絵が伝える子どもの心とSOS
「絵が伝える子どもの心とSOS」
末永蒼生 2010/02 講談社 単行本 111p
Vol.2 No.1005★★★★★(残り19冊)
今年になってからの出版だから、一連の末永本の最新刊ということになろうか。10年前に同じ講談社から出た「答えは子どもの絵の中に」(当ブログ未読)と対になっているようで、それからの実践をまとめたものとされる。
子どものように無心になると表現されることもあるが、もちろん子どもにも心はある。いや、むしろ、心を十分豊かに育てなければならない。この末永メソッドが必ずしも「トランスパーソナル心理学」の範疇に入らないのは、トランスではなく、プレの分野を多く扱っているからだろうか。「超」個というより「前」個と言える。
テーマは3~17歳程度の、アトリエに通っている子どもたちの絵であり、また、その年代の子どもたちを育てている親の世代のための本である。とくにちょっと悩める話題を持っている若い母親向けに作られている本なので、薄く、きれいで、文章も読みやすい。そして話題はあくまでも具体的。もちろん、十分にプライバシーは守られているので、多少のぼかしやデフォルメはあるに違いない。
それでも、一読して思うことは、末永蒼生という人は文章が上手だなぁ、ということ。この人の描いた絵は残念ながら一枚も見たことないが、この40年間文章は読んできたから、なんとなくわかるが、とにかく、一貫して分かりやすい文章を書く人だ。そして、優しすぎない。ポイントはキチンと押さえてある。
子どもの絵を通しながら、実際には大人の心がいやされているのではないか、とさえ思う。すでに子育てを終えてしまった私のような世代でも、この本を読んでいると、なにかホッとするものを感じるし、もし孫でも生れたら、こんなことあんなこと気遣ってあげなくてはな、と思う。
ただ、実際に、自分が子育て中の時、これほど、自分の子どもの絵に向かい合っていただろうか。むしろ、絵を媒介にせずとも、子どもからのメッセージは、もっともっと、別な形でたくさん発信されているのではないだろうか。言葉であり、態度であり、あるいは周囲の他の大人からの指摘の場合もある。
子どもにとっては、自由に絵を描いたり、粘土をいじったり、工作したり、あるいはアトリエで何もしないで時間を過ごす、ということは、自らの心を練り上げるにはよい機会になるに違いない。もちろん、絵ばっかりではなく、スポーツや、音楽や、ほかの習い事もたくさんあるだろう。単純に考えれば、ひたすらゲームソフトと一日中遊んでいるよりかはずっといいように思う。
ただ、本来で言えば、このような「遊び」は、もっともっと自由にどこでもできたはずなのだ。このような形でアトリエでカウンセラーつきで行われなければならないような環境にあるということも、現代社会の姿の一面なのであろう。
巻末の「子育てに役立つ絵の見かた」p97には、赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫、黒、白、などの意味について語られている。もともと私がアサリ式で習った時代のものと変わっていないが、その表現はすっかり洗練されて、もとの文章を思い出すことができないくらいに新しい現代的なものになっている。配色や形、モチーフなどにも触れているが、ここでは「原理」的なものは何も提示されていない。むしろそうであってしかるべきに思う。
私はこの本を読んで、すぐに適用するような子どもがそばにいるわけではないが、子育て中の身近な知人達のことを考えてみる。彼らは、子どもとして、大人として、どんなSOSを発しているのだろう。そんなことを考えていると、結構、自分自身がSOSを発していることに気付く。いや、むしろ、年度末の多忙期に、あれこれ振り回されている自分が一番危機状況にあるのではないか、と、ひとり苦笑する。
そういえば、ずいぶんと萎縮しているなぁ。もっと、子ども心に帰って、自由に絵を描くような気分で生きなければなぁ、と反省する。
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