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2010/02/25

流体感覚 <3>

<2>よりつづく 

流体感覚
「流体感覚」 <3>
吉福伸逸、松岡正剛、見田宗介、中沢新一 1999/04 雲母書房 単行本 309p

見田 ボディというか、身体としての自己みたいなことに関して言うと、ぼくにとって身体とは竹のようなものである、と思うんですね。つまり、ぼくたちの存在にとっての身体ということを考えると、軸のところにはずっと空が通っているわけです。これはラジニーシという人の「Only One Sky」という本の題名にもなっているんですが、そのぼくたちの個々の存在の真ん中にある空というものは、われわれの外にある空とつながっているわけですから、ただ一つの空だけがある、と言うこともできる。だから、その身体=ボディというもののいちばんいい状態のチューニングというのは、ぼくたちがどういうふうに存在の遊びのために良い竹笛になることができるか、ということになります。p110

 見田という人は、1983~4年ごろの東大でOshoについて講義していた。そのことは「さよなら、サイレント・ネイビー」にもでてくる。ほう、この人、1999年ごろになってもこのような口調でOshoを語っているのだろうか、と思って文末をみたら、はやり、この対談は1988年7月に行われたものだった。

吉福 ぼくが身近に体験していることで言うと、宗教的指導者に自分自身を明け渡していく場合です。ぼくはラジニーシのサニヤシン(信者)の人たちと接触することが多いんですね。で、その異質感というか、自分と彼らとの境界線を感じるのはどこかというと、個々のサニヤシンの口から語られる「バグワンはこう言った」という言葉なんです。個々のサニヤシンに対しては異質感というのはほとんどないんですが、「バグワン」という言葉が彼らの口から絶対的なかたちで語られるたびに、誰と話しているのかわからなくなる。ですからこういう現象も、自己を明け渡すことによってより巨大な自己観をつくっていくメカニズムなのかもしれない。p118

 この人の大きな勘違いは、サニヤシンにはあらゆるタイプがいるということをわかっていないところ。そして、この当時、彼の周りにどのようなサニヤシンがいたか知っているけれど、それはある種のサニヤシンしか近づいていかなかった、ということがある。だとしても、彼の表現は公平ではない。

 当時の私も、実際にフィジカルに彼と接しているが、決して彼とは親しい関係になるまいと、ある一定程度以上は距離をつめなかった。つまり、彼は、彼から見た場合のある種のパターンを見たいがために、その種の人々をまわりに寄せた、と言うことができる。彼は全体を見ていないし、1を見て100を語っている。群盲象をなでるの典型である。

 それにサニヤシンをカッコ書きで表現している部分が特にいただけない。1987年だから、80年代前半のオレゴンのコミューンでのできごとがあった後だけに、このステレオタイプの表現は、最初っから、この人はな~んも分かっていないことを示しているに過ぎない。パターン化しているのは、サニヤシンではなく、サニヤシンを見る彼の目の方だ。

 この後、ドン・ファン・シリーズなどに話題が変化していくが、当ブログでもいつかドン・ファンをやろうと思ってはいるが、たぶんやらないだろう。「バグワン」が言うには(爆)、ドン・ファン・シリーズは、「スピリチュアル・フィクション」だ、ということになっている。単なるフィクションより、性質が悪いと言っている。なぜなら、フィクションであることがわかると、人は本当のスピリチュアルな旅から遠ざかってしまうからだ。

 ドン・ファン・シリーズは、私もほとんどの本を自宅に蔵書として保管している。しかし、私は好きではない。私はこの本をOshoの本と出合った1975年より、もっと前から知っている。しかし、最初っから好きではない。決して、Oshoが「そう言ったから」嫌いになったわけではないですよ、吉福さん。単に、私の意見と同じことを、Oshoが後から言ったにすぎないのです。このへんを誤解しないように。

見田 いまのぼくにとっては二つのことだけが問題なんです。その二つの問題が解決されればもう何もやることはない、遊んでいればいいということになります。その一つはニヒリズムの問題で、もう一つはエゴイズムの問題なんですね。そのうちニヒリズムの問題、つまり死の恐怖の問題を含めたニヒリズムの問題というのは、「時間の比較社会学」(岩波書店)の仕事をとおして退治できたんです。そうすると、あと一つしか残っていないわけで、それはエゴイズムの問題です。p141

 見田については当ブログとして読み込みたいとは思っているが、わりと近刊の「社会学入門」2006/04に目をとおしたきりだ。「時間の比較社会学」1981も蔵書しているので、そのうち再読してみようと思う。1937年生れの見田、この対談当時51歳。油の乗り切ったあたりか。

 二回目の吉福VS見田の対談は1998年7月。11年が経過している。この対談は前回の対談を引き継ぐ形で始まったが、割とふたりの立場の距離は以前のまま、という感じである。見田は相変わらず、ドンファンのことが好きで、Oshoについても若干触れている。とくに1995年の例の麻原集団事件以降について語っている。

見田 ある種の反動としての保守化というのは日本でも強くありますよ。アメリカ的な回路とは別の回路なんですね。オウム真理教の一連の事件があって、市民社会が、精神世界的なものに対して非常にクールダウンした。そこから強い警戒心が表面化してきたんです。70年代に出てきた、市民社会的な限界を突破しようというような動きは、いまは皆無に近いのではないでしょうか。

 むしろしういうものに対して90年代の日本人はすごく身を固くして身構える、という保守化が目立ちます。欧米でも、カルト的な新興宗教教団の集団自殺や、アメリカでのラジニーシに対する社会的なリアクションなどのように、そういうものに対する社会的集合無意識に警戒心があると、吉福さんが日本にいるときにやっていたような、数日間なり、ある期間ある場所に集まって行うワークショップなんかも、非常にやりにくい雰囲気になってしまったんですよ。p171

 これは1998年の段階の発言だけれども、割と見田という人も言うことがパターン化しているなぁ、と思う。すでに12年前の対談を持ち出して、ごちゃごちゃ言っているこちらのほうがすこしボケているのかもしれないが、まぁ、社会学者なりに、時代を見ているのだなぁ、と再認識した。

<4>につづく

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