マルクダーサ OSHO「私が愛した本」 <49>
<48>からつづく
「私が愛した本」 <49>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p
「マルクダーサ」
今日の1番目の名前は、西洋では聞かれたことすらない名前、マルカだ。この人はインドでは最も重要な神秘家のひとりだ。フルネームはマルクダーサだ。だが彼は、あたかも自分が子どもでもあるかのようにマルカとしか呼ばなかった。そして彼はほんとうに子どもだった。「あたかも」ではない。
私はマルカについてはヒンディ語で話したことがある。だがあれはほかの言葉に訳されるまでには長い時間がかかるだろう。理由は簡単だ。マルカはあまりにも変わっていて、あまりにも神秘的だからだ。驚くべきことに、注釈者や、学者や、バラモン学者がこれほどいっぱいのインドで、マルクダーサについて注釈しようと思った者はひとりもいない。マルカはそれほどにも難解だ。彼は私を待たねばならなかった。私が彼の最初の注釈者だ。そして多分、最後の注釈者になるだろう。
ほんの一例だが・・・・・
アジガル・カライ・ナ・チャカリ・パンチ・カライ・ナ・カム・ダス・マルカ・カハ・ガエ・サブ・ケ・ダタ・ラム・・・
さて、今度は訳してみよう。正確に同じにはならないだろうが、それは私のせいではない。貧弱な英語に、このような豊かさが込められるはずがない。マルカは言う。「蛇は一度も仕事に出かけない。鳥も働くことはない。そして」とマルカは言う。「実際そんな必要はない。存在がみんなを養ってくれているのだから」と。マルカはゾルバなら好きになりそうな人だった。彼は若干の狂気と、深い瞑想の人だった。
マルカは深く瞑想に入ってこう言った。
マラ・ジャポン・ナ・カル・ジャポン・ジビヤ・ジャポン・ナ・ラム、スミラン・メラ・ハリ・カライン・メーン・パヤ・ビスラム
彼は言う。「私は神の名を呼ばない。また祈りのためにロザリオも使わない。私はまったく祈らない---そんな馬鹿げたことを誰がする!」と。マルカは続ける。「本当は、神が私の名前を覚えている。私が神をおぼえている必要はない・・・」と。分かるかね? 若干の狂気と深い瞑想だ。マルクダーサは、私が何のためらいもなく、光明を超えていると言うこのできる人のひとりだ。彼は十牛図の十番目の絵になっている。OSHO「私が愛した本」p88
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