自由へのスパイラル・ダンス<3>
「自由へのスパイラル・ダンス」<3>
洪 信子 (著, 原著), 兪 澄子 (原著, 翻訳) 1998/08 フィルムアート社 単行本 253p
ラジニーシに出会ってから私は舞踊にたいする概念を完全に考え直すようになった。彼は踊りについて今まで誰からも教えられなかった偉大な話で私を目覚めさせてくれた。彼は舞踊から離れようとしていた私に、舞踊の何たるかもしらずに闇雲に踊っていただけの私に、あらたに舞踊に目覚めさせてくれたのだ。p62
芸術家やアーティスト、あるいは表現にたずさわる人間達が、Oshoに近づくと、一時的に、あるいは永遠に、その道から遠ざかってしまう、という現象を、私なりに感じてきた。かくいう私などは、もともと才能がなかったにせよ、何かを表現せんと、文字を書いたり、印刷機を回したりしていた。しかし、Oshoの言葉に出会ってから、それまでの自分の存在基盤そのものが瓦解するような現象を体験し、その道は私の道ではなくなった。
こうして著者のように、自らの道から離れようとしていた時期にOshoと出会い、あらためて自らの道を歩もうと決意したところに、彼女の稀有さがある。そもそも、彼女自身のテーマの立て方、道の見つけ方が、最初の最初から、Oshoとチューニングされていた、ということだろう。だからこそ、その後の彼女の道のりが、いわゆるOsho追随の道ではなく、一定程度の距離がでてくるのに、それでもなお、読者としての私は、彼女の道が彼女のいうところへの「自由」へのスパイラルダンスである、ということに圧倒的に説得されてしまう。
やっと歩けるようになった時、私はラジニーシをたずねて、彼に体の具合が悪いことを訴えた。彼は私の目を見て、すべてわかったと言わんばかりに話した。
「今のあなたの体の病気は精神に起きた変化によるものだ。その病気の後はあなたの体が新鮮になるだろう。時には、私たちには心身の毒を洗い流すために病気が必要になる」
私は理解できた。p106
ある時、20代のサニヤシンが亡くなった。
彼女の屍はアシュラムに移され清められた後、きれいなオレンジ色のサンヤシン服に着替えて火葬場に運ばれた。出発する前、ラジニーシは私たちに、死をいかに受け止めるべきかについて短い説教をした。
「彼女は死を素直に受け入れた。それは最も難しいことだ。なぜならば人間はそのように教育されたからだ。死は人生の終わりで、恐怖で、そして苦しいものであると。しかし、死は生の部分であって生の終わりではない。それは人生の絶頂であるだけだ。人生の絶頂を恐れるならば、どうして人生を楽しめることができるのか」
だからそれを祝福するお祭りの夜を過ごすよう、彼は私たちに言った。たくさんのサンヤシンたちが彼女の後に続き、火葬場で彼女の屍が炎に包まれると、歌い踊りはじめた。夜の闇は屍を燃やす火柱と踊るサンヤシンたちのオレンジ色の衣装を美しい花模様に浮かび上がらせた。夜明け方、最後の煙が細く天に上がって行くまで私たちの踊り、私たちの歌は終わることがなかった。
死はこのように美しい儀式だった。死はこのように美しい祝祭だった。死はこのように美しい踊りであり、歌だった。p107
私は、このブログで何をしようとしているのだろうか。たくさんの素晴らしいと評価される本を手にとり、時には笑い、時には難解な文章を放り投げる。時には長い小説に再チャレンジし、また論敵には、汚い言葉を投げつける。新しい本を立ち読みし、古い本を国会図書館からわざわざ取り寄せてもらい、もよりの図書館に通いづめになる。
いろいろな本との出会いがあるが、思わぬところでOshoと出会うと、それだけで私は舞い上がってしまう。期待していなかっただけ、突然のOshoの出現に、体が舞い上がる。心も舞い上がる。私はこのブログで、そういう本たちと出会いたいのだと思う。そのことが一番したいのだろう。
著者の文章は、多分、韓国の人達が話す言葉で書かれているのだろう。それが邦訳されて、私は日本語で読んでいるのだが、英語から翻訳されたものとはちょっと違う、なにか優しさというか、深みを感じる。それは彼女のもともとの魂の状態によるところも大きいのだろうが、もちろん、女性であるとか、舞踊を道としている、とか、さまざまな要因はあるにせよ、おなじ東洋のすぐ近くの半島に生きている人、という近さにあるのかもしれない。近くて遠い半島から、Oshoに対するこれだけの強いメッセージが送られていることに、私は身ぶるいする。
「生命は死なない。死ぬのはあなたのエゴだ」
死についてのそれまでの悟りを圧縮したような一文が私の頭をかすめた。ラジニーシの言葉だった。
私は地団太を踏むのはもうやめて、あたかも師にひれ伏すように諦めの中で波に自分を完全に預けてしまった。頭がぼんやりしはじめ、体が鈍くなってくると、もう息をすることができなかった。水がどんどん喉を声、もうこれ以上とても飲めないくらいたくさんの水を飲んだ。ところがこんな苦しい状態を越すと、急に私の体は楽になり始めた。楽になるというより恍惚になるまでだった。すでに私の意識ではなかったからだろう。と、一瞬のうちにすべてがぴたりと止まった。p110
女性であること、舞踊家であること、韓国の人であること、ニューヨークで暮らした人であること、ハワイに自分のスペースをもっていること、インドやアジアを旅したこと。そして、もう、だいぶ高齢であるらしいこと。それらの、外面的なさまざまな形容を使っても、彼女の魂は、十分に表現できない。彼女は彼女の独自の魂をもっている。
私はインドという地理的な空間は離れたが、インドで学んだ瞑想から離れることはできなった。瞑想はいつも私の生活の中にあった。私にとって瞑想とは精神と肉体が、実際にこの二つは一つである。同時に参加する一つの運動だ。この運動で私は自らの病気まで治療することができたのだ。p127
彼女の表現は、決して詩的ではないし、もちろん論理的でもない。時には、彼女の原文がそうなのか、翻訳が十分でないのか、文化や習慣が違うのか、と、ややいぶかしくなるところもないではない。しかし、その距離感が心地いい。手を伸ばしてもう届かないところに行ってしまっているわけでもなく、剥がそうとしても撞着しすぎていて、もう剥がしようがないというほどの近さでもない。心地いい距離感がある。
そのたびに私は自らの体験をとおして得たことを彼らに伝えた。生活を投げうって求道の道に進もうとする人を対象にしたのではなかったので、私が伝えたのは生活の中でたやすく実践できる難しくない瞑想法だった。しかし、どれもすべて瞑想の基本的な原理と真髄を取り入れるようにした。p130
彼女には気負いもなく、ためらいもない。これまで私のブログでいろいろと登場してくれて、私の良い遊び相手になってくれた人々、例えば、北山修とか、吉福伸逸とか、村上春樹とか、末永蒼生、中沢新一、とか、そういった人々に、当ブログの独自の範疇で「ZENマスター」トレーニングコースをほどこそうか、と思っていた(笑)。しかし、ここまで読んできて、彼女こそ、そのZENマスターの称号にふさわしいのではないか、と、思った。
前世でおそらく私は一生懸命に修行をしていた行者ではなかったろうか。ところが現世でふたたび修行したのを考えると、どう考えてても前世で私は完全に解脱できなかったらしい。前世で私は何に失敗したのだろう。ひょっとすると結婚してみなかったということではないだろうか。だから現世で遅まきながら結婚もし子供も産んで人間として経験すべきあらゆる過程を踏まねばならなかったのか。p150
家庭については、さまざまな異論がある。しかし、私はここでの彼女の述懐に賛成である。
ラジニーシ・・・・・
どれほど多くの人が彼を正しく理解できずにいるのかと思うと、ただ驚くばかりだ。今は永遠のサマディの世界に旅立ったが、彼は熱烈に崇め慕われると同時に痛烈な批判を浴びながら生きなければならなかった。p234
このワンフレーズ、ワンセンテンスが、私には目新しい。「どれほど多くの人が彼を正しく理解できずにいるのかと思うと、ただ驚くばかりだ。」 この言葉を日本語で聞いたことがあるだろうか。やや近いものに玉川信明の「知識人の怠慢というより悲劇」という言葉があるが、玉川の場合は、Osho理解がやや書籍に偏り、しかも日本語文献のみがその依拠すべきところであった。しかもその言葉が向けられたのは、いわゆる「知識層」やマスコミに対するものだった。
私の目には、むしろこのMa Prem Vartiya、あるいは洪信子(ホン・シンジャ)の視線は、傷ついたイエスを抱く、聖母マリアが天に向かってつぶやいている姿とさえ重なってくる。
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コメント
☆Monju
リンクは歓迎です。よろしくお願いします。
実は、この人は、ひょっとするとMonjuの知人かな、と一人考えていたのですが、なかなか存在感のある方だな、と思います。
投稿: Bhavesh | 2010/03/12 17:45
バベッシュ、すてきな本を紹介してくれてありがとう。ぼくの日記からもリンクさせてください。
投稿: Monju | 2010/03/12 14:38