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2010/03/12

自由へのスパイラル・ダンス<2>

<1>よりつづく

Spiral_3 
「自由へのスパイラル・ダンス」<2>
洪 信子 (著, 原著), 兪 澄子 (原著, 翻訳) 1998/08 フィルムアート社 単行本 253p

 「あなたは天性の舞踊家だ。決して舞踊を中断してはならない。続けなさい。あなたには踊りがすなわち求道の道となるだろう。あなたはその道を通って悟りに行き着かねばならない」。このOshoの言葉を聞いているうちに、そういえば、「Dance Your Way To God」と言うダルシャンダイアリーがあることを思い出した。邦訳名「生命の歓喜」。そういえば、あの本も76年のダルシャン風景ではなかっただろうか。

 さっそく探してみると、それは1976年の7月28日から始まっていた。Ma Prem Vartiyaのテイクサニヤスからわずか2日後のことである。はてはて、不思議なものだ。これは正しい日時の記述であるのだろうか。実は、この本、いくらかの誤植や翻訳上の不正確さが感じられるところがある。

 1996年6月。アメリカに発つ日、昼間家族の見送りを受けてキンポ(金浦)空港まで来たのだが、実際に見送りに来た皆が皆、私が出発するということにまだ驚いていた。ずっと内緒にしていて、前々日になって突然知らせたからである。p82

 などというところは、「1996」年ではまずいだろう。これは「1966」年の6月であるはずだ。日本にビートルズがやってきた時である。誤字脱字のオンパレードの当ブログが他人の誤植をあげつらうのもどうかと思うが、まま、文章にはこういう大事なところで間違いもある。

 アメリカの地に数万人の弟子を引き連れてきて2年目に、強制追放される身となった。彼の祖国、インドも彼を排斥していたが、自由の象徴であるアメリカでも排斥されたのだ。20世紀の聖者、彼を死ぬまでに一目見ようと大騒ぎする群衆はいても、彼の居場所はどこにもなかった。p237

 ここらあたりでも、「2年目」とは、ちょっと短すぎないだろうか。私の記憶では、Oshoは80年にアメリカに渡り、85年にアメリカを離れたわけだから、ここは「5年目」となったほうが、より自然に思う。まぁ、しかし、それは、表現のちょっととした違いによるところも多い。

 ただ、このMa Prem Vartiyaのテイクサニヤスの日の記述が、本当にこれで正しいのかどうか、それを調べるには、その正確性が確保されないと、探しようがない。もしあの記述が正しければ、そのダルシャン風景は「A Rose Is A Rose Is A Rose」あたりにありそうなのだが、まだ見つけていない。

サンニャーシンたちを生み出すことによって
私が望んでいるのは、何人かの踊り手たちをつくることだ
彼らのそのダンス、そのお祝い
そのよろこびやその歓喜を通して
彼らは地上に神を祝うことだろう 
Osho「生命の歓喜(Dance Your way to god)」p9

 まさに、ここにミッシングリンクのひとつが発見されたような喜びがある。

 ネット上を見ると、Ma Prem Vartiyaは韓国人としては初めてのサニヤシンのようだ。そして4冊のエッセイ集があり、一冊に「プナの追憶--ラジニーシとの出会い」(1994)p59があるとのことだが、どうやら邦訳はまだされていない。ここでのプナとは当然poonaのことであろう。

 私の作品はどれも、究極的に自由に行き着きたいという人間の身もだえだ。数ある作品の中でも、そんな身もだえがエネルギーとして最も純粋に表出されたのは、1984年に発表した「螺旋形の姿勢(Spiral stance)ではなかったかと思う。ソロ公演で、自分なりに完成度も高かったと思っているこの作品は、ひたすら求道に精進していた一人の修道女を修道院から飛び出させてしまった。p67

 この辺あたりから、本書のタイトル、「A Spiral Dancing for Freedom」へと繋がってきたものと思われる。

 現在、私はソウルから一時間ほど離れた京畿道竹山郡の小さな村に住み、私の生と芸術の場をあらたに築くのに追われている毎日です。でも、どんなに忙しくても一年に一度はハワイのビックアイランドのボルケーノにある私の小さな小屋をたずねます。
 自分自身を振り返るために。
 また、そこは私の生を整理して結局は死を準備する場所でもあります。
 私はボルケーノをのぞむ私の小屋にいつの日か(death & dying center)を建て、死について考える場所を準備したいからです。
p9「序文」

 これは1998年の著者の心境である。その後、この小屋はまだあるのだろうか。そして、一年に一度の滞在は続いているのだろうか。

 その鎧を射抜く矢を放ったのはラジニーシだった。私は彼が射た矢に当たるために自分から身を投げだした。彼のサンヤシン(弟子)になったのだ。彼は死についてサンヤシンたちに話した。

 「生命は、本当の生命は死なない。死ぬのはエゴなのだ。エゴは死の部分であって生命ではない。あなたにエゴがなければ死もない。あなたがエゴを意識的に捨てられるならば、あなたは死に勝ったのだ。死が突然にあなたの意識を叩いたならば、あなたは恐らく人生の虚無を感じるだろう。人生の無意味を感じるだろう。死は人生の真実をそのまま見せてくれるからだ。

 彼の言葉は私が何と戦うべきかを教えてくれるヒントになった。アシュラムで彼の説法を聞く生活をしながら、私なりに一人だけの戦いをはじめた。それは自らを問い詰めるような絶え間ない質問の鎖だった。

 死が怖いのか。何が死ぬのか。肉体は死ぬ。肉体が死ぬのをなぜ怖がるのか。それは固体が消滅するからである。ならば、固体とは存在しているのか。p102

 もともとは韓国語で書かれた文章なのであろう。一般的なイメージではあるが、韓国の人達がもっている情念の強さが、良くにじみ出ているような表現がつづく。

<3>につづく 

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