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2010/02/02

村上春樹にご用心 <4>

<3>よりつづく


「村上春樹にご用心」 <4>
内田樹 2007/09 アルテスパブリッシング 単行本 253p
  

 当ブログの<1.0>はこの本で完了した。あのときは、図書館から借りてきた本を山積みにしておいて、最後の最後、タロットカードを引くように、えいやぁ、と目を伏せて抜き取ったのだった。その本がこの本である。村上春樹は、いずれ読んでみようとは思っていたが、あのときは、あんまり気が進まなかった。

 あれから10か月。このわずか1カ月の間であったとはいうものの、まさかこんなに集中して村上春樹を追っかけることになるとは思っていなかった。終わってみれば(実はまだ終わっていない)、なるほど、面白い、と思う。もっと早く気がつけばよかった、と思うかと思ったが、実はそうでもない。まぁ、当ブログにとっては、これがグッドタイミングだったのだろう。

 カテゴリ「クラウドソーシング」はもともと「クラウド・コンピューティング」が最初のネーミングだった。コンピュータやIT、ネット関連の新刊本を無作為に読んで放り込んでおこうと思っていたものだ。だが、途中で、当ブログにおける「科学」とは、インターネット関連のことではなくて、「意識」に対する「科学的」アプローチ、つまり、「心理学」だ、と意趣変えをした。そこで、カテゴリ名を変えることになり、「共」的ニュアンスもあった「クラウドソーシング」に名前を変更した。

 その「クラウドソーシング」もこの書き込みで107に到達した。本当は、この「村上春樹にご用心!」を108目にもってきて、このカテゴリを封印しようと思ったのだが、なかなか107番目のいい本が来なかった。リクエストしている面白そうな本は何冊かあるのだが、昨日は月曜日で図書館が休みだった。そこで、あえてこの本を再読した、ということである。

 「こっち」と「あっち」の「あわい」でどうふるまうのが適切なのか、ということを正しく主題化する人は本当に少ない。
 村上春樹は(エマニュエル・レヴィナスとともに)その数少ない一人である。
p25

 村上春樹ワールドは「『父』のいない世界で、『子ども』たちはどうやって生きるのか?」という問いをめぐる物語・・・・・(後略) p42

 私たちにわかったのは、村上春樹がたとえば「全共闘への決別や「80年代のシティライフへの空虚さ」のようなローカルなモチーフを専門とするローカルな作家ではなかったということである。間違いなく、村上春樹はデビュー当時の批評家たちの想像の射程を超えた「世界文学」をその処女作のときからめざしていた。p181

 どうして村上春樹はこれほど世界的な支持を獲得しえたのか?
 それは彼の小説に「激しく欠けていた」ものが単に80~90年代の日本というローカルな場に固有の欠如だったのではなく、はるか広汎な私たちの生きている世界全体に欠けていたものだったからである。
p183

 この本の前半は、著者自身が翻訳を手掛けているせいもあり、村上の長編や短編、エッセイというよりは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」などの翻訳ものに脚光を浴びせている。ようやくハルキワールドから次第に離陸して行こうと思っていた当ブログではあるが、う~む、まだ「翻訳物」という、もうひとつの「山」があったか、と、溜め息がでた。

 しかし考えてみれば、面白そうな領域が増えたわけだから、今後、また別な展開の中で、それらの村上が翻訳した作品群を味わうのもいいだろうと思った。内田樹独特の語り口による論評は、かなり面白い。そして、読み方も実にユニークだ。なるほど、と思う部分があちこちにある。

 さて、この本が「クラウドソーシング」の108番目になるか、あるいは、もっと108番目にふさわしい本がくるかは今のところ不明だが、今後、村上春樹本は、「地球人として生きる」の中で読んでいくことにする。次に読む本が、この内田本を超えていなければ、この本を108番目にして、そちらを107番目に滑り込ませることにする。 

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