シッディ・スヴァバーヴァ タラン・タラン <1>
「シッディ・スヴァバーヴァ」 <1>
タラン・タラン 現在のところ日本語訳未刊行
Vol.2 970★★★★★ ★★★★★ ★★★★★
いつかは大きくターンしてOsho「私が愛した本」東洋哲学(インド編)に戻らなけりゃならん、とは思うが、あのリストをざっと見ているだけで、眩暈がする。そもそも読書ブログとして読み込みをしようと思っても、あの「インド編」とやらは、そのひとつひとつの文献を探すことがとても難しく思えるからだ。
さらには、その文献をひととおりめくれば一応当ブログでは「読んだ」ことにしているのだが、あのインドの方々の文献は、めくっただけでは読んだことにはならないし、「精読」したって、読んだことにはならないのだ。
そこには「体験」が必要だ。読み、知り、体験し、自らのものにしてこそ、それは「読んだ」ということになるに違いない。だから、やたらと面倒な気分になる。そんなことをするなら、苦手だとはいうものの「小説(文学)編」でも再読していたほうがまだましだし、アホらしいとは思っても、「西洋哲学編」で時間つぶしでもやっていたほうが、まだ救われるというものである。
しかし、それではOsho「私が愛した本」全168冊の完読にはならないし、当ブログのコンテナ、コンテンツ、コンシャスネスの、三コンのうちの、コンシャスネス部門が大きく損なわれてしまう可能性がある。ましてや「ブッタ達の心理学3.0」に向けて、その「ブッタ達」の意味さえ不明なまま彷徨することになってしまうかもしれない。
と、ちらちら考えているときに、この168冊研究の先達、小森健太朗氏より、きわめて貴重な資料をいただくことができた。
私はジャイナ教の、ある非常に小さな宗派に属する家に生まれた・・・その宗派は、私より少しは狂気の度合いが少なかったに違いないある狂人を信奉している。私以上の狂人だとは言えない。
彼の二冊の本について話すつもりだが、それは英語には翻訳されていないし、ヒンディ語にさえ翻訳されていない。翻訳不可能だからだ。私は、彼が海外まで知れ渡るようになるとは思えない。そんなことはありえない。彼はどんな言語も、どんな文法も、まったく何ひとつ信じていない。彼の話し方はまさに狂人だ。四番目は「彼の本「シュンニャ・スヴァバーヴァ」だ。----「空の本質」だ。Osho「私が愛した本」p201
その人の名はタラン・タラン、単に「救済者」という意味だという。
タラン・タランの二冊目の本、「シッディ・スヴァバーヴァ」---「究極なる覚醒の本質」という美しいタイトルだ。彼はくり返しくり返し同じことを言う。「空っぽになれ!」と。だが哀れな人間に何ができよう? 「目を覚ませ、目を覚ませ・・・」という以外に何か言える者など誰もいない。「警戒せよ(ビーアウェアー)」という言葉は、「気付いている(ビー・アウェアー)」という二つの単語でできている---だから警戒せよという言葉を恐れることはない。ただ気づいていればいい。そして気づいた瞬間、人はわが家に帰っている。Osho「私が愛した本」p204
なるほど「siddhi svabhava」という単語をGoogleUSAで検索してもでてくるのは結局はOsho関連だけだ。taran taranにしたところで、いわゆるOshoが言っているこの小さなジャイナの宗派の行者にはなかなか行きつきそうにない。日暮れて道遠し、という奴だ。
Oshoはジャイナの家庭に生れたとされるが、その中でもタラン・タランにより密接して暮らしていた一族であった、と言える。だから、タラン・タランはなるほど海外にまで知られるような存在ではなかったが、Oshoそのものの出自を理解するうえでは、かなり重要な存在である。この辺、氏からの解説を要約すると・・。
1)ジャイナ教は裸行派と着衣派に大きく分かれ、裸行派がさらに三つに分かれ、その中で一番小さい派がタラン・タラン派。
2)タラン・タランは、クンダクンダ派の流れを汲むジャイナ教の聖者で、Oshoは生家の伝統に則しているクンダクンダも「私が愛した本」に加えている。
3)クンダクンダの師匠がウマ・スヴァーティで、Oshoは「私が愛した本」に自分の生家の伝統を築いたマスターをマハヴィーラまで含めて四人ともいれている。
つまり、マハヴィーラ・・・・ウマ・スヴァーティ・・・・クンダクンダ・・・・タラン・タラン・・・・(Osho)・・・・という流れが見えてくる、ということになる。厳密な法灯とまでは言えないまでも、時間的経過の中で見え隠れするこれらのブッタ達が存在していたようだ。
小森氏は永年をかけてこの168冊に関わる文献(それは400冊以上になるという)を収集しているが、どうやらこのタラン・タランに関するものは、もっとも収集することが難しかったものに属するようだ。それをどのように入手したのかは聞いていないが、すくなくとも、それは永年の研究者たちの手によって、すでに原語からいくつかのプロセスを経て、現在では、日本語の文字にされるところまで来ていると聞く。
近々、何らかの形で正式に公表されることになるのだろう。出来得るなら、当ブログが最も利用している、近場の公立図書館の開架棚に収容されるような文献となって、多くの利用が可能な資料として収蔵されることを望んでいる。
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