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2010/03/11

自由へのスパイラル・ダンス<1>

Spiral
「自由へのスパイラル・ダンス」<1>
洪 信子 (著, 原著), 兪 澄子 (原著, 翻訳) 1998/08 フィルムアート社 単行本 253p
Vol.2 No.994★ ★ (残り30冊)

 すばらしい。思いがけず、このような本と出合うと、背筋がゾクゾクッとする。これだから図書館めぐりはやめられない。すでに10年以上前の本だし、ましてや韓国で出版されたのはそれよりさらに以前のことだろう。だが、今読んでもリアリティがあり、とてつもない説得力と吸引力がある。

 1940年生れの韓国の女性舞踊家。韓国の裕福な一族の生れらしく、60年代にアメリカ留学している。そこで舞踊と出会い、10年ほどアメリカで暮らしたあと、インドやアジアに旅をする。ハワイに自らのスペースをもち、また母国の大学で教鞭をとりながら、なお40代にして子供を授かり、ニューヨークのアパートで子育てをする。

 パラパラとあちこちを蚕食するような私の読書では、この方の全存在を理解することはできない。しかし、それであったとしても、この本は極めて貴重な一冊と言える。当ブログがいままで図書館から借りてきた約2000冊の本のベスト10には間違いなく入る。

 現在、当ブログはOshoの「私が愛した本」「ミーラの歌」「サハジョの歌」のところをめくっているところだった。そんな機縁が、この本との出会いを誘ってくれたのかもしれない。先日「魂の螺旋ダンス」を再読していて、そのタイトルが、「The Spiritual Spiral-dance」であったところから、類似のタイトルを探してみたところ、この本がヒットした。この本の英語タイトルは「A Spiral Dancing for Freedom」と名付けられている。

 彼は鋭い眼光を真っすぐ私に向けた。私はその光彩を放つかのような大きな目を見ていることができなかった。何かの罪を犯した人のようにうなだれて、床に土下座したいような気持だった。彼の声が聞こえた。

「どんな動きでもいいから、一度してみなさい」

 戸惑うと同時に、ある種の逆らえない気運を感じた。言葉より動作のほうがまだ自由が利く私には、むしろ幸いな要求だった。考えている余裕などなかった。私は無心に手から腕、肩、胸、ついには全身を座ったままでゆっくりと動かしてみせた。

 ラジニーシは大きく息を吸った。

「よし。あなたは舞踊をやめてはならない。私はあなたの腕と足の美しさを見たかったのではない。私はあなたの動作の美しさを見たかったのではない。私はただ、あなたが踊りの中でどのくらい自分を消すことができるのかが見たかっただけだ。あなたは天性の舞踊家だ。決して舞踊を中断してはならない。続けなさい。あなたには踊りがすなわち求道の道となるだろう。あなたはその道を通って悟りに行き着かねばならない」

 彼は踊りが好きだった。彼は舞踊家が好きだった。彼はすべての芸術の中で最も純粋なのが舞踊であると考えていた。彼の言葉は短かったが、大きな啓示が私をゆさぶった。p60

 この本はかならずしも、サニヤシンの立場でかかれたわけではない。そのあとの彼女の足取りも必ずしも、いわゆるOsho追随の道を選んでいるわけでもない。地名や人名などの表記の仕方から考えて、翻訳者も、必ずしもOshoについて詳しい人が担当しているわけではないだろう。だが、それにしても、なにごとかの本質をズバリと表現しているような、鋭さ、シャープさがある。

 彼のサンヤシンになるということは、俗世でもっている私のすべてを捨てなければならなかった。数日間、私はためらい続けた。しかし、結局私は彼のサンヤシンとなった。1976年7月26日だった。その日、彼は私にマ・プレム・バーティヤ(Ma Prem Vartiya)という新しい名前と一緒に戒を下した。プレムは愛を、バーティヤは旋風を意味した。紙に書いてきた戒を自らゆっくりと読んでくれた彼の奥ゆかしい声を私は一生忘れられないだろう。

「・・・・・あなたは完全に死んで、また生き返らなければならない。覚えておくのだ、愛の旋風を。生のエネルギーがあなたを虜にするままに生きよ。
 
 歌を歌いたいか。しかし、決してあなた自身が歌ってはならぬ。生の沸きたぎるエネルギーがあなたを通って歌になって流れるようにすることだ。踊りを踊りたいか。しかし、決してあなた自身が踊ってはならぬ。生の、この野生のエネルギーがあなたを通って踊りとなって流れ出すようにすることだ。これすなわち、本当の宗教の道であり、求道者の姿勢である。これすなわち生の充満であり、永遠の世界に生きることだ。

 バーティヤ、生の、この野生のエネルギーがあなたをどこに導いて行くか知る人は誰もいない。あなたの動作はもはや純粋な動きに変わる。ここは何の目的もない。ただ純粋な法悦とエネルギーの充満あるのみだ・・・・」

 私は胸に溢れんばかりの思いでそれを聞いていた。そして、それは私の体の中に流れこんできて、そのまま私の体の一部になった。p62

 現在、彼女がご健在であれば、すでに70歳になられる方である。その人生は舞踊にささげられたものであっただろう。Oshoレクチャーの英語から韓国語への翻訳として「サラハの歌」や「マハムドラの歌」(日本名「存在の歌」)があるp239。

<2>につづく

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43)ブッタ達の心理学3.0」カテゴリの記事

コメント

☆sopan
そう言えば、「生命の歓喜」の中に、sopanの瞑想している姿の写真が載っていますね。アイマスクをした横顔なのに、すぐ分かってしまうのは、プーナで一緒だったことがあるからかな(笑)。
あれから30年以上経過したんですね。

当時の講話はsetuの頁でみると、「The Discipline of Transcendence」シリーズの中で語られているかもしれませんね。 http://now.ohah.net/setu/article--240.html

この本には何枚も写真が掲載されているけれど、どれが彼女の、オリジナルフェイスなのかわかりません。一枚一枚が違うので、直に出会っても、私なら、多分彼女かどうか見分けがつかないでしょう。

この著者ホン・シンジャの「プナの追憶--ラジニーシとの出会い」という本があるらしいのですが、読んでみたいとは思うけれど、韓国語では現在お手上げです。もっともネットで本だけは購入できそうなので、いつか翻訳者が現れるまで保存しておくのもいいかなw

投稿: Bhavesh | 2010/03/12 10:02

iPhoneに出会った さん
レスありがとう。折を見て、またアクセスしていただければ幸いです。

投稿: Bhavesh | 2010/03/12 09:49

久しぶりに自分のテイク・サニヤスの Osho 直筆のペーパーを引っ張りだしてみた。1976年8月16日。この女性の20日後ぐらいだ。もしかしたら、モボス・ホテルでこの女性と会っているかもしれない。日本人と思って声をかけたら、自分は韓国人だとかなんとかいって、まともに相手にしてもらえなかった。はっきり覚えていないが、当時の自分にはそっけない応えに感じた。後から考えれば、自分の内的な感覚に忠実なサニヤシンにはよくある応答なのだが、そのときは冷たいと感じた。その韓国人とこの著者が同一人物かはわからない。うろ覚えなのだが、1、2週間して、講話の質疑応答のなかで、ある韓国人が韓国に古くから伝わる物語として、対立する二つの禅寺の話を持ち出して、Osho に質問した。答えの内容は忘れたが、自分個人とすると、あのモボスの出会いを思い出した。つまり、個人的な感覚としては、韓国と日本の対立の問題が俎上に登り、それに解消の方向が示されたような感じだった。(講話のなかで、自分の個人的な疑問が応えられているような、あの感じ、といったらわかる人もいるだろう)ただし、その質問者もあの女性と同一人物なのかは不明。このダンサーの女性にかんしては、他のだれかからちらりと聞いたことがあるようなないような……。

投稿: sopan | 2010/03/12 08:50

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