キリスト最後のこころみ
「キリスト最後のこころみ」
ニコス・カザンザキス (著), 児玉 操 (翻訳) 1990/03 出版社 単行本: 489p
Vol.2 No.992★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆(残り32冊)
先日、「その男ゾルバ」を読みなおしたあと、カザンザキスのこの「キリスト最後のこころみ」と「アシジの貧者」を借りてきておいたのだが、読み終わらないまま返却期間が来てしまった。もともと小説を読んでメモするようなブログではないのだが、やはりここはカザンザキスをじっくり読んでおきたいところだった。倦土重来を期す。
「いったいどこへ行くの?」と彼女はたずねた。
「砂漠へ」
「どこだって? もっと大きな声で」
「砂漠へ」
歯の無い口をゆがめると彼女の眼に激しいものが光った。「修院へ?」予期せぬ怒りをこめて彼女はたたみかける様にたずねた「何のために? どんな用がそこにあるというんだい、その若い身空で?」
それに対して彼は何も答えなかった。老婆は頭を横にふると蛇の様に陰にこもった声で「神を探したいのだね」と皮肉たっぷりに言った。
「そうです」と低い声で若者は答えた。
老婆は彼女の葦の様な細い足にまといついていた犬をけったが、それは若者に近づいて行った。
「おう、このろくでなし」と彼女は叫んだ。「神は修院に居られるのではなく、人間の家庭の中に在るということが分からないのか、良人と妻が居る所は、どこでも神が居られる所だ。子供達が居り、ちょっとした心づかいや料理や言い争いや、また仲直りやそんな事がある所には神が居られるのだ。あの去勢された男達の言う事なんか聞いて何になる、修院なんかに居る神ではなく家庭に居る神、これこそ真の神であり、あんたが崇めねばならぬ方だ」
老婆は話せば話すほど押さえようのない怒りの炎が燃え上がった。しゃべるだけしゃべり復讐の念を思う存分まき散らすと静かになった。
「ごめんなさいよ、勇敢な若い衆さん」と若者の肩に手を置きながら彼女は言った。「それと言うのも実は私にもあんたのように立派な息子がいたんだよ。ある朝急に頭がおかしくなって家を出たきり砂漠の修院、あの偽医者共の所へ行ってしまったんだよ---あいつ等は皆、疫病にかかって死んでしまったらいいのだ。あいつ等の手ではどうかただ一人の病人もいやす事が出来ませんように---そんな訳で息子は居なくなりこの通り釜でパンを焼いては、また空にして---いったい誰に食べさせるために? 子供達のために? 孫達ののために?・・・・今ではこの様にしなびてしまって実らない木同然の姿なんだよ」p71
つづく
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