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2010/03/14

死のアート 哲学者たちの死に方 The Book of Dead Philosophers<3>

<2>よりつづく  
哲学者たちの死に方
「哲学者たちの死に方」 <3
サイモン・クリッチリー (著), 杉本 隆久 (翻訳), 國領佳樹 (翻訳)  2009/8 河出書房新社 単行本: 372p 原書 The Book of Dead Philosophers 2008

 もし私がつよくSin Cha Hong の「自由へのスパイラル・ダンス」に魅かれたとするならば、そこに漂うつよいタナトスのちからであっただろう。もし、私が例えば北山修とか、吉福伸逸とか、村上春樹とか、末永蒼生中沢新一とか言った人々に、当ブログなりの洒落ではあるが、独自の「ZENマスター」の称号を贈れないとするならば、これらの人々からはタナトスの光が立ち上ってこないからだ。

 いや、彼らもまたおおく「死」を語ってはいる。そして、多くの場合において、散漫な読者でしかない私は、大事な部分を読み落としている可能性は大である。しかし、それでもなお、彼らのイメージは、他者における死、概念としての死、哲学的な意味としての死を問うことが多いように思う。

 Sin Cha Hongに私の何かが感応するとすれば、それは、自らの死、死を厭わない、むしろ、自らその死に入っていこうとする彼女独特のタナトス、そこから再生されるエロスの、かぐわしい香りに包まれてしまうからであろう。

禅と死の技芸(Zen and the art of Dying)

 私は禅の専門家ではない。そして禅は様々な形で西洋に導入されているが、私はそれらに対して懐疑的である。しかし禅僧が死の間際に書く辞世の句(詩)という日本の伝統は魅力的である。禅僧は、一般的な遺言以外に、俳句か挽歌形式の短い詩で生への別れを綴る。死を迎える僧は、その瞬間を予測し、死を記し、筆を置き、腕を組んで背筋を伸ばし、そうして死ぬというのが理想的な死に方とされている。やや極端に過ぎ、かつ滑稽な例が日本の禅の創始者の一人である栄西(1141~1215)の死に様である。

 彼は死に方を教えに京都に赴いた。まず観衆に向かって長々と説明をして、それから静かに禅の流儀通りのポーズを取ると、彼はそのまま死んでしまったのである。ところが、彼があまりに突然死んでしまったことを弟子たちが嘆いたため、栄西は一旦生き返り、その5日後に全く同じ様になくなったそうである。これらの辞世の句は、次の古楽の俳句のように、この上なく秩序が保たれた厳格で美しい形式で書かれている。

 元の水に
 帰るぞうれし
 草の露

 あるいは、道教慧端による次の詩

 末期の句
 死、急にして道い難し
 無言の言を言とし
 道わじ道いわし

 だが次の馬仏の俳句のように、辞世の句の多くは驚くほど控えめで、かつユーモアに富んでいる。

 いつ抜ける
 底とも知れぬ
 桶の月

 あるいは、ずば抜けて上手い例として、蟻の餌としての死体という荘子の考えを喚起させる森川許六の辞世の狂歌を挙げておきたい。

 下手ばかり
 死ぬる事ぞと
 思いしに
 上手も死ねば
 くそ上手なり       
 p100

<4>につづく

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