バール・シェム OSHO「私が愛した本」<67>
<66>からつづく
「私が愛した本」 <67>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p
「バール・シェム」
7番目。きわめて伝統的な、正当的ユダヤ教の中にさえ、わずかだが完全に光明を得た導師がいることは知られていない。光明を超えて行った者さえいる。そのうちのひとりがバール・シェム・トフだ。この人を仲間に入れなかったことで、私は自分を許すことができない。そして許しを乞える相手はいない。
バール・シェム・トフとは、彼が住んでいた町の名前だ。その名前は、単に「トフの町から来たバール・シェム」の意味だ。だから彼のことはただバール・シェムと呼ぶことにする。彼については話したことがある。ハシディズムについて話したとき、本質的なことで触れなかったことは何ひとつないからだ。私はタオについて、禅について、スーフィズムについて、ハシディズムについて語った。私はいかなる伝統の人間でもないから、自分で決めたどんな方向にでも行く自由がある。私には地図すら要らない。もう一度思い出そう。
来ては去る
滝に跡なく
行くあてもなし
バール・シェム・トフは、論文など書かなかった。論文とは、神秘主義の世界では汚い言葉だ。だが彼はたくさんの美しい物語を語った。それがあまりすばらしいから、みんながこの人の人となりを味わえるように、ほんの一例として、その中のひとつを話してみたいと思う。
ある女性がバール・シェムの所にやって来る。この女性には子どもがなく、子どもを欲しがっている。彼女はこう言ってたえずバール・シェムを手こずらせた。
「あなたが私を祝福してくだされば、どんなことでも可能です。どうか私を祝福してください。私は子どもがほしいのです」
ついに、うんざりして---そうだ、バール・シェムでさえ、口やかましい女性にはうんざりすることがある---彼は言う。
「男の子がほしいのかね。それとも女の子かね?」
喜色満面になって、その女性は言う。
「もちろん、男の子です」
バール・シェムは言った。
「ではこの話しを聴きなさい。私の母にも子どもがなかった。そこで母は、自分を祝福してくれるようにとしつこく町のラビを手こずらせ頼みこんだ。ついにそのラビは、『美しい盃をひとつ私の所に持って来なさい』と言った。私の母は、美しい盃をひとつ作って、そのラビの所へ行った。
その盃はたいそう美しく、バール・シェムの母親はこう言った。
『どんな褒美もいりません。この盃の中に見えるあなたのお姿の美しさだけで充分です。今は感謝の気持ちでいっぱいです。あなたが礼をおっしゃる必要はありません。私があなたに感謝しているのですから。ありがとうございます、ラビさま』
そして私の母は去った。こうして母は身籠った」とバール・シェムは言った。「そして私が生れたのだ」
その女性は言った。
「すごいわ。では明日、私は美しい盃を持ってまいります」
次の日、彼女は非常に美しい盃を持って現れた。バール・シェムはそれを受け取ったが、「ありがとう」とすら言わなかった。その女性はずっと待っていたが、ついに「子どものことはどうなるのですか?」と言った。
バール・シェムは言った。
「子どものことなど忘れなさい。あの盃はとても美しい。あなたのお陰だ。あなたにはお礼を言わなければならない。私が話したあの話を覚えているかね? その女性は何も褒美を望まなかった。だからその女は子どもを身籠った。それも私のような子どもをね」---バール・シェムのような子どもをだ。
「だがあなたは何かを手に入れるつもりでやって来た。この盃ひとつで、あなたはバール・シェムのような子どもを望むというのかね? そんなことは全部忘れることだ。そして二度とここに来てはいけない、二度と」
寓話でしか言えないことがたくさんある。バール・シェムが言っているのは根本法則だ。「求めなければ与えられる」と。求めないこと---それが基本的な条件だ。
バール・シェムの物語から起こったハシディズムは、かつて起こった中でも最も美しい開花だ。ユダヤ人はハシディズムに匹敵するようなことを他に何もしていない。ハシディズムは小さな流れだが、いまだに生きており、いまだに流れている。OSHO「私が愛した本」 p79
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