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2010/02/25

楽園瞑想 神話的時間を生き直す <4>

<3>よりつづく
楽園瞑想
「楽園瞑想」 神話的時間を生き直す <4>
宮迫千鶴 /吉福伸逸 2001/09 雲母書房 単行本 317p
★★★☆☆  ★☆☆☆☆

 「インテグラル・スピリチュアリティ」に向けて「流体感覚」と合わせて読み進めたこの本ではあるが、そろそろ一旦閉じておく。この他、吉福著「無意識の探検・トランスパーソナル最前線」1988、「テーマは『意識の変容』」1991、「処女航海」1993、などが読めることが判明したので、近日中に目を通そうと思う

 この他、この本を閉じるにあたって、2、3気になるところも残っているので、ランダムにメモを残しておく。

吉福 最初はトランスパーソナル心理学を日本に導入しようという気持ちは、全然なかったんです。ぼく自身の個人的な世界だったから。そのつもりはどこにもなくて、ぼくが1960年代から70年代にかけてアメリカで経験してきた、ヒッピーの動きやニューエイジと呼ばれる動き全体の流れすべてを紹介しようとしたんです。基本的な考え方を導入すれば、あらゆる分野に影響は及びますから、ぼくはまず全体を紹介したかった。

宮迫 それは日本社会に対して、意識的に紹介するという気持ちだったんですか。

吉福 それは違う。なぜそういうふうにしようとしたかというと、自分の居場所がないから、居場所を作りたい。その居場所を作るためには、何でぼくがこういう人間になったのかということの背景を、日本に紹介しないといけなかったからですよ(笑)。単に自分の居場所を作るための作業です。大義名分が必要だった。「これはすばらしい運動だったから、導入すれば日本の社会は変わる」なんて思っていたわけではないんです。

 要するに、自分が存在し得る環境を作るためには、そうするしかなかった。なぜかというと、その方法しか知らなかったからですね。だから、全部言いわけですよ。しかも他人を集めて、「一緒にやりましょう」と誘って(笑)。 p38

 フィジカルには私は著者と1978年と1988年頃に会っているし、その間、継続的に彼の活動のDMが飛び込んできていたのだが、こういう姿勢がどこか滲みだしていて、こちらから距離をつめようという気分にはなれなかった。

宮迫そういう仲間とは、自然に出会われたんですか。

吉福 そうですね。プラブッタは、ぼくの弟みたいな感じで、自然に家に寄って来るようになった。彼がまだラジニーシに出会う前ですけどね。p38

 別に前後を論じる必要もないが、前後していても数カ月、あるいは1~2年の違いである。人生としては殆ど同時くらいと考えておいていい。この辺のことは1978年にでた「やさしいかくめい創刊号」草思社1977あたりの記事が残っているので、なかなか興味深い。

吉福 それでぼくが何をしたのかというと、いちばん自分の背景として強く影響を与えていて、しかも興味が大きかったのがやはり心理学と宗教だったので、トランスパーソナル心理学を導入しようという気になった。1978年か79年くらいでしたかね。自分の背景がそうだったし、終始エサレン研究所に行ってワークショップを経験していたというのがあったからであって、最初からトランスパーソナル心理学を取り入れようなんて気は全然なかった。p40

 つまり「ニューサイエンスからトランスパーソナル心理学にターゲットを移した」のは1984年前後だけれども、さかのぼること「トランスパーソナル心理学を導入しようという気になった」のは1978~79年頃、と理解しておいていいのだろうか。プラブッタは盛んにOshoの翻訳に集中していく過程であり、彼は、横目でOshoサニヤシンが増加していく姿を見ていただろう。ここで、彼が「エサレン」を出していることに留意しておきたい。この場所については、別途、当ブログとしては伊東博・訳「エスリンとアメリカの覚醒」を読みこんでいる。

吉福 ぼくはあの会議が嫌だったんですよ(笑)。トランスパーソナル国際会議を京都でやるのは、ぼくは大反対だった。最初から時期尚早なので、ぼくは完全にダメだと思っていました。会議自体はたいへんだったんですよ。総合司会を丸一週間やっていて、ポリティカルなこともいろいろあったから、もうグチャグチャになっていましたね。p41

 この会議のレポートのひとつである「宇宙意識への接近」の、一方の編者である河合隼雄も「時期尚早」と発言しているところは興味深い。

吉福 ふつうのエスタブリッシュされた心理学の場合でも、心理学の手法というのは、ハードサイエンスからすると、ある種さげすまれているような手法しかない。つまり、十分に科学的でないと言われているわけです。その中でスキナーのような方が出て来て、行動主義というかたちでかなり物理科学に近い臨床形態をとって、認めさせるということもしてきたんですが、行動主義と比較すると、トランスパーソナル心理学というのは、本当に対極に位置するものなんです。

 人間の心の中の、本当に微かな、いくら行動主義的なアプローチをしても届かない暗闇のようなもの、「光」と言ってもいいと思うんですけれど、トランスパーソナル心理学はそのようなものを中心に据えているから、臨床できない。そのためにアメリカの場合でも、理論が先行してくる。だから、どうしても日本の場合も、そちらのほうに振られて入ってきたという感じです。p92

 そもそも、科学とはなにか、心理学とはなにか、そしてトランスパーソナルとはなにか、意識とはなにか、という風に順番に検証していかなければならないが、心理学を成立させるのに、理論を先行せざるを得なかった、という発言は留意しておく必要がある。心理学を成立させるために、体験を先行させるという道筋もないわけでもないし、また、そもそも、意識や魂を扱うにあたって、「科学」や「心理学」という器がどこまで有効なのか、が問われなければならない。当ブログの今後の「ブッタ達の心理学」カテゴリで、もうすこしこの辺をおっかけたい。

吉福 ハワイに引っ越して2年くらいたったころに、ニューヨークの宮内勝典君から手紙が来て「ハワイにぜひ行きたいと思うんですけど、そこで暮らしていて創作はできますか?」て、書いてあったの(爆笑)。ぼくは、創作は住んでいる場所と関係ないと思っていたから、一体なんてことを聞くんだと思って、「そんなことを聞くな。ただし君みたいな人には、ハワイに来て欲しくない」と、返事したんですけど(笑)。p130

 宮内勝典・・・ねぇ、当ブログでもすこし追っかけましたが、あれを文学と私は呼べない。いいかげん過ぎる。

宮迫 (トゥリア=ケン・ウィルバーの妻は・引用者注)自分では何が原因かわからないままに、フィンドホーン(スコットランドの共同生活体)に行ってみたり、瞑想にアクセスしてみたりするわけですね。

 「グレース&グリッド」を読んだ段階ではあまり気にならなかったけれど、ここでフィンドホーンがでてきたのは面白い。関連書籍を追っかけたが、読書ブログとしての当ブログが読んだ限りにおいては、まったく面白くなかった。実際にその土地に赴けば、印象はまた違う可能性もあるが。いずれにせよ、この本にでてきた「エサレン」と「フィンドホーン」に対して、カトリックが「ニューエイジについてのキリスト教的考察」において、ニューエイジの二大メッカとして徹底的に研究しているところのほうが面白い。

吉福 60年代から70年代にかけてのアメリカのムーブメントの中にぽーんとひとりで行って、直接すべてを体験して、人格が崩壊するほどのダメージを受けずに日本に帰ってこられたものだから、そこで体験してきたことを日本に伝えるというのを、一種のミッションと考えた。そう考えないと、できなかった。でも当時から「こんなことは自分のミッションではない」と、一方で一生懸命自分に言い聞かせているようなところもあったんだけど・・・・。p237

 このことについては、いろいろあるが、言うのはやめよう。とにかくそういう事実があり、そういう内省があったらしい、ということをメモしておく。

吉福 ぼくの気持ちがトランスパーソナルには、もうあんまりないんですよ。もっと全体を眺めているんです。やっぱりぼくの原点は、その前にあるんですね。p313

 さて、そろそろこの本を一旦閉じることにする。

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