ジャイナ・スートラ マハヴィーラ OSHO「私が愛した本」 <48>
<47>からつづく
「私が愛した本」 <48>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p
「ジャイナ・スートラ」マハヴィーラ
2番目。「ジャイナ・スートラ」--「勝者の経典」だ。「ジャイナ」とは美しい言葉だ。それは征服者--「自らを征服せる者」を意味する。
私はこれらの経典について、何巻にもわたって話したことがある。だがそれらのは本、まだ英訳されていない。ひとつ言っておきたいのは、私がこの「ジャイナ・スートラ」をこの追補の中に含めるということだ。
誰ひとりマハヴィーラほどに静かでもなければ、裸でもない。沈黙だけがそれほどにも裸でありうる。いいかね、私はヌードとは言っていない。裸と言っている。このふたつの言葉はまったく違う。「ヌード」はポルノグラフィックだ。「裸」とは、完全にオープンであるということ、傷つきやすく、覆われていないということだ。子どもはヌードではなく、裸であるだけだ。裸のマハヴィーラは実に美しい。
マハヴィーラはこの経文を、誰にも一度も語ったことがないと言われている。ただ、その傍らに坐っていたごく親しい者たちだけが、心の内にこれらの経文を聴いた。彼らはそれをただ聴いた。これこそ最大の軌跡のひとつだ・・・。マハヴィーラを囲んだ11人の親密な弟子の内なるサークルがあった。そして全員が同時に同じ言葉を聴いて、それは記録に値すると考えた。マハヴィーラは、口に出しては何ひとつ言わなかったが、微妙な方法で、ある波動を通して語った。
この「ジャイナ・スートラ」は、世界中のほかのどんな本ともまったく違った方法で書かれた。師は沈黙したままだった。そして11人の弟子が同時に--この「同時に」という言葉を強調してもらいたい--同じ言葉を聞く、そしてそれを記録する。このようにして「ジャイナ・スートラ」は生まれた。何という本の生まれ方だろう! これ以上美しい生まれ方を考えることはできない。そしてそれらの経文は、たしかに人間が達しうる最高の光を、そして自らを征服する科学のすべてを含んでいる。OSHO「私が愛した本」p72
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