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2010/03/13

自由へのスパイラル・ダンス<4>

<3>よりつづく

Spiral_4
「自由へのスパイラル・ダンス」<4>
洪 信子 (著, 原著), 兪 澄子 (原著, 翻訳) 1998/08 フィルムアート社 単行本 253p

 悟りにたどり着く道、その道は無限に多い。それは山に登るのと同じことだ。既に出来上がった道から登ることもできるし、道を作りながら登ることもできる。連れ立って登ることもできれば、一人で登ることもできる。運がよければ、すでに登ったことのある人に出会い、その人の案内で無駄足を踏まずに正しい道をすぐにもたどれるだろう。そして、運が悪ければ、道を間違えて数十回の試行錯誤の末に結局は登れないかも知れないのだ。
 
 私たちは悟りの山を登るための道中にある。宗教と師がその道案内をすることもある。しかし、その案内者の手を握って山に登っても、ある時期にその手をすっかり離さなければならない。彼らが私たちの代わりに山に登ってはくれないからだ。
p238

 彼女はシャーマニックな舞踊家とされる。アマゾンや図書館の本の紹介を見るとこうある。 

 なぜ踊るのか、なぜ生き、死ぬのか? 現代韓国の前衛舞踏の第一人者、洪信子の波瀾の人生と繊細かつ大胆な感受性を告白した舞踊と人生の告白録。(「BOOK」データベースより)

 現代韓国の前衛舞踏の第一人者であり、そのシャーマニックな宇宙的動きが世界的評価を受けている洪信子。彼女の破天荒な人生と繊細にして大胆な感受性を告白した舞踊と人生の書。(「MARC」データベースより)

 それほど使いなれた言葉ではないが、シャーマンやシャーマニック、と言い放ってしまうところに、何かを類型化し、軽くスティグマを張ることによって、近寄りがたいものとして分離してしまいかねない危険性があるのではないか。著者の魂のベクトルは、決して特別なものではない。むしろ人間としての、より本質的な、根源的なものである。

 アメリカで暮らしはじめて10年の間に、私は思いがけず前衛舞踊家となり、いわゆる成功なるものをおさめた。そして、一時帰国した韓国では舞踊界を騒がせる公演も何回か行い、それによって有名にもなった。その後、私はすべてを清算して出家さながらにインドへ旅立った。1976年のことである。私がなぜインド行きを決めざるを得なかったというのは、とても言葉では言い尽くせないが「生の根本的な問題に懐疑を感じて」とだけ、まずは言っておこう。

 当時私は悟りを開くのだという途方もない欲望を抱いていた。p31

 この本は、アメリカのニューエイジ風に、エンターテイメント風にアレンジされていない。つまり、ドラマツルギーが「確立」されていない。だから、2時間の映画をみるように、強烈なエキサイティングな感動と、急に戻る日常生活への着地点を、ほい、ほい、と簡単に切り替える娯楽作品のようにはできていない。たんたんとしつつ、いきつもどりする、もどかしさがある。まるで、この本自体が、ひとつの彼女の舞踊のようだ。

 だから私には踊りの弟子があまりいない。舞踊学徒より、むしろ修行と求道、とりわけ踊りをとおしての求道に関心を持つ人が教えてもらいたいと、連絡してくるほうが多かった。そして、彼らの熱意のほうが学校の弟子たちのそれよりずっと大きかった。おそらく私が当時、「サラハの歌」と「マハムドラの歌」を翻訳出版した直後だったからかも知れない。この2冊の本はタントラ仏教の根本であるサラハ(Saraha)とティロパ(Tiropa)が残した各々の頌歌についてラジニーシが講義したものだ。韓国の読者はこの本をとおして初めてラジニーシに出会えた。ラジニーシを直接たずねて行くことのできなかった彼らが、その渇きを私をとおしていやしたかったのかも知れない。p239

 一志社という出版社から「マハムドラの歌」が出たのが1979年、「サラハの歌」が1980年。ほとんど、日本と同じころに韓国でもOshoが紹介され、人々に読まれていったということになる。p249参照。

 このように熱心な人々が引き続き集まってくるので、今も年に1、2回は1週間、もしくは10日間ずつの瞑想キャンプを開いている。私は自らが悟りへの道の立派な案内者になれるとは思わない。しかし、私の手を握って山を登ろうとする人には私の手を差し伸べる。十分とは言えないが、私の手を握ってでも、あるところまでは行けるからだ。私はただ、私が引いて行けるところまで、手を握っていてあげればいいのだ。たとえ山の中腹までしか登れないにしても。p242

 これは1993年にでた「自由のための弁明」という原題の韓国書籍の中にある言葉だから、この年代の著者の心境と思われる。

 検索してみると、彼女のインタビュー記事などもでてくるし、Youtubeでは、Sin Cha Hongの「Dream of Life」2003という作品の短い動画があった。彼女のどのような位置づけになる作品かわからないが、とりあえず貼り付けておく。

<5>につづく

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