人間に可能な進化の心理学 <12>
<11>よりつづく
「人間に可能な進化の心理学」<12>
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p
オンラインで、待っていた図書が届いたことを確認して、さっそく最寄りの図書館までウォーキング。ところがどっこい、今日は図書整理のための特別休刊日だった。せっかく来たのだからと、トイレを利用しようとしたら、こちらも先客があり、結局、地下1Fのトイレを使うことになった。西洋式トイレに座って、他にやることもないので、ふっと目を閉じて、瞑想した。
で、ふと思った。今、地下にいて、座っている自分は、村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」の主人公が井戸の底で目を閉じている姿に似ているなぁ・・と。あっちの場合はただ井戸の底に座っているだけだが、こちらは、地下にいるのに、さらに下から「吸われて」いるのである(笑)。なんだか可笑しくなった。
ふと考えた。そう言えば、「ねじまき鳥クロニクル」の場合、ルーツ&ウィングのバランスがいまいち良くなかったなぁ。ルーツは井戸に降りたはいいけれど、ねじまき「鳥」のウィングがなかなか伸びない。鳥ははばたく必要があるのだ。
そういえば、村上春樹の小説にはエレベータがよく登場する。図書館は休みだし、せっかくのチャンスだから、このビルの最上階まで登ってみようか、と思った。エレベーターで上って見ると、最上階は、なんと、児童公園になっていたのである。ほう、こんなところに公園が。時間帯の関係だろうか、他に誰もいなかった。
屋上の中心には、児童用の滑り台がある。他にやることもないので、上り段を登り、滑り台の上に立った。なんだか、「1Q84」で、天吾が青豆の姿をもとめて、夜の街を抜けて、団地の児童公園の滑り台に上るところを思い出していた。
うぬ? ここで、空を見上げて月がふたつ出ていたら、それではすっかり「1Q84」のパラレル・ワールドではないか。探してみると、まだ夕方になる前だったが、東の空に、月はあった。だが、月はひとつだった。それは当たり前だ。もし、ふたつあるほうがおかしい・・・。 西の空を見ると、なんとそこにも丸いものが・・・・。 もちろん、それは太陽だった。それはそれでいいのだ。空にふたつ丸いものがあって、月がひとつ、太陽がひとつ、それでいいのだ。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で表の表、表の裏、裏の表に、裏の裏、という4つの世界を描いた村上春樹は、「ねじまき鳥」を高く飛翔させることができないでいる。なぜ、ねじまき鳥は飛ばないのだろう。
講座4 自己想起の錬金術
今日は諸センターを詳しく調査することから始めよう。4つのセンターの図がこれである。 これは左向きに立っている人を横から見た図で、諸センターの位置関係をおおざっぱに図式化したものだ。p93
ウスペンスキーの図式はいまいちよく分かりにくい。むしろ、当ブログの図式のほうが分かりやすいのではないだろうか。ステージが分化するには、それぞれのショックが必要だ。第1のショックは「私は誰か」という問いだ。 第2のショックは「魂はどこにあるか」という問い。
そして、第3のショックは「いかに死ぬか」という問いになる。
つまり、4つのステージがあって、上位の2つが開発されていない状態というのは、つまり第3のショックが不足しているということになる。7つの○が十分に動き出していない。あくまで試論だが、そういう当てはめ方もある、というサンプル。
そして、最終的には、ひとつの○に戻らなければならない。戻るシステムを持っていないと、円環は完結しない。
つづく
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