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2010/03/13

「覚醒の舞踏」グルジェフ・ムーヴメンツ 郷尚文<2>

<1>よりつづく
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「覚醒の舞踏」 グルジェフ・ムーヴメンツ <2> 
スワミ・アナンド・プラヴァン 2001/06 市民出版社 単行本 343p
★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 偶然Ma Prem Vartiya「自由へのスパイラルダンス」を見つけて、すっかり舞い上がってしまった。

 「あなたは天性の舞踊家だ。決して舞踊を中断してはならない。続けなさい。あなたには踊りがすなわち求道の道となるだろう。あなたはその道を通って悟りに行き着かねばならない」Osho「自由へのスパイラル・ダンス」p60

 彼女の「舞踊」という言葉で、こちらの「舞踏」を思い出した。この二つの漢字の間にどのような違いがあるのか、今は問うまい。かたやスパイラル・ダンスであり、かたやグルジェフ・ダンスだ。ダンスに変わりはない。

 さて、「覚醒の舞踏」を昨年の5月に読みかけておきながら、何故かぜんぜん進んでいなかったことを発見した。本来であれば、「グルジェフ&ウスペンスキー」の数ある本の中の一冊として読み込まれるべき一冊で、かのリストの中では比較的新しく、なお、書き手がOshoのサニヤシンということもあり、もっと早く再読されるべき一冊であったはずである。

 しかるに、私は、本質的にグルジェフは得意ではないのだ。それこそ、だれかにまた揶揄されるが、Oshoが言ったから、どれ、グルジェフもひととおり目を通してみようかな、という、どこか不純な動機がある。Oshoがグルジェフ&ウスペンスキーに触れなかったら、私は、一切知らないままでも、なんの不足もなかったに違いない。

 そもそも、当ブログは「意識をめぐる読書ブログ」を標榜している現在ではあるが、こうして第二期目の1024冊に向けて、締めにかかってみると、結局は、私が目指しているのは、「意識」なんて漠然としたものではなく、「Osho」オンリーなのではないか、と思う。もうすこし具体的に言えば、「Oshoが言うところの意識」をめぐる読書ブログ、ということになるだろうか。

 どこか偏狭なようでもあり、またターゲットを絞り込んでいる最中でもあるのだから、この狭さは、ある程度必要なことであるだろう、と自分では納得することにする。また「読書ブログ」としてはいるが、本来なら、その情報源なりウォッチすべき領域を「ネット」ととしたいのだが、今は、あまり大枠を変更することはやめておく。それはVOL3の課題ということになろう。

 さて著者の名前でググってみても、この本以外にヒットはなく、1961年生れの科学技術分野でのフリーランス翻訳家ということだが、著者はこの本一冊しか確認できない。ネット上には「グルジェフ 創造と進化の図絵」というHPがあり、ここから著者の近年の情報は得られるかもしれない。

 「実際にワークすることは、ワークを志願することほどむずかしくない」とグルジェフは言う。ムーヴメンツのワークでも、もっともむずかしいのは。それを始めることことかもしれない。生活のためや、エゴの満足のため、あるいはあれこれの「夢」の達成のためならば、ふつう人は、超人的な努力さえいとわない。だが、グルジェフは、人々が「夢」を抱いてワークに接近することを意図的に拒んだ。個人の探求は、状況の恐ろしさと、ワークが提供する可能性の大きさに対する、バランスのとれた理解から始まらなければならない。そして、そのような理解が原動力となるには、それは知的な理解というより、感情的な理解がなければならない。この章の主題となるのは、そうした感情的な理解である。p84

 当ブログにおけるグルジェフ・ワークへの接近においては、この本は、避けて通れないばかりか、一番の入り口になってくれそうではあるが、それを「始める」には、まだその機縁が熟すのを待つ必要があるようだ。それまで、待とう。

<3>につづく

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