「やさしいかくめい1」 リアリティ<1>
「やさしいかくめい」 シリーズ(1)リアリティ <1>
プラサード編 1978/07 草思社
Vol.2 No.996★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆(残り28冊)
私がラジニーシのサンヤシンとして彼のアシュラムで学んだと言うと、こう言われる。
「本当なの。教えて下さる、彼はどんな人だったのか」
夕食の食卓を囲んで、あるいはティータイムの限られた時間に、彼についてのすべてを話せと言う。彼らは単純に好奇心を感じているだけだ。私のあのとても言葉で言い尽くせない体験の結果を、そして彼の無限の教えを、一言か二言で要約してくれというのだ。
「だから簡単に言って、彼の教えの要点は何なのよ」
彼らは直接出向いて、体験して、自分自身のものを直接探そうとはしない。何一つ投資しようとはしない。時間も、エネルギーも、はなはだしくはお金も。ただ座って、でなければパーティに出かけて、短い皮相的な対話の切れ端から面白いことだけをそっくり知ろうとするのだ。「生」自体をそんな怠惰の中で受け入れようとする彼らに、私が言えるのは何だろう。Sin Cha Hong「自由へのスパイラル・ダンス」p237
そして、彼女はまた、こうも言う。
ラジニーシ・・・・・
どれほど多くの人が彼を正しく理解できずにいるのかと思うと、ただ驚くばかりだ。今は永遠のサマディの世界に旅立ったが、彼は熱烈に崇め慕われると同時に痛烈な批判を浴びながら生きなければならなかった。Sin Cha Hong「自由へのスパイラル・ダンス」p234
これは韓国語の「自由のための弁明」がでた1993年の時点のSin Cha Hong の偽ざる心境であろうし、邦訳がでた1998年の時点においても、特段に訂正されてはいないらしいところをみると、韓国人としてのサニヤシン第一号としてのSin Cha Hong の心の中では、いささかも彼への信頼は揺るがないように見える。
それに比して、日本人サニヤシンの自称「第3号か4号」(「地球感覚,」p144,スワミ・プレム・プラブッダ)などは、早々と、1980年代初頭には、自らのマスターにダーティな言葉を投げつけるようになる。それをどのように妥当化するのかは、ご本人の問題だが、ここにおけるSin Cha Hong のゆるぎない愛と信頼感とは、極めて対比的な、表現と言わざるを得ない。
1975年にでた小部数の「存在の詩」のあと、1978年7月にでたムック形式の「やさしいかくめい1」には、極めて興味深い記事が掲載されている。当ブログでは、この本について、何度かタイトルのみメモしてきたが、本としては紹介してこなかった。また、この本についての、ネット上の情報は極めて少ないようだ。なんせ、すでに32年前の小部数発行の本である。私の手元に残っているのが不思議なくらいだ。
当ブログでは何回も触れてきたこの本だが、資料性が高いと思われる部分を大量にアップしておきたいと思った。だが、、著作権の問題もあろうし、技術的な問題もあり、今回は表紙と簡単なデータを貼り付けておくにとどめる。
そもそも当ブログは、一般公立図書館の開架棚にある、誰でも読める本、を中心に据えて、ブログを展開している。あまり深追いするのは、ここではやめておこう。
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