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2010/03/21

ラーマティルタ OSHO「私が愛した本」<63>

<62>からつづく    
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「私が愛した本」 <63
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p

ラーマティルタ」
 
 
7番目・・・・。つい今世紀の初め、あるインド人の神秘家がいた。その人が光明を得ていたとは思わない。彼が3つの間違いを犯しているからだ。その点を除けば彼の作品は美しい、純粋な詩だ。だがその3つの誤謬は覚えておかなければならない。ラーマティルタほどの男でさえ、そのような馬鹿げた間違いを犯すことがある。

 彼はアメリカにいた。カリスマをもった人間で、人々の崇敬を受けていた。インドに戻ったとき、彼は、自分はまずヒンドゥの聖地であるベナレスへ・・・・ヒンドゥ教徒たちのエルサレム・・・・彼らのメッカへ行くべきだと思った。アメリカ人たちが自分をあれほどに尊敬していた以上、ベナレスのバラモンたちも間違いなく自分を神のように敬うものと彼は確信していた。彼は間違っていた。彼がベナレスで話し始めると、ひとりのバラモンが立ち上がって言った。「先へ進まれる前に、どうか私の質問に答えていただきたい。あなたはサンスクリット語を知っていますか?」

 ラーマティルタは、究極の実在について話していた。ところがこのバラモンは、彼にこう尋ねた。
 
 「あなたはサンスクリット語を知っているのですか? もし知らないのなら、あなたは究極の実在などについて話す権利はない。まずサンスクリット語を勉強してきなさい」

 そのバラモンはどこも間違ってはいない。世界中どこでも、バラモンとはそうしたものだ。私を驚かせるのは、ラーマティルタがサンスクリット語の勉強を始めたことだ。これに私はショックを受ける。彼はそのバラモンにこう言えばよかった。「ヴェーダとサンスクリットを持ってとっとと消えなさい! 私はそんなものは問題にしない。真理を知っている私がなぜサンスクットなど気にする?」と。

 ラーマティルタは、サンスクリット語を知らなかった。それは本当だが、そんな必要もない---だが彼はそれを必要だと感じたのだ。それがみんなに覚えておいてもらいたい1番目のことだ。彼の本は実に詩的だ・・・・・人を酔わせ・・・・歓喜させる。だがその人間には、どこか欠けたところがある。

 第2に、遠く離れたパンジャビから彼の妻が会いにやって来たとき、彼はそれを拒絶した。彼は一度も他の女性を拒んだことはなかった。なぜ自分自身の妻を避けたのか。恐かったからだ。彼はまだ執着していた。私は彼を気の毒に思う。自分の妻を捨てながら、しかもまだ恐れているとは。

 3番目に、彼は自殺した・・・・もっともヒンドゥ教徒は、それをそうは呼ばない。彼らはそれを「自らガンジス河に解け込む」と言う。人は、醜いものに美しい名前をつけることもできる。

 この3つの点を除けば、ラーマティルタの本には価値がある。だがもしこの3つを忘れると、人はあたかも彼が光明を得ていたかのように思い始めるかも知れない。彼はあたかも光明を得た人間であるかのように話す。だがそれは「あたかも」であるにすぎない。OSHO「私が愛した本」 p239

<64>につづく

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