バガヴァッド・ギーター<4>
<3>よりつづく
「バガヴァッド・ギーター」 <4>
鎧淳 2008/03 講談社 文庫 275p
Vol.2 No.1012★★★★★(残り12冊)
われ勝利をば欲せじ、クリシュナよ。また王権も愉楽をも。われら王権もていかにせん、ゴーヴィンダよ。歓楽もて、また生き永らえていかにせん。p35
危機に際し、この臆気、いず方よりか、アルジュナよ、そなたのうちに生じ来たれる。そは卑賤なるもののならい、天上界に導かず、恥辱をもたらす。p39
常住にして不滅、無量無辺なる霊魂の、これなる肉体は、限りありといわる。されば、戦うがよし、----バラタの獅子よ----。p43
ヨーガに立ち、執着を抛ち、強運の士よ、成不成に等しく、行為をなせ。平等心が「ヨーガ」といわる。p49
そは、強運の士よ、行為は心の修練より、はるかに劣ればなり。心に拠りどころを求めよ。功果を動機とするものたちは、憐れむべし。p49
(ヨーガを)修せざるものに智慧なく、また(ヨーガを)修せざるものに静思なし。さらに静思せざるものに、寂静なし。寂静なきものに、安祥いずれよりかあらん。p52
ひと、知識ありとも、己の本性にしたがい四肢を動かす。万物、(その)本性に帰す。抑止、(ここに、)なにおかなさんや。p61
これなる往古のヨーガを、いま、われ、そなたに宣示せり。そなたはわが愛(め)づるもの、また、友なれば、そは、これ、無上の奥義なるゆえ。p64
内官もて、一切の行為を捨離せるに、霊魂は大主として、九門の城邑に安座し、一塵も動かさず、一相をやぶらしむこともなし。p75
一切のうちにわれを見、またわがうちに一切を見るひとにとり、われは失わるることなく、またわれにとり、そのひと失われることなし。p84
また、純性、激性、暗性の性ある諸状態は、ただわれにのみ(発す)と知るべし。されど、われ、かれらのうちに在るにあらず、かれら、わが内にあり。p91
老、死より解脱せんがため、われに依り恃み、精進する人びとは、隈なくかの梵を、また最高の自己と、行為一切とを知る。p94
なにをやっていようとも、それはゲームだということを覚えておきましょう。自分の役割を遊ぶことです。もしそれが戦いだったら、そのときには戦いましょう。中心に定まったままでいることです。深刻になる必要はありません。ただ遊ぶだけでいいのです! 戦争は始まらなければならなかった。両方の軍隊が対峙して、互いに殺し合いを始めることができるように、合図がなされるのをまさに待っていた。アルジュナは何百万もの人びとを見て、少し動揺した。彼は考えた。「これはばかげている。王国のためというだけで、ただ王になるというだけで、何百万もの人びとを殺すだけの価値はない」。この考えがあまりにも深くさし込んだために、彼は自分の有名な弓を捨てて、クリシュナに伝えた――クリシュナは彼の御者、彼の戦車の御者だった――。彼はクリシュナに伝えた。「戦車の向きを変えてください。私をジャングルに連れてゆき、そこに置き去りにしてください。私は世界を放棄したい。私はもうこの王国は欲しくはないし、戦いたくはない」
クリシュナは彼と議論した。これはお前の義務だ、お前は臆病者だ、これは現実逃避だ、と彼を納得させた。そしてついに、クリシュナは彼を戦わせた……。
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