡聞にして知らない。

岡野 たとえば、唯識の八識構造論(煩悩でいっぱいのふつうの人間・凡夫の心=識を、五感と意識、マナ識、アーラヤ識の八識三構造でとらえる理論)は心の構造の基本をほぼ誤りなくとらえているし、それほそ大幅な修正の必要はないと思うんです。もちろん、ユングやフロイド的ないろんな知見を補充していく必要がありますが、骨子は基本的に修正する必要はない。p132

 ものごとを理論や構造としてとらえたくなるのは理解できるのだが、そこから脱出することのほうが、さらに難しい。

岡野 吉福さんは、サイ・ババとかラジニーシとかクリシュナムルティとか、それこそいろいろな人物に会っていますね。で、やはり、究極に近いものを肉体化しているという感じの人物には一人も会わなかったわけですか。p146

 この手の人々に精神的にもフィジカルにも「会う」という表現の使い方はそうとう難しいとは思う。が、あえて想像すると、Oshoに対しては、70年代後半、吉福という人は、数日間プーナのアシュラムを訪問し、新しく来た人々が座るべきスペースあたりで遠巻きに朝のレクチャーくらいには参加していた可能性があるだろう。それ以上は、ちょっと想像できない。

吉福 そのへんはなんともいえないですね。ただ、クリシュナムルティとラジニーシについては、「ああいう人だったら、これはまったくぼくの手には及ばない」というのはわかります。「ぼくとは心境が違う」というぐらいはわかる。ラジニーシとクリシュナムルティを同じように語ることができるかどうかわかりませんけど・・・・。ぼくがこれまで会った人のなかではあの二人ぐらいですかねぇ。ラジニーシのほうがまだ自己に対する執着があるかなという感じはありますけど。それ以外にまったくの無名の人で、きわめて人間的にひじょうに高い境地にいる人には何人も会いました。p148

 なんか偉そうな口調ではあるが、70年代後半当時のレポートとしては、立川武蔵のものより、まだましかな、と思う。

 ただ、当ブログにおける、ここでのカテゴリテーマは「私は誰か」である。あの人はブッダだ、あの人は「人間的にひじょうに高い境地にいる」などと品評会をしているわけではない。私は誰か、が話題なわけだから、吉福という人にここで問われているのは、必然的に「吉福さん、あなたは誰ですか」という問いなわけだ。当然、その問いは、この記事を書いている私自身にも降りかかってくる。

 さて、当ブログのこの「私は誰か」カテゴリの書き込みスペースも、次第に残りすくなくなってきた。次なるステップに向けて、いろいろ考えている。結局は、次なる「ブッタ達の心理学」カテゴリ3.0に向けて、読書方針を、ほぼ3つのテーマに絞ることができるのではないだろうか。

1)カウンセラー、セラピスト、臨床実践家、などいろいろな表現があるが、一体、この心理職の人々は「マイスター」から「マスター」になりえるのか、どうか、という見極め。あるいは、そもそも「マスター」になる道に至らなければ、この心理職というものはその存在し得ないのではないか、という仮説の検証。

2)最後のOsho-Zenシリーズの徹底した読み込み。

3)最終的には、なんでも、どんなものでも、楽しんで読めるようになること。本だけじゃなく、ビディオや音楽、その他のアートに関する自由な視点。そして、それらを読まなかったり、聞かなかったりもできる「自由」な境地への道筋。

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