ラーラ OSHO「私が愛した本」 <51>
<50>からつづく
「私が愛した本」 <51>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p
「ラーラ」
4番目。私はまったく大丈夫だ。私の番号が正しいからといって心配することはない。時には偶然そういうこともある・・・・。4番目はカシミールのあの女性ラーラだ。カシミールの人たちはラーラをこの上もなく愛している。彼女に対する尊敬のあまり、自分たちにはふたつの言葉しかない、ひとつはアッラーで、もうひとつはラーラだ、と言っているほどだ。カシミール人の99パーセントはイスラム教徒だ。だからその彼らが、自分たちはふたつの言葉しか知らない、アッラーとラーラだ、と言うとしたら、それは大変なことだ。
ラーラは一度も本を書かなかった。彼女は文盲だった。だが実に勇敢だった・・・・。彼女は生涯裸で通した---いいかね、これは100年前の東洋でのことだ---しかもラーラは美しい女性だった。カシミール人は美しい。インドで本当に美しい人々は彼らだけだ。彼らはモーゼが探し求めていた失われた部族の人たちだ。基本的に彼らは、ユダヤ人にその起源を発している。
モーゼが自分の同胞をイスラエルに率いて行ったとき・・・。ところであの狂人は何をしていたのだろう。なぜイスラエルへなのかね? だが結局のところ狂人は狂人だ。そこに説明などありはしない。モーゼは自分の仲間のための場所を探していた。彼は40年間砂漠をさまよい、そしてイスラエルを発見した。そのあいだにモーゼは、自分の部族のひとつを失っていた。その部族がカシミールに達していた。
少なくとも時には迷子になるのもいいものだ。モーゼは彼らを発見できなかった。失われた部族を探し求めて、モーゼがついにカシミールに達したことを知っているかね・・・・そしてそこで死んだ。モーゼの墓碑はイスラエルにはない。それはカシミールにある。
不思議だ。モーゼはカシミールで死んだ。イエスはカシミールで死んだ。私はカシミールに何度も行ったことがある。だから私は知っている。そこが、「ああ、今この瞬間に死ぬことができたら・・・・! あまりにも美しい。このさき生きることに何の意味があるだろう」と言わずにはおられないような場所だということを。
カシミール人は美しい。貧しくはあるが、途方もなく美しい。ラーラはカシミールの女性だった。文字は読めなかったが、それでも、歌うことも踊ることもできた。だからわずかだが、彼女が歌った歌が残されている。むろん、ラーラ本人を救い出すことはできなかったが、その歌は今に残っている。私はそれらの歌をこの追補に含める。OSHO「私が愛した本」p94
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