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2010/03/14

ゴドーを待ちながら<2>

<1>よりつづく   
ゴドーを待ちながら新装版
「ゴドーを待ちながら」 <2>
サミュエル・ベケット /安堂信也 2009/01 白水社 単行本 196p
★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 先日まで、当ブログは、「フロイト、ヘッセ、グルジェフ」追っかけなるものをしていた。彼らは必ずしも、私のお好みの人々ではない。まぁ尊敬すべき、端倪すべからざる人々ではあった。しかし、何故に彼らを追っかけたかというと、当ブログへのアクセス数の相当数が、この人々関連のキーワードでやってくるのである。

 当ブログには彼らについての記述などそれほど多くない。ほんのちょっとだけだ。しかるにアクセス者たちの絶え間ない来訪をどう考えればよいのか。そこに問題点があった。だから、むしろ、アクセス者たちの影が、当ブログを牽引する効果を生み始めていた、ということになる。

 その意味では、このサミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」も、その類に属する一冊である。当ブログでは、前回の一回した書いていない。にも拘わらず、このキーワードでの検索で、当ブログがヒットすることがあるようなのだ。

 そのアクセス数に引かれながら、何度も何度も、図書館からこの本を借りてきては、再読み込みのチャンスを狙っていた。しかし、なかなかその機会が訪れない。半年以上、まもなく一年になってしまう。なかなか、この本は単独では書ききれない。

 そこで、今回ようやくそのチャンスが訪れたと判断する。この機会を逃せば、残り数十というところまできた、第二期のサイクルの中ではメモすることはできなくなってしまうだろう。そのチャンスとは、Sin Cha Hong の「自由へのスパイラル・ダンス」との出会いである。

 本についてはすでに5回連続で書いた。そして、アウトラインもそれなりになぞってみた。だが、あの本は1998年出版の本であり、その後の彼女はどうしているのだろう、という最近の消息を尋ねてみることにしたのだった。

Godot_2  出てきたのは彼女の、この数年内の作品である「GODOT」であった。 もちろんこれは、Waiting for Godot、ベケットの「ゴドーを待ちながら」に対するSin Cha Hong 理解のステージなのである。

 う~ん、なるほど。これは決まりだな、と思った。他の記事を見たりすると、"Thoughts of Godot," or "Meditations on Godot," or "My Godot," などという文字が踊っている。

 ゴドーへの瞑想、とでも翻訳するのだろうか。彼女とゴドーなら、ぴったりだと思った。そして、むしろ、ベケットの「ゴドーを待ちながら」を止揚して、Sin Cha Hong 独自のDODOTになるのではないか。そう、それは「ゴドーを待ちながら」ではない。「ゴドー」そのものに、成り得る可能性がある。

 もちろんそのステージを見たわけではないので、無責任なことはこれ以上は言えない。だが、少なくとも、ベケットの「ゴドーを待ちながら」という脚本は、あらたにSin Cha Hong という肉体、その存在を得ることによって、まったく別なステージへ駆け昇っていく可能性があるのではないか、と思える。

Godot2  また、Sin Cha Hong のアートが、単にハワイの小屋や、韓国の郊外の家、あるいは、インドやチベットの雑踏のなかでの、モノローグではなく、「舞踊」として「観客」を必要としている限り、彼女のアートもまた、ベケットの脚本を得ることによって、よりダイアローグとして、広く観客を得ることができるのではないか、と感じられた。

 そんなことを考えながら、また、たいくつするだろうな、とこの本をめくり始めると、これがなんと、以前とはちがって、やたらと、生き生きとした脚本に読めてきた。

エストラゴン  腹がへった。

ヴラジーミル 人参をやろうか?

エストラゴン  ほかのものはないのかい?

ヴラジーミル 大根がすこしあったかな? p28

 もう、どうでもいいような会話でしかないのだが、もしこれが、Sin Cha Hong なら、どう演ずるのだろう、どう舞踊として止揚されるのだろう、という新たなる興味が掻き立てられた。

 そんなわけで、ここに来て、ようやくベケットの「ゴドーを待ちながら」が身体性を獲得したことで、にわかに立体的な空間に、生命が、魂が、湧いてきた、生れてきた、という感じがする。

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