チャンディダーサ歌集 OSHO「私が愛した本」<61>
<60>からつづく
「私が愛した本」 <61>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p
「チャンディダーサ歌集」
10番目・・・・このセッションの最後だ。それは非常に小さな本だ。世界でもごくわずかな人にしか知られていない。だがそれは、あらゆる人間に、屋根の上から宣言される必要のある本だ。それは「チャンディダーサ歌集」だ---彼はベンガルの狂人、ひとりのバウルだ。
「バウル」という言葉は狂人を意味する。チャンディダーサは、村から村へと踊り、そして歌った。そして誰が彼の歌を集めたのかも知る者はいない。その人は偉大な、広い精神の持ち主であったに違いない。彼は自分の名前をあげることさえしないほどに心が広かった。
「チャンディダーサ歌集」・・・・この上もない畏敬の念をおぼえる・・・・・チャンディダーサという名前を聞くだけで、私のハートは別な鼓動を打ち始める。何という男だったことか、そして何という詩人だったことか! 詩人は何千といるが、チャンディダーサはソロモンと同じ範疇の人間だ、それ以下ではない。もしソロモンと比較できる者があれば、それはチャンディダーサだ。
チャンディダーサの歌は不思議なものを歌う。たとえば、存在しない神を・・・・チャンディダーサも神が存在しないことを知っている。だが彼が神について歌うのは、神とは存在を表すものにすぎないからだ。神は存在しない、神とは、存在だ。チャンディダーサは瞑想についても歌う。もっとも瞑想については何ひとつ語りえないが---だがそれでも彼は何かを言う、何かを無視できないことを。彼は、「瞑想は無心(ノーマインド)に等しい」と言う。何んという途方もない公式だろう! アルバート・アインシュタインなら、チャンディダーサに嫉妬しただろう。ああ、アインシュタインはチャンディダーサのことも、瞑想のことも、何も知らなかった。自分以外のことなら何でも知っていたのに。
チャンディダーサは愛の歌を、覚醒の歌を、美の歌を、自然の歌を歌う。そして何にも一切関係ない歌もいくつかある。ただただ喜びだけの、歌うことの喜びそのものの歌・・・意味など何の重要性も持たないような歌が。
これが10番目の、今日、最後の本だ。OSHO「私が愛した本」 p225
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